2023年2月21日火曜日

バレンタイン 咲いた桜が 風に舞い

三寒四温、よく言ったもんです。暖かい日が続き、もう春かな、衣替えかな、なんて早とちりしたり、ところが、まだまだ冬、寒ーい日が。なのに、神明町では、桜が咲いています。綾瀬川と、中川、この間を流れる運河。橋が月見橋、雪見橋、富士見橋、桜木橋、花見橋となんとも粋なン名前の5つの橋がかかっており、朝の3POコースで歩いています。桜の花は、雪見橋の両サイドに植えられています。河津桜。伊豆よりもあったかいのか、今年は、満開です。

伊豆の河津へは、二度、お花見に行きました。熱海まで新幹線、その先は伊豆急で河津まで。電車の中に吊るし雛がところしましとぶら下がっており、でも、車内はがら空きの電車だったのを覚えています。駅前から桜並木でした。見事な咲きっぷりでしたが、見物人が多く、はやばやに引き上げたのでしたが、その後の「伊豆の旅」がよかった。

下田へ出て、ここから路線バスで松崎へ。駿河湾の向こうに見える富士山、これが、とにかく見事だった。東京の銭湯で富士山を見るたびに、あの光景を思い出します。戸田へ出て、乗り換えたバスで、伊豆半島横断。これが抜群に感動の伊豆の山越えでした。

伊豆といえば、某大会社がスポンサーのセミナー、伊豆セミナーって言っていた、が行われていて、毎年参加していました。伊豆の山の中の、立派なセミナーハウス、冷暖房つき宿泊施設完備で、二泊三日の日程でした。5,60名の参加者は、当時、日本を代表する中堅リーダーで、あらゆるジャンルの職業の代表たちだった。そのセミナーハウスの周辺が、いわゆる伊豆の山々で、毎朝の散歩を堪能していました。

伊豆半島といえば、三島から下田まで、下田街道を二泊三日で歩いたことがありました。有名な川端康成の『伊豆の踊子』コース、こちらも有名な温泉旅館にも泊りました。その後も、韮山や湯ヶ島 あたりをなんどか歩いたこともあります。NHKの大河ドラマ『鎌倉殿・・・』に出てくる地名、なつかしかった。

そんなことを思い出しながら、本日もちょい乗り。南浦和から武蔵野線で新松戸、ここから綾瀬駅まで常磐線。乗車したのが、京浜東北線の王子駅。ということは、全線JRだったので、綾瀬駅で下車した時、改札口のスイカは、232円でした。という、合法的な、JRちょい乗りの成果でした。


2023年2月15日水曜日

梅見物 ちょっと早めの 筑波山

快晴ではなかったけれど、あったかな日曜日、2月12日。なんとなく、春かあ、梅かな、と綾瀬駅へ。梅といえば、水戸。行ってみるか、と東へ向かった。松戸で常磐線に乗り換える。休日でも、そう混んではいない。この一週間、なんだかんだと、ほぼ毎日、路線バス、のり鉄での「ちょい旅」に出かけていた。乗ることが大切なのです。ということで、本日も「ちょい旅へ」。

綾瀬駅(千代田線)を出て、松戸駅(常磐線)で上野駅からの快速に乗る。乗った電車、そっか、「土浦駅」、だった。内心、「水戸駅」のつもりだったが。進行方向左側前方に筑波山がみえた時、で、決定、「本日の行き先は、筑波山」。ターミナルステーションの取手駅下車。まっすぐバス停へ。15分待ちで、つくばTXエクスプレス駅行きが出る。男性客が2名、どちらもモバイルを熱心にみつめていた。

うーん、ここ駅前バスターミナルからは、合計6カ所に停留所がある。そっか、もしかしたら、ここから「お山」行きの路線バスがあるかも、と歩きはじめた、その時、一台のバスが走ってきた。「筑波山行き」の表示。えっ、やっぱりあったんだ、あるはずだよね、と叫んでしまった。バスは、そのまま行ってしまったが。

さて、取手駅からTX駅行きの路線バスは、時刻通り発車。これには、これまで4,5回は乗車している。この日の乗客は、4名。全員が終点まで。バスは、関東鉄道のバスで、車内アナウンスが、関東手鉄道は、今年で100年を迎えたことが伝えられた。25分で、つくば駅着。

さっそく、お山行きのバス停へ。出たばかりか、列のいちばん。さすが、つくば学園都市、インド(系)若者2名も並んでいる。旅行者(インバウンド)では、ないらしい。ほぼ満席で発車。車内放送は、日本語、英語、中国語、韓国語の四か国語。さすが筑波国際学園都市だ(でもない、綾瀬駅から新小岩行きバスでも、四か国語です)。英語では、筑波山のジオパークとしての歴史が語られていた。

しばらく一直線のメインストリートを走る。左側は、筑波大学のキャンパス、右前方に筑波山の赤い鳥居が見える、だんだん近づいてくる。大きく右折、たんぼ、畑の中を往く。徐々に上る、間もなく筑波山神社前で下車。この先のつつじケ丘へは、なんどか行ったが、ここは久しぶり。ま新しい観光案内所、立派なトイレ、みやげ店2軒が新設されていた。左側を上っていくと梅園が ある。「梅まつりは、来週、18日からですが、少しは、咲いているようですよ」、と案内所の説明。咲けば1000本というから、見ごたえはあるはず。でもあきらめて、赤い山門をくぐり筑波山神社へ。坂東巡礼でお参りにきたこともある。あの時は、この下のホテルに泊まったっけ。筑波山を山道で降りてきた人たちが、通る。時計を見るとあと10分で、駅行きのバスが通る。なんとなく、せかされるようにバス停へ。しっかり時間通りにバスがきて、乗車。ほぼ満席だったが、座れた。日曜日なので、道路混雑もあって筑波駅に着いたのは、1時すぎ。つくばTXで南流山駅で、武蔵野線に乗り換え、新松戸駅から千代田線で綾瀬駅帰着。本日も、無事、ちょい旅終了。

2023年2月10日金曜日

その昔  最上観音霊場 巡拝の旅

 最上川に沿って点在する三十三観音を巡拝する旅に参加しました。山形県内を西から東、北から南へ、というジグザグコースの観音さまを祀っている寺(観音寺)を、ひとつ、ひとつ訪ねる旅です。この旅は、ほとんど歩かず、東京から貸し切りバスに乗り、東北道から福島、米沢へと入ります。総勢33名、先達さん(千葉銚子の満願寺住職)、その手伝い2名です。

第1日 2003年3月7日

朝7時、浅草の浅草寺の駐車場を出発、まずバスの中で、旅の無事平安を願っての般若心経を全員で合掌しました。実は、これが団体巡礼初体験。にわか巡礼者の身支度。    次のようです。 巡礼衣(白衣上下)ー 3,000円、襟にかける輪袈裟ー2,000円、菅笠―高いし、今後、使わないかもしれないのでやめました。頭陀袋ー買わずに、白のてぬぐいで作成、靴ー白のスニーカー、金剛杖ーなし(買うと2,ooo円)。            三十三観音なのに、巡拝一番寺は、十一番からでした。この日は八、十二、九番の四か寺を巡拝しました。この順番は、この日の宿泊の温泉場に近づくような順番です。巡拝のしかたは、バスで寺の駐車場に入り、そこからちょっと歩いて寺の境内に入ります。まあ、ほとんど歩かずの山門入りです。だからこの日の実歩数は、4,000歩。上の山温泉の立派なホテル泊。巡礼にしては、超豪華な夕食に戸惑いつつ、おいしくいただきました。

第2日 7月2日 習慣で、いつものように4時起床。昨日の運動不足のため、1時間ほど周辺を散歩。ホテル前には、さくらんぼの朝市、みなさん、宅急便で送っていました。この日は、バスは南下、蔵王の麓の天童市あたりの九か寺です。バスを降り、先達さんの後をぞろぞろ並んで山門に。観音さまが祀ってある観音堂に入り、観音経、般若心経、ご詠歌、を唱えます。バスに戻り、次の寺へ、ということになります。本日も、晴天。宿泊は、天童温泉、ここでも豪華な夕食で、器の数が15もありました。宿は、ふたり部屋で、同宿者は、毎日変わります。3,700歩。

第3日  7月3日 ここでも朝のさくらんぼ市。朝食はバイキングで、他のお客さんと一緒なので、食前の勤行はなし。8時出発。出羽三山ー湯殿山、羽黒山、月山、めぐりです。観音さまなし、特別プログラムです。観光のような、見どころをバスで回りました。湯殿山では、霊験あらたかな足湯を体験、注連寺では、即身仏ー高僧のミイラに手を合わせ、夜は羽黒神社の宿坊に泊まりました。3,800歩。

第4日  7月4日  朝から小雨。でも、神社の敷地内、杉の大木の山の中を歩きました。なんとなく神秘な朝を実感。バスは、新庄市、天童を通り、最上川の橋をなんどもわたり、巡拝した寺、七つ。昼食は、車内で、稲荷寿司弁当。夜は、豪華、あの銀山温泉。川をはさんで、三階建ての歴史を感じる木造建築の宿が並んでいました。「おしん」に出てきたあの宿に泊まりました。外湯が無料だったので、夜も朝も、外湯にはいり、結局、旅館の風呂には入りませんでした。3,500歩。

第5日  7月5日  最後の日、残り全部を廻らねばならない。八か寺と三十三に含まれていない番外寺ひとつです。結願は三十三番ではなく、三十一番の寺。ここで、昼食のご馳走になりました。新米と鮎の塩焼き、これって、最高でした。この巡礼の旅で最高な味でした。庄内米って、やっぱりうまい。

ところで、巡拝の際、銚子の寺から持ってきたお背板(おせた)「観音像」を代わり番こに背負って、お参りし、お堂の中で、読経します。この日、ようやく、その番がまわってきました。お背板係は、編笠、金剛杖、お数珠が必要です。で、先輩さんに、お借りして先達さんの後に続きました。ありがたいことらしいのですか、特段、そんな実感なしでした。罰あたりかな。なお、お背板を背負わせていただくと、ひとり1回1,000円を観音さまに差し上げます。という儀式です。この日、巡礼最後の打ち上げは、潮見温泉。昨年、天皇さんがお泊りになったという立派なホテルでた。打ち上げの料理、食べ放題、飲み放題、花笠音頭もありました。宴会を抜け出して、入湯料100円の外風呂に入りました。最後の日、2180歩、歩いてないな。

第6日  7月6日   朝食後の8時、バスは帰路につく。午後2時40分、東京駅着。この日の歩数は、1,051歩。ほとんど歩いていない。



2023年2月9日木曜日

オーストラリアで、チャリで825キロ

こんな こともあったんだ、と。終活のつもりで、片づけていたら、出てきたのが、オーストラリアで、チャリ旅をした時の記録。南オーストラリア州をほぼ一周するというチャリ旅。チャリ(自転車)にこっていた頃だった。日本国内のアマチュアの自転車レースにたびたび出場していた。乗鞍の山岳レースで、入賞したこともあった。北海道の知床半島一周なんてのも、やりました。そうした所で会ったチャリ仲間からの情報で、オーストラリア行きが決まった。主催は、オーストラリアの宗教団体で、日本からは15名が参加。12日間ということでもあり、中年チャリ愛好家で構成されていた。

第1日 1981年9月27日                    

成田空港出発 シドニー空港着。15台中、無傷だったのは、4台で、空輸中にあちこち曲がったりしており、出迎えの現地の方と、市内の自転車修理屋さんの店に移動。午後2時、今夜の宿YWCAにチェックイン。店でパン、ハム、ワインなどを買ってきて、夕食。ペンキ塗り立ての臭いのする2人部屋で寝た。

第2日 9月28日 晴れ

Sydney(シドニー)からLiverpool(リバプール)、Picton(ピクトン)まで60キロ。初日だったので、走行距離は短かったが、起伏の多い、きつい道。チームには、バスが並走してくれている。夕食は、、マッシュポテトとハンバーグ。ピクトンの森の中の牧場泊。寝袋だったが、寒さがこたえた。

第3日 9月29日 晴れ ゴルドバンまでの120キロ。本日も、急な坂が多い。6時、早めのスタートだったが、あまりの急坂に、チャリを降りて、押して歩くことも。東京から沼津間の距離が120キロ。コワレバン市の高台にある教会が、本日の宿泊地。夕食後、現地の人たちとの交流があった。毛布、シーツのある寝室で寝た。

第4日 9月30日 晴れ Goulburn(ゴルバン)からYass(ヤス)までの90キロ。オーストラリアがまっ平なところだという先入観、オーミステイクだった。とにかく坂が多い。途中、ラクダの群れに会った。本日は、ホームステイの日。地元の皆さんが迎えにきてくれた。教会での夕食会。夜空の星がとてもきれいだった。

第5日 10月1日 曇り 強風  Yass(ヤス)からYoung(ヤング)までの115キロ。出発して、すぐに道をまちがえた。地図をなんども見直す。風が真向いから吹いている、吹きっさらしの中、なかなかすすまない。それでも、車が少ないのがありがたい。村を過ぎると、アップダウンの多い道。かなりくたびれていたが、本日は、教会での礼拝に参加。長ーいお説教もあって、終わったら8時半をすぎていた。市内の中華料理店で夕食。スポンサーは、オーストラリア側。せっかくの中華だったが、あまりおいしくなかった。

第6日 10月2日 曇り 午後晴れ  young(ヤング)からForbes(フォービス)までの120キロ。はじめての平らな道路が続く。時速30キロ、なかなかのチャリ旅。リラックスして走れる。気分はるんるん。人家はほとんどなく、トイレは、橋の下、藪の中で。鼻歌を歌いながら走っていたら、突然、頭上にグライダーが近づいた。びっくり、これってオーストラリアのあたりまえの光景。衝突するかと思った。この日は、途中の牧場でいただいた肉でバーベキュー。レイバーデイで、商店街は閉まっていて、肉は、大助かり。郊外のキャンプで宿泊。

第7日 10月3日 晴れ  Forbes(フォービス)からORENGE(オレンジ)まで105キロ  走りはじめは、フラットだったのでに、ルンルンだったが、途中から急坂、それも登りがきつい。距離も長い。転倒者も出たが、たいした傷にはならなかった。カーパーク泊まり。町で買ってきた食材で夕食を作った。といっても、ラーメンライスに野菜炒め、でも、これが最高においしかった。寝袋。

第8日 10月4日 晴れ 春雷  ORANGE(オレンジ) 本日は、休養日。チャリの手入れ、修理など。市内の公園でコアラ見物。にわか雨、雷だ。ここオーストラリアは、今が春、ということは、春雷。夜は、教会で夕食、宿泊も。カレーライス、スパゲッティ、口にあったメニューだった。

第9日 10月5日 晴れ ORANGE(オレンジ)からLITHGOW(リスゴウ)まで125キロ。今回のコースで、いちばん長い坂だった。登り4キロ、それほど急ではないけれど、とにかく長い。下りも長かったので、時間を稼げた。なぜか早めの到着。チャリ慣れしたのかも。本日は、教会で食事、宿泊は、ボランティアのご家庭に民宿。

第10日 10月6日  晴れ LITHGOW(リスゴウ)からKATOOMBAZ(カトムバ)までの45キロ。舗装がしっかりしていない悪路。なのに登り3キロもある。それでも、からだが慣れてきたのか、それほど苦にはならない。途中、ダチョウに会った。しばらく観察。ブルーマウンテン公園内に泊まる。日本人のツーリスト団体に会った。

第11日 10月7日  KATOOMBA(カトムバ)からSDNEY(シドニー)までの50キロ。最終日、パレード気分で走る。ゴールは、シドニーのスポーツセンター。まだまだいける、という気分で、ゴール。道中、ご一緒だったオーストラリア側の責任者エリックと、最後の夕食。おみやげに、コアラのぬぐるみをいただいた。宿泊は、YWCA。

第12日 10月8日  シドニーは、曇り空、東京は晴れ 朝6時45分宿泊地発。予定通りのフライトで離陸。9時間で、成田空港帰着。