2020年11月29日日曜日

あの頃の難民問題、まだ続くテイグライ難民

連日、コロナで占められている新聞で、気になる記事が大きく取り上げられている、「エチオピアからの難民が急増」の大見出し。

実 は、この問題は、1980年代から存在しており、今に始まったことではない。当時、UNDP(国連開発計画)の代表として、スーダンの首都ハルツームに赴任していた。直接の担当ではなかったが、スーダン国内の難民キャンプを何度か視察したことがあった。

スーダンとの国境に近いエチオピア北部のテイグライ州からの難民が、スーダン国内に逃げ込んだもので、UNHCR(国連難民高等弁務官)や、外国のNGOなどがキャンプを作って救済活動をしていた。当時も、今も、エチオピア政府とテイグライ人民解放戦線(TPLF)との戦いで、軍事衝突から逃れようとする人々がスーダン側に押し寄せている、という。その数、6000人。今後、20万人を超える難民が予想されているとも。

あの頃、今から40年ほど前、スーダンの難民キャンプで会った人たちは、その後、どうしたのか、どうしているのだろうか。

当時の取材で、難民キャンプが、TPLFの戦闘員たちにとって、戦闘につかれたり、傷ついたりした際の「逃げ場」の役割をはたしていた、ことがわかった。キャンプ内には、売春テントの存在もあった。長丁場の戦いだった。

そんなエチオピアの首相・アピー首相は昨年のノーベル平和賞の受賞者。なーんでか、です。こうしている瞬間にも、エチオピアでは、戦闘で死傷者、そして難民が出ている。


2020年11月26日木曜日

GO TO ちょい旅

乗り鉄・水戸線

 11月25日、行ってきました、水戸線乗り。

 これで、11月のすべての水曜日に「乗り鉄」を実施したことになる。実は、別のルートを考えていたのだが、第三波の感染が発表されたので、中止するつもりだった。東北方面を考えていたのだが、あちらもコロナ、大変みたいだし、東京からの客は、あまり歓迎されないようだし、ということで、切符も買ってなかった。でも、あきらめきれず、結局、近場に行くことにした。

 北千住駅から水戸行きの快速に乗車。あいにくの雨だった。通勤客を東京に運んだ快速の帰り列車、ほぼガラすき。1,2号車、9,10号車は、ボックスシートなので、もちろん、ボックスシート4人座席にひとりで占領。

 雨で外は、見えないが、だいたいここら辺で、なにが見えるかの想像はつく。見えないけれど、左に筑波山が見える頃、土浦駅。ここで、5両を切り離す。牛久、駅の駐車料金が一日200円、一か月5000円、の文字、土地が安いんだね。雨でも、飛行機は飛びあがるんだ、成田空港方面から飛行機の音が聞こえてくる。

 11時50分、友部駅着。7人しか降りなかった。駅チャイムが、友部駅では、「上を向いて歩こう」、岩間駅は「幸せなら手をたたこう」、石岡駅は「ばらが咲いた」、だった。水戸線が来るまで、駅待合室で待った。東京よりも寒いので、助かった。

 間もなく水戸発の小山行きが来た。下車客20名くらいでほぼ全員が上野往きに乗車。5両編成の小山行きは、ボックスシート列車が一両だったが、ゲット。この線は、何回か乗ったことがある。笠間神社に来た時、真岡線、関東鉄道に乗ったのも、水戸線からだ。

 筑波山の裏側を走る水戸線は、ほぼたんぼの中の線で、駅は「無人駅」。5~6人の客が乗り降りする程度で、会話の声も聞こえないし、静かだ。沿線の景色、稲刈りを終えたたんぼがずっと続く。竹藪が多い。刈り終えた田んぼが青々としており、えっ、田植え、なんて錯覚してしまう。音よし、スピードよし、乗客少なくて、よし、やっぱりローカル線は最高だ。雨がやんで、筑波山のシルエットが、うっすらと見えるのもいい。持参のおにぎりを食べた。

 小山駅には、13時20分に到着。停まっていた電車に飛び乗った。13時30分発の新宿周りの横須賀行きだった。赤羽で乗り換え、西日暮里、綾瀬経由で帰宅。4時だった。コロナ禍でも、いつも通りのいい旅だった。

2020年11月19日木曜日

 しなの鉄道65キロ

 毎週水曜日、乗り鉄ちょい旅を続けている。今週は、しなの鉄道。軽井沢から篠ノ井までの65キロ。

 上野駅をいつもの新幹線たにがわ号6時42分乗車、高崎駅に7時34分着。申しわけないほど、空いている。これじゃあJRは、赤字なはず。駅構内の店は、まだ開いていない。

 30分ほど待って、信越線横川行きに乗る。高崎駅には、湘南新宿ライン、小山行き、水上行き、下仁田行きなど、いくつもの線が出ており、乗客は多い。横川行きは、反対方向だから客は少ないとおもっていたら、高校生たちがどっと乗ってきた。安中駅、磯部駅などで、降りていく。ここら辺に高校があるのだろう。6両編成。松井田に着いたら、ほぼ全員がいなくなり、乗客は2名。

 左に妙義の山々、前方には、真っ白な浅間山。ところが、真っ白だったのは、このあたりから見えただけで、この後の浅間山は、雪なしだった。つまり山の南側からの浅間山だった。

 8時2分に横川着。昔は、ここからsuuicchibacの列車が走っていたのだ。軽井沢まで列車で行くことが出来た。バス停へ行ってみたら、10分前に出たばかりで、次は2時間後の10時10分発。どうしよう、2時間も。

 しかたなく、関所跡などのあるあたりをぶらぶら。そうです、ここは中山道。坂本宿。中山道は、5回も歩いたことがあり、なつかしい旧街道のひとつだ。今は、ここも安中市だが、中山道の安中宿は、ずーと東の方だ。

 2時間待ちで、ようやくバスがきた。路線バスで、碓氷峠を通って軽井沢に降りる。時間になると、どこからか人が集まってきて、乗客はほぼ20名ほど。520円.妙義山も、峠を下った軽井沢も、紅葉は、盛りをちょっと過ぎた感じだったが、、見事な紅葉風景だった。天気は上々。

 軽井沢駅で、20分待って、しなの鉄道長野行きに乗った。小諸を過ぎたあたりからの山々の紅葉は、最高だった。針葉樹がなく、全山真っ黄色、圧倒される紅葉だった。乗客はこちらも、ほとんどおらず、しなの鉄道の終点篠ノ井駅着。でもこのまま列車は、長野駅へ。12時245分、長野駅着。他に客のいない駅ホームの蕎麦屋で、新そばを食べた(500円)。13時20分発の金沢からの新幹線はくたかに乗車、14時45分上野駅着。長野も暑かったけれど、東京も暑い日だった。しなの鉄道、この路線もいつかは、廃線になるのだろう。

 

 

2020年11月12日木曜日

 米坂線で置賜を往くちょい旅

11月11日{ゴロがよろしい)、乗り鉄に。行く先は、山形県の置賜エアリア。米坂線。、           

 上野発7時14分の新幹線。やまびこ123(これもゴロがいい)。ところが、この列車は、仙台行きと新城行きが連結しており、事前チエックなしで、自由席に飛び乗ったら、なんと仙台行きだった。大宮駅に着く前に、新庄方面行きのやまびこに乗り換えなければと、走行中の列車内を歩く。大宮駅でホームへ出て乗り換えようとしたら、通勤客の長い列。結局、宇都宮まで座れず立ちんぼ。新城行きは、自由席が2両だけで、毎朝通勤客でいっぱい状態。現状を把握してなくて、反省。  

 やまびこは、福島駅で左折し、米沢についたのが、9時26分だった。やまびこは、福島から先は、普通の線路を走る。降車の指定席車輛には、団体さんが20名ほど福島駅で乗車。そうか、東北の紅葉見物ーgo toトラベルか。

 東京は、晴天だったのに、郡山あたりから雲が出てきて、米坂に着くころには、小雨になっていた。9時26分着。

 構内の売店で、おにぎり一個(130円)買って、食べて、10時29分発の米坂線乗車。ホームの先頭というか、はずれに米坂線乗車ホームがあった。その間にも、東京駅行きの新幹線が新庄方面から入ってきて、こちらは、10名ほどの乗客。かたや米坂線13時28分発の乗客は、3名だった。終点の坂町方面へは、国道113号線が走っており、地元の人たちも、米坂線をあまりアテにしていないのではないだろうか。

 沿線は、まさに紅葉まっさかり。雨にけぶる紅葉もいいもんだ。トンネルが多い。長いトンネルを出たら、雪だった。雪と紅葉、これもいい。単線だから、対向列車が来ると、すれちがいのための停車。駅は、ほとんど無人駅だ。そういえば、現在、JRの駅の48.2%、約4500駅が無人駅なんだそうだ。(昨日のラジオ)

 川の水のにごり具合、たんぼの中の水たまりからすると、相当な大雨だったらしい。途中の駅から、時々、地元の乗客らしき人たちが、乗ってくる。降りていく。降ったり、止んだりの中で、紅葉まっさかりの景色を堪能。

 この線は、過去2回ほど乗ったことが有る。長井でのクロスカントリースキー大会の時、飯豊の山に登山に来た時の2回だが、なんにも覚えていない。

 列車の右側には、朝日連峰、左側は、飯豊連峰という米坂線だが、あいにくの曇り日で、遠くは、見えない。

 ここら辺は、置賜地方で、米もうまいし、果物も豊富な地域だ。12時25分、坂町に到着。12時38分の新潟行きが出るというので、飛び乗る。こちらは、学生や、地元の人たちも乗っていて、満員には、ほど遠いけれど、結構、乗っていた。新潟は、曇り空だった。

 14時19分発の新潟駅発の新幹線に乗車。ひと眠りしたら16時22分、上野駅だった。

 乗り鉄・紅葉見物は、本日も大成功でした。今季は、これでおしまいか、な。


2020年11月5日木曜日

三国 街道宿場の猿ヶ京へ

 11月4日、いい天気でした。雲ひとつない上天気、久しぶりの秋晴れ。上野駅から上毛高原駅へ。神明町でいちばんのバスに乗ったのが5時50分。北千住駅経由で上野駅に着いたのが、6時40分、飛び乗ったが、6時47本分発の越後湯沢行きの新幹線だった。上毛高原駅に停まる新幹線は、一時間に一本ほどのダイヤで、ラッキー。高崎駅経由、ほぼトンネル内走行で、景色はだめ。上毛高原駅着7時57分。8時前に着いてしまった。

 ここから路線バスで、猿ヶ京へ。 バスには、通学の高校生が8名。全員、スマホに熱中していた。学校前で下車。乗客1名になった。急に景色が変化。紅葉がしっかりすすんでいた。

 左側に湖、赤谷湖だ。ということは、前方の集落は、猿ヶ京温泉。湖周辺が、特にきれいだ。「あと1週間くらいだね、紅葉は」、と運転手。

 ここ猿ヶ京は、三国街道の宿場で、街道の難所三国峠が控えており、温泉もあり、参勤交代の越後の大名たちが宿泊した宿場でもあった。街道歩きの旅で、ここに泊まって、三国峠を越えたこともある。もう一回は、残雪の頃、山梨のKさん、それにM先生の三人での歩き旅だった。峠の神社の鳥居の一番上の部分が雪の上にちょいと見えたほどの残雪だった。鳥居のてっぺんに座って写真を撮った。苗場に降りて、スキーをしたっけ。思い出の峠だ。

 路線バスの終点で、バスを乗り換え、法師温泉へ。山道なので、マイクロバスで、約3キロ。それでも25分かかった。乗客は、ひとり。まあ、貸し切りってとこ、です。こちらの山道は、最高だった。紅葉の中を行く、という感じで、落ち葉がハラハラと散る中を、落ち葉を踏み、踏み走る。すれちがう車もなく、山道なので、のろのろ走るバス。とにかく、秋まっさかりの山道だった。毎日見ているはずの運転手さんも「いいねえ」を、連発していた。

 法師温泉は、宿一軒、長寿館。与謝野晶子がきた、とあった。駐車場には、自家用車が7台。宿泊料金も高いらしい。

 ここから、街道を峠まで登り、苗場に下り、越後長岡、出雲崎へ。佐渡島へ送られる囚人たちも、通った道だ。今は、峠の下にトンネルができて、国道17号線で、新潟方面へ行くことが出来る。

 Go To路線バス乗りの旅は、旧街道の紅葉を愛でる旅でもありまし。