2021年3月29日月曜日

回想  青森で地主になった!

毎週末、土曜日の夕方、上野駅、コップ酒、駅弁を買う。乗るのは、寝台車、当時は、青森駅行きの夜行列車は、上野駅から2本でていた。そのどちらかに乗れた。いつ発ったか、目がさめると八戸あたりで、青森駅には、7時頃到着。そうそう思い出した。上野駅でいつものように、ぐっすり眠って、いつものように目がさましたら駅員が、この列車は、上野駅から発車しておらず、寝ておられたお客さんに弁当を配っているとのこと。事故だったのか、台風だったのか、原因については、覚えていないが、弁当を二個もらって、帰宅したことがあった。

さて、青森駅で出迎えてくれた人、浪岡のUさん。60歳すぎの、東北弁のきついおじさん、Uさんとお会いしたのは東京で、「おれ、百姓だ」というのが、やたら気に入り、何回か会っているうちに、「頼みごとがあるんだが、」と。

彼の頼みごとというのは、りんご畑の小作人騒動のリーダーだったUさんに、地元東奥日報から原稿依頼があった。連載もので、「書いてもらえんだろうか」、という頼みごとだった。小作人騒動、ということに関心があり、即答OK。聞き取りのための青森行きがはじまった。勤務中だったので、週末しか行けず、それでも三か月くらいかけての聞き取りで、原稿はなんとか終了。

そのお礼に「なんか欲しいもん、ないか」、というので「土地が欲しい」、と言ってみた。この頃、山登りに熱中していたので、山小屋を、なんて思っていたので、ついつい土地なんて言っていまったのだ。東京に戻り一週間ほど経った頃、書留速達が届いた、Uさんからだった。中には、土地の贈与・登記書が入っていた。びっくりして、すぐに青森へ。登記書はホンモノで、この日から地主になった。現場へ行くと、山の中の一区画で、近くに沢が流れており、沢水をためて、田螺を飼ったり、りんごの木(紅玉)を植えたりした。地主が東京なので、そういろいろ活用は出来なかったが、それでも、月1~2回の青森通いが続いた。東京の友人たちに「わたし、青森の地主でーす」なんて、いいふらし、いい気分でした。

3~4年ほど、春、夏、秋、冬の青森を、Uさんの車でまわった。りんごの花の咲く頃、収穫時の手伝い、秋の十和田湖などへも連れていってもらった。考古学会のメンバーだったUさんと、県内の亀ヶ岡石器時代遺跡の「穴堀り」も体験した。三内丸山遺跡は、まだの頃だった。そのUさんは、生存中、贈与した土地の税金も払ってくれていた。Uさんが亡くなり、土地は、ご遺族にお返ししたが、気分のいい思いをさせていただいた。地主だったあの土地は、その後に開港した青森空港近くだった。





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2021年3月28日日曜日

三輪先生が神明町にきた

3月28日、三輪先生が来宅。コンピューターの始動にきた。これからは、いくらかましな文章、配列になると思います。画像挿入練習中!



たぐち

2021年3月26日金曜日

モノレールその二  大船~江の島

 3月22日、曇り空。乗り鉄なので、天候はどうでもよろしい。北千住駅から常磐線ライナーに乗る。上野から東京駅まで停まらない電車だ。東京駅からは、東海道線熱海行きに乗車。これも品川、川崎駅しか停まらない。ということで、ここまでは、とんとん拍子。

 横浜駅で下車。根岸線ホームへ。実は、京浜東北線は、大宮から横浜駅までなのに、なぜか大船が終点になっている。横浜からは、根岸線が大船駅だということが判明。これまで何度も途中駅の石川駅(中華街)までは、行ったことがあるのに、この線が根岸線だとは知らなかったのだ。京浜東北線が、そのまま磯子から、大船駅まで走っており、ともかく、この日は、根岸線を意識しながら、洋光台、港南台、本郷台駅を通り、大船駅へ。こう見ると、横浜には、丘や小山が多い。駅周辺は、立派なマンションが立ち並び、さすが。

 大船駅に到着したのは、11時45分。目指すモノレールの出発が11時50分。JR駅からの連絡路を走る。ベルが鳴っていたが、飛び乗る。客は6名、2両編成。進行方向右側に立って外を見ると、柱が右側に並んでいた。千葉のあの風景と同じではないか。最前列の運転手横(中央)の窓から前方を見ると、なんと、モノ(ひとつ)、レールが頭上にある。「なーんだ、千葉市のモノレールと同じではないか」と独り言。そうなんです、そうだったのです、上部のレールに電車がぶら下がっているタイプ、千葉市モノレールとまったく同じでした。

 この線は、ほとんど住宅の上を通っており、しばらくすると海が見える。途中の駅でちょと降りてみようと、ホームに降りたら、後ろの車内にいた車掌が、降りるんですか、と聞くので、ちょっとホームだけで、というと、すぐに乗って下さい、と。モノレール駅の改札口が、降りてすぐのホームにあったんです。コロナ対策とのこと。この地帯の特徴で、小高い丘、竹藪などが多いため、トンネルをいくつも通過。20分ほどで終点の江の島駅着。ここは、ビルの5階。目の前に江の島が見える。

 地上にエレベーターで降り、信号を渡ると江ノ電の江の島駅。中学生らしき40名くらいの集団が、電車から降りてきた。お揃いのマスク姿で、修学旅行かな。「密」をさけて、再びモノレール駅に戻り、大船駅へ。

 大船のモノレール駅で、赤線入り制帽の駅長さんに「あのう、モノレールの資料、ありますか」、と尋ねると、「今年の7月で50周年になります。記念本を今、作っているところなので」、とのこと。「千葉市にも、モノレールがありますね」、と言ってみたら「うちの方が、先だったんですが、距離で負けてしまいました」、と残念そうだった。

 大船駅構内で、鯖寿司を買って、途中で食べるわけにいかず、神明町に持ち帰り、いただきました。


2021年3月16日火曜日

ちょい旅  越後線 新潟県

奥の細道を歩いたのは、2005年。江戸深川を出たのは、1月、日光から東北へ、まだ東北大地震が起こる前だった。最上川を日本海側へ下り、秋田から新潟へ。4月に、新潟から直江津までを歩いた。旅は、4~5日歩いては、東京に戻るを繰り返しながら、歩を進めるというやり方。トータルで、60日間かかった。450里176キロ。

今回 の「乗り鉄」は、越後線。新潟から柏崎までの83.8キロ。新潟までの新幹線は、簡単だが、その先の連絡が難儀だった。新潟から柏崎まで、もう一つ信越本線があり、こちらは、利用者も多く、本数も多い。柏崎、直江津方面へ、というと信越本線の切符が出てくる。越後線です、といっても、こっちの方が早いですよ、とJR駅員はいう。おかげで、切符を二回も買いなおした。

10時22分、新潟から越後線に乗車。客は、少ないけれど4両編成。ボックスシートあり。新潟は、雨だったが、じきに雨は、あがり、しかし曇り空。雪は、まったくない。そういえば、新幹線の浦佐あたりの田んぼには、残雪があった。

しばらくは、新潟市街地を走る。芭蕉道は、もっと海よりだったような気がするが、車窓からは、海らしき景色はない。

1時間ほどで、吉田駅着。列車は、ここまでで、次の列車柏崎行きは、1時間後。ここは、弥彦神社への弥彦線が通っている。南は、越後三条で新幹線と連絡している。

奥細歩きの際には、弥彦神社入口の日本旅館に泊まった。他にチョイスがなく、結構な泊まり賃だった。朝の散歩で、歩いていたら競輪場が近くにあったのを思い出した。

吉田駅では、9時、10,11,13,14,17,20時には、電車がこない。暖房のはいった待合室があるけれど、乗客は2名。駅周辺も店は皆無。タクシー会社あるのみ。これじゃあ、越後線はすたれるばかり、と実感。

12時32分、柏崎行きに乗車。大雨があったらしく、道路に水たまりが出来ていた。出雲崎。ここ出雲崎、寺泊は、芭蕉の頃は、佐渡島へ船が出る港町だった。宿泊施設や、女郎もいたらしい。芭蕉は、ここで、一句読んだ。

     荒海や 佐渡によこたふ天河

歩き旅では、日本海側右の奥に、佐渡島がたしかに見えた。そういえば、歩いた車道は、何十キロも、信号がまったくなかったのを思い出した。

13時40分、柏崎駅着。ここまでが越後線。40分待って上越妙高行きの特急に乗車。これは、新潟発。日曜だからか結構な乗客数。直江津は通過、上越市に入ると残雪あり。あの時は、上越市で盛大な花見見物をしたっけ。車窓の風景も様変わりして、雪山が見える。

上越妙高駅に着いて、30分待ち。金沢からきた新幹線に乗る、15;54発。ようやく空席をみつけた。それほどの混みようだ。この先、上田、軽井沢、高崎で乗ってきた客、座れず、次の各駅停車の「あさま」に乗り換える人もいた。こんなに混んだ新幹線、久しぶりだった。卒業旅行の学生のグループや、ちょい旅軽井沢の女の子グループなどが目立っていた。自粛の緊急事態宣言下なんだよね、今も。

行きも、帰りも、西の空に、富士山が、しっかり見えた。夕日の富士山のシルエット、格好よかった。


2021年3月12日金曜日

ギネスブック認証のモノレール  千葉市

ここのところ、ちょくちょく千葉駅を訪れていたが、駅構内に「モノレール」の文字があり、気になっていたので、 3月11日、行ってみた。千葉駅までのルートは、いつも通り、綾瀬駅から京成バスで、新小岩駅経由、総武線で千葉駅へ。総武線の車内放送では、乗り換えアナウンスでは、モノレールが出てこないが。広ーい駅構内、端から端まで歩いて、ようやく発見。かなり隅っこにあった。スイカOK。

エスカレーターは、JR千葉駅から、県庁方面へ行くのが一号線、郊外の千城台駅へ行くのが二号線。ホームは、どこも同じ構造で、上り、下りのエスカレーター、エレベーターがある。10分おきくらいの頻度でくるので、便利。といっても、乗った電車は、どれも空いたいたが。

モノレールは、羽田、藤沢などいくつか乗ったことがあるけれど、レールの上をモノ、レール(一本の線路)が走るもので千葉のは、レールの下に車両がぶら下がる(懸垂型というんだそうだ)タイプだ。

二両編成で、運転手がいるワンマンカー。運転手横の前面車両から、真下がまる見えになっており、最前列で見学。速度は、ノロノロ、都電並みで、しかし、急カーブでは、かなり揺れる。路線といっても、上にあるのだが、ほぼ、下は、道路で、走る車がよく見える。時々、駐車場の上とか、人家の屋根の上とかが見える。電車の下に線路がないので、なんか、変。じっと見ていると、目が回りそう。

終点の千城台駅~千葉駅間を往復(片道560円)したが、その間には、千葉公園、動物園、スポーツセンターなど、市や県の公共施設がある。というわけで、このモノレールは、千葉市が経営者。二両の列車には、なぜか保育園のラッピングがついており、「キートス・チャイルドケア」のカタカナ文字。キートスは、フィンランド語で「ありがとう」。なつかしい単語。

一号線は、3キロ、二号線は、12キロ。車両そのものは、ドイツ製。実は、このタイプで、乗客を乗せて走るモノレールとしては、最長記録ということで、ギネスの認証を得ている(2001年)。ところで、駅構内は、ホームから下を覗くと、線路がなく、平なコンクリートが1メートルほどのところにあり、「ホームから下に降りないでください」との警告アナウンス。

約2時間、見学を終え、千葉駅構内で売り出し中のバンを買い、しかし、気がついたら、マスクなので、食べることが出来ず、西船橋駅に出て、そこから武蔵野線で新松戸~綾瀬駅へ。バス待ちの時間に、パンを食べた。16時の昼食。




2021年3月9日火曜日

自粛破りー7  綾瀬駅―新小岩駅―金町駅ー八潮駅―神明町

綾瀬駅 のバスターミナルで、停まっているバスに乗ろう、ときめて出かけた。新小岩駅行きが停まっていた。一時間に4本の路線バス。京成バスだけれど、シルバーバスOKだ。

発車して2,3分で足立区を出る。バス停は小菅、葛飾区だ。じきに京成堀切菖蒲園駅。菖蒲園は、ここから5,6分。駅の裏通りに古本屋があったが、つぶれた。平和橋通りに出る。ここから、新小岩までは、一直線。平和橋通りは、足立区の西の端、扇橋あたりから、荒川沿いに続いている。新中川で平和橋を渡ると、総武線新小岩駅は、すぐだ。駅前で下車すると、目の前に停まっていたのが、金町行きだった。ここからは、亀有行きも出ており、なんどか乗車したことがある。亀有行きは、新小岩から奥戸街道にでて、環七を亀有まで走る。

金町行きは、一時間に2本。昼間の時間なので、乗客は5名のみ。全員がシルバーバス。途中、スーパー銭湯古代の湯新小岩をすぎ、環七を横切って東へ。京成小岩駅前から、愛国学園、鎌倉八幡前、鎌倉学園を経て、北方向へ。柴又街道だ。「矢切の渡し」印の和菓子屋があった。帝釈天への参道のある信号では、多くの参詣者たちの姿が見えた。自粛していないんですね。

ここからは、柴又から金町まで走る京成線と、金町浄水場の間を、柴又街道は、走っている。午後15時、金町駅前のターミナルに到着。金町からは、千代田線綾瀬駅までは、ほんの数分。でもせっかく路線バスを乗り継いてきたので、最後まで路線バスで、と時刻表を見ると、八潮行きが15時15分に出る。埼玉県だけれど、これに乗った。乗客は、12名。埼玉県内なので、シルバーパスは、だめ。

しばらく水戸街道を走り、左折。水元公園のわきを往く。縛られ地蔵のいる南蔵院を右にみて、中川の潮止橋を渡ると、八潮駅は、すぐだ。毎朝の散歩コース。限りなく足立区に近い。駅でバスを降り、コミュニテイバス綾瀬行きに乗る。10分ほどで、神明町帰着。17時10分だった。

2021年3月6日土曜日

東山魁夷と都倉家のこと

19 64年、50年以上も前の話。

初めての外国、イスラエルに留学した時のこと。テルアビブにあった日本大使公邸を訪問。お茶に招待されたのだ。玄関でベルを鳴らすと、日本人の女性が出てきた。大使館員かしらと思ったら、なんと大使の奥様だった。エントランスホールの壁に一枚の絵があり「どなたの絵ですか」、と尋ねた。風景画で、薄い緑色いっぱいの絵だった。すると、「これねえ、いいでしょう、とっても気に入ってるのよ、まだ、売れてない画家さんだけれども」、とおっしゃる。その絵が、東山魁夷画伯による絵だったことを教えてくれた。

その後、たぶん5~6年後、スウエーデン社民党の教育施設ボンメルスウイックで3か月ほど滞在したことがあった。スウエーデンらしい、森の中の施設で、湖もあり、とても気にいっていた。友人たちと、散策をしていた時、ひとりの日本人に会った。絵描きだった。その絵を一目見た時、色彩、構図などが、あの絵、都倉大使公邸のエントランスホールにあった、あの絵だった。その時は、名前を思い出せなかったが、確かにあの絵だった。

帰国して、何年も後、東山魁夷画伯の存在を知った。展覧会にも行ったし、著書も何冊か読んだ。そっか、あの時の都倉大使のご子息が、都倉俊一氏。お母さまの顔、まったく記憶にないけれど、東山魁夷画伯の話は、本当だった。

今朝の新聞に、「文化庁長官に都倉俊一氏」の見出しをみつけ、昔々の話を、思い出した。


自粛破りー6 茨城県 水戸線

 3月4日、朝10時14分、松戸駅から常磐線に乗車、水戸行きの快速。10両編成の最後部、ボックスシートのある車両。ラッキー、進行方向左側の席、ゲット。そうなんです、2月13日と同じ席。電車も、時間も、前回の水戸行きとまったく同じ。これで、本日の乗り鉄の満足度50%。土浦駅で、前の車両5台が切り離された。身軽になっても速度は、変わらない。

前回よりも天気はいい。春霞、それほどでもなく、前方には、筑波山が、くっきり見える。水をはった田んぼ、そろそろ田植えの準備か。偕楽園での臨時停車はなく、水戸駅へ。偕楽園の梅は、満開、駐車場は、車が満杯だった。

水戸駅では、今回は、改札を出た。駅そのものが、巨大なショッピングセンターになっている。数年前、関東八十八か寺の巡礼の際に、駅ビル外れのホテルに泊まったことがあり、この駅ビル内は、見学済みだ。2月13日は、鹿島臨海鉄道に乗るのが目的だったので、改札を出なかった。駅前にある水戸納豆の碑を見て、納豆専門店で、納豆を買った。

今回の目的は、水戸線。水戸というのに、始発は、友部駅だ。水戸から3つめの駅友部で、30分ほど、待って、折り返しの小山行きの各停に乗車。途中の笠間神社には、来たことがある。左側前方には、ずっと筑波山が見える。乗客は、7名。カメラと録音機を持った青年も。ここら辺は、麦畑が多い、

下館駅、ここからは、真岡鉄道、関東鉄道常総線が出ている。どちらも、乗り鉄済。14時9分、小山駅着。友部から小山までは、約50キロ。乗り換えのため、階段を降りて行くとホームの列車のベル。飛び乗ったら、なんと反対方向、黒磯行きだった。瞬間、あっ間違えたと、叫んだら、閉まったドアが開いた。みたら、車掌さんが、手招きで、降りなさい、と叫んでいた。車内にいたお客さんが、手を振っていた。よかった、助かった。

じきにきた電車は、逗子行きで、これに乗車。赤羽で乗り換えて、京浜線で王子駅下車、都電で町屋駅へ。千代田線で綾瀬へ、17時、神明町着。さっそく、水戸納豆の夕食。

2021年3月1日月曜日

自粛破りー5  栃木県 群馬県 東武伊勢崎線、両毛線

22月28日、2月最後の日。明日から3月、もう春だ。 

一年前の25日、安倍PMが、緊急事態宣言の記者会見をした。あれから一年経ち、しかし、事態はまったく改善していない。一年前の28日、国会(予算委員会)では、マスク不足が議論のテーマだった。マスクは、簡単に手に入るようになったが、コロナ状況は、まったく改善していない。

今年の2月28日は、日曜日。そういえば、2月と3月、まったく同じカレンダー。毎日曜日9時から、NHKのテレビで政治討論会を見るのが習慣になっており、しかし、琵琶湖マラソンの実況とかで、1時間繰り上げて、8時からに変更。テーマは、女性の議員の各党代表が徹底議論、男女格差をどう改善? 女性の政治参加に関心があったので、1時間、テレビを。内容は、たいしたことはない、との印象。で、なんとなく、9時14分の西新井行きバスに乗った。

日曜日なので、バスは、がらがら。西新井駅で、上りにするか、下りにするか、東武線(スカイツリーライン)のホームで待った。日曜日なので、上りホームは、かなりの人.来た、下り線。東武動物公園行きの区間快速。車内は、4人しか乗っていない、がらがらだ。空は、晴れてはいるが、遠くは、春霞でぼーとしている。それでも、律儀に富士山のシルエットが見えた。

30分ほどで、東武動物公園駅着。ここで下車。反対側のホーム、伊勢崎線方面、に加須行きが到着。乗る。そうだ、伊勢崎に行こう。羽生駅を通る、ここで秩父鉄道に乗ったことがある。加須で降りる。待つこと20分、次は、館林行き。こちらも、15分ほどで着いてしまった。乗り換え、もう一回。今度は、太田行き。太田駅、20分くらいで着いてしまった。明らかにアジア人らしき団体さんが、ホームで待っている。ここら辺には、アジアからの出稼ぎさんが、多い。ホームでキョロキョロしていたら、今まで知らなかった路線のあることを発見。小泉線(6.4キロ)、多々羅線(12キロ)、いずれも、東武系だ。多々良線の方は、JR両毛線とつながっている。ここでは、30分ほど待つ。最後の電車は、伊勢崎行きだ。途中、足利駅にも停まる。山火事の様子が報道されていたが、ヘリコプターが、3機、進行方向右の山あたりを飛んでいた。たしか、本日8日目、なかなか鎮火しない。アジア人たちの集団は、世良田駅で下車。駅の案内板に「世良田東照宮」という文字。気になるので後で調べてみよう。

12時45分、伊勢崎駅着。ここまでで、電車を乗り換えたのが、東武動物公園駅、加須駅、館林駅、太田駅、そして、ようやく目的地の伊勢崎駅着。考えてみれば、浅草から特急伊勢崎行きが出ているのだが、まあ、各停で、テマヒマかけて乗るのもいいもんだ。ここから、JR両毛線に乗って高崎へ。30分ほど。左前方に雪の浅間山、上越国境の山々も真っ白。

高崎駅で、たるま弁当を買って、がらすきの新幹線の中で食べながら上野駅へ。乗り換えが多かったが、本日もいい旅だった。神明町には、4時帰着。