19 64年、50年以上も前の話。
初めての外国、イスラエルに留学した時のこと。テルアビブにあった日本大使公邸を訪問。お茶に招待されたのだ。玄関でベルを鳴らすと、日本人の女性が出てきた。大使館員かしらと思ったら、なんと大使の奥様だった。エントランスホールの壁に一枚の絵があり「どなたの絵ですか」、と尋ねた。風景画で、薄い緑色いっぱいの絵だった。すると、「これねえ、いいでしょう、とっても気に入ってるのよ、まだ、売れてない画家さんだけれども」、とおっしゃる。その絵が、東山魁夷画伯による絵だったことを教えてくれた。
その後、たぶん5~6年後、スウエーデン社民党の教育施設ボンメルスウイックで3か月ほど滞在したことがあった。スウエーデンらしい、森の中の施設で、湖もあり、とても気にいっていた。友人たちと、散策をしていた時、ひとりの日本人に会った。絵描きだった。その絵を一目見た時、色彩、構図などが、あの絵、都倉大使公邸のエントランスホールにあった、あの絵だった。その時は、名前を思い出せなかったが、確かにあの絵だった。
帰国して、何年も後、東山魁夷画伯の存在を知った。展覧会にも行ったし、著書も何冊か読んだ。そっか、あの時の都倉大使のご子息が、都倉俊一氏。お母さまの顔、まったく記憶にないけれど、東山魁夷画伯の話は、本当だった。
今朝の新聞に、「文化庁長官に都倉俊一氏」の見出しをみつけ、昔々の話を、思い出した。
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