2022年6月22日水曜日

京成線 こんなところを 走ってた

 新聞を広げたら、まる一面刷りで、寅さんのビデオ広告があった。そっか、50本もあったんだ、ということは、50本全部を見た、ことになる。東銀座の東劇で、「寅さんシリーズ一挙上映」、というのを見るために、4か月通った。広ーい劇場、同じ席に、同じ人(寅さんフアン)が、今日も、座っていたっけ。ということで、柴又あたり、行ってみるか。

特段、これという目的もなく、ただなんとなく、柴又へ。

柴又は、金町駅から2つめ。金町は、綾瀬駅から2つめで、路線は、常磐線なのだが、乗り入れで、地下鉄千代田線駅。金町駅改札をいったん出て、100mほど歩くと、京成金町駅だ。スイカOK。高砂行きの電車が、1時間に3本出ている。11時頃だったが、柴又へ行くという高齢者グループと、母娘連れひと組、それに単独行10名くらいか。乗客が少なくても、4両編成だ。

実は、この路線、京成金町線に乗るのは、はじめて。でも、柴又は、なんども行ったことがある。金町から柴又までの線路わきの道路、いつも歩いての柴又。距離にして、1.5キロ、電車なんかに乗る距離ではなく、帝釈天まで歩くのがいつものコースだった。道路の向こう側は、金町浄水場で、金町から柴又まで、ほぼ浄水場の壁だった。

乗客のほぼ全員が、柴又で下車。乗ってくる人はその半分くらい。次の駅が終点高砂駅。金町駅からなんと2.5キロで、乗っていた時間は、5~6分だった。京成金町線は、金町駅から高砂駅までで、たった2.5キロを数分で走るだけの路線。ところが、この金町線は、京成電鉄で最初に走った路線だそうで、1912年(大正元年)11月に開業。その前は、帝釈天人車軌道といわれ、人が客車を押して走った鉄道だったとの歴史がある。歴史あり、由緒ありの金町線です。

金町線も終わってしまい、どうするか、改札口で一瞬、考えていたら、成田空港行きの快速電車がやってきた。ま、いいか、とこれに乗車。上野駅からの快速、客は、まばら。現役時代は、愛用(?)していました。スカイライナーという特急がその後走りはじめ、空港への行き来に利用していた。東中山駅、京成船橋駅、そして、京成津田沼駅に着いた。と乗っていた客たちが、下車。で、なんとなく降りた。なるほど、ここから千葉方面へ行けるんだ、と。ホーム反対側、えっなんで。停車していた電車が、なんと、「松戸」行き、とある。ここから松戸まで、行く電車があるはずがない。停車中の松戸行きの運転手のところまで行き「これ、本当に松戸駅まで行きますか」、と聞いてしまった。運転手さん、几帳面に「松戸まで行きます」、との御返事。5両編成、これに乗った。

間もなく発車。京成津田沼ー松戸間、24駅、26.5キロを43分で走る新京成電鉄ということが判明。しかし、昼の電車の乗客は、それほどおらず、もったいないな、と。駅と駅の間隔が、2~3分というところも多い。しかし、駅周辺の駐輪所や駐車場は、いっぱいだったので、通勤客が多いに違いない。以前は、田畑だったところに、家が建ち、アパート、マンソンが出来、首都圏って、こうやって人口が増えているんだ、と思った。

乗り慣れた松戸駅に到着。改札を出て、駅周辺を眺めていたら、「八潮駅」行きのバスが入ってきた。あっ、これに乗ろう、シルバーパスは使えないけれど、と乗る。客3人。他の2人は、途中下車。あとは、運転手さんと2人、35分後に、つくばエクスプレス八潮駅着。隣りに待っていたように「綾瀬」行きのバス。ラッキー。これに乗る。客ひとり、15分後に神明町着。よかった、新京成電鉄、はじめてだった。


2022年6月9日木曜日

あの頃の 友 想う本 今朝届く

 今朝、小包が届いた。シンガポールからだ。開けてみると、本が2冊。

”BELIVER”Conversations with Mike Moore、もう一冊は、”Beyond Storms &Stars "という題名で、Noeleen Heyzerー著者名。

送り主は、シンガポールの病院院長Dr.LOO CHOON Yong.

マイクは、ニュージーランド人で、国会議員から、労働党政権の首相、WTO(世界貿易機関本部ジュネーブ)事務局長、駐アメリカニュージーランド大使を務めた。

もうひとり、ノーエリンは、シンガポール人で、シンガポール大学、英ケンブリッジ大学で学び、国連本部(ニューヨーク)勤務で、いくつかの任務を経て事務局次長に、その後、バンコクのESCAP(国連アジア・太平洋経済社会委員会)事務局長を務めた。女性。

マイクは、彼が初めて立候補した時、オークランドまで選挙応援に行ったことがあった。私の日本語でのスピーチを、候補者マイクが、見事なニュージーランド英語に翻訳しての演説会だった。ちなみに、マイクはまったく日本語は、だめ。本の中には、そんな内容はなかったが、この本は、彼の友人Peter Parussiniさんという人が著者。マイクは、3年前に亡くなった。

ノーエリンは、本人による自伝。彼女のシンガポール大学時代、いっしょに学生運動をしていたアジア、シンガポールの活動家たちとなんども会っていた。Choon Yongもそのひとり。彼女が、マレイシアの、やはり政治活動かだった男性と恋におち、後に結婚するというプロセスなんかも、思い出す。Choon Yongは、訪米のたびにニューヨークで彼女に会い、その報告を帰国時の東京で話してくれていたので、かなり詳しい。ノーエリンと再会したのは、Choon Yongの結婚式だった。あれ以来、会っていないが、この本の表紙カバーの彼女は、素敵な女性、知的な大人の女性だ。

これから、時間をかけて、久しぶりの「本」を読もう。ヨコ時本は、最近、あまり目にしていないが、楽しみだ。海外の友人たちも、自伝を書く、そういう年頃になったんだ。




2022年6月6日月曜日

この本を 買う 買わないと 迷うまた

 本屋といえば、今は、丸の内の「丸善」、月1~2回、通っている。その間は、綾瀬と北千住駅ビルの本屋。買わない、買わない、といいながら、それでも、手にとって、ページを繰っているうちに、やっぱり買おうか、買おう、という具合で、買ってしまう。それらの本が、結局、いつの間にかたまりつつある。先がないのに、まだ集める気かよ。

こうして集めた本が、部屋を丸ごとひとつ占拠してしまい、にっちもさっちもいかない状態となり、思い切って処分したのが、10年ほど前のこと。一冊づつ手にとり、本を束ねながら、これが終わったら、もう思い残すことはない、なんて考えながら。

どんな「本」があったのか。

山の本:全国各地の登山関連本、串田孫一、尾崎喜八の著作も、ほぼ全巻持っていた。地図もかなりあった。ヒマラヤ、南米の山々など海外の山の本もあった。          街道本:日本国内のほぼ全ての街道本、100冊以上はあった。歩き旅で行った先々で手に入れた本、パンフレット類、各地の郷土歴史学会本もあった。旅先で手に入れた本を、郵送するために、封筒、切手をいつも持っていた。本は、持ち歩くと重いんです。     

ユダヤ関連本:早い時期、高校生だった頃、神田神保町へよく通った。それも、足立区から自転車での神保町通い。その頃から、ユダヤ問題に関心を持っていて、古本屋で安価で手に入った。同じ本を2冊、3冊買った。50円、60円で買った本が、その後のユダヤブームで、2000円、3000円で売れたのには、びっくり。売るつもりで、買い占めたわけではなかったのだが。でも、結果的に、後にイスラエル留学、卒業論文のテーマにするなど、おおいに役立った。                                    イスラエル関連本:留学時、イスラエルでは、ユダヤ問題、新しい国イスラエル事情、労働運動、政治など、帰国時に段ボール3個分を船便で持ち帰った。ヘブライ語は出来なかったが、ほとんど英語版になっており、さすがは、ユダヤ人の国、イスラエル。       各国事情資料:訪問先の国事情、特に政治、政党事情関連の本、資料は、よく集めた。なんども訪問した北欧各国の本、資料は、充実していて、研究する大学の先生方に重宝された。スウエーデン語、トライするつもりで、リンガフォンを買って試みたが、挫折。なぜかよくわからないけれど、留学したアメリカの本は、少ない。ユダヤ系アメリカ人関連本は、何冊かあったが、アメリカそのものを知る本はない。イギリス労働党、西ドイツ社民党、オーストリア社会民主党の歴史など、ヨーロッパの政党については、かなり多くの本、資料を集めており、国会図書館などへも、提供していた。                     雑誌類:バックナンバーを集めていたのは、朝日ジャーナル、月間国際問題、の2誌で、朝日ジャーナルは、赴任先のスーダンの首都カルツームまで航空便での定期購入をしていた。帰国時は、船便で、東京の自宅まで送り返すという「凝り」ようであった。

読書歴は、たどってみれば、小学校入学以前からで、京橋木挽町の洗濯屋で生まれた当時からで、意味もわからず、毎日、読んでいた新聞。病弱で、外に出かけられず、自宅二階でのひとり遊びが、意味もわからず、新聞の文字を読むということだった、だけのこと。        

     

2022年6月5日日曜日

どくだみの 白い花咲き 夏はすぐ

うちのベランダ と前のマンションとの間に20mほどの空間があり、どくだみがギシッと生えている。そのどくだみが、いっせいに白い花を咲かし始めた。あゝ今年もまた夏が来るんだ、その前に梅雨もくる、なんて84歳は独り言。

昨日は、久しぶりに北千住駅へ。駅ビルの本屋、知る限りでは、北千住界隈には、ここしかない。駅ビルは、2つあるけれど、もう一方の本屋・紀伊国屋は、もう5、6年前に閉店したままだ。佐伯啓思氏の最近の著書を目的に行ったのだが、みつからず、他に用事もないので、改札口へ。と、水戸行き列車が、あと5分で来るとの掲示。考えることなく、乗ることにした。14時2分。10両編成の常磐線だ。

なんども乗っている路線だが、なんど乗ってもいい。車窓からの景色が、毎回違うのがいい。この時間帯は、乗客も少なく、お気に入りボックスシート、ひとり占めというのもいい。空は、晴れており、取手駅あたりから、田んぼも見える。田植えは、ほぼ終わっており、田んぼには、白鷺がちらほらおり、あゝいい景色、と。左前方に筑波山が見えはじめる頃、両サイドは蓮の畑、土浦。畑というより、池っていう感じの泥沼の中で、腰ほどつかりながらの作業をしている人たち。水戸までは、まだ1時間もかかる。

終点の水戸駅に着き、ホームの売店で、納豆を買う。特にやることもなく、ホームに戻ると、さっき乗ってきた列車が、あと5分で出るとのアナウンス。学生が多い、制服の違いから見ると、3校か、4高校あるらしい。水戸といえば、茨木の県庁所在地、それくらいは、あるんだろう。上野行きの列車は、いつの間にか2両たして12両編成に、車内アナウンスも女性車掌になっていた。学生さんで、ほぼ満席だが、車内は、とても静か。みなさん、スマホに集中しておられる。途中から、通勤客の乗降があったが、北千住駅までの2時間は、それほどの混み具合ではなかった。

この日の夕食は、あたたかいご飯を炊いて、水戸納豆をいただきました。

夕刊に、鉄道運賃値上げの記事。JRでも、地方路線がたいへんらしい。深刻のようだ。利用者数が、極端に減っている路線は、廃線するしかない、という選択。コロナ影響、もちろんあったが、鉄道の赤字は、ずいぶん前から続いている。かつては、地域の足として、利用されていた鉄道だったが、人口減少、自宅勤務(テレワーク)、マイカー利用者の増加、高速道路の整備などで、乗客が減った。採算がとれない地方の路線は、廃線もやむなし、という実態。あの新幹線さえ赤字といい、地方の野菜、果物、魚などの運搬に利用しているという。

飛行機も、環境要因にマイナスといわれており、ヨーロッパとか、オーストラリアなどでは、もっと鉄道を、との動きが始まっている。早いことは、いいことだ、みたいな考え方を、この際、見直しすべき。「乗り鉄」は、困るんです。

もひとつ、インバウンド(外国旅行者)がOKに、という政府方針に、みなさん、大歓迎との声が多いようだが、オーバーツーリズムによる弊害、考えた方がいい。ネパールのカトマンドゥや、ブータンなどでは、オーバーツーリズムにならないよう、インバウンドの規制を実施している。コロナ前の海外からの観光客、異常な状態だった。受け入れ側も、儲かって、儲かって、という状況で、インバウンド向けの投資が増えていた。ということは、だからインバウンドなしで、多くの人たちが、破産という現状に直面したのだ。

鉄道も、インバウンドも、急がず、人を大切にする、が大切と思います。