2023年12月28日木曜日

寒空の はるか向こうに富士の山 師走乗り鉄武蔵野線

あと5日で新年、本日は、12月28日。ここ1週間くらい、毎日、晴天続きで、昨日も、ちょいと乗り鉄・武蔵野線に乗ってきた。ここのところ、富士山がよく見える。昼間での寒いけれど、暖房つき、ガラ空き状態の車内は、快適だ。

今年もいろいろありました。いい話より、いやな話、困った話の方が多かったみたい。

ウクライナでの戦争、ロシアは、止める気配なく、ウクライナといえば、もちろん、「勝つまでやめない」、というわけで、先がまったく見えない。国境を接しているモンゴルへは、ロシア側から兵役から逃れようと、若者たちが越境しているとのこと。ロシア側からの攻撃、ウクライナ側の反撃の様子が映画を見ているように、テレビで眺めていることが、なんとも後ろめたい感じがします。

中東だって、そうです。パレスチナ難民の居住地区ガザ、病院、学校を含む、あらゆる建物を次々に爆破しているイスラエル軍の攻撃、多くの、ふつうの人たちが、この爆撃によって死んでいる、なのに、どうしていいのか。テレビのチャネルを変えると、お笑い、爆笑の日本の師走風景。笑っていていいのかよ、と。シンガポールで、テレビ電話でイスラエルの友人は、「どうしていいのか、わからない」、「この先、どうなるのか」、と涙声で話していました。初めての留学先がイスラエルだったことでもあり、先が見えないイスラエル、いっときも目が離せない。

もひとつ、とても気になっているのが、スーダン。国連の開発計画(UNDP)のカルツーム事務所に赴任したことがあり、内紛で12,000人もの死者を出し、周辺国(エチオピア、チャドなど)やヨーロッパへの難民の流出が続いています。UN・国連職員も国外に脱出したとのこと。国内の資源をめぐる争い、スーダンだけではなく、いわゆるグローバルサウスといわれている国々では、深刻な問題。

日本国内だって、ろくなことない歳末です。東京電力の柏崎原発、なぜか安全性にGO!サインが出された。自民党の政治資金問題、国会議員とカネの問題、今に始まったことではないけれど、人(国民)のカネを勝手に使うなよ。

「貧乏な人とは、物を持っていない人ではなく、限りない欲望を持つ人のことです」                 これは、南米ウルグアイの大統領だったホセ・ムヒカさんの言葉です。

    今、朝の10時。時間は十分、これから路線バスで、前倒し西新井大師へ。


      

2023年12月1日金曜日

かさこそと 落ち葉踏み踏み 今朝も往く

朝のウオーキングの時間を、1時間ずらしました。5時スタート、です。まだ、真っ暗ですが、車は、走っています。家に戻っても、明るくなっておらず、テレビ体操の時間、ようやく明るくなります。近くの道路の街路樹が、銀。いまが落ち葉、真っ盛り。

病院勤めの看護師の友人が、来宅。職場の高齢化で、夜勤が多く、疲れるといいながら、久々のお休み、わが家でいろいろ話してくれました。

長期入院の高齢男性患者、「茨城の米が食べたい」、を繰り返していた。彼女が茨城に住んでいることを知ってか、知らずか、とにかく、毎日、「茨城の米・・・・」を、繰り返しています。病院では、院内で準備の食事を食べるが、原則で、外部からの持ち込みは、禁止だれています。で、ある日、自宅でおにぎりをつくって、病院に持参。2人シフトの同僚に、内緒にしてね、と念を押して男性に手作りおにぎりをわたしました。おいしい、おいしい、と食べてくれました。その後、二度と男性の口から、催促はありません。

今朝、新聞にキッシンジャー氏の死亡が報じられていた。100歳だった、とのこと。いつも動静が気になっていた人物のひとり。

アメリカに留学した当時、キッシンジャーさんは、ハーバード大学から国務省に移ったばかりだった。時々、地域在住のユダヤ人コミュニティのパーティーによばれていた私は、ユダヤ人問題が研究テーマだというと、主催者のひとりから「ヘンリーに、いろいろ聞くといいわよ」と言われた。彼女は、キッシンジャー氏の奥さんだった(後に離婚)。ヘンリーってだれ、とはいわなかったが、キッシンジャー氏のファーストネーム。結局、その後、キッシンジャー氏に会うことはなかったが、今日に至るまで、いつも、気になっていた人物だ。冷戦構造下で、米中関係に貢献した氏の偉業は、歴史に残るもの。当時のドイツから逃れて、アメリカに亡命したユダヤ人のキッシンジャー氏、今日の中東でのイスラエルとパレスチナ(ハマス)戦争、どんな見方をされたか。

おにぎりが よく似合う秋 筑波山 

北千住から土浦駅へ。水戸行きの常磐線快速電車。駅前から路線バスで、筑波山へ。ケーブルカー駅で下車。えっ、思わず叫ぶ。長蛇の列です。ま、いいか、とお隣の筑波神社へ。だれもいない。ここで、持ち込みのおにぎりを食べることにした。紅葉、ちょっと過ぎたかな、上は、どうかな、なんていいながら、おにぎりを食べる。今の季節、テレビで報道する紅葉名所は、ダメです。テレビを見た人たちが、押しかけるので、混んでいます。というわけで、神社でおにぎりを食べ、バスでつくばエクスプレス駅に戻り、帰宅したのでした。

      

2023年11月8日水曜日

コロナ後の 初の外国 羽田から

11月4日、夕方の便で羽田空港帰着。シンガポールへ行ってきました。3年ぶり。10月28日に行ったので、一週間の旅でした。いつものように、友人宅の滞在でした。2年前に移転したという今の家、というより邸宅は、テニスコート、プール、広い庭園、鯉のいる池などがあり、シンガポールで事業に成功した人物の家、そのものでした。友人は、医師で、今は、病院長、中国本土はじめ、周辺の国々にも病院の支店(なんていうのか)を展開しているほどの成功者。奥さんは、シンガポール国内で、不動産業の社長。50年以上の付き合いのある日本の年金受給者をときどき招待してくれるっていう関係です。

今回は、久々のシンガポールでしたが、彼ら、ご夫妻、家族は、六本木のマンション、箱根の別荘、北海道ニセコのスキーリゾートマンションへ、年2~3回は来ていました。

彼の家で、近隣の友人たちが集まり、共通の友人にオンライン電話をしました。ビルマ(ミャンマー)、マレーシア、タイからの友人たちと、イスラエル、セイロン(スリランカ)に電話での会談をしました。イスラエルの友人は、ガザで子どもたちに演劇を教えていて、今回の自国との戦争に大変困惑のようでした。「78歳になってしまったよ」、と、言ってました。彼とは、数年前にイスラエルを訪問した時、テルアビブで会っています。セイロンの友人は、コロンボに住んでおり、事業で成功、最近、パゴダ(仏塔)を寺に寄贈したと言ってました。彼とは、50年以上会っていません。いくつになった? と聞くと「92歳」との返事に、すごい、偉い、と繰り返してしまいました。スリランカの経済状況は、当分良くならない、というのが、彼の発言です。パソコンの画像に写る彼らの表情をみながら、ブラボーを叫んでいました。

久々のシンガポール、なつかしかった、楽しかった、です。


2023年10月27日金曜日

日光で 熊と伴走 これほんと

ここのところ、ほぼ毎日、日本全国「熊情報」で賑わっています。暑い夏の結果、熊さんたちの大切な食糧であるどんぐりが、どうも不作らしく、冬眠近いこの季節、熊さん側も必死の行動なのです。民家に侵入し、台所の冷蔵庫の中のピザを失敬したり、庭の木に登って、柿を頂戴し、畑のニンジンを食べ、などなどの被害が報告されています。それだけなら、まだ許せる、でも、人間さまを引っかいたりして、傷をつけたりもしています。これみな生きるため「やるっきゃない」、というのが熊サイドの言い分のようです。

実は、そう、今から30年ほど前のことです。日光の山の上、男体山の麓で、冬はクロスカントリースキー場になる地域ー光徳牧場近くでのことです。近くの沢周辺を歩いていました。と、右側のすすきの中で、なにやらガサガサ、すすきが揺れています。倒れたすすきの間に黒い物体、熊です、熊さんです。びっくりというよりも、気がつくと走りはじめていました。右側のすすきの中を、熊さんが走っています。同じ方向を、すすきのこっち側を走る人間。50メートルほどだったか、先に沢にかかった橋が見えました。と、手前で、熊さんは右折、沢の岸を走っていました。熊さんの姿がしっかり見えました。それだけのこと、ですが、熊と徒競走をするという稀有な体験をしました。

秋晴れのいい日、本日は、水戸方面へでも行ってみるか、と常磐線に乗りました。この線は、なんと100年の鉄歴という老舗鉄道です。稲刈りを終えた田んぼには、白鷺が落穂ひろいをしていました。たわわになった柿の実が、「秋」を実感させてくれます。テレビでは、今年の紅葉の地、ということで、あちこちの紅葉を宣伝していますが、みんなが見て、みんなが行く、そういう紅葉名所は、だめ。「人」の見物になるくらいなら、足立区神明町の赤稲荷神社の方が、おすすめです。 

2023年10月19日木曜日

秋さがし 乗り鉄行く先 身延線

 久々の遠乗り鉄で、ちょっと緊張気味の朝、六時のいちばんバスで出かけた。綾瀬、北千住、日暮里と乗り換え、乗り換えし、新宿駅へ。こうして新宿へ50年も、60年も前から通ったな、とひとりごと。ホームは、インバウンドでいっぱいだった。あの頃の、土日の山行き登山者で、いっぱいみたいな感じだった。ホームにも、キオスクにも、駅弁当店にも、長蛇の列が出来ていた。なんだか、どこか、外国の駅にいるみたいだった。

乗車するのは、、8時30分の特急かいじ。いつ頃からか、松本方向の中央線は、特急が全て座席指定になった。乗り方が、ちょっと複雑。全ての座席上に、点灯する印がある。「青」は指定券のある乗客が、必ず座る席。「赤」は、当面は、空席だが、指定券ありの客がきたら、立たなければならない。JR側は、座れないかもしれない、座れるかもしれない客用の切符を販売する。とくことで、座席指定券がない客でも、乗車出来るというわけ。

この列車は、終点が甲府だが、途中、立川、八王子、そして大月駅に停車する。インバウンド客たちの多くが、大月駅から富士急で、富士山麓が目的地。富士山見物です。新宿から大月駅まで約30分、そのあと1時間で目的地へ到着出来る。ということで、座れなくても、早く着く特急で行きたいの選択。とにかく、富士山見物日帰り旅行というわけです。

大月駅で、切り離しで、富士山麓駅へ行ける1,2両車は、座席指定券なしの乗客ですし詰め状態だったらしい。新宿駅を発車して間もなく、「座席券なしのお客さんは、座れません。座席指定券のある方に、席をお譲り下さい」、と何度も何度もアナウンスを繰り返していた。外国語(英語、韓国語)のみのアナウンスで、日本語なし。対象がインバウンド乗客だったのでしょう。ちなみにわたしが乗車の8号車内でも、立ちんぼインバウンド客が、かなりいたが、混乱は、見かけなかった。あとの駅、立川や八王子駅で乗ってきた日本人乗客のみなさんが「すみません、すみません」といいながら、席をあけてもらっていました。

発車してすぐ、進行方向左側、ずっと向こうに、白い雪をつけた富士山が見えたのに、車内は、それどころではなかったという感じでした。かいじは、予定通り大月駅到着。車内は、うそみたいにガランとなり、ふとそと見ると、紅葉はまだまだ、という段階。でも、なんとなく、色づきはじめたかな、という感じだった。

長いトンネルを抜けると、甲府盆地が眼下に広がる。勝沼ぶどう卿ー旧名は勝沼駅から、見えるのは、大菩薩、奥秩父、南アルプス、そして、遠くには、八ヶ岳連峰も見える。贅沢なパノラマ、なんど見ても、いつ見ても、いい景色ーブラボー。

塩尻駅からは、左手の山の向こうに、富士山が顔を出していた。時間通りに甲府駅着。10時14分。いよいよ身延線。特急ふじかわが10時44分というので、それにあまり紅葉が期待できそうもないので、特急に乗ることにした。身延線は、甲府~富士間だが、この特急は、静岡駅が終点だ。といっても、2両のみ編成の特急、客もまばら。景色は抜群。南アルプスを右車窓にみながらの乗り鉄です。お天気、最高。

途中、市川大門という駅。歌舞伎の初代市川團十郎発祥の地、という説明板があった。右下の川に沿って走る。列車がすすむにしたがって、この川の川幅が、だんだん大きくなっている。ほぼ山の中を走っているこの列車からの視界には、紅葉は見られない。身延駅で、10名くらいの団体さん乗車。座席は、充分です。世話人らしい男性が、弁当を配っている。時計を見ると、12時。こちらも、持参のおにぎりを出す。近くの高齢男性が、弁当のふたを開けている。いいな、おかず、あんなにあって、と思いながら、にぎりめしに海苔をまく。でも、それなりにおいしかった。ほんと。

そろそろかな、と前方を見ると、なんと富士のお山が見えはじめた。はじめて、この路線に乗った時には、直前まで気づかなかったことを、思い出した。秋晴れは過ぎ、山頂には、雲があった。でも、この大きさ、さすが富士山、でかい、でかい。

12時35分、下車の富士駅着。48分の東海道線熱海行き(普通)に乗車。3両編成で、客は6割程度。高校生が多く、沼津、三島駅で降りていく。長いトンネルがあけると、熱海駅。

13時30分だった。東京行き新幹線の乗り継ぎのアナウンス。近くのエレベーターに乗るともう一人の男性が、「乗れるかな、新幹線入口はすぐですか」、と聞かれたが、返事をする前にドアが開く。男性が走っていくのを、なんとなく、追いかけていた。新幹線の券売機へ男性は走り寄り、現金を入れていた。で、反射的にこちらも同じ操作を。と、新幹線改札のところにいた太り気味の駅員さん、早く、早くと叫んでおり、すぐのエスカレーターを駆け上がる。あの男性は、エスカレーターのいちばん上あたり。下の方で、「13番ですよ、自由席は」、と駅員さんの声。ホームを上がった時、新幹線のドアが開き、客ひとりが下車。セーフ、間に合った。乗ったのは、7号車で指定席。

走る列車の中を13号車まで歩く。こだまでも、歩いていると結構揺れます。小田原駅到着のアナウンスえを聞きながら、13号車に到着。「こだま」って、指定席の方が混んでおり、自由席は、がらがら状態、インバウンド客は、皆無だった。

「やったね」、とひとりごとをつぶやきながら、自由席着、ニヤニヤしながら、最後の障害物競走が、おかしくて、でも、たのしくて、結構、いい気分だった。この日の乗り鉄、最後の新幹線競走、最高だった。紅葉は、まだだったけれど。

2023年10月13日金曜日

秋気配 金木犀が 始まった

ようやく「秋」を実感している昨今です。近くの金木犀が、白い蕾をつけ始めました。枝を折って玄関の花瓶にさしておいたら、一晩で黄色になり、あの匂い、玄関にただよっています。

中東が騒がしくなってきいました。これまでは、ほぼ毎日、映画でも見ているように、ウクライナ情勢が気になっていました。戦争映画でも見ているようなで、毎日、チエックするのが、この一年続いています。それが、ここ2,3日、ウクライナに代わって、イスラエル・パレスチナ戦争になっています。イスラエルは、初めて留学した国、その後も、なんどか訪問しています。

昨夜のテレビに、中東問題では珍しく、女性の専門家が登場。経歴には、レバノン出身とあり、それでも、いい日本語で発言しています。その女性の名前が、重信とあり、もしかしたらと調べてみたら、あの重信房子ー左翼運動の女性戦士、彼女の娘であることが判明。重信メイさん、1973年生まれで、アメリカや日本で学び、テレビのキャスターをしているとのこと。お母さんの重信房子さん、日本から逃れ、レバノンに亡命していて、つい最近、日本に戻ってきた、というのを、ニュースで知りました。

その重信房子に、間違われたことがありました。フランクフルト空港でのこと、出国手続きの場から、別室に連れていかれ、荷物だけではなく、着ているものを脱がされ、髪の毛の中まで手を突っ込まれ、とにかく、素っ裸検査をされた経験があります。今みたいに、機械でチエックする方法がない時代です。抵抗するっていうよりも、こんなことするんだ、と興味深々であった自分を思い出します。

10月14日は、「鉄道の日」、イベントあるのかな。時々乗り鉄している常磐線、100周年になるんだそうです。一週間前、水戸駅までの乗り鉄した時、なぜか、車窓から、まだ咲いている彼岸花をみました。暑い夏、長い夏、短い「秋」だったからでしょうか。

2023年10月10日火曜日

猛暑去り 秋短いを とんぼ飛ぶ

 昨日(10月9日は、信じられないほどの寒さ。低体温で登山者が亡くなったとのニュースを思い出した。コロナワクチンをすませた。インフルエンザの予防注射もすませました。

見るまい、気にするまい、といいながら、ラグビーの試合、テレビ釘づけに。いまだルール、よくわからないけれど、なぜか気にしてしまう。サッカーも、バスケットも気がかりだ。

それにしても、ここのところ地震が多い。トルコ、チュニジア、モロッコ、アフガニスタンなど、死傷者の数、はんぱじゃない。ハワイの火事だって大変だった。

中東も非常事態。ガザから突然の軍事進攻が行われ、イスラエルも、報復ということで、全国民出動の戦争体制が始まった。ガザは、一度行ったことがある。ガザのアラブ人たちへの職業訓練プロジェクトを指導していたイスラエルの友人に同行。もともとアメリカ生まれのユダヤ人の友人は、この地域に住んでいたアラブ人たちを追い出して建国したイスラエル人こそ反省すべき、と言っていた。行き場を無くしたガザのアラブ人たち、これからどうするのか。パレスチナとイスラエルが、仲直りしようと結ばれた「オスロ宣言」(93年)は、どうなったのか。

ウクライナといい、パレスチナといい、何人殺せば、気がすむというのか。戦争の実況中継を毎日みながら、だんだん、「戦争」という名で、人間が殺しあうことへの無感覚感がつのっていることが、おそろしい。

同じテレビで、大谷翔平とか、藤井壮太とか、ラグビー、サッカーなどに現を抜かすしている「自分」、こんなんでいいのか、と、考え込んでいる昨今です。

2023年9月7日木曜日

飛鳥山 名残り惜しそに 蝉の声

飛鳥山は、江戸時代からの桜の名所。数年前からは、王子駅側より、かわいいモノレールー5~ 6名乗りーが、山頂へ人々を運んでいる。王子駅は、目の前が飛鳥山で、ホームに立つと、山の方からの風が心地よい。あの猛暑の日でさえ、風はあった。5月、6月は、紫陽花の花が見事に咲いており、開花は、他よりも長かったような気がする。9月に入ってからも、ちょくちょく王子駅ホームへ。神明町では、もうとっくに、蝉の声は聞こえなくなっているのに、ここ飛鳥山では、まだ鳴いていた。結構、元気に鳴いている。

王子駅から都心と反対方向への京浜東北線に乘るのが、週2~3回、南浦和からの武蔵野線の乗り鉄です。結構、お気に入り路線です。朝晩は、混む路線ですが、乗り鉄の時間帯、昼前後は、空いています。八両編成の電車は、府中本町がスタート駅、5分おきに来ます。

車窓からの景色が、気にいってます。勿論、住宅群、大型商業施設、学校、病院、分譲墓地、そして、畑、田んぼもあります。遠くには、筑波山も見えます。

新松戸駅で降りて、常磐線に乗り換えて、綾瀬駅まで15分。改札でスイカを通すと、なんと230円。年金生活者にとっては、とてもやさしい運賃です。ということで、武蔵野線にはまっています。

週二回、東京唯一の路面電車「都電ーさくらトラム」に乗っています。三ノ輪商店街にある銭湯が目的です。この都電=市電は、始まりが1932年といいますから、木挽町生まれの私が生まれる前から走っていたことになる。銀座通りを走っていたチンチン電車、あこがれでした。戦後は、東京中、走っていた市電、いつの間にかなくなり、この路線、早稲田~三ノ輪間、のみになりました。三ノ輪から、王子に出て、大塚駅の横を通り、早稲田まで、約1時間かけての都電の旅です。

最近、宇都宮で市街地の芳賀まで走る路面電車が、開通したとのニュースを見ました。いちど試乗に行かねばと、思っています。そういえば、地方都市の路面電車、いくつも乗っています。豊橋、京都、広島、長崎、高知、札幌、函館で乗りました。そうそう、富山では、開業してすぐの時でした。高知では、行く先が「ごめん・後免」という市電だった。そういえば、日光にも路面電車があったそうです。今のJR日光駅から、神橋あたりまでの距離、乗ってみかったなあ。

2023年8月25日金曜日

虫が鳴く 秋まだなのに 蝉が去り

一か月ぶりの投稿です。パソコンの調子がよくなく、自分で、あれこれトライしてみたけれど、解決策に至らす、お助けマンにお願いしました。で、解決したというわけです。

いろいろありました、この世の中。原爆投下の日、広島では、式典が4年ぶりとかで行われ、外交団、首相はじめ政府閣僚たちが参列していました。ところが、長崎は、台風 の影響で、縮小しての式典になってしまいました。広島、長崎投下の日、時間に合わせて、黙祷しました。毎年、どこにいても、していた、この日の儀式です。

毎日、毎日、とにかく信じがたい猛暑でした。熱中症にならないよう、水分は、こまめに、日中は、外出をひかえる、家の中では、冷房をかける、などなどの注意が、政府からのメッセージとして、繰り返されたいました。高齢者は、特に気を付けましょう、とも。2,3日なら、いいけれど、連日、これらを守るってことは、大変。この間、出かけなかったのは、一日、8月11日だけでした。お寺さんの、お盆の個別訪問があった日です。あとは、全て、いつものように、乗り鉄、路線バス乗りの「ちょこっと旅」を実行しました。遠出は出来ないので、家を出てから、帰るまで、だいたい4時間の旅です。原則は、インバウンド客の多い都心は避けて、都心に出ず、ということは、足立区から東方向です。千葉、埼玉、茨木、栃木あたりの乗り鉄、シルバーパスは、使えないけれど。昼前後の都心と逆方向の電車って、空いているんです。冷房もしっかりついていて、快適です。同じ路線に、何回も乗りました。

この暑さ、ちょいお出かけ以外は、週2回の銭湯行きです。綾瀬から千代田線で町屋へ。ここからが、いいんです。都電・ちんちん電車に乗るんです。終点の三ノ輪まで行き、商店街の中の銭湯。これを週2回、実行しています。

最近、感動したテレビ番組、ユダヤ人を救ったシンドラーの映画。実は、イスラエル留学中に会った女性から、その実話を聴いたことがあるんです。この映画は、アメリカはじめ、世界のユダヤ人たちの献金によって製作されたんだそうです。なんとなく、ヒットラーとプーチンが重なってみえます。日本人シンドラーといわれている杉原さんの話も、すごいと思うけれど、感動させられた映画でした。

本日は、これから出かけます。今日は、大宮から東武アーバンパークラインに乗るつもり。

2023年7月25日火曜日

梅雨が明け 夏到来と 蝉が鳴き

 朝4時、もう東の空が明るくなっている。日の出までは、もちょっと待たねばならない。3POコースは、この季節、東方向に向かって歩く。まだ、車は少ない。今朝は、いくらか涼しい。もう梅雨が明けたけれど、まだまだ暑い夏がある、と自分に言いきかせながら、歩く。3POから戻り、次のルーティングワークは、周辺の草とり。太陽が出る前の、ちょっとワーク。ゴミ袋の「大」一杯と決めている。前の晩に、鎌を研いでおくので、切れ味、最高。こうして毎朝の草取りをはじめて、二か月になる。はじめの頃に刈ったはずなのに、もう次の草が生えはじめている。夏草は、とにかく生命力が強い。

時刻表を見て、今日は、武蔵野線乗りへ。先日、行ったばかりだけれど、テレビで50周年開業記念の番組を見たので、改めて、乗ってみる気になった。10時前に家を出た。綾瀬駅から新小岩駅まで、京成バスに乗る。ここからお茶の水経由で、中央線の国分寺へ。中央線特快というのは、早い。新宿から国分寺まで20分。車内は、学生さんたちの通学時なのか、結構、混んでおり、シルバーシートにも、学生がスマホを見ながら占拠していた。

国分寺で降りて、普通で、お隣りの西国分寺駅へ。武蔵野線で、2つ先の府中本町まで乗り、ここから「50周年武蔵野線」に。始発からの乗客は、数えるほどで、西国分寺駅で、とーんと乗ってきた。といっても、ラッシュ時ほどではないけれど。すぐに電車は、地下に入る。ここら辺に山、丘、あったっけ。そのあとも、なんかいか、地下を走る。そっか、地下鉄モードなのです。途中で、西武線とか東上線などに乗り替える人が多い。秋津、東所沢、新座など、埼玉県を走り、浦和シリーズに入る。武蔵野線は、西浦和、武蔵浦和、南浦和、東浦和、と駅名浦和シリーズが続く。

途中で、2回、長ーい貨物列車とすれ違う。武蔵野線は、都心を走る山の手線が、増える貨物を処理しきれなくなり、新設されたということが、わかります。武蔵野線が、首都圏の重要な貨物運搬路線であることがわかる。

南浦和駅からは、いつものお楽しみコース、新松戸駅~常磐線綾瀬駅までです。本日は、都心でも、35℃だったとのこと、それでも、予定通りの「ちょい乗り」、楽しく終了することが出来ました。

2023年7月19日水曜日

武蔵野線 走り続けて 50年

 来る日も、来る日も、暑い、暑い。こんなに暑い夏、じゃあなくて、梅雨時って、あったっけ。電気料金なんて、気にしてらんない、昼も、夜も、冷房つけっぱなしです。

といいながら、近場の乗り鉄は、なんとかやっています。実は、最近、頻繁に乗っているのが、武蔵野線。自宅近くの停留所から、一日5本のコミュニティバス、これで西新井駅まで行き、乗り換えて、都バスで、王子駅、ここまでは、シルバーパス。ここから、京浜東北線で南浦和駅、乗り換えて、「武蔵野線」に乗る。新取手駅で常磐線に乗り換え、綾瀬駅。王子駅から綾瀬駅まで、スイカは、230円、です。

武蔵野線の途中の景色、気にいっています。戸建て住宅の地域、高層のマンション地域、大型商業施設が、つぎつぎに建設されており、まだまだ工事中も、いくつも見ることができます。日本って、今、人口が減っているというのに、これって、どういう現象なんだろう。首都圏には、まだまだ人があつまり、地方には、ますます人がいなくなる。最近、p^su越谷駅近くに、大きな墓地が登場。駐車場もあるけれど、2,3台、見受けられる程度。

50年の歴史を走り続けて武蔵野線、府中から西船橋間に競馬所が3つもあります。競馬のある日は、混雑するようです。中山、浦和、府中競馬場のために作られた路線、なのかな。

じり貧ニュースが多い鉄道関連で、いいニュースもあります。東武日光線・スカイツリーラインは、新型特急スペーシアXというのを導入。豪華車両は、テレビでも、紹介されていました。車内の漆塗りの壁とか、広いスペースとか、クラフトビールが飲めるとか、お値段もあがったように、気分もかなりあがる、新車。

7年ぶりの復興列車は、熊本の南阿蘇鉄道。切り立った渓谷の鉄橋を渡る列車には、感動しました。只見線の復活もありましたが、人口の少ない辺境地、乗る人が急に増えるはずもなく、経営は、前途多難のようです。

いい話。最近、乗ってきた路線、えちごトキめき鉄道が、Tシャッツの切符を売り出したという話。第3セクターのトキめきき鉄道は、直江津から市振までの59.3キロを走る鉄道ですが、「着る切符ーTシャッツ」で、9月10日まで、改札口で係に見せる、これで電車に乗れるっていう仕組み。Tシャッツは、一枚6000円だそうですが、始発から終点まで乗ると、切符は1310円、もとをとるには、往復なんかい乗車するのか。ともかく、誘客のためあれこれ、アイデアが出れくるもの。ここら辺には、もうひとつ「あいの風とやま鉄道」というがあり、これも、乗ったことがあります。ちなみに、トキめき鉄道とあいの風鉄道は「日本海ひすいライン」と呼ばれたいます。

2023年7月14日金曜日

梅雨あい間 ちょい乗り鉄で きょうも旅

しばらくご無沙汰だった快語碌、再開です。

7月2日のことです。東海道線平塚へ。 実は、なーんでか、です。この日、いつものように朝4時すぎに3PO(散歩)へ。いつも、東へ向かって歩くのですが、たまたま対向車が来たので、振り返ったら、ちらっと目に入ったのが、山蔭。あれっと、もういちど見直すと、富士山です。あれっ、富士山、とことばに出してしまいました。この方向に、富士山が見えることは、知っていましたが、建物のおかげで、いつの間にか見えなくなっていました。ほとんどあきらめていました。なのに、見えた、神明町から見えました。すぐに戻って、綾瀬川にかかる匠橋まで行ってみました。左手(南)にスカイツリー、そして西に全体像ではないけれど、たしかに富士山。人間社会は、いろいろ障害物をつくって、視野を遮断してしまうけれど、富士山は、不動、動かない、昔からずっと、そこにあり続けています。

急いで朝食をすませ、新聞を読み、9時頃、神明町を出発。綾瀬、北千住、上野で乗り換え、東京駅へ。ここで、まだ、多少混んでいた熱海行きに乗車。進行方向右側に座りました。ここからは、横浜を過ぎると富士山が見えるはず。今日は、晴れているので、見えるはず。だんだん客が減り、10人くらいになった頃、平塚駅到着。

さっそく駅前のバス停留所へ。秦野行きと、伊勢崎行きとが、出ています。どちらでもいいわけですが、これまでに伊勢崎行きの方が、なんども乗っているので、10分ほど待ったけれど、秦野行きに乗りました。出発時の乗客3名。富士山を見るためには、運転手さんの横で、いちばん前の座席にしなければ。もちろんOKでした。駅を出てすぐ、左折して、旧東海道に入ります。東海道歩き旅で、何回も歩いている旧街道。あちこちに車が駐車していて、街道の両側では、職人さんたちが、作業中です。そう、ここは、有名な七夕祭りの現場です。しばらくして、バスは、右折。市街地の狭い道に入りました。ここからならば、見えるはず、のつもりが、左側、西の空は、箱根の山々は見えるものの、肝心の富士のお山がない。えっ、なーんでだ。なんで、富士山がないんだ。と、ひとりごとをいいながら、バスは走る。客は、いつの間にか2人が降りていて、お客さんひとりっきり、運転手さんとふたりの路線バス、40分ほどで秦野駅に到着しました。あーあ、富士山を見に来たのに、ぜんぜん見えなかった。伊勢崎線の時は、あれほど、しっかり見えたのに。

ということで、思い付き路線バス乗りでの富士山を見る、は残念な結果となりました。それほど曇っていたわけではないけれど、前衛の箱根の山々は、霞んでいました。カナ中(神奈川中央交通)のせいではありません。運が悪かっただけです。

秦野からは、小田急快速で代々木上原へ。ここから千代田線で綾瀬駅まで、約2時間。ま、こういうこともあるってこと。思い付きでのちょい旅、だもんね。

 

2023年6月12日月曜日

紫陽花の 蝸牛みた さあ梅雨だ      

梅雨入り宣言(6月8日)が出た翌日から、雨模様。例年よりも早めなんだそうです。台風がすでに3回もきて、その影響で、川が氾濫したり、それに、能登半島だけでなく、日本列島のあちこちで 地震、夕べも北海道で震度5の地震。なんだか、この先が不安です。

海外でも、不安だらけの状況。カナダでは、かなり広いエリアでの山火事で、隣国アメリカでも大変なことになっており、ニューヨークの空から青空が消えるほどの公害になっているそうです。ミャンマー、パキスタンでの洪水、そうそう、ウクライナでは、貯水池が氾濫し、戦時下の地域が洪水になっている。ロシアも、ウクライナも、相手の攻撃が原因と言い合っており、犯人、わからずじまいのまま、被害が続いています。

水がありすぎても困る、水がなさすぎても困る、これが「南」の国々の実情です。争いが終結したはずのアフガニスタンで、畑を耕す為の水路づくりに貢献した中村哲さん。凶弾に倒れて3年あまり、新聞に現地の「その後」ニュースが掲載されていました。何年くらい前だったか、その中村先生にお会いしたことを思い出しました。当時の先生は、お医者さんで、会ったのは、たしかバングラデシュの北の方の村でした。日本からの青年代表団ということで、現地で活躍されていた日本人に会う、というプログラムでした。現地の苦労話をされた先生に、「日本に帰って、私たち、どんなことで協力できますか?」、と団員が質問をした時、中村先生は、こうおしゃった。「どうか、みなさん、古着を出さない生活をして下さい」。よーく覚えています。古着を出さない、ということの重みを、今でも感じています。

雨が降っても、風が吹いても、やってます、乗ってます、乗り鉄・ちょい旅。ほぼ毎日、日帰りなのでほとんど首都圏内です。いちばん頻度が高いのは、武蔵野線、東武アーバンパークライン、つくばエクスプレス線、たまーに山手線などです。ちょこっと東京をはずれると、まだまだたんぼがあり、田植えのすんだ一面の青田が、車窓から見えます。緑が日々濃くなり、家々の庭先には、紫陽花が咲いています。わが家の周辺でも、紫陽花が満開。雨に濡れた紫陽花って、本当にきれいです。紫陽花って、こんなに種類があったっけ、といまさら、感心しています。よーく見ると、なんと蝸牛。しばらく見とれてしまった。

そういえば、こんなこともありました。 あらいやだ カエル顔出す 丸亀うどん



2023年5月26日金曜日

暑い日は 行こう乗り鉄 北陸へ

 5月17日、朝6時、いちばんのバスで綾瀬駅へ。北千住に出て、乗り換えて、7時には上野駅に着く。新幹線ホームへ。まだ早いのに、インバウンド客が多い。東京は、この日、34.5度の猛暑という天気予報だったので、それでは、涼しいところへ避難しようと、夕べ時刻表を眺めていた。東北地方も、30度以上とのことで、それでは、14~5度の新潟方面へ行ってみるか、と。

新潟行き新幹線に乗った。いつもなら、大宮駅で新幹線利用の通勤客がどさーと乗ってくるのに、停車するも、この日は、乗り込んでこない。そうなんです、この新幹線は、熊谷、高崎には止まらないから。列車は、ほとんど、トンネルを走り、外の景色は、まったく見ることが出来ない、を繰り返し、上毛高原、越後湯沢、浦佐に、各駅停車。次の長岡駅で下車。ここを通る飯山線、越後線は、なんどか乗っていたけれど、信越線に乗ってみよう、ということにした。

階段を登って、下ったところが、信越線のホーム。直江津行きの車両が停まっていた。一時間に1本、2両編成、ワンマン。客は数名。と、どさどさっと階段を下りてくる集団。あっという間にホームは赤い上下トレーナー姿の学生さんたち。約100人の学生集団を乗せた2両編成列車は、定刻通り発車。彼らレッドフォースと、柏崎まで、ご一緒することとなった。長岡市の公立中学男女2年生とのこと。以下、彼らとの一問一答です。

「どこから来たんですか」、 東京から、と返事。切符をみせて、上野駅から、というと、ちょっと見せて、といいながら、周辺の友たちとしげしげと切符を回し見。電車の切符ってみたことないの、とこちらから質問。あまり、乗らない、という生徒、前に一度乗ったことがあるけれど、という子。うーん、ここら辺の子たちって、電車に乗らないんだ、ということが判明。普段、移動は、どうしているの、とこちらから訊いた。ほぼ全員が、「車、でーす」。これじゃあ、ローカ ル線がつぶれるわけだ。地元の人たちが、乗らない鉄道。

「竹下通り、行ったこと、ありますか」、「デイズ二は?」、「渋谷は?」、と訊かれた。どれも行ったことない、というと、一瞬沈黙。この質問は、これっきり。

「ねえ、G7サッミトって国際会議って、聞いたことある?」、と訊いてみた。知らないらしく、しばし沈黙。とひとりの子が、「なんか広島であるみたい」、テレビでみたような気がする、と。新聞とか、本とか、あまり読まないようです。新聞は、とってないという子、本は、学校と塾の教科書でたいへん。学校に図書館ってある、と訊くと、あるけれど、あまり行かない、との返事。ただ、ひとりの生徒は、「わたし、本を沢山読んで、専門学校に行くつもりです」、と。偉い、がんばれって、思った。

そんなこんなで、柏崎駅でレッド軍団は下車。これから海岸で、お弁当を食べるんだそうです。青空のいい天気。楽しんで下さい。

ということで、いつものひとり旅は、ここから。ガランとした車内、乗客は、4名。途中の青海川(オウミガワ)駅、日本海の波うち際にホームがある。見上げると、山と山を結ぶ鉄橋、人家も上の方に見える。ここから直江津へは、列車は、海岸線を走る。春霞で佐渡は見えないけれど、昔は、ここら辺から佐渡へ渡ったらしい。奥の細道歩きで、通ったはずだけれども、記憶にいない。

予定時刻11時35分に、直江津駅着。ここからは、第3セクターの「えちごときめき鉄道」に乗る。JR路線だった頃、乗ったことがあるけれど、私鉄になってからは、はじめてだ。赤字路線になり、廃線というときに新会社を立ち上げ、公募で新しい路線名をつけ、最出発となった。直江津から妙高高原までの37.7キロ(900円)を走る。この時間、直江津駅で乗った客、7名で、心配していたが、途中で、高校生たちがどーんと、乗ってきた。これでいいのだ、とひと安心。ちなみにスイカはだめでした。春日山駅というのがあり、上杉謙信の居城のあったところ。ずっと昔、静岡の清水からの歩き旅の終点地の春日山、行ったことがあります。あの時、たしか上州公園だったか、桜の頃だったので、お花見をしたのを思い出した。

ときめき鉄道は、上越妙高駅で下車、340円。ここからは、新幹線。金沢方面からの北陸新幹線に乗車。これも、高崎、大宮しか停まらない。14時46分、上野駅帰着。東京は、暑かった。

              

2023年5月8日月曜日

渋滞だ それでも行くか高速道路 連休難民 ゴロっと昼寝

連休、9日間もあったんだそうです。毎日が連休なので、実感がありませんが。羽田空港や、東京駅や、高速道路、どこも、混雑したようです。コロナで禁止されていた旅が、解禁となったおかげで、どーと人出だったみたいです。難民といっても、ちょい旅、ちょい乗りは、いつもの通り、でした。ゴールデンウイーク、隠居の過ごし方、こんな感じでした。

読書 連休だからってわけではないけれど、目を通したのは、こんな「本」。

自炊大好きー東海林さだお著、パンダの丸かじりー東海林さだお著、どちらも文庫本。フアンなのです。これまでのは、新書版だったが、なせか、文庫本です。とにかく、発想がいい。たとえば、「チャーシューの作り方」には、ガリレオの地動説、アインシュタインの相対性理論が出てくる。どんな風に、は、内緒。本、買って下さい。ちょっと、硬い本というか、ゴロっと姿勢では、読めない本。「2035年の世界地図ー失われる民主主義、破壊する資本主義」(ガブリエル、E.トッド共著)、「国家の尊厳」(先崎彰容著)、「誰が国家を殺すのか」(塩野七生著)、「ゼロからの資本論」、(斎藤幸平著)。

ちょい乗り 5月3日ー憲法の日、晴れ 西新井から春日部まで、スカイツリーライン、春日部から取手まで、アーバンパークライン、取手から綾瀬まで、常磐線。5月4日ー緑の日 晴れ 綾瀬から千代田線で町屋まで、ここから三ノ輪まで都電、三ノ輪商店街で銭湯にはいる。都電は、沿線のバラ見物(撮り鉄)の客で、満員でした。それに、沿線にある荒川遊園地にきた子どもたちが、都電の初乗りを楽しんでいました。5月5日ー晴れ 子どもの日 西新井から王子まで路線バス、王子からJR京浜東北線で南浦和へ、ここからJR武蔵野線で西船橋へ行き、京葉線で新小岩へ。ここから綾瀬駅まで、路線バス。5月6日ー晴れ 上野駅から外回りで山手線に乗車。上野駅に戻り、構内の本屋で立ち読み1時間。

テレビ 連休中のテレビ、ドキュメント番組を、見ました。戴冠式のあったイギリス、「エリザべス女王の時代」という内容の2時間番組だった。政治には、コミットしないはずの女王が、南アのアパルトヘイトで投獄されていたマンデラ(後の大統領)を救った話。そのことを忘れなかったマンデラが、北アイルランド紛争のリーダーだった指導者たちとの仲介役を買って出たという事実、感動した。知らなかった。マンデラさんは、セネガルで開催された国際会議で会ったことがある。その際に、本人から、自分のスピーチのテープ、というのを頂いた。持ち帰ったものの、テープを聴く手段がなく、聴くことはなかった。マンデラさんが、ノーベル賞を貰った時、テープの存在を思い出し、捜したが、見つからなかった。もひとつの番組は、「ヒットラーとスターリン」。ヒットラーが出てきた当時のヨーロッパ、ドイツの状況、スターリンが活躍(?)したロシアーソ連の状況、の説明があり、両者が戦うことになった、あの戦争の様子とその後の両国の歴史が、内容。独裁という権力を持った指導者の下で、国民が如何に誘導されていくかが、描かれている。プーチンという独裁者にようる現ロシアの様子を見るようであった。

地図や年表を見ながらのテレビだった。なんだか、大学で講義を受けているような錯覚、そんな時間でした。



2023年4月30日日曜日

区長6 都知事もオンナ 東京ブラボー

地方選挙終了。結果、女性の進出がめざましい。都内23区中、女性区長が6名になった。足立区長なんか、もうとっくにおんな区長です。なにかというと、強気の小池百合子都知事を見本に、みなさん、頑張って欲しい。これからの東京が、なんとなく楽しみになってきました。勿論、区長だけでなく、おんな区議会議員も増えた。

同時に行われた衆参議員補欠選挙、こちらも、女性が頑張った。

自民党の公募で選ばれた女性、東京の銀座で、バーのマダムだったんだそうです。候補者に選ばれ、2か月間の選挙運動で当選。当選時のバンザイ三唱のTV向けのセレモニーで、映像に写った女性は、ひとり当選者のみで、あとは、30名ほどの黒の背広姿の男性陣 だった。これからが大変ですね、と。

もっと、面白かったには、和歌山県。自民党元黒幕幹事長の選挙区。大阪で政治を牛耳っている維新の候補者が、なんと自民党候補を破って当選。その新人議員が、女性だった。

もひとつ、女性候補が当選した千葉の選挙区。元国連職員というキャリアウーマン。帰国後3か月で立候補。野党全ての候補者をしりぞけ、見事当選。政党は、別にして、女性議員がひとり増えたのは、よろしい。

というわけで、女性候補を当選させた有権者たち、素晴らしい結果でありました。

昨夜(4月29日)、総理大臣が連休を利用して、アフリカへ。広島サミットの事前準備の「旅」だそうです。四か国を訪問するそうですが、エジプト、ガーナ、ケニアの三か国は、スーダン赴任中に訪問したことがあります。いずれもイギリスの植民地だったところ。モザンビークは、たしかポルトガルが旧宗主国。今、いわゆる途上国は、欧米の価値観よりも、中国やロシアによる経済協力、軍事援助の方に、より傾いている、いわゆるグローバルサウスといわている国々。かつて、アフリカのスーダンで、国連職員として、開発援助にコミットメントしてきた経験から、いまや、第三世界の国々が、国連はじめ、世界的規模で声を大きくしていることに驚いています。我が日本国首相、どんな会談をしてくるのか、楽しみです。

という今日は、ゴールデンウイーク直前の、ちょい乗り旅へ。常磐線で、土浦駅へ。ここから、筑波山行きの路線バスに乗車。ほぼ満席、中高年が多い。1時間ほどで、ケーブル乗り場へ。団体で行列が出来ており、まだ連休前なのに、この混みよう。そのまますぐ来たバスに乗った。つくばエクスプレス駅行き。こちらも、ほぼ満席。お天気なので、結構、混んでいました。信号で、バスが止まった時、ちょっと聞こえました、たんぼのカエルの声。そういう季節になりました。

2023年4月22日土曜日

乗り鉄で 渡良瀬を往く 春の旅

春の旅、の前に、気掛かりなスーダンの現状。政府軍と反政府軍が3日間の停戦に合意、とニュース。ラマダン(断食月)明けで、兵士たちが家族に会うため、との理由での停戦。でも、これまでも2度停戦合意があったけれど、守られなかった、ということで、国連なども、半信半疑らしい。首都カルツームが、争いの中心なので、人口も多く、外国人も多く住んでいる。日本は、大使館もあるし、60人邦人の出国のためということで、自衛隊の飛行機が昨日(21日)、ジプチへ出発。ジプチ、なーんで、と調べたら、紅海ースエズ運河の出口に位置する小さな国で、独立したのは、つい最近。人口90万というから、それでも国かよ、という国で、スエズ運河を通る日本行きの船舶の警備を目的に、自衛隊の常駐基地がある、とのこと。その出先基地まで飛んで行ったということ。カルツーム赴任中の事務所で、秘書をしていたスーダン女性、彼女は、コプト教(エジプトのキリスト教)の信者だったのを思いだした。国連事務所が、イスラム教方式で休日が日曜日でないことに、不満を持っており、直訴されたことがあった。どうしているかな。

わたらせ、行くか、は、前の晩、JRの時刻表を眺めていた時だった。今年は、例年よりも暖かく、さくらも早めの開花で、「お花見特別列車」は、も6う終了したはず。明日は、いい天気との予報だし、行くか、「行くべきでしょう」、と決めた。6時の朝いちばんのバスで、綾瀬駅へ。北千住駅で、浅草始発の特急会津田島・日光行き、6時45分に乗車。前3両が会津田島行き、後ろ3両が日光行き。車内は、特に混んでおらず、連休前のらくちん列車。利根川を渡ると、田んぼの中を往く。ほとんど、水がはられており、田植え準備OK。春霞だが、遠くに日光連山が、ぼーと見える。8時すぎ、鹿沼あたりで、田んぼに白鷺が3羽いた。田んぼ(稲)もあるけれど、ここら辺は、麦畑が多い。まだ穂は青いけれど、しっかり実をつけているのがわかる。そういえば、讃岐うどん、粉はオーストラリアからの輸入なんだそうです。日本でも、しっかり収穫できるのに、と。(食糧自給?)。

9時15分、下今市駅着。ここで、会津方面と、日光行き、切り離される。数分で、東武日光駅に到着。下車したのは、しめて、20名ほど。外国人インバウンド客は、少ない。駅待合室が扉を取っ払われており、なんとなく広ーく感じられる。売店で、弁当を買った。おにぎり二個で500円。それでもいちばん安い。あとは、1500円以上。足尾行きバスは、9時35分なので、1時間以上も待たねばならない。小さめの2個おにぎりは、すぐに食べてしまい、やることもなく、JR日光駅へ行く。ゆっくり歩いても5分。駅舎は、なかなか立派で、皇族用なんだそうです。うす暗い待合室で、しばらく待つことに。と、見上げた天井に、つばめが入って行く、出てきた、が。今年はじめてのつばめだった。

9時35分、定刻通りバスがきた。コミュニティバスで10人乗り。日光市内の住民が、古川電工足尾銅山の病院へ行くために始められたバスで、日光市営のバス。観光客や、ましてやインバウンドさんたちは、乗らない。この日は、地元の方(男性)がひとり同乗。バスは、観光地では止、とまらず、いろは坂への道と分かれて左折し、古河電工工場跡を走る。長いトンネルを抜けると、芦尾エリア。右折してし、しばらく行くと、わたらせ渓谷鉄道の終点駅間藤に到着。ここで下車。バスは、このまま旧古河鉱山だったエリアを廻って、再び間藤駅の前を通り、足まだまだ方面へ。

間藤だけでなく、わたらせ渓谷鉄道の駅は、ほとんど無人駅。駅舎そのものは、歴史を感じられる、趣のある建物が多いが、倒れそうな旧舎もある。これらの駅の清掃など、会社の社員が行っている。地元のボランティアという駅もあるそうだが、なにしろ、もともと人口の少ない地域なので、これが、なかなか大変。間藤駅で駅舎、トイレなどの掃除をしていた社員さんから聞いた話。まだ若いお兄さん、鉄道会社に就職して、トイレ掃除、なんか、考えてしまった。10時58分、電車がきた。もう少しやってから、と彼。ホームで、箒を持ったまま、出発進行の敬礼をしてくれた。ところで、この電車、着いた時に下車した客は2名。山歩きの格好をした中年おじさんだった。そして、終点から乗った客は、乗り鉄ひとり。      

乗ったわたらせ渓谷鉄道、一両編成、ワンマン運転、でも、内部は、あのボックスシートでした。貸し切りで、花見や紅葉見物の観光客を乗せる、とっときの車輛だ。古いけれど、それがいいんです。トイレもついている。海抜640mの足尾駅では、1名乗車で、乗客は2名に。車窓の景色、いつきても、いいですね。木々のみどりが、若葉が、まぶしい。渡良瀬川の流れが、ほんとうに、水が透き通っている。沢入は。「そういり」、神戸は、「ごど」と読むんだそうです。こうべ、じゃないのが、なんとも、ねえ。こんな駅もあるんですね。

ワンマン車に、制服姿の駅員が乗ってきました。乗客8名に、切符を売って、次の仕事にとりかかります。わたらせ渓谷鉄道の関連グッズ、ロゴ入りのハンカチ、手ぬぐい、キイホルダなどを持って現れました。セールスマンに変身です。客たちは地元民らしく、ほとんど関心を示さず、気の毒になって、なんか買わなくては。「いつもご乗車、ありがとうございます」、えっ知っていたんだ。書類入れのホルダー、200円、を購入。で「頑張ってね」と励ましてしまった。実は、昨年赤字に陥り、クラウドファンディングを実施。わずかだったが、協力したことがあったので、「頑張ってね」。彼は、次の駅で降りて行った。見えなくなるまで、手を振ってくれていた。

渓谷は、車窓の右側から左側へ。がらすきなので、座席を左右行き来できる。山の上の方は、まだ春はじめなのに、ここら辺になると、春まっさかり、木々の緑も一段と濃くなり、大間々近くになると、藤の紫の花があちこちに目立つ。満開だ。そめいよしの、山さくら、山つつじ、圧倒されそうな春の山。

12時35分、相老駅着。浅草行きは13時8分。特急券入れて、2480円也。1時間30分で北千住駅に到着。東京の空も、まだ上天気だった。




2023年4月19日水曜日

花冷えに 後悔しきり 衣替え

 今朝は、寒かった。5時には、東の空がしっかり明るくなり、本日は、晴天なり。運河の水面、小鴨たちが、泳いでいました。今朝も、あのおじいさん、釣り人、がいました。おはようございます、と声をかけると、「ああ、まだあがらないよ」、の返事。雨でない日は、ほぼ毎朝、同じ場所にいます。

東京も選挙がじきらしく、ポスターをあちこちで見かけます。なぜか、ポスターの顔が、みーんな笑顔。今だから笑ってられるんだ、選挙に入ったら、大変ですよね。そんな地方選挙、候補者不足、なんだって。全国で、4割近くの選挙区で、無投票なんだそうです。同じ人が、4期、5期ーつまり、20年もの間、議員や、村長、町長をやっているってこと。新聞には、投票立ち合い人をロボットにしたら、とか、投票用紙をやめて、マイナンバーカードにしたら、などという意見も出ているそうです。AI時代です。

AIといえば、昨日、綾瀬の本屋で、雑誌を買ってきました。ChatGPT特集っていう雑誌。パラパラっとページをめくってみましたが・・・・スマホ持ってない、使ってないAI音痴のわが身、これで、いくらか変わるかな、です。

アフリカのスーダン、死者185名の見出し。今朝の新聞には、カルツームの政府軍(独裁)と、反政府勢力(民主化)との間での紛争が大きく報道されていました。40年くらい前のこと、国連職員として、スーダンのカルツームに赴任していた時期がありました。当時、イスラム教のハルツーム(北)とキリスト教(南)との間での紛争があり、結果、2011年、南スーダンが独立。その後も、軍部の独裁に対する民主派との間での争いがたえない状況でした。この間、二度、カルツームを訪問しましたが、赴任当時の面影は、ほとんどなく、首都カルツームは、高層ビルが立ち並ぶ近代都市に変身、それでも、ナイル川(白ナイル、青ナイル)は、以前と同じ、ゆったりと流れいたのをを、思い出しました。緊迫しているだろうカルツーム、2名の国連職員も、亡くなったと報じられており、とても気がかりです。

上天気なので、朝干したふとん、洗濯ものを取り込んだら、お出かけのつもりです。今日は、どこにしようかな、半日なので、そう遠くは、無理。路線バス、乗り鉄電車で、出かけます。午後も天気、大丈夫みたい。

2023年4月13日木曜日

高山線 車窓にせまる 花吹雪

朝6時、神明町を出た。日帰り旅は、朝が肝心。月曜日の朝の電車、座席のみなさん、ほぼ全員熟睡。上野駅、地下の新幹線乗り場。まだ7時なのに、外国人旅行者たち(インバウンド)が目につく。7時26分発金沢行き、7分遅れで出発。インバウンドのみなさんたちが、写真を撮るために、ホームの黄色ラインに入ったことで遅延。

金沢行き新幹線は、大宮、長野、富山、終点の金沢しか止まらない。車内は、全座席指定で、ほぼ埋まっていた。予報通り、完璧な快晴だったが、いつも見える日光連山、榛名山は、春霞でシルエットがぼんやり見える程度。高崎を通過したのに気づかず、トンネルがやたらと多くなり、安中を過ぎた。トンネルを抜けると、右手に浅間山。南側なので、雪はほとんどついていない。浅間山は、ここのところ微動が繰り返されており、爆発があるかも、といわれている。

8時20分、軽井沢駅通過。東京から1時間もあれば来ることが出来るってわけ。軽井沢は近い。長野駅には、8時40分、乗客の半数は、ここで降りていった。この先もトンネル多し。と、右手は、左手は、立山連峰。ここら辺は、奥の細道歩きで通ったところ。9時28分、富山駅着。下車。ここからは、高山線で名古屋まで乗る。本日のメイン乗り鉄です。特急ひだ号は、9時45分発。ホームへ行ってみたら、「自由席」の看板があり、先客が4名並んでいた。アジア人の観光客。お掃除中の男性に、聞くと、「自由席」は一両にみ、とのこと。といっても「予約席」も一両。つまり、二両編成の特急ってわけ。並ぶ。

しばらくして、次々にインバウンドたちが現れた。ザックや、いくつものゴロ曳きトランクを持った人たち。団体さんでは、なさそう。お友達、家族連れ、ご夫婦、そんな感じ。その人たち、全員が、自由席客で、トータル50名くらいだったので、座れない人も。そのまんま発車オーライ。結局、自由席車両に乗っていた日本人客は、2名。

立ったまんまの人たちを乗せ、高山までの1時間半、棚におけない荷物で、通路もいっぱいで、座っているのが、申し訳ない感じ。それでも、高山線、車窓からは、むせるような春の山々、里には、鯉のぼりも見える。

高山駅に着いた。ほぼ全員が下車。特急ひだは、ここで6両連結。もっと早くしてくれたらよかったのに。たしか桜の名所「臥竜さくら」は、ここら辺だった。歩き旅できたことがある。このあとの自由席車両は、3名。たしか春の高山祭は、4月中旬、こちらも、高山の知人ときたことがあった。

新緑がはじまった春の山々、山桜がポツン、ポツンと山の斜面に。飛騨川の流れもいいね、この景観、ひとり占め、最高の乗り鉄です。単線の高山線、名古屋から高山行の列車を待ち合わせする。それらすべての列車、これまたインバウンドで満席。グリーン車も、ほぼ全員が外国人客だった。窓越しに、手を振る人たちもいた。

下呂を過ぎ、美濃太田、ここから長良鉄道に乗ったことがある。終点までの往復。鮎の季節ではなかったけれど。市街地に入り、岐阜から名古屋はすぐ。なぜか、岐阜と名古屋間の特急は、座席そのまんまで、反対向きのまま進行。

14時4分、名古屋着。14時34分の新幹線で一路東京へ。途中、掛川城は確認できたが、富士山は、見えなかった。16時12分、東京駅着。新幹線の構内でしか入手できない駅弁「品川づくし」(貝づくし弁当)を買った、買えた(ときどき売り切れに)。

今夜は、駅弁の夕食。北陸新幹線、高山線、東海道新幹線、総距離1036キロの乗り鉄でした。足立区からの夕日、きれいだった。


2023年4月7日金曜日

桜散り 待ってた出番 花水木(はなみずき)

近所の桜、中学校の桜、ほとんど散りました。昨日は、強風で、地面が散ったさくらで真っ白に。朝の散歩路(3PO)の  運河は、花筏、です。お隣り埼玉県の八潮市、市の指定花が、花水木。どこを歩いても、花水木だらけで、今、ピンク、赤、黄色、茶色など、さまざまな「色」をつけています。はなみずきって英語で、Dog Woodっていうらしい。

新学期が始まり、早め下校中のぴかぴかの一年生たちが歩いています。まだ、お友だちになっていないらしく、少し離れて、歩いています。新品の上下着、新品のランドセル、おそろいの帽子とランドセルカバー、靴だって新品だ。なにが入っているのか、手さげ袋を持っている子も。まだ、からだが、馴染んでいないのと、持ち物が多いのか、なんとなく気になります。ご近所の一年生、朝、会ったら、「おはようございます」、なんて真面目な顔で挨拶をされてしまった。学校ってすごいな、立派な大人になって下さい。

本日は、山手線乗り。東京駅で下車して、駅弁を買いに行きました。目的は、「品川弁当」です。駅弁だけの専門店、品川弁、ありますか、と尋ねると、「あゝ、あれは、ここでは扱っていません」、と。品川弁は、貝づくし弁当。しかたなく、深川弁当にした。山手線に戻ると、お着物姿のお母様と、新調背広上下の息子さんに会いました。会話の様子から、どうも新入社員式へ出たあとらしい。「ともかく、せっかくいい職場に入れたのだから、頑張ってね、しっかりね」、と。そして「お父さんみたいには、ならないでね」、って。どういうことなのかな、と耳をそばだてていたが、その先は、聞こえなかった。

車中の会話その2。〇〇さんはね、なかなかの人物なんだ、ほんと、面倒みがいいし、頭が低いのがいい。俺なんか、10年ほど前から親しくしてもらってる。是非、今回も勝たせたいので、頼むよ。聞く側も男性で、60歳、いや70歳くらいかな。地方選挙のお願い、だったらしい。16日が、投票日。ふたりは、上野駅で下車し、新幹線方向へ歩いて行った。新聞によると、地方選挙の投票率、年々下がっているとのこと。無投票が4割。投票率も低いけれど、地方議員になりてがいないという現状も。

いつだったか、足立区長の選挙の時に、町内会のボスという人との立ち話。「こんど、区長選挙に出ようか」、なんて冗談を言ったら、その夜、一升瓶持参で、ボスの手下みたいなおじさんが、「本当ですか、出るんですか」と聞きにきた、再確認をしにきたことがあったっけ。冗談でなく、出てみようかな。

2023年4月4日火曜日

乗ってきた 被災地走る 常磐線

新聞、テレビなどで 東北大震災、その後の状況が報道され続けている。津波で流された海岸近くには、高い堤防が建設され、流された後の瓦礫状態だったところが、きれいに整地されたり、の光景をよく目にしている。いつものように、なにげなくJR時刻表のページを繰っていたら、常磐線、上野駅から仙台駅まで、そっか、行ってみるか、になった。

切符を買いに上野駅へ。実は、近場の北千住駅で、「ジパング」(高齢者向けの割引切符)がオール自販機対応になってしまったのだ。いつ行っても、ほぼ行列で、あれこれスタッフと会話しながらの切符購入が出来なくなってしまったのだ。なんとなく、JRでの遠出が億劫になっていた。201キロ以上の乗車が条件で、使用できる。たとえば、新幹線ならば、熱海を過ぎないと距離不足で、だめ。常磐線ならば、上駅から終点の仙台まで、363.3キロなので、ジパング使用可、というわけ。(JR時刻表本は、毎月発行されており、ほぼ毎月買っています)。

大きな駅ならば、と上野駅へ。中央改札口近くの売り場へ。もちょっとで、外にはみ出るほどの長蛇の列。これほどだと、いつもなら即あきらめるのに、この日は、「いいんじゃん.並んでみよう…」というわけで、列に参加。結構いるじゃん、インバウンド・外国人もいるいる。よーくみると、家族連れ、お友達連れ、ご夫妻など、みーんなでの連れ行列。その分、長いわけだ。

それでも50分ほどは、かかりそう。その間、立ちっぱなし。でも、だれも文句をいうことなく、粛々と・・・」。20分ほど経った頃、すぐ前の並び人、ご高齢の女性、ご主人と代わりばんこに並んでいる。バトンタッチしたばかりの奥さんに、「たいへんだね」、と声をかけてみた。どこへ行くんですか、と尋ねると、「鬼怒川、温泉です」、と。そうですか、ところで、どこに住んでるの、と聞くと、「浅草です、近いけれど、ここら辺へは、あまり来ないんでね」、と。そこで、旅の達人の話。「あのおー、浅草ならば、東武線で、日光へ行けますよ、鬼怒川行きも出ていますよ」、と。更に「特急なので、快適な電車ですよ」、と教示。彼女、「ああ、そっか、松屋の上から出てるね、あれ、ね」と納得。入口の壁に寄りかかっていたご主人のもとへ。説明したらしく、手を振って、お辞儀をして、出て行かれた。いいことしたな…」。番がきて、すぐに切符ゲット。ほんと、50分並びました。

土日を避けて、月曜日に実行。神明町を6時のバスで出て、上野駅へ。7時前に着いてしまったが。構内のさぬきうどん店、ご常連さんらしき男性3名、10分ほど並んで、7時開店。ぶっかけの小もりうどん280円を、時間をかけてたべる。上野駅での早朝乗り鉄の際には、ほぼ、必ずここでうどんをいただきます。ホームへ出て、待つ、待つ、待つ。その間に、朝のラッシュ時の光景を眺めるのが、なんともいえない楽しみなのです。

10分前、7時50分、入線。ほぼ満席で「特急ひたち3号」、8時発車。終点の仙台駅まで行。仙台からの上り特急も、一日それぞれ3本の運行です。切符を買う時に、進行方向の右シートをとった。お隣は、若い男性。すぐにスマホをとり出し、しばらくいじっていたが、「おやすみなさい」、で勿来駅まで眠っていた。

お天気は、最高。筑波山の見える土浦あたり、田んぼは、田植えの準備がすすんでおり、水をはった田んぼも多い。水戸をすぎると、しばらくして、右手に海。防波堤、整地済みの土地が、ずっと続く。人通り、車の往来も少ない。海までの空間、人家、ほとんどない。楢葉、富岡、大熊、双葉、浪江など、次々に停車。客はほとんど降りてしまっていて、ほんの数名しか乗っていない。駅に着いても、降りる人も、乗る人もいない。駅周辺でも、人影は少ない。それでも停まる。特急なのに、ちょくちょく停まる。駅周辺、桜の木が多い。満開だ。車窓からは、障子がぼろぼろの人家、トタン屋根がはがれている家、垣がが倒れている家などが見える。戻ってきたのか、自家用車のある家、洗濯ものが干してある家も、ときどき見える。これが12年後の「今」か、と。

列車は、相馬駅を通ると、海岸から離れ、内陸へ。終点の仙台は、すぐだった。12時26分着。最後まで乗っていた客は、何人だったのか。常磐線は、なんども乗っていたが、通しの乗車は、初めて。

特段、目的もないし、仙台から、上野駅行きの「やまびこ」に乗る。朝8時に発った上野駅に戻ったのは、15時すぎ。行きは、4時間30分、帰りは、2時間の乗り鉄の旅だった。


2023年4月1日土曜日

トランプの 占いはずれ 起訴される

 遂にというか、またかというか、新聞の一面に前米国大統領のトランプ氏が写真つきで登場。いろいろな罪状で、起訴されたというニュース。アメリカっていう国は、そんな罪状があっても、大統領選挙に出馬できるんだそうです。寛容というか、いい加減というか、アメリカ民主主義って、わかりずらい。いつだったか、北朝鮮の若いお兄さんと、トランプさんが直の会談をしたことがありました。シンガポールのホテルだった。実は、その前日に、そのホテルで会食があり、ロビーで売っていたTシャツを買いました。Tシャツの胸の部分に、会談の主役のお二人の顔が描かれていました。日本に持ち帰り、見えるように吊るしていましたが、来客のだれひとり、関心をもってくれません。日本に唯一の希少価値のあるシャツなのに。今も、そのままです。トランプさん、来年の大統領選挙に、立候補するのでしょうか。

なんかわかんないことがあったら、といつもお世話になっているM先生。昨日、電話。そういつも、電話なんです。「半導体とか、AI・人工知能って、どういうところに使うんですか」が、Question。

今、半導体や、人工知能、なしの世界は、考えられない、からスタートしました。自動車だって、船だって、列車、高速道路、家電etc. 身近なスマホ、全て半導体なしでは不可。その半導体、人工知能分野で、日本は、G7はじめ、途上国よりも遅れている。不可能を可能にする機器。身近なスマホ、今や世界中の人たちがスマホ、スマホで明け暮れている。(持ってない人は、少数派だそうです)。半導体なしには、不可。電車の中でも、道路を歩きながらも、自転車に乗りながらも、赤ちゃんを抱えながらも、そう、みなさんスマホを離さない。でもね、と先生「フェイクが多い」んだそうです。ウクライナ戦争でも、半導体、たくさん使われている、んだそうです。人間の知識では、間に合わなくなるというので、「しばらくの間、使うのをやめよう」、なんていうことも。

今日は、「銭湯」へ行く日。綾瀬から町屋まで千代田線。町屋から三ノ輪までは都電です。都電愛好家なんです。その都電、荒川区役所前で乗ってきた高齢女性、手押し車です。車の真ん前に、パソコン打ちで『私は、オートバイにひかれました。みなさん気をつけましょう。バイクの方も』と書いたA4版の紙をはってました。お主、やるじゃないの。


2023年3月29日水曜日

春めっけ 棚田の向こうに 筑波山

午後雨かもしれない、という予報だったので、出歩きは早めに、と10時に八潮駅へ。つくばエクスプレス(TX)、八潮から乗るのは、久しぶり。都心への乗客は、多いけれど、この時間、反対方向のつくば行きは少ない。ほとんど乗り降りはなく、乗客5名。途中の景色の中に、さくらの花がちらほら見える。30分ほどで到着。駅構内のつくば特産物店を覗く。みつばとエシャレットを購入。いずれも100円。外に出たら、青空だった。駅前のバス停へ。お山(筑波山)行きのバスは、行列だったが、土浦駅行きは、ふたり、っきり。バスがきて乗車、このまま、終点の土浦駅まで、乗り降り客なし。バスの左側、春霞の向こうに筑波山が見えた。田んぼでは、田植えの支度作業が始まっている。つくば学園都市は、春の気配いっぱいで、木々は若芽が始まっており、背の低いつつじ、花がいくつか開いていた。25分で、土浦駅。駅周辺は、あまり賑やかでなく、つぶれた(?)店舗が目立つ。

東海道線乗り入れの常磐線に乗る。学校が休みだからか、都心へ遊びに行くらしい子どもたちが多い。まだ昼すぎなのに、混んでいた。綾瀬下車、バスで神明町に着いたのは、2時すぎ、だった。空は、しっかり曇っおり、肌寒い。

北朝鮮のミサイル発射、相変わらずウクライナ情勢、が報道の中心。毎日、ロシアの攻撃でウクライナ人が何人亡くなったかの報道も。ロシア、けしからん、プーチン、殺人をやめろ、などと叫びたくなるが・・・はて待てよ、あの戦争で、沖縄では20万人の沖縄人が、また終戦直後の東京下町では、B29で10万人の人たちが、亡くなっている。ということを思い出しています。アメリカ人だって、日本だけでなく、ベトナムやイラン、アフガニスタンなどで、人殺しをしている。もちろん、日本人だって、中国、朝鮮、アジアの国々で。ともかく、「戦争」って、人が殺される、死ぬんだ、今も昔も、殺しあう行事(?)なのです。アメリカの大統領や日本のPMが、よく口にしている「自由と、民主主義、人権、法の支配を守るためには」、戦争をしても、いいというのだろうか。「国を守るということは」への答えが、どうもわからない。

2023年3月27日月曜日

足立区綾瀬 日本一の地価

 外出時の起点「綾瀬駅」、その周辺がなんと日本一になったとの報道。いやあびっくりしました。千代田線・常磐線が通ってはいるけれど、スーパー2つ、あとは小さな飲食店で、大きな買い物は、北千住や、都心へ行かねばならない。日本蕎麦屋、ない。綾瀬より先の、松戸や取手の方が、商業活動は盛んだ。住環境も三郷や流山の方が、整っている。なんとなく、綾瀬の方が、都心に近いのにいまひとつ遅れている、と思っていた。だからびっくり。理由は、駅前の空き地(?)に、超高層ビル。目下建設中だ。30階か40階になるみたいです。

あれからどれくらい経ったか、70年以上も昔の話。その綾瀬駅から徒歩15ほどの高等学校の学生だった。自宅から歩いて通える高校ということで、受験。もともと男子校で、男子45名中、女子5名、のクラスだった。勉強した記憶は、ほとんどなく(なんたって、昔々のこと)、部活で入部していたバスケットボール部のこと、綾瀬川とたんぼの周辺を、遊びまわったことはわりと覚えている。こんなになるなんて、大変化の綾瀬地域、夢みたいです。

午後、北千住駅から東武線(スカイツリーライン)に乗車。ホームの行く先を知らせる電光板に「受験生のみなさん、ご入学おめでとうございます。みなさんの門出、旅立ち、おめでとう。さあ、『出発 進行』、頑張って下さい」、という文字が出てきた。なかなかやるんじゃないの。出発 進行、電車らしい文字、気に入りました。で、乗った電車で、栗橋へ。権現堂の桜、ほぼ満開だった。利根川沿いの土手の菜の花の黄色、これも見事だった。今はどこへ行っても、土手の菜の花が満開。あゝやっぱり「春」なんだ、と。

2023年3月24日金曜日

まだまだWBC  なんたって世界一、

チャーター機で帰国したWBCチーム。成田空港での大歓迎。出迎えの、ほぼ全員が、スマホで写真を撮っていた。あゝ、スマホ、やっぱり持たなければ、か。夕方、全員で記者会見。アメリカ組の大谷やダルは不在。一流の野球選手が、「野球って、こんなに面白いものかと思った」と言っていたのが、印象的だった。監督が「これで、日本中の子どもたちが、野球が好きになってくれて、やってくれれば、と言っていた。ほんと、そうです。

ウクライナ隠密旅行帰りのPMが、午後の国会予算委員会にいた。野党の質問、相変わらず、陳腐。といっても、与党側もたいしたことはない。ところが、NHKぶっつぶす党がいつの間にか「政治家女子48党」という、なんだかわかりずらい党名になっていた。ガーシー前参議院議員が、お手配になったからか、そこのところ、よくわからないが。

雨だったので、そう人は出ていないだろう、と王子の飛鳥山へ行ってみた。モノレールは相変わらず列ができていた。カメラを持った人たちが、駅の改札に入っていくので、ついて行ってみたら、ホームにカメラを構えた人たち。飛鳥山のさくら撮影にきたのだろう。ホームには、白い手袋の駅員が数名立っていた。ここ、ホームからの飛鳥山、結構、いい景色。撮影場。桜は、五分咲きくらいか。

卒業式か、正装の子どもたちが、あちこちに。胸に造花をつけた子らも。付き添いの母親たちも、お洒落さんに着飾っている。そういえば、自分の卒業式、まったく思い出がない。両親が、学校にきてくれたという思い出は、皆無。本当に、卒業したのかな。小学校、中学校、高校 、在学の思い出はいろいろあるけれど、親の登場はない。それにしても、大学なんかは、卒業式に和服着るんですね。卒業して、働いて、ツケは、ちゃんと払ってね。

2023年3月23日木曜日

やったあ 勝った WBC

 3月23日、昨日の昼、決着がつき、「日本の野球、アメリカの野球に勝った」。よかった!

そうでした、日本のPM(首相)、今朝、特別機で羽田帰着、だそうです。



2023年3月22日水曜日

WBC 勝った 頼む  もう一回

実は、昨日(3月21日)、朝8時すぎ、パソコンで快語いました。WBCの対メキシコ戦 が始まっていました。気になるのに、気にしない、を繰り返しながら。結局、最後、8回と9回のテレビ実況を見ることに。ああ、大感激、大感動でした。なんども、なんども、繰り返す画像を、なんども、なんども、見てしまった。

同じ時間帯、朝8時すぎ、夕べあんな噂(?)を聞いたが、やっぱり行くのか、うーん、行かないな、なんて独り言。日本国PM(首相S)のウクライナ行き。11時頃だったか、臨時ニュースが、「日本の総理大臣が、ウクライナ訪問」と。インドでの公式行事をすませた後、深夜の空港から飛び立った、んだそうです。同行記者ら同乗の日の丸をつけた特別機はそのままで、PMは、別に用意していた民間の飛行機を使用。当初のニュース(民放)では、大谷選手がチーム合流のための来日に使った民間飛行機だったと報じていました。が、その後のPMウクライナ訪問ニュースでは、全く、この点での報道なし。本当は、どうだったのか。

今朝の新聞ー日経、朝日、サンケイ、東京、によれば、PMは、空路ポーランドまで行き、近くの駅までドライブ、列車でキーウイまで、10時間、乗車とのこと。戦闘のもっとも激しかった、死者も多かったブチャで献花、キーウイでゼレンスキー大統領と会談、というところまでが、今朝着のニュースです。そうそう、中国の習近平さんが、ロシアのプーチンとモスクワで会談した、とのニュース、あまり関心なく、無視。国際刑事裁判所から逮捕状が出ているそうです、プーチンさん。前途多難ですね。

これから「流鉄流山線」に乗りに行ってきます。三度めです。常磐線の馬橋駅から流山駅まで、5.7キロ、6駅、片道130円、のミニローカル線。終点の流山あたりは、江戸川沿いの旧街道が通っており、商業都市として栄えた地域。寺、神社など、見ごたえある史跡が多く残っています。実は、先日、行ったのですが、なぜか流山線が不通になっていて、残念。再度の挑戦ってとこです。


2023年3月21日火曜日

お彼岸だ 三・二一(サン テン 二 イチ) 墓参り

墓参りにいってきました。本日、3月21日、後ろからだと、1,2,3になるな、と、ふと気づきました。今、WBCの準決勝、テレビでやっています。見たいんだけれど、見ない、気になるんだけれど、気にしない、はウソ。昨日は、高校野球、ずーと見続けてしまった。中高時代は、ソフトボールの選手。それも、ピッチャー、4番、キャプテンだった。今から70年ほど昔のこと。当時、数少ない女子プロの野球チームに入団のつもりで、下調べなんかをやってました。あゝ気になる!

気になるといえば、日本のPM,今、インドにいる。この後、ウクライナへ行くんじゃないかという噂。行きたいけれど、行けない、と言っており、チャンスをねらっているんじゃないか。相手のモディインド首相 、なかなかの御仁で、ロシアや、中国ともうまくやっている。国連安保理でも、プーチン非難決議に、「棄権」。最近は、第三世界の国々のまとめ役を買って出るなど、いわゆる、グローバルサウスの中心的人物だ。

モデイ首相の出身地グジャラート州、州都のアーメダバードは、初めて訪問したアジアだった。それまでは、ほとんどの国際会議の開催地がヨーロッパだったので、アジア訪問は、ずっと後になってからだ。覚悟はしていたが、はじめてのアジア、インドでカルチャーショックになってしまった。アーメダバードは、繊維産業が盛んな、歴史ある古都だった。牛が街中を歩いていたり、物乞いに追いかけられたり、コロナにかかったり、もう散々だった。

昨日は、中央線にちょい乗り。で、甲府まで行ってきました。桜は、咲き始めていたけれど、桃は、もうちょいという景色でした。車内検札が来なかったので、超ラク賃の旅を楽しんできました。

わが日本国総理PMは、ご自分の選挙区で、G7会議をやることを決定。七か国の大統領、首相らが、選挙運動もどきの活躍をされます。やっぱり、「最大の権限を持つ首相」にならないと、ダメなんですね。これは、視察先の東北で、子どもに、首相になって、なにがいちばん変わったことは、と聞かれてのお答でした。最大の権限、なんでも出来るんですか。

2023年3月11日土曜日

降るごとに 吹くたびごとに 春の気配

千葉の久留里線(32キロ)の久留里~上総亀山間が、廃線になるとの記事。久留里線が赤字路線であることは、知ってはいたが、気になる。100円の運輸収入のために19000円の費用がかかる、深刻な赤字路線。地域の人たちは、残して欲しいといってるが、だめみたい。乗り鉄で、あちこち乗りまくっているが、どれも、ほぼがらがら状態で、いつも、ひとりで乗せていただくのは、もったいないと感じています。赤字路線は、ここだけではないのです。全国区です。

ロシア関連の本を読んでいたら、北の都サント・ペテルブルグというのが出てきて(日本の京都みたいな古都)、そこに世界的有名なエルミタージュ美術館があるとの記述。あゝ、その美術館、行ったことがある、ということを思い出した。宮殿みたいな格式ある建物だった。英語の出来る美人女性が案内してくれた。けれども、どんな絵、どんな作品を見たのかは、残念ながら覚えていない。ピョートル大帝の娘エカテリーナ、33歳で皇位についた女帝は、オスマン帝国(トルコ)と戦い勝利。で、ロシアの黒海進出を可能にした。この頃から、ロシアは、地中海方向への進出を考えていたのだろう。プーチン然り。いつ頃、どんな目的でサント・ペテルブルグへ行ったのか、思い出せない。が、エルミタージュ美術館へ行ったのはたしかだ。

桜のつぼみが、うすいピンクになり始めている。近所の中学校の桜、大木5本、は、最も近いお花見どころだ。桜って、日本の象徴のようだけれど、ワシントンの桜も、見事。いつ頃だったか、ギリシャのアテネの桜、あれも、きれいだった。朝のジョギングで、満開の桜をみつけた。立派な、頑丈な塀の家で、桜をながめていたら、塀の中から人が出てきた。なんと日本人だった。ギリシャ人と結婚したという彼女、「きれいでしょう」と。今も、あそこで咲いているのかな。

近所に、大きな中古自動車の販売店がオープンした。結構、人が入っている。こんなにも車が中古になっているんだ、と感心している。売れているようです。そういえば、神明町でも現役だった畑が、いつの間にか駐車場に変身している。アパートに住み、自家用車を運転しての通勤、これが当たり前のパターンなのだ。こんな実話、ご近所さんの様子。旦那は、勤め人で、車通勤。奥さんは、スーパーで働いているとのことだが、ふたりの子どもは(いずれも小学生)、塾通いで、車で送り迎えもしている。車2台は、近所の有料駐車場。目があっても、挨拶も出来ないほど、疲れているみたいで、たいへんだなあ、とこちらが呟いている。そういえば、学習塾へは、ほとんどの子どもたちが通っているみたい。子どもも大変だろうけれど、親たちも大変。学校で勉強しているだけでは、だめなんだろうか。なんで、有名な、いわゆるいい学校へ、子どもたちを進学させなければ、と思うんだろうか。

本日は、綾瀬駅からバスで新小岩駅まで行き、新小岩駅から亀有駅、いずれも路線バス。東京都のシルバーパスで全線OK。亀有行きは、青砥を通る。中川を渡る青砥橋からは、左にスカイツリー、右、ちょっと遠くに筑波山が見える。これが、天候次第で、見える時と、見えない時とがあるが、なんとなく楽しみ。路線バスでも、四季を感じることが出来る。

 

2023年3月8日水曜日

Spring Has Come, 春が来た      

 待ってました、春が来た、です。近くの運河の両側に植えてある「桜」(河津桜)は、散りはじめました。梅、梅は、とっくに散った。ちょい乗りは、週4~5回、いつもの路線、武蔵野線、埼京線、常磐線、スカイツリーライン(この呼び名、好きじゃあない)などに乗っています。同じ路線でも、日々変わる沿線の風景の変化が、これ、なかなかなんです。

ところで、電車の中の吊るし、あれが、最近、変わりつつある。まず、週刊誌の広告がなくなった。皆無です。週刊誌、あれほど、買いまくっていた週刊誌、最近、車内で、読んでいる人はまずいない。週刊誌どころではないおもちゃが登場。スマホ、スマホです。スマホをのぞき込んでいない人、皆無。座っている人も、立っている人も、車内では、ほぼ全員、スマホを覗いています。満員電車の中でも。スマホなしの乗客は、少数派で、なんだか、肩身が狭いという心境。

車内の吊るし、山手線の車内は、動く広告(動画っていうんですよね)が定着しており、住んでいる自宅を売る方法とか、男性も化粧すべきと化粧品のすすめ、「わたし、東大に受かったんですー予備校の宣伝」、大学のPRも今の時期モノ、「うちの県にきませんかー地方移住のすすめ」など、など。ところが、ローカル線=赤字路線電車内は、他社の広告ゼロ、わが社のお知らせ、宣伝がチラホラ。

スマホが変えたこと、他にもある。地図が売れないんだそうです。日本橋の武揚堂、有名な地図専門店だったけれど、今、地図の売り場が小さくなった。登山も、地図でなく、スマホをみながら登る。日本国内だけではない。シンガポールの友人は、スマホで、箱根の分譲住宅の取引きをしており、東京での会食の寿司屋の予約も、シンガポールから、という。

なのに、スマホ、持ってない。不便かといえば、それほど不便さを感じていないのです。スマホがないと、生きていけない時代、来るのかなあ。常連の三ノ輪商店街の銭湯、スマホ決済でなく、やっぱり現金500円です。スマホでは、風呂に入れない、そういう現実もあるってこと。

そういえば、こんな話も。「子どもが出来ると、ずいぶんお金、貰えるらしい」、「お金もらえるっていっても、そう簡単に日本の人口、増えるわけないよね」、「そうそう、昔は、政府からお金、貰わなくたって、みんな一生懸命働いて、子どもを育てたんだよね」、「政府が、お金くれるって言っても、結局は、みんなの税金だもんね」、「他人の金をあてになんかしないで、子育てしたもんね」、銭湯の脱衣場での会話です(女湯)。

なんだか「自分の人生は、政府次第、政治家次第」、「うまく行かないのは、政府が怠慢だから」、みたいな風潮が蔓延しているのではないか。自分の努力で、自分の「幸福」は実現するもの、という思想は、なくなったのかな。最近、日本政府は、すぐに、安直に、お金を配ることを考え、国民は、過激に、お上のカネを当てにする、こんなことを繰り返している、みたいな気がしています。貰いたがり民意を、煽っているみたい。

昔、昔の話。貧しい途上国で、日本からの援助をする際、贈呈式に参加の日本からの大臣や国会議員、あるいは日本大使に、途上国の人たちは感謝のことばを述べます。この援助の贈り主は、その場にいない、日本国民ひとり、ひとりの税金であり、善意であることが、欠落している。そのことを関係者に伝えたが、今も、そういった慣習は、続いている。日本政府のウクライナ支援、どんな言葉で贈られているのか。


2023年2月21日火曜日

バレンタイン 咲いた桜が 風に舞い

三寒四温、よく言ったもんです。暖かい日が続き、もう春かな、衣替えかな、なんて早とちりしたり、ところが、まだまだ冬、寒ーい日が。なのに、神明町では、桜が咲いています。綾瀬川と、中川、この間を流れる運河。橋が月見橋、雪見橋、富士見橋、桜木橋、花見橋となんとも粋なン名前の5つの橋がかかっており、朝の3POコースで歩いています。桜の花は、雪見橋の両サイドに植えられています。河津桜。伊豆よりもあったかいのか、今年は、満開です。

伊豆の河津へは、二度、お花見に行きました。熱海まで新幹線、その先は伊豆急で河津まで。電車の中に吊るし雛がところしましとぶら下がっており、でも、車内はがら空きの電車だったのを覚えています。駅前から桜並木でした。見事な咲きっぷりでしたが、見物人が多く、はやばやに引き上げたのでしたが、その後の「伊豆の旅」がよかった。

下田へ出て、ここから路線バスで松崎へ。駿河湾の向こうに見える富士山、これが、とにかく見事だった。東京の銭湯で富士山を見るたびに、あの光景を思い出します。戸田へ出て、乗り換えたバスで、伊豆半島横断。これが抜群に感動の伊豆の山越えでした。

伊豆といえば、某大会社がスポンサーのセミナー、伊豆セミナーって言っていた、が行われていて、毎年参加していました。伊豆の山の中の、立派なセミナーハウス、冷暖房つき宿泊施設完備で、二泊三日の日程でした。5,60名の参加者は、当時、日本を代表する中堅リーダーで、あらゆるジャンルの職業の代表たちだった。そのセミナーハウスの周辺が、いわゆる伊豆の山々で、毎朝の散歩を堪能していました。

伊豆半島といえば、三島から下田まで、下田街道を二泊三日で歩いたことがありました。有名な川端康成の『伊豆の踊子』コース、こちらも有名な温泉旅館にも泊りました。その後も、韮山や湯ヶ島 あたりをなんどか歩いたこともあります。NHKの大河ドラマ『鎌倉殿・・・』に出てくる地名、なつかしかった。

そんなことを思い出しながら、本日もちょい乗り。南浦和から武蔵野線で新松戸、ここから綾瀬駅まで常磐線。乗車したのが、京浜東北線の王子駅。ということは、全線JRだったので、綾瀬駅で下車した時、改札口のスイカは、232円でした。という、合法的な、JRちょい乗りの成果でした。


2023年2月15日水曜日

梅見物 ちょっと早めの 筑波山

快晴ではなかったけれど、あったかな日曜日、2月12日。なんとなく、春かあ、梅かな、と綾瀬駅へ。梅といえば、水戸。行ってみるか、と東へ向かった。松戸で常磐線に乗り換える。休日でも、そう混んではいない。この一週間、なんだかんだと、ほぼ毎日、路線バス、のり鉄での「ちょい旅」に出かけていた。乗ることが大切なのです。ということで、本日も「ちょい旅へ」。

綾瀬駅(千代田線)を出て、松戸駅(常磐線)で上野駅からの快速に乗る。乗った電車、そっか、「土浦駅」、だった。内心、「水戸駅」のつもりだったが。進行方向左側前方に筑波山がみえた時、で、決定、「本日の行き先は、筑波山」。ターミナルステーションの取手駅下車。まっすぐバス停へ。15分待ちで、つくばTXエクスプレス駅行きが出る。男性客が2名、どちらもモバイルを熱心にみつめていた。

うーん、ここ駅前バスターミナルからは、合計6カ所に停留所がある。そっか、もしかしたら、ここから「お山」行きの路線バスがあるかも、と歩きはじめた、その時、一台のバスが走ってきた。「筑波山行き」の表示。えっ、やっぱりあったんだ、あるはずだよね、と叫んでしまった。バスは、そのまま行ってしまったが。

さて、取手駅からTX駅行きの路線バスは、時刻通り発車。これには、これまで4,5回は乗車している。この日の乗客は、4名。全員が終点まで。バスは、関東鉄道のバスで、車内アナウンスが、関東手鉄道は、今年で100年を迎えたことが伝えられた。25分で、つくば駅着。

さっそく、お山行きのバス停へ。出たばかりか、列のいちばん。さすが、つくば学園都市、インド(系)若者2名も並んでいる。旅行者(インバウンド)では、ないらしい。ほぼ満席で発車。車内放送は、日本語、英語、中国語、韓国語の四か国語。さすが筑波国際学園都市だ(でもない、綾瀬駅から新小岩行きバスでも、四か国語です)。英語では、筑波山のジオパークとしての歴史が語られていた。

しばらく一直線のメインストリートを走る。左側は、筑波大学のキャンパス、右前方に筑波山の赤い鳥居が見える、だんだん近づいてくる。大きく右折、たんぼ、畑の中を往く。徐々に上る、間もなく筑波山神社前で下車。この先のつつじケ丘へは、なんどか行ったが、ここは久しぶり。ま新しい観光案内所、立派なトイレ、みやげ店2軒が新設されていた。左側を上っていくと梅園が ある。「梅まつりは、来週、18日からですが、少しは、咲いているようですよ」、と案内所の説明。咲けば1000本というから、見ごたえはあるはず。でもあきらめて、赤い山門をくぐり筑波山神社へ。坂東巡礼でお参りにきたこともある。あの時は、この下のホテルに泊まったっけ。筑波山を山道で降りてきた人たちが、通る。時計を見るとあと10分で、駅行きのバスが通る。なんとなく、せかされるようにバス停へ。しっかり時間通りにバスがきて、乗車。ほぼ満席だったが、座れた。日曜日なので、道路混雑もあって筑波駅に着いたのは、1時すぎ。つくばTXで南流山駅で、武蔵野線に乗り換え、新松戸駅から千代田線で綾瀬駅帰着。本日も、無事、ちょい旅終了。

2023年2月10日金曜日

その昔  最上観音霊場 巡拝の旅

 最上川に沿って点在する三十三観音を巡拝する旅に参加しました。山形県内を西から東、北から南へ、というジグザグコースの観音さまを祀っている寺(観音寺)を、ひとつ、ひとつ訪ねる旅です。この旅は、ほとんど歩かず、東京から貸し切りバスに乗り、東北道から福島、米沢へと入ります。総勢33名、先達さん(千葉銚子の満願寺住職)、その手伝い2名です。

第1日 2003年3月7日

朝7時、浅草の浅草寺の駐車場を出発、まずバスの中で、旅の無事平安を願っての般若心経を全員で合掌しました。実は、これが団体巡礼初体験。にわか巡礼者の身支度。    次のようです。 巡礼衣(白衣上下)ー 3,000円、襟にかける輪袈裟ー2,000円、菅笠―高いし、今後、使わないかもしれないのでやめました。頭陀袋ー買わずに、白のてぬぐいで作成、靴ー白のスニーカー、金剛杖ーなし(買うと2,ooo円)。            三十三観音なのに、巡拝一番寺は、十一番からでした。この日は八、十二、九番の四か寺を巡拝しました。この順番は、この日の宿泊の温泉場に近づくような順番です。巡拝のしかたは、バスで寺の駐車場に入り、そこからちょっと歩いて寺の境内に入ります。まあ、ほとんど歩かずの山門入りです。だからこの日の実歩数は、4,000歩。上の山温泉の立派なホテル泊。巡礼にしては、超豪華な夕食に戸惑いつつ、おいしくいただきました。

第2日 7月2日 習慣で、いつものように4時起床。昨日の運動不足のため、1時間ほど周辺を散歩。ホテル前には、さくらんぼの朝市、みなさん、宅急便で送っていました。この日は、バスは南下、蔵王の麓の天童市あたりの九か寺です。バスを降り、先達さんの後をぞろぞろ並んで山門に。観音さまが祀ってある観音堂に入り、観音経、般若心経、ご詠歌、を唱えます。バスに戻り、次の寺へ、ということになります。本日も、晴天。宿泊は、天童温泉、ここでも豪華な夕食で、器の数が15もありました。宿は、ふたり部屋で、同宿者は、毎日変わります。3,700歩。

第3日  7月3日 ここでも朝のさくらんぼ市。朝食はバイキングで、他のお客さんと一緒なので、食前の勤行はなし。8時出発。出羽三山ー湯殿山、羽黒山、月山、めぐりです。観音さまなし、特別プログラムです。観光のような、見どころをバスで回りました。湯殿山では、霊験あらたかな足湯を体験、注連寺では、即身仏ー高僧のミイラに手を合わせ、夜は羽黒神社の宿坊に泊まりました。3,800歩。

第4日  7月4日  朝から小雨。でも、神社の敷地内、杉の大木の山の中を歩きました。なんとなく神秘な朝を実感。バスは、新庄市、天童を通り、最上川の橋をなんどもわたり、巡拝した寺、七つ。昼食は、車内で、稲荷寿司弁当。夜は、豪華、あの銀山温泉。川をはさんで、三階建ての歴史を感じる木造建築の宿が並んでいました。「おしん」に出てきたあの宿に泊まりました。外湯が無料だったので、夜も朝も、外湯にはいり、結局、旅館の風呂には入りませんでした。3,500歩。

第5日  7月5日  最後の日、残り全部を廻らねばならない。八か寺と三十三に含まれていない番外寺ひとつです。結願は三十三番ではなく、三十一番の寺。ここで、昼食のご馳走になりました。新米と鮎の塩焼き、これって、最高でした。この巡礼の旅で最高な味でした。庄内米って、やっぱりうまい。

ところで、巡拝の際、銚子の寺から持ってきたお背板(おせた)「観音像」を代わり番こに背負って、お参りし、お堂の中で、読経します。この日、ようやく、その番がまわってきました。お背板係は、編笠、金剛杖、お数珠が必要です。で、先輩さんに、お借りして先達さんの後に続きました。ありがたいことらしいのですか、特段、そんな実感なしでした。罰あたりかな。なお、お背板を背負わせていただくと、ひとり1回1,000円を観音さまに差し上げます。という儀式です。この日、巡礼最後の打ち上げは、潮見温泉。昨年、天皇さんがお泊りになったという立派なホテルでた。打ち上げの料理、食べ放題、飲み放題、花笠音頭もありました。宴会を抜け出して、入湯料100円の外風呂に入りました。最後の日、2180歩、歩いてないな。

第6日  7月6日   朝食後の8時、バスは帰路につく。午後2時40分、東京駅着。この日の歩数は、1,051歩。ほとんど歩いていない。



2023年2月9日木曜日

オーストラリアで、チャリで825キロ

こんな こともあったんだ、と。終活のつもりで、片づけていたら、出てきたのが、オーストラリアで、チャリ旅をした時の記録。南オーストラリア州をほぼ一周するというチャリ旅。チャリ(自転車)にこっていた頃だった。日本国内のアマチュアの自転車レースにたびたび出場していた。乗鞍の山岳レースで、入賞したこともあった。北海道の知床半島一周なんてのも、やりました。そうした所で会ったチャリ仲間からの情報で、オーストラリア行きが決まった。主催は、オーストラリアの宗教団体で、日本からは15名が参加。12日間ということでもあり、中年チャリ愛好家で構成されていた。

第1日 1981年9月27日                    

成田空港出発 シドニー空港着。15台中、無傷だったのは、4台で、空輸中にあちこち曲がったりしており、出迎えの現地の方と、市内の自転車修理屋さんの店に移動。午後2時、今夜の宿YWCAにチェックイン。店でパン、ハム、ワインなどを買ってきて、夕食。ペンキ塗り立ての臭いのする2人部屋で寝た。

第2日 9月28日 晴れ

Sydney(シドニー)からLiverpool(リバプール)、Picton(ピクトン)まで60キロ。初日だったので、走行距離は短かったが、起伏の多い、きつい道。チームには、バスが並走してくれている。夕食は、、マッシュポテトとハンバーグ。ピクトンの森の中の牧場泊。寝袋だったが、寒さがこたえた。

第3日 9月29日 晴れ ゴルドバンまでの120キロ。本日も、急な坂が多い。6時、早めのスタートだったが、あまりの急坂に、チャリを降りて、押して歩くことも。東京から沼津間の距離が120キロ。コワレバン市の高台にある教会が、本日の宿泊地。夕食後、現地の人たちとの交流があった。毛布、シーツのある寝室で寝た。

第4日 9月30日 晴れ Goulburn(ゴルバン)からYass(ヤス)までの90キロ。オーストラリアがまっ平なところだという先入観、オーミステイクだった。とにかく坂が多い。途中、ラクダの群れに会った。本日は、ホームステイの日。地元の皆さんが迎えにきてくれた。教会での夕食会。夜空の星がとてもきれいだった。

第5日 10月1日 曇り 強風  Yass(ヤス)からYoung(ヤング)までの115キロ。出発して、すぐに道をまちがえた。地図をなんども見直す。風が真向いから吹いている、吹きっさらしの中、なかなかすすまない。それでも、車が少ないのがありがたい。村を過ぎると、アップダウンの多い道。かなりくたびれていたが、本日は、教会での礼拝に参加。長ーいお説教もあって、終わったら8時半をすぎていた。市内の中華料理店で夕食。スポンサーは、オーストラリア側。せっかくの中華だったが、あまりおいしくなかった。

第6日 10月2日 曇り 午後晴れ  young(ヤング)からForbes(フォービス)までの120キロ。はじめての平らな道路が続く。時速30キロ、なかなかのチャリ旅。リラックスして走れる。気分はるんるん。人家はほとんどなく、トイレは、橋の下、藪の中で。鼻歌を歌いながら走っていたら、突然、頭上にグライダーが近づいた。びっくり、これってオーストラリアのあたりまえの光景。衝突するかと思った。この日は、途中の牧場でいただいた肉でバーベキュー。レイバーデイで、商店街は閉まっていて、肉は、大助かり。郊外のキャンプで宿泊。

第7日 10月3日 晴れ  Forbes(フォービス)からORENGE(オレンジ)まで105キロ  走りはじめは、フラットだったのでに、ルンルンだったが、途中から急坂、それも登りがきつい。距離も長い。転倒者も出たが、たいした傷にはならなかった。カーパーク泊まり。町で買ってきた食材で夕食を作った。といっても、ラーメンライスに野菜炒め、でも、これが最高においしかった。寝袋。

第8日 10月4日 晴れ 春雷  ORANGE(オレンジ) 本日は、休養日。チャリの手入れ、修理など。市内の公園でコアラ見物。にわか雨、雷だ。ここオーストラリアは、今が春、ということは、春雷。夜は、教会で夕食、宿泊も。カレーライス、スパゲッティ、口にあったメニューだった。

第9日 10月5日 晴れ ORANGE(オレンジ)からLITHGOW(リスゴウ)まで125キロ。今回のコースで、いちばん長い坂だった。登り4キロ、それほど急ではないけれど、とにかく長い。下りも長かったので、時間を稼げた。なぜか早めの到着。チャリ慣れしたのかも。本日は、教会で食事、宿泊は、ボランティアのご家庭に民宿。

第10日 10月6日  晴れ LITHGOW(リスゴウ)からKATOOMBAZ(カトムバ)までの45キロ。舗装がしっかりしていない悪路。なのに登り3キロもある。それでも、からだが慣れてきたのか、それほど苦にはならない。途中、ダチョウに会った。しばらく観察。ブルーマウンテン公園内に泊まる。日本人のツーリスト団体に会った。

第11日 10月7日  KATOOMBA(カトムバ)からSDNEY(シドニー)までの50キロ。最終日、パレード気分で走る。ゴールは、シドニーのスポーツセンター。まだまだいける、という気分で、ゴール。道中、ご一緒だったオーストラリア側の責任者エリックと、最後の夕食。おみやげに、コアラのぬぐるみをいただいた。宿泊は、YWCA。

第12日 10月8日  シドニーは、曇り空、東京は晴れ 朝6時45分宿泊地発。予定通りのフライトで離陸。9時間で、成田空港帰着。






























  

2023年1月25日水曜日

今朝も4時 列島寒波 でも歩く

二日前から、寒波が来る、日本列島がすっぽり冷蔵庫に、なんて報道が繰り返されていたので、その気になって、懐中電灯、ほっかいろ、インスタント食品などを準備していたが、それほどでもなかった。それでも、朝4時のウオーキングに。さすがに寒い。近くの運河沿いの道を往く。真っ暗のはずだが、道路沿いのマンションの明かりで暗くはない。東に向かって歩く。日の出までは、まだまだの時間。そんなにも早く歩くこと、ないんじゃない、なんて言われているけれど、決めたんだから歩くんです。

携帯ラジオからは、日本列島、あっちこっちで、「雪」、とのニュース。雪といえば、いろんな思い出がある。

ウインタースポーツの冬山登山、XCクロスカントリースキー、どちらも、めいっぱいやった、楽しんだ。冬の立山、穂高、乗鞍など、怖い目にもあったが、いい山行だった。XCスキーでは、国内外のレースに毎冬、シーズン中は、ほとんど出場していた。冬のシーズン中は、日光の幸徳牧場、猪苗代湖の国民休暇村、乗鞍高原などで練習、週末はほとんど 雪の上にいた。国内では、北海道の湧別100キロレースに、9年続けて出場、海外でも、本場のノルウェイ、スウェーデン、オーストリア、スイス、フランスでのレースに、また、イタリアでは、ミラノに近いピンゾロで開催の24時間レースに出場した。あの時は、レースの途中で飲んだHot winnがおいしかった。泊まっていた民宿のおじさんが、差し入れてくれた赤ワイン、今でもあの味を覚えている。そうそう、EUで研修生ということで招待された際には、毎週末ブラッセルから列車で、ミュンヘンまで行き、駅近くのホテルにスキー一式を預けて、近くのスキー場でXCスキー三昧だったたこともあった。

国内での「雪」体験、四国でお遍路さん巡りをしていた時、たまたま四国に雪が降った。歩き遍路は、天候に関係なく、雨でも、雪でも、歩きます。その日は、かなりの雪で、雪体験のない四国の人たちは、かなり往生しておられた。雪で動けなくなっていた車を何台も、お助けしました、「お接待」です。熊野古道は、14,5年ほど冬の季節に通ったけれど、雪の体験は、ほとんどない。紀伊半島は、やはり南の地、なんですね。

冬の「雪」体験、青森でのこと。知人のUさんの車で、八甲田山へ。たまたま映画の『八甲田山』の撮影が行われていました。雪の撮影現場には、信じられないほどの大勢さんたちがおり、なのに、まだ足りない、ということで、通りかかった私たちが頼まれ、エキストラ出演。古い軍服を着て、行列に加わり、ただただ歩くだけ、という出演ですが、係のおじさんが、映画、見てよ、自分が写っていますよ、といわれた。もちろん、出演料なしでしたが、なんだか、うれしくて、東京に帰ってきてから、友人たちに、「八甲田山の映画、出演したんだ、見て、見て」、といいふらしてまわった、が結果、自分でも見に行ったけれど、どこにいたのか、わからなかった。人生初の映画出演、残念の巻。



2023年1月18日水曜日

語り継ぐ あの震災を 東京で

1月27日、朝の5時46分、関西大震災。今から28年前のことだった。当時、指圧の学校の57歳の生徒だった。あの時間、朝ごはんを食べながらテレビを見ていた。で、地震直後の神戸に、「えらいこっちゃ 」と叫びながら、見入っていた。それでも、いつもの通りの通学。北綾瀬駅までチャリで。早朝の乗客、いつもの通りで、だれひとり、地震を話題にせず、「神戸で、大地震あったんですよ」、を叫びたい気持ちをぐっと抑えて学校へ。ここでは、だれもが話題にしていた。友人や親戚もいたので、それから3~4日は、電話をかけまくったが、なかなか通じず、心配の日々だった。幸いみなさん、命だけは無事だった。

その後は、東北大震災。1973年だった。この時は、旅先だった。放射能汚染で、多くの住民が、いのちからがら、日本中、あちこちに避難。足立区でも被災者を受け入れた。綾瀬駅近くの銭湯が、被災者で混むという状態だった。今朝の新聞を見ていたら、東京電力の当時の幹部だった人たちの裁判が行われているとのこと。津波を予期できなかったのが、罪になるのかなあ。あれから12年、放射能汚染地域を莫大な費用をかけての除染がすんだものの、元の村や町に戻る人は少ない。あの事故で、日本中の原発が止まり、私たちは、もっと電力消費を減らそうとの風潮が高まった。なのに、なぜか、原発再稼働の声が政府から発せられている。ウクライナ戦争で、石油の供給不安が高まり、海外からの輸入に頼っているわが国の現状、この際、国内の原発の再稼働しかない、というわけ。

もひとつ、気掛かりなこと。日本が防衛大国になるかもしれない、という懸念だ。この正月休みに、日本のPMは、主要各国を回り、「わが国は、今後、防衛予算を増額し、こんな防衛計画を」、と説明しまくったようです。今後の日本、どうなるか、とても気になります。

そんなことを考えながら、西新井大師へ初参り。それほどの人出ではなかった。参道で、スマホの画面を見ながら歩いている若者たち、ひとりやふたりではない。お大師さんに、何しにきたのか。西新井から王子行きの都バスに乗ったら、客のほとんどが、スマホをいじっていた。

2023年1月11日水曜日

初乗りで 改装すんだ 渋谷駅

48時間、山手線を止めて、ホームの改装工事をしていた渋谷駅、やっぱし行ってみよう、ということで、お出かけ。西日暮里駅から山手線に乗車。1月10日、実は、もしかしたら式典帰りの着物姿成人に会えるかな、と期待していたけれど、この日、この時間帯に会ったのは、3人。みんな電車に乗らないのかな、といいながら、乗車の山手線は、渋谷駅に。下車、ざっと見渡す。ホームが広がったというけれど、ふだん、あまり乗り降りしたことがなく、実感は、ない。「これで、いいのだ」といいながら、すぐきた山手線に乗った。電車内は、そう混んでいない。

   彼女に会いに池袋  代々木になったら家を出て 原宿減ったら渋谷顔 彼女に会ったら恵比寿顔 というわけで、恵比寿に着く。3人組が乗ってきて、となりの席に。声が大きいので、会話がよく聞こえる。東京でひとり暮らしをしている息子とその両親。息子は、まだ大学生のようだ。息子が、いいみやげだよ、東京の恵比寿のガーデンプレイスで買ったといえば、みんなよろこぶよ、と。立派な紙袋に入ったおみやげ4個。「風邪ひくな、コロナも気をつけろ」とお父さん。なんども繰り返す。「わかった、わかったよ」、と息子。3人組は東京駅で降りた。新幹線で、どっちへ行くのかな。子どもたちが、田舎へ行くんじゃなくて、親が東京へ、子どもたちに会いにくるんだってケース、目撃。上野駅で常磐線に乗り換え、帰宅。こちらの車内は、そこそこに混んでいた。

4時すぎ、神明町帰着。乗り換えの上野駅で、構内レストランから、カレーの匂いがしたので、その瞬間、今夜は、カレーと決定。じゃがいも、ニンジン、玉ねぎ、肉、ぜーんぶあります。ほとんど心配なしのレパートリーです。5時すぎには、整いました。今日は、夕刊はこないので、雑誌のひろい読みをしながらの夕食。だれもやってくれないので、自分でやるしかない、後片付け。でも、あとは、自由時間。

7時のニュース(NHK)を見て、あとは、民放の報道番組が、よく見るテレビ定番。TBSとふじテレビ。国内外の報道番組で、専門の先生方がコメント出演をする。この一年間は、ウクライナがほぼ出づっぱりテーマだった。コマーシャルになったり、内容にあきると、新聞や本を読む。気になることがあると、年表や、地図をとり出して、確かめる。「ひとり遊び」(ひとり学び)の時間です。なんとなく充実の時間帯。そういえば、最近、日本の総理大臣が出演していた。「新しい資本主義」、「異次元の子ども政策」、「国民の命と財産を守るための防衛力の強化」、などなど、うーん、わかりずらい。番組の途中で、眠くなってしまう。そういう時は、がまんせず、寝てしまう。寝つきよく、眠れない、という体験はほとんど、ない。というわけで、今年の年賀のご挨拶は、「目が覚めて 今日も生きてる 感謝 ブラボー」の毎日です。                 

2023年1月9日月曜日

あれこれと おもうこと多し 年はじめ

ラデツキー 思わず手拍子 ニューイヤー (1月7日)            

NHKの実況中継は、2日の夜だったけれど、再放送が7日午後、行われた、ウイーンのオペラハウスでの恒例のニューイヤースコンサート、なつかしい。ニューイヤーだけでなく、ワーグナー週間、一週間、毎日、ワーグナーの曲だけを演奏する、あれにも通った。現役時代、海外が多かったのを利用して、ウイーンへは何度も行った。ウイーンの住人だった友人フリッツイ・コトブスキーのアパートが定宿だった。祖先がチェコスロバキアだというフリッツイだが、来日して、わが家に泊まった時、ラジオから聞こえてきた「ドナウ川のさざ波」、シュトラウスの曲に、あゝウイーン、ウイーンとホームシックで涙していた。ウイーンを心から愛していた彼女、昨年、亡くなった。亡くなる前の一昨年、お見舞いのウイーンでの再会が最後となった。                       そんなことを思い出しながらのニューイヤース・コンサート。今年の指揮は、ウェルザー・メスト、オーストリア人。客席は、ソーシャルデイスタンスを、どうもとっていなかったようだが、着物姿の日本人も何人かいた。ほとんどシュトラウス一家の曲だったが、ときどき、ウイーンのお城の中でのバレーダンスもあり、とにかく、新年らしい素敵なコンサートだった。ウイーン少年・少女合唱団のコーラスがあり、少女合唱団の存在を知った。2時間あまりの最後、この最後の曲は、いつも通り、ラデツキー行進曲。指揮者が、会場の方を向いての指揮、この時を、待ってました、の観客。指揮者の指揮棒に従って、観客船員での手拍子。これがなんとも、楽しいのだ。遠く離れた日本の東京、足立区から、ウイーンに向けて「手拍子」を送りました。感激、感動、でした。

久能山 どうする家康 NHK (1月8日)                ほぼ毎日、NHKで大河ドラマの家康を宣伝していたので、普段は、あまり見ないのに、一回目を見てしまった。大騒ぎの前宣伝は、なんだったんだ、といいつつ、ほとんど感動せずの1時間45分だった。でも、久能山がでてきて、そうだった、あの久能山、3回、行ったことがある。旧東海道の旅の途中に立ち寄るということで、3回とも、歩いての旅だった。ケーブルがあるのを知らなかった。久能山そのものは、1065mだという。3回とも、海側からの1159段の石段を登り降りしたと記憶している。時代もの石畳も随分荒れていた。海側に降りて、しばらく歩いたところに、いちご農園があり、とりたてをいただいた。日光東照宮よりも、こちらがホンめの東照宮であることを、再確認した。

18歳 今日から大人 えっホント(1月9日)              どうもピントこないのだ。1月15日だったはずなのに、いつの間にか、国民祝日の日が、変更。それに、20歳が成人だったはずなのに、いつの間にか、18歳に。それも法律で決めたんだって。今年の成人式、従来通り20歳が対象だったり、18歳だったり、なんだそうです。新聞には、この日の対象者18歳~20歳成人は、341万人なんだそうだ。選挙になれば、みんな投票できるんです。いくらか、日本の政治が変わるのか、期待しています。         あの頃、自分が20歳になった頃、どうしていたのか。安保闘争真っ最中だったか。成人式に出席した記憶がない。後になって、高校の同級生に聞いてみたら、出席したよ、と言っていたので、他の人たちは、出ていたようだ。ただ、母親は期待をしていたようで、裁縫の先生だった彼女は、成人式用の和服を用意していた。その衣装を娘に強制することなく、6歳ちがいの妹が成人式に袖を通した。そのことを知ったのは、母親が亡くなった後、いろいろ整理していた中から出てきて、わかった。

                              


 

2023年1月6日金曜日

新年朝 寒さひとしお でも散歩

昨晩、2022年12月31日、大晦日の晩、「恒例の・・・」紅白を見ず、『混迷の世紀』(NHKシリーズ) を。世界の平和の秩序が、どうなっているか、日本はどうすべきか、がテーマ。たとえば、エネルギー問題、太陽に、風力に頼ればいい、と思っていたが、その太陽、風力を電気に変えるには、「銅」が必要なのだ。その銅の争奪戦が、すでに始まっている。電気自動車だって、限りある地球の資源なしでは、できないのだ。それよりも、輸入依存の日本の食料問題は、もっと深刻。

2023年1月1日、いつもと変わらない。4時起床、まだ真っ暗。3POに。初日の出にはまだ2時間早い。さすがは、元旦、車もめったに会わない。寒い、手袋をしていても、手先が冷たい。

初詣 並ぶ人みて すぐ退散

10時すぎに、西新井大師へ行ってみた。元旦だもんね、といいながら、参道へ。予想通りの長い行列、であきらめた。どうする? やっぱり初乗り、ですよ。西新井駅から東武線(スカイツリーライン)に乗車。浅草方面行きは、混んでいたが、下りは空いている。東武動物公園行きに乗車。ほぼがらがら。途中、乗り換えは、2駅。最初は、新越谷駅から埼京線に、もうひとつは、春日部駅から東武アーバンパークライン線。新年なのだ、元旦なのです、だから、少しでも長い距離に、と春日部駅へ。

初乗りの 電車新品 おめでとう

乗った東武動物公園行きが、なんと新品、おろしたての新品車輛のようで、「真新しい」匂いがぷんぷん。車内の隅々に、ごみ、ほこりがまったくない、まちがいなく新品車輛です。「すごーい、うれしい」です。まさに正月元旦の、初乗りにふさわしい電車です。    車窓からの風景も、おだやか、正月らしい。と国旗(日の丸)が見えた。そう、本日は、旗日、1月元旦です。日本人は、日の丸です、サッカーの試合の旗だけではありません。

電車は、野田駅を通過。野田醤油の煙突がいくつも見える。煙は出ていない、そう本日は、1月1日。醤油といえば、熊野古道の湯浅も醤油の街だ。熊野古道、隠居になってから10年ほど、毎年、年末年始は、熊野古道だった。

旅先の 熊野灘から 初日の出                                12月30日から1月3日まで、ほぼ毎年、でかけていた。和歌山田辺の農家のKさんの声かけでの古道歩きの旅。おかげで、熊野古道は、なんども歩くことができた。熊野灘の初日の出、夕日の風景、見るたびに感動。あの頃の熊野灘は、さんまがよく獲れた。宿泊先での正月料理には、さんまが必ずでていた。

終点ではないけれど、ここで降りる、取手駅。水戸から来る常磐線に乗る。こちらは、やや混んでいるけれど、座れないほどではない。綾瀬駅まで40分。今年も、ちょい旅でスタート。まあまあの初乗りだった。