2019年12月31日火曜日

テレビ漬けの年末

本日は、12月31日。明日は、1月1日、令和2年。
 という昨日、一昨日、なぜか終日テレビ漬けに。
 まず、12月29日
 終戦スペシャル・子どもたちの戦争 「東京大空襲」
      17:00~19:00 NHK
 12月30日
 がウデイの謎に挑む 「サグラダファミリア」
      08:00~09:30 NHK
 英雄たちの選択 令和で大注目 万葉集最古の歌集誕生の秘密
      09:30~11:30 NHK
 激動の日 2019 米・中・露
      11:00~17:30 TBS
 天安門事件から30年 なぜ起きた流血惨事、共産党元幹部の激白、
      銃口を向けた兵士の悔恨。
      17:00~19:00  NHK
 激動の世界をゆく  香港、台湾の選挙戦に密着、 中国の影響は?
      19:00~21:00  NHK

  こんなにテレビ漬けになったのは、生まれて初めてのこと。81年間、生きてきたが、これは、まさに新記録だった。疲れて、銭湯へも行かなかった。
  天安門事件の映像を見て、香港、台湾の現状を重ねると、中国共産党の実態が見えるような気がした。
  東京大空襲では、子どもたちを含む10万もの人たちが殺されたこと、戦争で孤児になった子どもたちが、全国で12万もいたこと、上野駅の地下街に子どもたちが暮らしていたことなど、「戦争は、だめ、絶対にだめ」と生き残りの元戦争孤児の方(83歳)が
叫んでいた。昭和史研究家の保坂正康だんは、「戦争という状況下では、人々は、自分のことだけで手いっぱい、子どもといっても、助けるどころじゃない」と云っていた。
  こうしている今、どれほどの子どもたちが、戦争の犠牲になっていることか。
  新しい年も、そんなことが続くのだろう。



2019年12月26日木曜日

クリスマスカード

クリスマスカードが、8通届いた。こちらから一通も出していないので、毎年、数が減っているが、それでも、律儀にくれる友人たちがいる。
 そのひとり、イスラエルのヌザット・カザッフだ。彼女との関係は、旧い。一番はじめに会ったのが、1961年だった。ノルウェーのベルゲン。アジア・アフリカの青年たち20名くらいだったか、ノルウェーの労働党の招待でよばれたチームで、ヌザっトはイスラエル代表だった。帰国後も、カード交換はしていたが、そのうち、不通に。ところが、1968年にはじめてのイスラエル、留学したわたしに、突然やってきた彼女、「イスラエルで会えるなんて」、と驚かした。
 ヌザットは、エチオピアからのユダヤ人で、顔かたちは、アラブ系で、旦那のルーベンも、髭のアラブ男性。彼女は、ヒストダルートと呼ばれた労働組合組織のアラブ女性局の局長、旦那は、新聞局の局長だった。その後、ヌザットは、クネセット(国会)の議員になり、イスラエル国会で、主に消費者問題で活躍した。
 留学後も、なぜか、公私にわたり、イスラエルをなんども訪問する機会があり、その都度、会いつづけた間柄。こちらが引退、隠居してからも、3、4年にいちどは、会ってきた。夫妻で、日本にきた時もあった。たしか、世界消費者大会が東京で開催された時、旦那同伴での来日で、浅草の寿司屋に招待したが、その時、旦那がナマのさかながダメなことをはじめて知った。かんぴょう巻きをもくもく食べながら、ヌザットと日本の友人が、
おしゃべりに熱中している様子を、楽しそうに、ニコニコ、聞いていた。
 その旦那、ルーベンが病気と聞いて、イスラエルへ。2001年1月。自宅療養中で、意識はしっかりしていたが、フィリピン人の介護師女性がきていた。ヌザットは、自宅の一部屋を事務所にして、アラブ人の女性たちの相談役をしていた。中東情勢が収まらず
アラブとの問題を抱え続けるイスラエル国内で、さまざまな困難を抱えるアラブ系の女性たちの相談相手をしている。
 楽隠居を決めて、日々を暮らしている自分、これでいいのか、ちょっとだけ考えた。

 

2019年12月22日日曜日

本日は、冬至

     あらいやだ 向うがまる見え 冬木立    読み人知らず
 朝の散歩コースの枯葉も、ほぼ落ちて、木々は裸(はだか)姿になり、ああ、冬到来か・・・
 本日は、冬至。ゆず湯の日。ゆずって漢字で書くと「柚子」。ご近所銭湯でも、ゆず湯
になり、しかも、風呂代が230円、いつもの半額になる。だから、混む。ゆずがプカプカ浮いている風呂に入ると、あったまる。ま、無病息災に効果あり。
 昼の時間が一年中で、いちばん短い日。日の入りが4時48分、日の出が6時28分。夏は、おてんとうさんが、まだ明るいうちに風呂に入っていたのが、今は、行きも帰りも真っ暗。そうそう、明日は、かぼちゃを食べなくちゃあ、など、風呂友たちが、昨日、話していた。
 あとは、クリスマス。でも、ほぼ関係ないな。そして、お正月。
 正月になっても、きょうびは、凧あげない、独楽まわさない、正月。あの「もういくつ寝ると、お正月」って唄は、滝廉太郎がつくったんだって。
 好きな歌に「冬の夜」ってのがある。
 燈火(ともしび)ちかく 衣(きぬ)縫う母は 春の遊びの楽しさ語る。居並ぶ子ども
 は指を折りつつ 日数(ひかず)かぞえて喜び勇む
 ほんものの俳句、一句。
     ともかくも あなたまかせの 年の暮    一茶

 

2019年12月21日土曜日

2019年、お見舞いの旅、ウイーンへ

もういくつ寝ると、の頃になりました。
 で、この一年、どうだったかな、と考えてみることに。
 4月、ウイーンへ行ってきました。友人のお見舞いです。彼女の名前、フリッツイ。同じ年ごろで、ウイーンの高齢患者施設に入院している。お互いに、先が短くなってきたので
会っときたい、とメールをしていたところ、スポンサーが現れ、旅費を出すとの申し出が。自身もフリッツイと知り合いだったシンガポールの友人から、東京~ウイーン間の航空券が贈られてきた。たまたま全日空が羽田~ウイーン間を就航したばかり。行ってきました。
 フリッツイとは、かれこれ50年以上になるが、旧い友人のひとり。最初にどこで会ったか、忘れたが、オーストリアのTV局の音楽担当のデイレクターで、あの有名なカラヤンの担当でもあった。カラヤンが、楽屋では、かなりワンマンだったという話を聞いたことがあった。彼女のアパートは、ウイーンの遊園地のそばで、ヨーロッパへ行った時、アフリカへ行った時など、ちょくちょく泊めてもらった。ニューイヤーコンサートも、チケットをとってもらい、二泊三日の旅
でいったことがあった。
 フリッツイも、10日間ほど東京のわが家に泊まって、日本の観光を楽しんだこともある。
 入院中といっても、鉢植えの木、花がいっぱいのかなり広い部屋で、鼻からのくだを除けば、元気な時とそうかわらない様子だった。5日間、ウイーン滞在期間中、毎日、会いにいった。日本でいちばん有名な歌、と教えた「娘さんよくきけよ、山オトコに、掘れるなよ」を、ふたりで合唱したり、施設のレストランに注文して、シュニッツエル料理を食べたり、共通の友人たちの噂話をしたりして、過ごした。
 最後の日、もう会えないかな、とちらっと思いつつ、でも
「じゃあ、また来るよ」、と言っていた。こういうシーンって、たまらない、ほんと。
 ウイーンでは、やはり旧友の、元国連の職員だったインドネシア人の奥さんと、ドイツ銀行のアジア担当をリタイアしたばかりのビルマ人の友人宅に泊めてもらった。
 隠居の海外旅行、カネを使わず、友人が頼りの旅だった。

2019年12月10日火曜日

j昔のこと、思い出した

あと20日、新しい年になる。新年5月になると82歳。
先日、緒方貞子さんが亡くなられてから、こんどは、中曽根康弘氏が亡くなった。そして、中村哲さんが亡くなられた。
中曽根さんは、102歳というから、大往生。今から何年前だったか、中曽根さんが、科学大臣だった頃、たまたま出席した会議で、スピーチをされた。それが、なんと英語でのスピーチで、びっくりした。その後、何年か経ち首相になった中曽根さんに会うという機会があった。場所は、モスクワ。
ソ連共産党の書記長だったアンドロポフの葬儀に出席していたのが中曽根さんだった。あまり印象はなかったが、翌年の6月に、モスクワで軍縮会議があり、その会議に、ゴルバチョフが出席していて、「ナカソネさんには、同志アンドロポフの葬儀に参列れ、よろしくお伝え下さい」、となぜか伝言があり、帰国して、秘書さんにお伝えしたことがあった。ブ
レジネフが亡くなり、ゴルバチョフが書記長になる前のことだった。
 中村哲さんとは、これまた、ずいぶん昔のことだが、バングラデッシュの北部の村(場所の名前は、忘れた)で、お会いしたことがある。20名くらいのアジアの青年代表が、中村先生に、これからの開発についての講義を受けていた時のこと、開発にとって、今、私たちは、なにをしたらいいのですか、と質問をしたら、「古着を出さない生活をして下さい」、だった。今でも、そのことは忘れない。その言葉が、その後の自分の仕事につながった。国際事業団へ、さらにニューヨークの国連開発機構へ、そして、アフリカのスーダンへ、という活動の場だった。
 73歳、まだまだ生きていて欲しかった。

2019年11月18日月曜日

秋がきた、あきがきた、どこにきた

今日も晴れ、昨日も晴れだった、明日もはれ、 そんな日が続いている。雲ひとつない晴れ、秋晴れです。
 朝の3PO道、埼玉県との県境垳川(がけがわ)の両岸の木々、ここ三日間で、めっきり紅葉。落ちた葉っぱが、まさに葉筏。遊歩道も落ち葉で歩くたびに、かさこそと音がする。農家のHさんちの柿は、もう終わり、残った3個、もう食べすぎなのか、鳥も寄らない。となりの柚子の実が、うっすらと黄色くなりつつある。
 半枯れ状態のなすの木に、のこりなすが3個。採っていっていいよ、といわれ、収穫。
 遊歩道の山茶花(さざんか)が、ふたつ咲いていた。尾羽をぴんとはった百舌鳥(もず)が、近づいても逃げずに枝にとまったまま、遠くをじっとみている。
 古今集とか万葉集には、「秋」があまり出てこないが、「源氏物語」には、よく出てくる。光源氏さんが、秋は「いとあはれなり」と詠っておられる。毎月3回、5年間かけて
源氏物語全巻を読む勉強会に参加したことがあり、ちょいと知識をひけらかし!です。ちなみに、イチョウは、源氏には出てこない。
 巷では、「○○と桜を見る会」が話題になっているが。さくらは、日本の古典には出てこない。さくらじゃなくて、梅が主流。うぐいすが梅の花で鳴くのは、春で、さくらの花ではない。梅の花は、長持ちするけれど、さくらは、あっという間に散ってしまう。
 というわけで、「桜を見る会」は、満開日を決めるのがたいへん。行ったことのある人に聞いた話だが、「花なんか、とっくに散っていたよ。まあ、有名人を見に行ったって感じ」。この御仁は、その会出席のために、夫婦揃って、洋服、着物を新調したとのこと。
 わが家は、野菜のほとんどを、農家のHさんちの畑から調達しているが、ときどきスーパーマーケットの売り場をのぞき、市場調査をしている。
 ねぎが高い。一本65円。きゅうり、季節はすぎているので、食べなければいいのだが、食べたければは、一本60円もする。ブロッコリーは、180円、大根は半分で150円、なんでも高い収穫の秋。
 ご近所の七五三お宮詣り、母子共貸衣装だったが、結構なモノ入りだったとのこと。
   母と子と 父も加わり 七五三

2019年11月11日月曜日

 あれから30年、ベルリンの壁崩壊

 11月9日で、「ベルリンの壁が崩壊」して30年という記事を見た。
 現役時代、ヨーロッパでいちばん足しげく訪問したのは、西ドイツだった。当時、仮首都だったボンのドイツ社会民主党の本部(バラックだった)の地下の資料室で、マルクス
エンゲルスの資本論の原本を見た時は、感動した。興奮したものだ。
 東西冷戦時代、その象徴だったのが西ベルリンだった。そのベルリンにも、何度か行ったことがあった。東ドイツ内に孤立するように存在していたベルリンへは、空路のみだったような気がする。当時は、西ベルリンの市民は、食料はじめ生活必需品を、西側からの空輸でしのいでいた。東ベルリンでは飲めないアメリカのコカ・コーラが貴重品だった。
東地区へ行くには、市電の停留所で、パスポートコントロールがあり、東地区内では、西側からきた人たちは、行動が制限されており、監視されているような気がした。
 そのベルリンが解放された。西、東間にあった「壁」が壊されたのだ。壊された翌日の朝(11月10日)、たまたま西ベルリンに滞在していたので、こわされた「壁」を見に行った。ブランデンブルグ門を通り、東ベルリンだった地区に行ってみた。多くの人たちが、写真を撮ったり、花束を道行く人たちにプレゼントしている人たちもいた。道端では、軍服姿の元兵士たちが、持ち物を並べて売っていた。その時に買った双眼鏡、今も持っている。そういえば、ゴルバチョフの顔絵のTシャツも買ったけれど、どうしたか。
 その2,3年前のこと。国際会議でモスクワへ行った。会議がおわり、昼すぎのフライトで、ウイーンへ行くことになっていた。と、ホテルにソ連(当時)側のスタッフがやってきた。この男性は、モスクワ滞在中、ずっとわたしに張り付いていた諜報部員だった。
「今日の午後、ウイーンへ行きますよね」、というので、そうだ、と答えると「たまたまウイーンへ行くフライトがあるので、乗りませんか」、という。ウィーン行きの切符は持っているので、と断ると、「まあそういわずに」、と熱心にすすめるので、乗ることにした。空港では、一般の乗客が手続きをするホールでない、別の場所へ案内された。男性の乗務員らしき人の案内で乗った飛行機は、ソ連製だということは、すぐにわかった。これ
本当にウイーンへ、と尋ねると、「ダー」(イエス)とのこと。周囲を見ると、他に乗客らしき人は皆無。ただ、前方の座席部分に、2~3人、人がいるらしい。乗務員は全て男性だった。じきにウイーンとのアナウンスでなく、乗務員が伝えにきた。
 ウイーン空港に到着。ここでも特別の通路を通り、空港内のロビーへ。二時間ほど早くに着いてしまったので、出迎えの友人を空港で待った。
 友人に、早くに着いてしまったいきさつを話したら、この日の午後、モスクワから空路
チャウセスクの息子がウイーンに着いたとの報道があった。乗せてもらったのは、彼と同じ飛行機、チャーター機だったのだ、と。ルーマニアの大統領チャウセスクの息子なら、ソ連はVIP待遇するはず。知らずにご一緒していたのだ。
 当時のルーマニアでは、チャウセスクの独裁政権全盛期で、ソ連共産党ともいい関係にあった。しかし、親分のソ連共産主義が崩壊しかかり、1989年の12月、チャウセスク夫妻は、処刑された。息子は、どうなったのだろうか。
 その後、民主化がすすむルーマニアの首都ブカレストを訪問した際、独裁者チャウセスクが作った宮殿を見学した。案内してくれた友人が、チャウセスクの奥さんエレナは、悪妻だったといっていたのを、思い出した。
 







































2019年11月7日木曜日

紅葉まだだったわたらせ渓谷鉄道

 去年の今頃行って、乗ったわたらせ渓谷鉄道、思い出して行ってみた。10月31日。
 いつものように、東武日光駅では、着いたばかりの電車から、人々が改札口めざして駆けだす。そこから、バス乗り場へ再びダッシュする。行列が長くなり、座席確保となると、30分、40分待たされる。「日光見ずして、日光語るなかれ」というわけで、最近は、外国人観光薬が増えている。
 乗らない人、並ばない人、ほとんどいない。が、たまーにいる。東照宮と反対方向に向けて歩く。下り坂、300mくらい先には、JR日光駅。駅側と反対側に、小さなバス停。こわれたベンチがあり、ここに座って待つ。9時35分発のコミュニテイバスが来る。
乗客ひとり乗せ、出発進行。
 東武日光駅前を通過、東照宮通過、旧古川電工の建物のある道を通過。バス停はあるものの、乗る人がいない。この道路122号線は、足尾を通り、榛名、沼田方面に行くことが出来る。長い、長いトンネル(日足トンネル)を越えると、春なら新緑、冬なら雪景色そして秋なら紅葉の景色が始まる。
 で、紅葉をアテにして行ったのだが、紅葉らしき景色がない。景色は、いつもの通りなのだが、木々は、夏のまんまだ。途中で、ひとり病院通いの女性乗車。「紅葉、まだですねえ」、と話かけると「今年は、遅いねえ、いつもの年なら、紅葉真っ盛りなんだけどねえ}、と。上の方(中禅寺湖方面)は、ようやく色がつきだした、とは、運転手さん。
 わたらせ渓谷鉄道の終点「間藤駅」で下車。ここでは、40分待ち。バスがやってきて
40人ほどの乗客が下車。駅にやってきた。「紅葉のわたらせ渓谷鉄道乗り」のJTBの団体さんたち。乗る前に、添乗員さんが「みなさん、実は、紅葉がいまひとつの状況で、本当にすみません。去年は、この時季最高の紅葉だったんですが。でも渓谷の流れは、きれいです」と説明。二両編成の列車が到着。沿線からの紅葉は、ほとんどな見かけられない。団体さんたちは、神戸(ごうど)駅で下車。駅前に、さっきのバスが待っていた。
 この団体さんたちもそうだが、足尾銅山観光はしないとのこと。そもそもあしお渓谷鉄道は、足尾銅山の鉱石を運搬するトロッコが走っていた路線。16世紀に始めた鉱山で、
明治になり古川電工が本格的に開発した鉱山で、当時の日本の近代産業化の担い手であったが、昭和63年に閉山。ここから出る鉱毒で、田中正造が天皇に直訴するということもあり、日本の公害運動の原点ともいわれていることは、知られている通りだ。
 実は、昨今、韓国の徴用工が問題になっているけれど、足尾銅山には、多くの中国人が徴用されていたことは、あまり語られていない。いまも、彼等、中国人たちが住んでいた
エリアが遺されているとのこと。
 足尾銅山が、田中正造のこと、中国人徴用工のことなど、を抜きに観光地化している、
わたらせ渓谷鉄道の沿線を楽しむためだけの観光列車乗り、なんだか、とても寂しい感じがした。もひとつ、渡良瀬川が、利根川になる途中で、渡瀬遊水地を形成し、首都圏の洪水防止に役立っていることも、もっと知ってほしい。




























 

2019年11月3日日曜日

悪夢続きだった10月が終わった

 台風、大雨災害で、千葉、宮城、長野などがひどい目に会った10月が、ようやく過ぎた。「秋」らしい秋がなかった。長野の千曲川近くで、りんご農園の経営をしている農家、阿武隈川が流れる福島伊達町の友人、千葉の長柄町の住人など、どうしているか、被害に会ったのでは、などなど、の心配を抱えたまま、10月が終わった。
 やれやれ、これでいい11月に、と思っていたら、11月1日の朝5時、「今、沖縄の首里城が燃えています」、とNHKのニュースが伝えた。えっ ほんとかい、と。沖縄へは、3回行ったことがある、最初の沖縄行きは、返還前で、たしかパスポートのようなものが必要だった。沖縄に電話をするのに、ハワイ経由でやったような気がする。いずれの際にも首里城へは行った。改築され、その都度立派になった。あの首里城が、焼失。
 1日、夕方のニュースを見ていたら、小池都知事が「オリンピックのマラソンと競歩競技の会場が、札幌になった。合意なき決定」、と話していた。なーんだ、東京でマラソンが見られないのか。これって、いいニュースか、悪いニュースか。
 まだある。日本航空の客室乗務員(スチュワーデス)のお姉さんが、「着きました、ボジョレーヌーボー」が、ただいま、日本に到着。いただきものだが、いちど、飲んだことがあった。特段、うまいもんじゃない、というのが感想です。騒ぎすぎ。
 で11月2日、本日は、午後1時半から、狛犬見物の日。10月12日が台風で延期になったもの。集合時間は、1時半。集合場所は、王子駅。時間を計算して出かけた。綾瀬駅から千代田線で町屋へ。地上に出てすぐの都電に乗り、王子とは反対方向の三ノ輪(終点)へ。始発を待って乗車。乗る場所は、運転手さんのすぐうしろ、2席あって、ここはシルバーシート。いちばん見晴らしがよろしい。再び町屋を経由して、王子駅へ。ここまでの沿線が、すばらしい。今、いろとりどりの薔薇が満開なのです。電車も薔薇で飾りたてている。薔薇、お目当てのカメラさんたちが乗車している。結構、毎員だったが、なにしろ、シルバーシート、ゆったり気分。最高、だった。
 王子駅に集結したのは12名。飛鳥山に登るモノレール、エスカルゴならぬ「アスカルゴ」に、並んで乗車。飛鳥商店街の会長さんのご挨拶とご案内が、マイクを通してありました。このアスカルゴ、開通したその日、何年くらい前だったか、乗りました。この日になんとしても、乗らねばとでかけ、結局、2時間待ちで乗った。車椅子やうば車が優先で
大人は、またされた、当たり前。その後、もう何回も乗っているモノレールだ。この日は
外人観光客もいた。なにしろ日本一短いモノレール、24メートルとか。
 下車したところで、M先生からこの辺りの地形、歴史などの説明があった。公園内を歩いて西ヶ原の一里塚へ。久しぶりだった。
 公園の反対側の石の橋ー音無橋をくだり、東屋で休憩。持ち寄りお菓子を頂きました。
王子神社の周辺には、七五三の旗がたっていた。そうか、11月は、七五三の月なんだ。
この先は、神社で狛犬の見学なので、本日の参加は、これまで。出口の店で、玉子焼きを
買った。つくりたてで、まだあたたかった。650円。
 この後、都電で町屋、千代田線で綾瀬、神明町に着いたら4時すぎだった。すぐに銭湯へ行き、約束の天ぷらを風呂友さんから、いただいた。今晩は、天丼と決めた。
 明日は、11月3日、文化の日。文化勲章の受章者たちのリストが、新聞に掲載される日だ。農家のHさんちへ、手伝いに行く日。
 



















2019年11月1日金曜日

大先輩ふたりとの思い出

八千草薫さん
 JICA(前国際事業団)に勤務していた頃。まだ南北問題への国民の理解度が低いということで、活動の内容啓発を目的とした映画を製作しようということになった。アフリカで活躍する日本の青年海外協力隊の話をもとに、映画がつくられた。その監督が、谷口千吉さん、八千草薫さんのご主人。仕事の打ち合わせで、谷口家を訪問。当時の谷口さんは、カバンの収集家で知られており、実は、わたしも収集とまではいかないけれど、カバン集め家だった。仕事の話は、そっちのけで、谷口監督のご自慢のカバンを、自慢話といっしょに見せてもらい、聞かせていただいた。途中で、外出中の八千草さんが帰宅。と、監督が、さっと立ち上がり(当時、かなり高齢になっていた)、「やあ、マリアさん、お帰り」、と玄関にお出迎え。監督が、八千草さんのことを、「マリアさん」、と呼んでいることを知った。
 その1~2年後、出張でネパールへ行った時のこと。直行便がなく、インドのニューデリー(旧名)で乗り換えることになっていた。ところが、いつものことだが、遅延で5時間くらい待たねばならないことに。日本人の乗客が大半だった。うす暗い待合室、ほぼ満席だった。と、すみっこに立っているふたり。谷口監督と八千草さん。で、「たぐちです、どうぞ、こちらに」、と席を譲った。「マリアさんが、座れてよかった」、と谷口監督はほっとされたようだった。おふたりは、ネパールへ山歩きに行くところだったとのこと。
緒方貞子さん
 まだ緒方さんが上智大学の教授だった頃の話。途上国問題をとりあげ、勉強会をしたり、国際会議を開催したりする南北問題日本委員会というのが設立され、その世話をするというか、事務局を担当したことがあった。4年間くらいだったろうか。委員会の長は、大来佐武郎さん、後に外務大臣にもなった学者。二か月毎に定期会議があり、だいたいは都内のホテルが会場だった。南北問題、開発問題、難民問題なとをテーマに、それぞれの委員が発表し、意見交換などを行い、時には、日本政府や国連なと国際機関への提言も行った。メンバーのひとりが緒方貞子さんだった。内容は、あまりよく覚えてはいないが、難民問題には、熱心だった。難民は、「食べ物が保証されるところ、医者のいるところ、電気のあるところ、そして、トイレのあるところ」をめざしてやってくる、難民キャンプ、というところの定義みたいなことをおしゃっていたのを思い出す。当時から、難民問題には、なみなみならない関心を持ってられた。UNHCR国連難民高等弁務官として、さまざまな功績を遺されたことが、報道されている。
 大来外務大臣の推薦を受け、緒方さんに励まされ、ニューヨークの国連本部へ行くことになったのは、その数年後のことだった。その後、アフリカのスーダンで、開発問題に関わったが、おふたりの影響、薫陶を受けてのことだった。

 八千草薫さん、88歳、緒方貞子さん、92歳。 そういう自分は、81歳。
































2019年10月27日日曜日

即位政令正殿の儀、出席元首らの国を見ながら 

 22日に挙行の即位政令の儀に来日した王族や政府代表の国名が、新聞に出ていたのでこれまでに、どれくらいの国に行ったか、数えてみた。なんと105か国、156か国中。すごいなあ、こんなにも行ったんだ、とわれながら、あらためてびっくり。
 経済・計画・協力大臣夫妻が参列したセネガル、国際会議出席のため、たしか3回行ったことがある。当時のセネガル首相(大統領だったかも)の奥さんが、植民地宗主国のフランス人だったのを思い出した。ヨーロッパからの参加者たちが、小さい声で教えてくれたそういえば、ミャンマー(ビルマ)のスーチー女史の旦那は、イギリス人。1987年と時だったが、ダカールでの会議場で会ったのが、南アフリカのマンデラさん。あの頃は、それほど有名ではなく、「これ、聞いてください」、とポケットからカセットテープをと
りだした。「なんですか」、と尋ねると、「国連総会でのスピーチ」、とのこと貰って帰ったが、いちど聞いたが、その後、どこへしまったかわからずまま。後に、ノーベル賞
(平和賞)をもらったりして有名人になった。
 この思い出も、セネガルでのこと。植民地時代、セネガルの港を経由して、アフリカの黒人たちを、アメリカに運んだ歴史、奴隷貿易に歴史が残る港を見学することになり、バスでダカールを出発した。ところどころにバオバブが生えている草原地帯をバスは走る。途中で、トイレ休憩があった。トイレに入って、出てみたら、バスが砂ぼこりをあげて、走っていく。手を振ってもだめ。と、もうひとり、取り残された女性が出てきた。ひとりじゃあなかったんだ、とひと安心。ふたりで、ま、しかたない、どうしよう、とそこにいた現地の人と話していたら、バスが戻ってきて、ほっとした次第。
 その時の、もうひとりの、取り残された女性、ノルウェーの首相ブルンとランド女史だった。首相を退任した後、国連の環境計画機構の授無局長就任。本人は労働党の党首だったが、ご主人は保守党員だったとのこと。
 



2019年10月25日金曜日

雨なのに、「秋」さがし

 今朝、5時すぎ、外は真っ暗。雨なんですよ。でも出かけた。
9月は、4時だったが、今は、5時、3PO(さんぽ)に出かける。日の出が6時近くになったので、それに合わせて遅くなった。
 傘をさしての3PO。いつも会う3POの常連さんたち、さすがに今朝は歩いていない。埼玉県との境界にある運河、「垳川」の東京側が遊歩道になっており、ここがコースになっている。木々が生い茂っており、濡れず歩ける。でも、敷き詰められたような枯葉を踏みながら歩く。枯葉って意外と滑り易いので、はしゃいではいけない。慎重に一歩一歩歩く。高齢者は転倒し易いので、要注意。
 まだ紅葉していない。去年よりも紅葉が遅い。先日行った日光でも、例年より10日ほど紅葉が遅れている、といっていた。対岸の埼玉県側に植えられた花みずき、こちらはやや紅葉が始まっており、しかし、今朝は、だれも歩いてはいない。
 前方の道が、なにやら白くなっていた。金木犀の白い花がだった。雨と風で、全部落ちてしまったのだ。落下した花は、まったく匂わなかった。じゃあ、あれ、見てみよう、と
黄色い金木犀のある農家へ。門の前に植えてある金木犀、こちらも盛大に落ちていた。黄色の敷物を敷いたように、見事な落下ぶりだった。
 しばらく眺めていたら、顔見知りのご主人が出てきた。
 「早いね、雨天決行だね」、と。
 昨日、こちらで柿をいただいたばかりだった。
 「昨日は、どうも」とお礼をいうと、よかったら、採っていっていいよ、といわれたが、さすがに、この雨では、と「晴れた日に、いただきます」。
 ここのうちでは、見事な菊が植えてあり、毎年、いただいている。紫色の「もってのほか」。食用菊だ。酢のものにして食べると絶品だ。今年も、そのうちに咲くだろう。
 そういえば、昨日、銭湯で子どもが、こんな質問をしていた。
 「かかしって、なんで足が一本なの?」
 いっしょに来ていたおばあちゃんが、「なんでかねえ」、と返答に困っている様子だったが、「チコちゃんに、きいてみようか]と即答。なるほど、やるねえ、と感動。
 それにしても、秋晴れがほとんどない「秋」だった。秋らしい秋日和のない秋。
 ハロウィーンがすぎると、もう11月なのだ。雨降り日の多い10月だった。
 
 


2019年10月14日月曜日

「さあ、地球温暖化について、話そう}

 台風19号、まる一昼夜、テレビの前で過ごした。見ながら、自分のこと、友達のこと、知り合いのことなど、大丈夫かな、と。自分は、足立区役所から、ほぼ一時間おきに電話があり、はじめは、「はい、、はい、たぐち、です」と応対したものの、相手は、テープで、「高齢者は、早めに避難所へ行きましょう、近くの避難所は、、、、」という具合で、それを繰り返していた。
 見ていて、気づいたことは、日本には、ずいぶん沢山の「ダム」があるということだった。あちらこちらのダムが、いっぱいになり、放水する、とのお知らせで、名前を知らないダムが、ずいぶんあるもんだ。こんなに沢山のダムがあるのに、なんで水力発電をしないのか、と思ったのだが。電力会社の陰謀かも。
 ブータンへ行った時、ヒマラヤの山々から落ちてくる谷川の水が、本当に小規模な川と
装置で、電力に変身していた。4~5mの川に、発電用の装置が仕組まれていて、そこを通過する際に電力になり、その同じ水が流れ落ち、次の発電所に、という具合に、次々に発電しながら下っていくという仕組み。国中、すべての家庭に電灯がついており、余った電気は、近隣のネパール、インドへ輸出しているとのことだ。
 日本のダムは、治水目的が多く、今回の台風時、ダムがいっぱいになったので、放水するというもの。この水を使って、発電すれば、と思うのだが。原発ゼロにするには、火力発電しかないのかと、思っていた。火力発電は、CO2を排出し、これまた地球環境にとってよろしくないことは、明白。
 既存のダムを、ただ水を溜めておく入れ物ではなく、発電目的にしたらいいんじゃないか。水力発電は、原発ほど、複雑な機能ではないはず。
 先日、国連総会で、スウエーデンの女子高校生が、地球温暖化を、私たちの世代に先送りしないで、と叫んでいたが、そのためのACTION 、どんなことがあるのか。
 久しぶりに会ったM先生、「地球温暖化なんて、できないよ。私たち人間が存在すること自体、温暖化に反している」、とおしゃる。でも、「温暖化を遅らせる、減らせることは出来る」とも。原発ゼロになっても、今のような便利さを希求しない、持続可能な生活スタイルを心掛ける、ひとりひとりの生き方が大切なんだ、とも。
 2019年のノーベル化学賞の吉野さんが開発したリチュウム、あれはまさに地球温高にストップをかける優れものなのだそうだ。よくわからないが、リチュウムを開発した吉野さん、偉い人なんだ、と思った。
 

2019年10月11日金曜日

10月10日は、セントウ(1010・銭湯)の日

10月10日、昨日は、「銭湯の日」だった。
 ご近所銭湯の「一の湯」へ、いつもの時間5時に行った。いつもの風呂友さんたちに会った。土曜日に東京へ来るかもしれない台風の話で盛り上がっていた。
 「水のビッグボトル、二本買ってきたよ、ほんとうは三本欲しかったんだけど、重くてね」、というと、「あたしゃ、まだ買ってない。帰りにコンビニへ寄るかな」。
 帰りに番台の女将さんから、組合からのご褒美、と手ぬぐいを貰った。本日は、銭湯の日(1010・10月10日)で、毎年、東京都の浴場組合から、記念のタオルがプレゼントされる。各風呂屋に30個(くらい)配布され、番台で、常連さんに先着順でくばられるらしい。いちげんさんは、貰えない。
 かつては、2000軒あったという都内の銭湯(1996年当時)、今は、560軒に激減。入浴料金も、2009年時は、400円だったのが、今は460円。ちなみに生き残っている銭湯数では、大田区が1位、江戸川区、葛飾区、板橋区と続いて、足立区は5位で、現役風呂屋は58軒。なお、入浴料金は、都道府県によって異なる。旅先でも、必ず現地の銭湯に入っている。
 客が減っているのは、みな自宅風呂(うち風呂)があるので、わざわざ風呂屋へ行く必要がなくなった、特に子ども、若者たちは、風呂屋へ行って裸になるのがイャ、恥ずかしいという傾向があり、銭湯を敬遠しているようだ。だって、修学旅行で風呂にみんなで入るのが恥ずかしい、と水着持参、なんてことを聞いたことがある。
 なお、10歳以上の男女の混浴禁止、という東京都の条例があり、10歳以上の男子は、お母さんといっしょに入浴出来ない。
 銭湯側も、客寄せのイベントを、いろいろやっている。5月の菖蒲湯、夏至のゆず湯
りんご湯、ラベンダー湯、今年、はじめてだったけれど、10月には、かぼす湯なんてのもあった。特段、感動はしなかったが。
 湯上りには、なんといっても、コーヒー牛乳。ご近所銭湯の常連のおじいさんは、「湯上りは、やっぱりこれよ」、と完ビールをたしなんでおられる。
 毎日、どこかの銭湯に入っているので、ま、銭湯の達人ってこと。隠居の楽しみは、銭湯です。どの銭湯でも、極上の幸せを楽しんでいます。
 

2019年10月10日木曜日

路線バスで、日光湯本へ

夕べの天気予報で、「明日は、晴れ」を見て、チャリ散(自転車での散歩)、3PO(足の散歩)を中止、朝いちばんのバスで北千住駅へ。東武線いちばんの特急列車に乗車。7時19分。途中、春日部駅しかとまらず、利根川を渡る頃、ちょうど、太陽が水面に反射して、まぶしかった。
次に停車するのが板倉東洋大前。ソーラーパネルがあちこちに設置されている。登校する子どもたちの姿、特急とはいえ、車窓からの景色は、ゆっくり楽しめる。新幹線よりいい。新鹿沼駅でも停車。いつだったか、鹿沼の彫刻の屋台が出揃うお祭りにきたことがあった。みやげに買ったこんにゃくを、駅のベンチに忘れたっけ。しばらく、白い花のそば畑が続く。
東武線は、今は「スカイツリーライン」なんて、長ったらしい名前でよばれているが、あのスカイツリー駅は、もともとは「業平橋駅」だった。歴史的な立派な駅名だった。なのに、なんで改名してしまったのか、とまだ思っている。
さて、東武日光駅で、乗り降り自由路線バス切符(3000円)を買って、湯元行きバス停にならんだ。ほとんどが、外国人旅行者。長蛇だった。で、中禅寺湖温泉行きの路線バスに乗った。まだすいているいろは坂を登り、華厳の滝前で下車。と、すぐに湯元行きの路線バスが到着。乗った。
戦場が原、光徳牧場を経由して、湯元温泉へ。いくらか紅葉が始まっていた。湯元の温度は、16度。風が冷たかった。降りたばかりなのに、あと10分で出ます、と。で、折り返しのバスに乗った。お気に入りのいちばん前の座席、運転手さんの隣りに座れた。10時20分発。
出発時は、6名だった乗客が、ひとつづつバス停に停まるたびに、乗ってくる。外国人8名のグループ。登山姿の山ジイさん、山バアさん、いちばん前の座席なので、よくみえる。ほぼ超満員でも、路線バスなので、停めては、乗せる。気がついたら、男体山や中禅寺湖をしっかりみるつもりで、最前席に座ったのに、乗り降りの乗客観察になってしまった。いろは坂を、立ったまま乗っていた人たちは、さぞ大変だったにちがいない。
満員の客を乗せたバスが、東武日光駅に到着、いちばんに下車。駅に行ったら、あと12分で浅草行きが出る、というので、そのままホームへ。
空席もあったが、ほぼいっぱい、ほとんどが外国人だった。珍しく車内販売があった。弁当はなく、しかたないので、クッキーとジュースを買った。近くの外国人たちは、なんと
駅弁を食べていた。
午後2時4分、北千住駅着。乗り換えるというオーストラリア人家族4名を日比谷線のホームまで案内して、千代田線で綾瀬着。
気がつけが、いい天気の一日だった。日光は、よく晴れていた。足立区も、まだ晴れていた。紅葉には、いまひとつ早かった日光だった。

2019年9月30日月曜日

読書の秋、食欲の秋

 昨日、久しぶりに堀切の古本屋へ行った。三か月ぶりだった。工事中で、聞くと「前の店はつぶれたよ」、とのこと。また、本屋が一軒、なくなった。たしか、脱サラの男性が、オーナだった。
 読書の秋、なのに、「本」を読んでいる人を、あまり目撃しない。電車の中、バスの中、ほとんどみんなが見ているのは、スマホ。スマホで、読んでいるのかもしれないけれど、とにかく、99パーセントがスマホを覗いている。それも、結構、真剣な顔つきで覗いている。ランドルセルの子どもだって、スマホだ。読書の秋、などは、もう死語になってしまったようだ。本を買いたければ、東京駅前の丸善へ、行くしかない。
 食欲の秋、やっぱり、秋は、秋刀魚です。
 「あはれ秋風よ、・・・・さんま さんま さんま苦いか、塩っぱいか」(佐藤春夫)
 たしか、新宮の速玉神社に、佐藤春夫の家、というのがあって、そこで、このさんまのうたがあった。
 その秋刀魚、ここ数年、不漁なんだそうだ。
 紀伊あたりでは、正月に秋刀魚の丸干しを食べるのが、習慣になっており、正月の熊野古道歩きでは、民家の軒に、秋刀魚が干してあるのを、よく見かける。熊野灘で捕れる秋刀魚が正月のご馳走なのだ。毎年のように、この秋刀魚の丸干しを、買っていた。新宮駅前の魚屋「辻本大二魚店」で。、一昨年だったか、新宮へ行った際に店に立ち寄った。と、秋刀魚が熊野灘に来なくなった、まったく捕れない。それで、九州から取り寄せている、とのことだった。秋、東北の松島あたりで、しっかり脂がのった秋刀魚、懸命に泳いで年末に、熊野灘に着くころには、しっかりシェイプアップした、身が引き締まった秋刀魚になっており、これを捕って。3日ほど海からの風にあて、正月に食べる、のだった。
 明日から、消費税が上がるとかで、どうなることやら。ひとり住まいなので、ま、なんとかなるさ、と。ところで、牛丼の吉野家、松屋、すき家は、値上がりするのだろうか。
                              

  

2019年9月27日金曜日

秋本番、神明町界隈

 朝のチャリ散(チャリに乗って、散歩、毎朝5時発、約一時間)で、中川土手を走ると草むらから秋の虫の音が聞こえてくる。松虫か、鈴虫か、ごちゃまぜになって聞こえてくる。まさに雑音。たしか万葉集には、こおろぎが出ていた。昔は、もっときれいに鳴いたのだろう。
 歩き3PO(散歩、毎朝約50分、神明遊歩道を歩く)で、数少ない、頑張っている農家の間を歩くと、曼珠沙華(彼岸花)の黄色、白、赤の花がいま満開だ。鶏頭、コスモスそれに、百日草も咲いている。あんなに、賑やかに鳴いていた蝉が、いつの間にかびたっと鳴きやんだ。ここにも、秋の虫の声。こちらは、ソロで、リーン、リーン、松虫か。
 早朝は、半袖では肌寒い。そういえば、北海道では、初冠雪とか。昔の人は、野分(台風)の季節が過ぎると、秋本番。季節の移ろいには、敏感だった。
 9月23日、秋分の日、お彼岸で、墓参りに行った。帰りに、おはぎを買ってきた。なんで、おはぎ、か、調べてみたら、はぎ(萩)の実を粉にして、あわと混ぜて餅にしたのが、おはぎの由来とか。桜は、南から、はぎは北から咲くということも知った。
 「暑さ、寒さも彼岸まで」、というが、本当に、その通り。毎日、毎日、暑くて、暑くての日々だった、だが、汗をかかなくなった。そろそろ衣替えをしなくては。
 巷では、10月から消費税が上がるというので、買いだめする人たちが。テッシペーパが入った袋を両手に、コミュニテイバス(ミニバス)に乗り込んでくるお年寄りも多い。
大荷物の乗客が多い。みんな買いだめしてるのかな。買いだめしたって、結局は、ほんの一時の気休め。いやいや庶民のせめてもの、防衛です。抵抗です。











2019年9月25日水曜日

路線バスと都電、乗り放題

 昨日は、浅草でご詠歌の練習日。月2~3回、午前10時から12時までで、もう10年間くらい参加している。参加者は、10名ほどで、半数が女性、受講料1000円。
 この日は、お彼岸にとなえるご詠歌、それに西国巡礼に行く人がいたことから、西国の寺のご詠歌をいくつか唱えた。先生は、銚子のお寺の住職さん、40歳代の、なかなかの美声の持ち主だ。この日のために、銚子から早起きして、車でやってくる。ところで、先日の、台風15号の影響、どうでしたか、と訊くと、銚子はほぼ無事でした、とのこと。
 終了後、都バスに乗った。池袋行きで、大関横丁で下車。明治通りを渡り、都電の停留所へ。始発で、ここからは、乗客10名ほどが乗る。と、乗ったことのない車輛の電車が入ってきた。
 都電の車体は、ここ2~3年、いろいろ工夫がみられ、車体の種類がいろいろだ。車体全体が、広告になっていて、私立高校や大学の学生募集、信用金庫の広告などなど。お花見時は、まさに「さくらトラム」号になる。
 内部は、ほとんどが横一列に両側に席があり、向き合っているもの。が、この日の電車は、ひとり座りの座席が、両側にそれぞれ一列に並んだタイプで、乗客は、前席の客の背中を見るというもの。以前から、あるのは知っていたが、乗り合わせるのは、はじめて。
「しめた」、さっそく乗った。いつもなら、町屋で下車して、千代田線に乗り換えて、綾瀬まで行くというルートだが、せっかく新タイプに乗ったのだから、と王子駅まで行くことにした。
 王子駅で下車。ちなみに都電がJR線の駅とつながっているのは、ここ王子駅と大塚駅だけ。駅前の肉屋で、しゅうまいを買った(340円)。ここの店の店番は、90歳のおばあさん。「まいど」と、大きな声で叫びながら、しゅうまいを袋に入れてくれる。月1~2回は、購入している。客から「お元気ね」と、声がかかると、息子らしい男性が「ありがとうございます」、と。名物おばあさんだ。
 道路を渡ったところに、路線バスの停留所がある。ここから西新井行きのバスに乗る。
池袋と西新井間を走る路線バスで、ここから西新井までは、約30分。以外と近い。昼間の時間でも、結構混んでいる。
 荒川を江北橋で渡り、狭い道ぎりぎりに走り、西新井大師前を通り、西新井駅に。ここからは、足立区のコミュニティバスがいくつも出ている。綾瀬駅行きに乗る。結構、混んでいる。ほぼ全員がシルバーバス。綾瀬駅に着いたのが、3時20分。いつもの東武バスで、神明町へ。浅草を出てから、約4時間で帰着。
 この日乗ったのは、浅草(都バス)~大関横丁・三ノ輪(都電)~王子駅(都バス)~
西新井駅(コミュニテイバス)~綾瀬駅(東武バス)~神明町。全線シルバーバス。

2019年9月23日月曜日

敬老の日に思う

敬老の日の新聞に、こんな数字が載っていた。
    高齢者70歳以上、2,715人
       75歳以上、1,848人(全人口比7人に1人)
今回の組閣で、経済財政大臣になった方が、経済財政諮問会議というのを立ち上げた。なにをする会議かというと、老後の蓄えが足りない高齢者は、もっと働け、というもの。
人生100歳時代、生きていくには2000万円が必要だ、なんてことが、選挙前にいわれ、話題になった。政府の年金が不足していて、支給が困難で、そのつけを高齢者自身に
もっと働いてもらおう、という魂胆なのだ。
ないものは出せない、というわけで、この10月から消費税があげられる。といっても、そう簡単に需要が伸びて、税収がアップするとは、おもえない。
カード決済とか、ペイペイとか、買物を沢山したり、外食をすると「得をする」らしいが、政府が期待しているほど、国民はゼニを使うかな。
今日び、人々は、要るモノは、ほぼ持っており、買いたいもの、欲しいもの、あまりないんじゃないか。外食といっても、立ぞば、ラーメンなど、「ちょい喰い」ですましている
隠居にとっては、あまり関係ない仕組みだ。ましてや、メニューをを見ながら、注文するような高級レストランなど、めったに行ったことがない。
だからカード決済なんか、したことがない。カードは、東日本鉄道のスイカ、東京都発行のシルバーバスだけ。これで日々の行動には、充分。
勤めているわけではないので、外出となると、電車もバスも空いている時間帯だ。若者や子どもたちの姿はない。ほぼ全員が、高齢者。そういう自分も後期高齢者。
女性は、お友だちといっしょが多いが、男性の高齢者のほとんどが、単独、ひとり歩きが
多い。奥さんと一緒もいるにはいるが、この場合、ほぼ奥さんの方が元気で、旦那は「老いて奥さんに従え」ってパターン。
トシとってまで、働きたくない、か。でも区役所やスーパーなどの自転車整理の係りは、ほぼ100パーセント高齢者だ。うちの前のマンション、掃除係りのおじさまは、一時間もかけて通ってくるとのこと。元どこそこの会社役員だったとのこと、訊かないのに、教えてくれた。

2019年9月21日土曜日

豊かな国の大災害ー停電、断水の千葉県

台風が直撃してから10日間が経った。なのに状況があまり進展せず、毎日、毎日、テレビで現地の様子が放映されている。
公民館で10時から飲料水を配っている、入れ物を持って受け取りに来て下さい、市役所で非常食を配っている、自衛隊が風呂を沸かしてくれており、石鹸、手ぬぐい持参で、3時から9時まで、などなど。房総半島の南の地域、君津、館山あたりで、人々はいまだ、電気なし、水なしの状態で日々を送っている。いまどき、電気なし、水なしでの生活は、ほぼ考えられないのだろう。それに、台風で屋根の瓦が吹き飛んだ家も多い。
その後の雨で、家の中が水浸しになっており、その様子も、毎日のようにテレビで写し出されている。当面しのぎとはいえ、ブルーシートは必需品だ。これも配布の対象になっており、市役所などで配布されている。が、屋根の上にあがって、ブルーシートをかけるには、業者、専門家でないと、できない。素人が屋根にあがって、落下して亡くなった人もいる。ブルーシートがあるのに、人出がなくて、屋根にかぶせることが出来ない、と嘆く人、と現地からの報道。
千葉県なんて、東京からほんの鼻の先、房総半島一周なんて、なんともやったことがある馴染みの地だ。そんなところで、多くの人たちが難儀しているなんて、と考えてしまう。
ずっと昔のことだが・・・・ アフリカで生活をしていた時期があった。そこでは「水」は、まさに貴重品。おんな、子どもたちが、1時間、2時間かけて、毎日、水はこびをしていた。町に住んでいたが、蛇口をひねっても、水が出てこない、当たり前のことだった。そんな習慣が身についていたから、帰国して、いちばんのの感動は、日本では水道の蛇口をひねると、「水」が出てくることだった。日本は、超便利な国なのだ。
しかし、その時の体験が忘れられず、今でも、わが家は、夜、寝る前に、台所の金盥(かなだらい)には、水をはっておくクセがついている。
ところで、今回びっくりしたことがある。スマホが使えなくなった、充電が出来ない、ということで、かなりの多くの人たちが途方にくれていた。こんなにも多くの人たちが、スマホ頼りの生活をしていたということ。スマホが使えなくなることが、こんなにもおおごとだとは、ついぞ気づかなかった。充電設備のあるところでは、行列ができていた。
そして、人々は、東電はけしからん、行政は、県は、国は、どうしてくれるんだ、と、災害のせいにしていた。なんと、あの県知事も、政府に支援をお願いした、と。
「くれない」が、流行っているようです。

2019年6月9日日曜日

ニューヨーク公共図書館―映画

6月2日、岩波ホール。地下鉄から地上に出た瞬間、そっか、今日は日曜日だったと気いづいた。毎日が日曜日なので、つい忘れていた。10時10分に開演、9時20分に着いたが、なんと50人ほどの列。月1回くらいはきているけれど、この行列には驚いた。
 満席状態で開演。ニューヨークの公共図書館と、その支店というか、分室が舞台。特定の俳優はいない。人口6000マンのニューヨーク、この図書館の活動がはんぱじゃない。
88あるという分室では、図書館としては考えられない活動が展開されている。就職説明会、消防士、警官が自分たちの仕事の説明をする。曰く「この仕事は、父の代からで、ニューヨーク市民のために働けることは、誇りであり、幸せ」なんて説明する。医療センターで働く女性も登場。命にかかわれる仕事、大切な仕事なんです、と真面目な顔で話す。子どもたちの課外活動のヘルパーをしているという高齢女性は、子どもたちといるのがたのしい、可愛い子ぱっかりよ、と。移民したばかりの中国人たちに、パソコンを指導する
学生ボランティア、高齢者たちのレクリエーション活動でダンスを教えている女性など、それぞれの活動をどう運営するかのコミュニテイ会議もそのまま出てくる。
 図書館の本来の活動、書籍の貸し出し、問い合わせなどに応える司書たち、図書館がいかに膨大な資料を備えているかもわかる。流行作家の流行り本が、2週間、3週間待ちと
のクレームには、「図書館は、今、流行っている本ではなく、10年、50年、100年後、その価値が出てくる本を所有するところ」、とおしゃる。頻繁に行われている講演活動では、黒人問題、公民権、アメリカのいう民主主義とは、ベトナム戦争とは、中東でのアメリカのパーフォーマンス、正しかったか、などなど、ワシントン(アメリカ議会)では、話題にもならないテーマばかりだ。
 こうした活動を支える資金は、ニューヨーク市から50%、のこりは、市民の寄付で賄われており、資金集めの活動も重要。裏方の会議の様子も出てくる。
 3時間、長時間の映画だったが、見応えのある内容だった。図書館って、本を出し入れしていればいい、という日本の図書館事情を考え直すきっかけとなった。見応えある映画だった。シルバー割引で1500円。

2019年6月1日土曜日

5月31日、なんとドライヴしてしまった!

日帰り、ドライヴ、静岡の西のはずれに住んでいる知り合いのお見舞いツアー。
朝9時、京王線の高幡不動で待ち合わせ。横浜の住人Tさん運転の車で、中央高速道路を往く。東京は曇っていたが、大月を過ぎた頃から富士山が見えた。都留あたりで、リニア実験所。リニアはここを通るのか。そんなに急いでどうするの?高速道路は、本当に高速で始終で、それに平日のせいか、渋滞なし。富士急ハイランドを通過、パノラマラインとかに入ると、めったに車に会わない。鳴沢から青木ヶ原、周辺に民家なしの一軒家が目的地で、でかい富士山が真ん前に見え場所。圧巻。
巡礼でご一緒してきた900歳の男性で、肺の手術をしたごかで、鼻から管をつけていたが、顔色はよく、ひと安心。2時間ばかりおしゃべりをして、再びドライブで帰京。帰りはもっと空いていて、あっという間に西国分寺駅に。たったそれだけの旅だったが、いつも路線バスや列車の旅をしているせいか、なんだかものたりない感じのする旅だった。

2019年5月12日日曜日

連休すんで、ちょい旅再会

5月11日、行ってきました、上信電鉄で、下仁田往復。
大型連休、どこえも行けず、足立区内をただ、ただあっちこっちへ、で過ごした。空いた時間、どうやってすごすか、結構たいへんだった。
土曜日でも、働いている人は多い。上野往きの電車、まだ7時なのに。混んでいる。この時間帯、携帯している人は少なく、座っている人は、ほぼ全員眠っています。連休で、疲れてるんでしょうか。
上野駅から高崎行きに乗る。こちらも混んでいた。本日は晴れ。
高崎駅に着く。なぜか山の格好をした中高年団体がいくつも目につく。昔は、あんな感じだったのだ、と思い出した。構内のうどん屋でかけを食べる(300円)。うどん県だけあって、さすがうどんはうまい。
しばらく待って、富岡行きに乗車。9時15分発。切符切りのお姉さんがいて、懐かしい、はさみで切ってくれる。切符にはさみを入れるなんて、久しぶり。2両編成で、ボックスシート、まだ新しい。乗客は、11人。途中、乗り降りなし。富岡製糸工場、世界遺産、見学者、いないのかな。ゆっくり走る。田植え前の田んぼを見たかったのに、準備中もなかった。よく見ると、麦畑が多い、だからうどんがうまい。穂が大きくなっている。桑の木も多い。かいご、飼っているのか。柿の葉が太陽に輝いている。すれ違った対面列車に、「こんにゃく畑」の広告。今は、世界遺産富岡工場だが、この路線は、下仁田ネギとこんにゃく、で知られていた。
登山に熱中していた頃、西上州の山、ぜーんぶ登ったことがあった。毎週、週末に高崎から上信線にのって、終点の下仁田へ。5か月くらいかかった。20か25くらいの低い山の頂上を、ハントした。水戸天狗党の歩いた道も高崎から下仁田経由だったので、南牧村から八ヶ岳方面へ辿ったことがあった。
富岡行きなので、電車はここで終点。40分ほど待ち時間で下仁田行きに。さすがは世界遺産富岡、駅舎は、立派。トイレもきれい。タクシーもならんでおり、でも、乗り手
なし。さすが風が心地よい。
高崎駅からの直通電車が到着。でわかったこと、先に乗ってきた電車は、特別列車で、富岡に客を運ぶための新車たったのだ。その電車以外は、旧体の列車で、ぼろっちい。2両編成、こちらには、20名くらいが乗っていた。車窓には、西上州の山々が見えてきた。
車窓から見える山、全部登った、よくやったもんだ。そういえば、神津牧場は、下仁田か
ら近い。終点の下仁田駅着。高崎に戻る電車まで20分、で、駅周辺を歩いてみた。昔あった店、あるかな、あった。雑貨店で、缶ビールをなんか買ったことがある。と、その店で、おんな6人グループ、なんと台湾人だった。携帯電話で日本語と出しながら、こんにゃくを買っていた。店の奥さんもなれたもんで、イェス、イエス、なんて話している。昼にかつ丼を食べたいが、とレストランの場所を訊いていた。あとでわかったが、下仁田で、かつ丼フェア開催中だった。
帰りは、最初3人だったが、高崎に近い駅で、学生がどーと乗ってきた。高崎商科大の学生さん。上信線にあわせて大学をつくったようだ。みな定期乗車だった。
上野~高崎間往復2800円、高崎~下仁田間往復2240円だった。安いか、高いか。

2019年4月24日水曜日

10連休直前ちょい旅  関東鉄道常総線と真岡鐡道

4月23日、平成最後(?)のちょい旅は、関東鉄道常総線と真岡鐡道。どちらも初乗りではないが、行ってみよう、となったわけ。
北千住駅から常磐線に乗った。都心と反対方向なので、がら空き。取手で下車。関東鉄道常総線に。常総線は、取手駅から下館駅まで51.1キロ、1510円。乗りました。つくばエクスプレス線の守谷駅を通る。途中、新興住宅地、マンション群が続く。客はほとんどがここ守谷で下車。6人残った。そうそう、1輌編成です。この日乗ったのは、全部
1輌。守谷を出ると、家が少なくなり、畑、田んぼが広がる。つくば山が春霞にうっすらと見える。と、こんな所に車輛基地。関東鉄道の車両が結構停まっていた。水海道駅着。
と、電車はここ停まり。下館行きと思っていたのに。有人駅で、駅員につぎは何分待ちか
と聞くと「50分後」との返事。駅周辺、大きなホテルが1軒。ルートインホテル、駐車場がやたら広い。こんな所に泊まる人、いるのか。同じ電車でおりて、待っていた人、もう一人いた。周辺に店なし。自販機は冷たいのみモノだけ。
 電車がきた。乗ってきた乗客8人。車窓の景色は、たんぼ。水がはってある。田植えの準備が始まっていた。のんびり走る電車。音が心地よい。下妻駅、ああ来たことがある。
郷土資料館へいったことがあった。たしか下妻街道の調査だった。次の駅大宝へも来たことがある。ここの神社、名前、忘れたけれど、たしかに来た。田んぼ、水だけでなく、田植えを済ませたところもあった。
 乗り降りする客もなく、10名のまんま下館駅着。ここへは、水戸からのJRが入っている。2年前、笠間稲荷神社にきた時、この路線を乗っている。真岡鐡道は、SLで知られて
いる。13時、乗った真岡線茂木行き、12名乗客。終点まで41.9キロ、1030円で、安くはない。ここからは、ほとんど田舎道(路線)で、有人駅は、真岡駅のみ。駅舎がなんとSLになっている。SL グッズも売っている。「SL乗車90万達成」と、大きなたれ幕がかかっていた。これから達成するのか、達成したのか。この季節、春の「のり鉄」
は最高だ。緑がうっすらと出はじめ、さくら、八重桜、桃、菜の花などが、あっちのもこっちにも。ほとんど人の乗り降りのない無人駅。それでもひとつづつきっかり停まる。のんびり電車旅。終点も茂木駅まで乗っていた人、3人。
 折り返しの同じ電車に乗った。14:06分着、14:11発。
 帰りは、益子駅で3人乗車。陶器の益子。たしか、一度きたことがある。下館駅で乗り換え、再び関東鉄道常総線に。ここで通学の高校生たちがどっと乗ってきた。1輌なので
結構混んだ感じだったが、途中の無人駅で降りたので、守谷駅に着いた時は、がら空きだった。水海道で列車点検とかで20分停車。守谷駅ですでに4時半だったので、つくばエクスプレスで帰ることにした。八潮駅に5時頃着。神明町6時帰着。いい天気だった。

















2019年4月17日水曜日

大糸線は雪景色

4月16日   快晴 大糸線に乗ってきた。
7時半、新宿発あずさ、信濃南小谷行きに乗った。3月16日から、全座席指定。ほとんどの乗客は、大月駅で下車。そう、インバウンドのみなさん。途中からも見えたけれでど
富士山見物、本日は最高です。南アルプスも、八ヶ岳も、そして北アルプスも絶景。
松本から南小谷まで、車窓に釘づけ。雪が遅くなって降ったせいか、雪山景色、最高だった。11時45分に南小谷駅着。すぐに乗り換え、糸魚川へ、1輌編成。ここにもいました、タイ人女性2名、香港男性2名、日本人6名が乗客、終点までダレも降りなかった。
ここら辺は、歩いたことがあった。といっても街道筋は、もっと山側だ。線路のそばには道はなく、姫川のこっち側を走る。ゆっくりなので、ふきのとうの群生も見える。大糸線は、初めてだった。約1時間で終点の糸魚川。里山は、桜満開の季節だった。糸魚川はたしか大火事だったが、今はかなり復興していた。。
13時30分の金沢からの新幹線に乗り、持参のサンドイッチを食べながら帰京。15時40分上野駅帰着。暑くて、上着をかかえたままで神明町着。

2019年4月12日金曜日

阿武隈急行鉄道

4月9日  本日も天気よし。7時14分発のやまびこに乗った。8時55分発、福島から仙台行きに。桑折駅通過。桑折には、なつかしい思い出がある。芭蕉の奥の細道を歩いた時のこと。たしか夏の季節だった。福島を出て、南下。猛烈な暑さだった。畑の中の道を歩いていたら、目の前をなにかが通過。うさぎ、いや、いたち、だった。彼(たぶんオス)と目が会った。ちょっとの瞬間だったが、目が会った。そのあと、くるっと廻って逃げた。そのことを思い出した。
往きは東北本線に乗り、槻木駅まで行き、帰りに阿武隈急行鉄道で福島に戻ってくるという計画だった。途中の藤田駅で電車が停まった。30分ほどたって「仙台駅でのポイント故障のため、途中駅で電車が停まっています」とのアナウンス。「見通しはたっていません」、「どれくらいかかるのか、わかりません」。で、地元の乗客は、降りてゆき、残ったのは、途中駅下車して、お花見に行く客だった。12時頃、ようやく動いたけれど、白石駅で全員下車。しばらく待って、駅前にやってきた観光バスに乗せられた。各駅にとまり、ほぼ全員が降りたのは、大河原という駅で、「1000本さくらまつり」会場だった。槻木駅に着いたのは、午後2時10分。JRと阿武隈急行鉄道が同じ駅にある。
2時30分発、福島行きの阿武隈急行鉄道に乗車。二両編成でワンマン。福島まで900円
で、乗客はちらほら。急行鉄道なのに、急行ではなく、それでも、出発進行は、結構な音をたてて走り始めた。トンネルが多く、工事はさぞたいへんであったろう。でも、速度は遅く、線路のつなぎ目を走る音がよろしい。電車に乗っている気分。途中、阿武隈川を右、左に見ながら、景色もなかなか。客も少なく、それでも律儀に、ひと駅、ひと駅、しっかり停車。伊達町に入ると、真っ白に雪を付けた蔵王が迫ってくる。なかなかの景色。
というわけで、阿武隈急行鉄道、初乗りは、大満足だった。沿線は、奥の細道歩きの際に
自分のこの足で、歩いたはずなのに、桑折のいたちしか思い出せなかった。
帰り、福島からの新幹線に飛び乗り、車内販売で弁当でも買って、と思っていたのが、おお外れ。車内販売は、なくなっていたのだ。朝7時半、おにぎりを一個食べただけで、上野駅につくまで、4時30分まで、まるでなんにも食べていなかったのだ。上野駅のたちそば屋で、290円のかけそばをいただきました。うまかった。

2019年3月26日火曜日

ちょい旅  富士山を眺めに

3月24日   本日も晴天に恵まれ、こんな日に家にいるなんて、もったいなーい、というわけで出かけた。 富士山を観よう, 東京駅から電車に乗った。横浜をすぎたあたりから右手に大きな富士。いつみても立派、日本一のお山です。よくわからないけれど、平塚で停車時間がやたら長く、で下車。駅前に停まっていたバスに乗った。伊勢原ゆき。ほとんどカラ状態。いい席に座れた。40分か50分ほど乗った。途中、左手に大きな富士山。あたり一面田んぼ。ここら辺に住んでいる人たちは、毎日(天気のいい日)のように富士山を観ながら暮らしているのだ。足立区でも、たまに見えるが、富士山はこんなに大きくはない。ほとんど貸し切り状態で伊勢崎駅着。
 反対側のバス停へ。ここには長い行列。日曜日なので、丹沢大山へ行く人たちだ。時計をみたらまだ11時。で大山行きのバスに乗る。30程でケーブル駅に着く。ここから露店
の並ぶ坂道を上る。ケーブルカー駅。でも乗らず、戻る。さっき乗ってきたバスが待っていた。今度は、乗客ひとり。いい気分だった。
 帰りは、小田急線、千代田線、あわせて2時間の旅だった。

2019年3月21日木曜日

ちょい旅  武蔵野線  都電

3月18日  武蔵野線
武蔵野線、千葉県、埼玉県、東京都、を走る路線。途中、途中では、なんども乗っている路線だが、通して乗ったことがない。西船橋駅から府中本町まで70キロ、76分。はじめから最後まで、という乗客は少ない。途中の新松戸とか南浦和とかJRと連絡している駅での乗降は多い。武蔵野線を利用して、JR に乗り換えて東京に通う、という構図だ。だから
沿線の風景は、戸建て、マンション群で、電車がなかったら、こんなに人が住まないにちがいない、という辺鄙な場所だ。浦和がすごい。東浦和、南浦和、西浦和と3つの駅が次々西浦和にでてくる。県庁がないのに、浦和はかなり広いにちがいない。
途中、トンネルがあった。南浦和と西浦和駅の間、秋津と新小平間、西国分寺駅間はまるで外にでない。トンネルの中、地下鉄状態。府中本町での乗降は、少なかった。
西国分寺へ戻り、中央線で戻り、御茶ノ水駅で総武線に乗り換え、両国駅で下車、180円
だった。武蔵野線、中央線、総武線、しめて180円の旅でした。

3月19日、都電三ノ輪~早稲田
浅草へご詠歌のレッスンに行った帰り、たまたま乗ったバスが池袋行き。三ノ輪で下車。
都電が走っていた。乗った。終点なので空いていた。いちばん前の運転手さんのすぐ後ろ。ここ、最高の指定席。めったに空いていない。天気良し、座席よし、時間もある、で、終点の早稲田まで行く気になった。。乗ると、約60分。JRと連絡している王子、大塚では、乗り降り多いけれど、昼間は、比較的空いている。水曜日は、巣鴨地蔵の縁日なの
で、お年寄りで混む。王子公園では、まだ桜は咲いていないのに、提灯がぶら下がっていた。池袋をすぎ雑司ヶ谷、学習院前あたりで、急坂をくだり、上る。ここら辺に鬼子母神
があるはず。左折すると面影橋を通り、終点の早稲田。ここで行く所がある。老舗そば屋。2時近くだったので、客は少ない。ざるを一枚食べ、再び指定席に乗り、王子駅で下車。ここから都バスで西新井駅経由で、神明町へ。交通費なしの都電、都バス旅。

2019年3月14日木曜日

ちょい旅\\  秩父鉄道

西武秩父線に新型列車登場、という新聞記事。それじゃあ乗らねばと思っていた。今日は晴れ、行くか、と出かけた。神明町から西新井駅に一日5本バスが出ている。9時14分に乗った。西新井駅は、東武線、今風にいえば、スカイツリーライン。東武動物公園で久喜行きに乗り換え、さらに羽生駅へ。ここから秩父鉄道。スイカだめ。熊谷駅経由で秩父三峯口行に乗車。熊谷駅から44キロなのに、とろとろ走りで、1時間10分。それでも、途中の景色が最高。桃の花、遅い梅の花。菜の花が、枯れた木々の中に咲いていた。到着した秩父駅から歩いて西武秩父駅へ。途中の秩父神社、なんと外国人観光客がいた。ひとりやふたりではない、20人くらいはいた。街中でも、あっちこっちに見られた。
西武秩父駅、立派な建物になっていた。改札口で確かめると、なんと3月16日から新型列車は走り始めるとのこと。本日は3月12日。ああ、残念。新しい食堂で、うどんを食べて、池袋駅に到着したのが、15時44分。

2019年3月9日土曜日

冬のウイーン5日間

ウイーンへ一行ってきました。2月17日から運行始めたANA。羽田を真夜中2時発のはずが、2時間遅れで4時出発の便です。なんとこの時間帯、多くの飛行機が飛び立っている。3月1日の早朝4時に出て、同じ日の8時頃に、ウイーンに到着する。ツアー客が多く、満席だった。
友人宅にとまり、朝起きてシェーンブルグ城の中をぐるぐる散歩、朝食後、市電に乗って
友人のいる施設へ。友人のはいっている施設は、高齢病人の入る施設で、呼吸器障害の友人は、入院したり、小康様態時は、ここにいる。幸いウイーン滞在中は、体調も安定していて、施設で会い、昼食をいっしょにするなど、共に時間を過ごすことができた。
1日10ユーロ(1300円)の通し券を買って、リンク(市電)、バス、地下鉄が乗り放題で、犬も有料で乗せてくれる。日本ならさしずめ銀座通りにあたるステファンストラーセへ行ってみた。ここには、なんと日本人、中国人の観光客が、いっぱい。冬でも今年は、雪が少ないというウイーン、17,18℃だった。
「ラマンチャの男」を観て、ヴイアナシュ二ツエルをたべ、赤ワインを飲む、これの繰り返しの毎日だった。

2019年2月21日木曜日

寒いけど、神明町でも梅の花

二月、寒いけれど、春近し
恵方巻、チョコレートが済み、三月になれば雛祭り。湯島、水戸では梅が満開とのニュース。2月11日、祝日だったけれど、なんで? と銭湯で風呂友たちに訊いてみたけれど
5人中ひとりのみ「建国記念日」と答えた人。そういう自分も知らなかった。昔は、紀元節。春といえば、フキノトウ、今季もしっかり芽を出してくれた。酢味噌で2回食べた。

気になったお話
➀アメリカ一般教書  大統領が年頭、国民に対して国の政策を説明するもので、なぜかNHKがスピーチの全てを実況中継した。自分があれも、これも、実行した、トランプ大統領のほら吹き演説。この一年も、あれも、これも、必ずやるぞ、偉大なアメリカの為に。
会場には、上下議会議員たちがいて、民主党の議席には、おそろいの白いジャケットの女性議員たち。スピーチの内容への反応が、なかなか面白かった。日本の国会もテレビでの実況があるが、ちっとも面白くない。与党も野党も、緊張感が感じられないのは、なぜだろう。
②路線バスの車窓から  遠出せず、近場(ちかば)を乗り鉄、乗りバスをしている。
「犯人の電話に出ないで、被害ゼローこちらは葛飾警察」(京成バスのアナウンス)。
「葛飾北斎は、93回引っ越した」(引っ越し業務トラックに書いてあった。なぜか葛飾 
                区内を走っていただいた)。
「自衛官募集」(足立区内のコミュニテイバス内の吊るし)。
「竹島の歴史、知っていますか。日本人が開墾した尖閣諸島」(都電内吊るし)。
「スリーブショップ」(蒲団屋の看板)。
「チャイナストア」(らーめん店の看板)。
  ちなみに、京成バスでは、下車する乗客が押しボタンを押すと、女性の声で、
  「はーい、わかりました!」、と返事してくれる。おもわず、「お願いします」
  と言ってしまった。

二月末、ウイーンへ。2月17日に開通したばかりのANAの直行便、羽田空港からです。


2019年2月6日水曜日

春の節分、鎌倉鶴岡八幡宮へ

年四回の節分「春」の部
月2回のご詠歌レッスンで貰ってきた節分豆の袋に、「節分は、春夏秋冬、それぞれの季節の節目毎にあり、2月節分は、そのひとつ」、との説明が記してあった。豆まきといえば成田山。地元足立区内の西新井大師だって、有名だ。何が有名かといえば、有名人がやってきて、裃姿で、一升片手に「鬼は外、福は内」を叫びながら豆をまくのだ。そんなことを思いながら、出かけた。往く先は、丸の内の丸善ブックセンター、のつもりだった。
東京駅で行く先変更
駅構内、これから鎌倉へ行くという中国人3人に会った。荷物はトランク一個。鎌倉で一泊するという。鎌倉方面行きホームを教え、ついでに、鎌倉へ行くのなら「江ノ電に乗らなくちゃあ」、というと、それにしよう、それがいい、というので、ご一緒するハメになった次第。本屋は、帰りでもいいや、と。
藤沢駅で江ノ電に乗り換え、終点の鎌倉へ。日曜だったせいか、4輌なのに(いつもは2輌編成)超満員状態、日本人、外国人、半々くらい。江の島も見え、海は静か、冬の海景色だった。各駅で、下車する、乗ってくる客が多く、終点鎌倉まで満員状態だった。
鎌倉駅も混んでいた。荷物を預けて、鶴岡さんまでご一緒することに。
北京からきたというこの人たち、日本は、空気がきれい、道路がきれい、食べ物、おいしい、との賛辞。ご夫婦と親類の女性、30歳前後。奥さんが英語可。
路線バス、鎌倉~金沢八景
鶴岡さんの大鳥居。長ーい、長ーい行列。なんと、境内に入るための整理券を配っていた。豆まき行事は2時すぎだというのに、2時間前からの行列。日本人、外国人、真面目に並んでいる。駅方面からの渋滞車道、路線バスがのろのろやってきた。「ごめん、あのバスに乗るので」、と列を離れてバス停へ。『金沢八景』行き。乗客は3名。山側の道路を往く路線バスの反対側は、びっしりの車、大渋滞だった。この日の鎌倉は、どこも大渋滞状態なのだろう。いつもなら40分くらいのバス、終点まで65分かかった。
八景駅から京急に乗車、新橋駅で山手線に。乗り換えの西日暮里駅で、「そっか、丸善へ行くの、忘れた」。神明町に着いたら4時30分だった。ご近所銭湯への途中、なぜか猫が2匹、うろうろしているのに会った。柊の枝に鰯の頭、そんなしきたり、みんな忘れている。猫たち、知っているのかな。「無駄、ムダですよ」、とひと声をかけた。
ご近所銭湯で会った風呂友によると、西新井大師は、大混雑で、子ども、高齢者は、怪我の心配、とかで、中に入れなかった、とのこと。「うちは、今年も皮つき落花生をまいたんだよ」、という人もいた。北海道の風習だそうです。


2019年1月28日月曜日

紀勢線で紀伊半島一周乗り鉄

和歌山で「新年会」
1月21日、和歌山芳養(田辺市)で新年会のお誘いがあり、出席。30年くらい熊野古道の旅でお世話になったKさん宅に集まったのは、神戸のYさん、奈良斑鳩町のMさんご夫妻、そして、関東は、東京足立区神明町の楽隠居、の5人。芳養町(はや)のKさん宅には、これまでなんども泊めていただいたことがある、勝手知った宿(?)。
梅、みかん農家だったKさん、農業をやめて、無職となり、昨年なども、ちょくちょく海外旅行などを楽しんでおられる。無職Kさんの生活ぶり・・・・・電力会社と縁を切り、ソーラーパネル発電、暖房、料理は薪ストーブ、消し炭と豆たんで、という徹底ぶり。洗濯機、風呂は、発電大のお天気の日に、という具合で、現金支出は、ほんのわずか。めだかと共生している。新年会は、うす暗いトタン屋根の小屋で、それでも、薪ストーブの赤い火を囲み、正月らしい豪華メニューを楽しんだ。
品川貝づくし弁当を食べながら大阪へ
東京駅発の旅には、これ、と決めている「品川・貝づくし弁当」。今回は、熱海のトンネルを出て、右に富士山があらわれる頃、食べ終わった。この日の富士山は日本一、世界一
でした。静岡、名古屋、ずっと快晴だったのに、関ケ原あたりでは、なんとみぞれが降っていた。京都、大阪は晴れ。
新大阪でくろしお特急に乗り換えた。白浜行きで、空席の目立つ自由席。天王寺で乗客4名乗車。座席ポケットに「津波発生時の降車方法」が4か国語で印刷したパンフレット。南海地震、来るかもしれない、ということか。時間通り紀伊田辺着。駅舎が工事中だったので、近くの店でさんま寿司(700円)を買い、日向ぼっこで昼食。外国人旅行者が、観光案内所に数名。厳冬の熊野古道歩きらしい。お出迎えの車は、奈良ナンバーだった。
やったー! 特急列車最前席・ラッキー!
新年会翌朝、田辺駅から勝浦駅へ。紀伊半島をぐるっと走って名古屋へ行く特急列車の始発は、勝浦駅からだ。自由席乗車口に、並ぶこと30分。ホームで並んで待つ人はいない。時間通り入線、ワイドビュー南紀6号。いちばん乗り。わくわくしながら一番前へ。
4輌編成の特急列車のいちばん前は、自由席。「やったー」、運転手とガラス1枚後ろの席です。この席で終点の名古屋まで、なんだかどきどき。この路線、これまでに何度も乗ったことがあるけれど、そして、この席を、何度もねらったかしれない。いつか乗るぞ、いつか必ず乗るを、繰り返していた。運転手がドアを開け、入ってきた。思わず、「よろしく、ね」と挨拶をしてしまった。帽子に手をあてて、返礼。いい運転手さんだ。
勿論、時間通り出発・進行! トンネルも多いけれど、海は、いつも右側、熊野灘だ。左は、山。単線だけれど、踏切は多い。熊野、尾鷲、長嶋、大内山、三瀬谷、三重県 側の熊野古道。なんども歩いたり、走ったりした峠も見える。伊勢から歩いたこともある。
線路がゆっくり左折すると松坂。肉の松坂弁当、食べたっけ。左に鈴鹿の山々がみえると桑名、4時すぎに名古屋駅着。4時間30分の旅だった。

2019年1月27日日曜日

新年1月、映画3本

The Last Suit 「家へ帰ろう」
ポーランドワルシャワのユダヤ人社交界の賑やかなパーティーで始まる映画で、東欧のユダヤ人たちの言葉イデッシュ語、なつかしい響き、イスラエル留学時を想い出した。主人公の父は、テーラー(仕立屋)主人。ヒットラーによるホロコーストでユダヤ人たちが殺害されていた時代だ。父、母、妹たちが殺され、強制収容所から脱走し、重症ので主人公を助けたのが、父の店で職人として働いていたポーランド人の息子だった。
多くのユダヤ人たちが、ヨーロッパから脱出したように、主人公はアルゼンチンへ。ここで仕立屋をはじめて、6人の娘たちを育てた主人公は、今や86歳になり、昔の怪我で不自由な足、これ以上の仕事は無理と、娘たちが老人ホームへの入居を進める。
忠告に従わず、トランクひとつで家出。往く先は、ワルシャワ。まずは、空路パリへ。パリからは、列車でワルシャワへ。駅窓口で切符を買う主人公。「わたしは、ドイツの地を踏まずにワルシャワへ行きたい」、窓口係は、「ドイツの駅で乗り換えないとワルシャワへは行けない」と。行列に並んでいた女性ードイツ人、人類学者、が「乗り換えの駅までご一緒します」、と同行。乗り換え駅のホームで、トランクから出した着替え、タオルなどで、ワルシャワ行き列車の乗降口までの通路を作り、その上を歩いて、無事乗り換えることが出来た。「これでいいのだ」。
だが、次の災難は、列車内のレストラン(食堂車)で、軍服姿のドイツ兵と、若い女性たちとの宴会の場面に遭遇。あの時代の、あの光景、あの惨事を思い出し卒倒。目が覚めたらワルシャワの病院のベッド。「先生によると、病状はあまりよくないよう」、と聞かされる。「死ぬ前にどうしても、会わねばならない友がいる。連れて行ってくれ」、と看護婦に懇願する。
車椅子を押した看護婦、主人公の思い出の地区を、あっち、こっちと探し歩く。60年以上もたったワルシャワの街、なかなかみつからない。ようやく探した昔、父のテーラがあったその同じ場所、窓の向こうに人影。目と目が合い、しばらくの沈黙。お互いが確認、
飛び出してきた男、まさに主人公が探していた60年前の恩人だった。
 「あの時の約束だったSUITだ、私が君のために作った最後のSUITだ」。
   (アメリカ、ヨーロッパ、イスラエルなど、世界中各地で受賞された作品)

TRANSIT「未来を煮り替えた男」
ヒットラー最後の頃、ドイツナチ軍が攻め込んでくる直前のパリ。多くのユダヤ人たちは船でヨーロッパ脱出のためマルセイユへ。パリに残って最後まで抵抗する人から預かった手紙が、出国手続き所での行き違いから、手紙の宛先の主人公に成りすましてしまうはめに。ユダヤ人の男と女が、生き残りをかけて相手を想い、結果、最後の船に乗船した女は
その船が沈没、死を覚悟してマルセイユに残った男は、ヒットラーの自殺で戦闘終了で、助かった。TRANSITで運命が変わったユダヤ人,男と女の話。

Victoria & Abdulu「ヴィクトリア女王 最期の秘密」
大英帝国が世界制覇の主人公だった時代。帝国の元首だったヴィクトリア女王とインド人
侍従の話(実話とのこと)。在位50年という女王陛下が、植民地インドからきたAbudulu
が気に入り従者に。「インドは、どんな所か」と女王。「あなたは、大英帝国の女王陛下です。知らないのですか、インドのことを」とアブドウル。ヒンズー教徒という彼に「どんな宗教か」、タージマハルとは、人々の暮らしとは、などなど、次々に質問。アブドウルを寵愛する女王に、宮廷内はもとより、首相始め政界までが、大騒ぎ。アブドウルが妻帯者であるというと、妻に会いたい、といい、宮廷内に招き入れる。大英帝国の元首として、公務多忙、周囲は、みなイエスマンばかり。孤独な女王陛下にとってアブドゥルは、
最大の友人だった。在位50年のヴィクトリア女王時代の大英帝国、別の視点が見えた内容だった。主人公の女王役の女優さん、実年84歳とか。格好いい女王だった。イギリス英語も、インド英語もわかりやすい。訳文もなかなかだった。

2019年1月18日金曜日

2019年・乗り鉄新年事始め

   なにかとせわしかった正月の冬眠から目覚め、そろそろ出動かなと出かけ
    たのが「小海線」。新年事始め。昔なら成人の日だった1月15日。朝、ま
    だ真っ暗なうちに神明町発。7時30分のあずさ3号・南小谷行きに乗車。
    東京は、曇りだったが、山梨県は晴天だった。

小海線始発駅小淵沢
 夏の小淵沢駅は、登山者でいっぱいだが、この季節、乗降者は4人だけ。停車中の小海線へは、二人のみ。二両編成、ワンマン車の列車は、時刻通り発車。左に八ヶ岳の南峰編笠山、雪なし。最初の駅甲斐小泉駅前の「平山郁夫シルクロード美術館」は、閉館中。単線列車なので、小諸からの列車とのすれ違いで、駅での一時停車。冬木立の間を、ゆっくり走る。スケールこそ小さいけれど、シベリアの原野を走るシベリア鉄道みたい。
   小海線 その先まる見え 冬木立
 葉っぱが落ちて裸になった木々の向う、景色がまる見え、そんな沿線を走る小海線。夏の喧騒がうそのような静かな冬の小海線だ。
 夏の原宿、なんていわれている清里駅、下車した客ひとり。ここでも雪なし。鉄道最高
地駅1345.67mの表示。車窓右には、高原野菜の畑、左は八ヶ岳連峰、といっても
雪は頂上部分のみ。小諸まで流れ往く千曲川が、線路の右、左に。
 松原湖駅、なつかしい。大学時代、単独登山にうつつを抜かしていた頃のこと。早朝、
駅から赤岳に向かって歩いていたら、火事現場に遭遇。火は消えていたが、その後片付け
中で、通りがかりの助っ人したら、炊き出しのあったかいおにぎりをいただいた。そんなことを思い出した。
 小海線の後半は、人家多い農村地帯。八千穂高原の看板には、「清酒佐久の花」の文字。米どころなのだ。ビニールハウスも多い。上天気の佐久平を、のんびり走る小海線。
風景を独り占めしている気分。乗客は数人、乗降者ほとんどいない。
 終点小諸まで乗って、乗り換えの軽井沢までの「しなの鉄道」、本数が少なく、結局、佐久平駅に戻り、新幹線で上野へ。浅間山も、高崎から見える榛名山も、雪が少ない。
豪雪の報道が多いこの季節、信州は、雪が少ない冬のようだ。
 小寒とはいえ、あったかい車内、ゆったり、ゆっくり列車旅、贅沢な冬の1日、新年の
初乗り鉄の旅、午後2時には、上野駅帰着。

2019年1月10日木曜日

隠居の2018年ー悔悟碌

   予言通り、正月は自宅で冬眠。手持ち無沙汰の正月、元旦は、ご近所コンビニで
   全新聞を買い込んできた。どれもこれも、大見出し、付録特集は、『平成・この
   30年』。30年前は、50歳だった。現役を引退し、指圧の学校へ。卒業したのが
   54歳。その後、ずーと隠居暮らし。その間、どんなことがあったのか、ほぼ忘 
   れたので、まだ記憶にある、記録もある2018年の悔悟碌、各部門別。
   
乗り鉄、路線バス部門(日付順)
八高線、流山鉄道、関東鉄道、両毛線、飯田線、小湊・いずみ鉄道、寝台列車サンライズ、中央本線、小田急線(北千住―湯本)、路線バスー花小金井~青梅、磐越西線(郡山~会津若松~喜多方~新潟)、わたらせ渓谷鉄道、路線バス(奥多摩~小菅)、磐越東線
(水戸~郡山)、つくば山(TX、路線バス)。
霊場巡拝部門
豊島観音霊場、3日間、お富士山・山開き(十条、駒込、小野照)、関東八十八霊場4日間、北関東三十六不動4日間、泉岳寺・高野山東京分院。
海外旅行部門
シンガポール・12日間、シベリア鉄道・ロシア、モンゴル11日間、海路・陸路韓国ツアー・5日間。
オペラ、シネマ部門(シネオペラ)
プッチーニ「トスカ」、ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」、ヴェルディ「アイーダ」
プッチーニ「西部の娘」。シネマ 「長江・愛の詩」(中国)、「空海」(中国)、「ザ・キング」(韓国)、「タクシードライバー」(韓国)、「マルクス・エンゲルス」(仏、独、ベルギー)、「ゲッペルスと私』(独)、「モリのいる場所」(日)、「祈り」(グルジア)、「スターリン葬送狂騒曲』(露)、「ある闘いの真実」(韓)、「華氏119」(米)。
展覧会部門
仁和寺仏像展、南方熊楠展、横山大観展、江戸柏、木喰展、快慶・定慶展、ムンク展。
その他・日常のいろいろ(雨天決行)
ご詠歌ー月2回、銭湯ーほぼ毎日(460円)-「銭湯と横浜展」、丸の内丸善ー月3、4回、図書館ー週1~2回、TV土曜は寅さん、