2021年10月16日土曜日

人出の日光、ちょい旅

テレビで、北海道や東北の紅葉が伝えられ、それを見ていたら、こうしている場合じゃない、行くしかない、といつものように勝手に決意。10月15日朝、天気もよさそうだし、と6時半に神明町を出た。

朝7時。北千住駅の自動券売機の前で、一瞬、考え込んだ。どうするか、バスで湯元往復するか、それとも、わたらせ渓谷鉄道 にするか。金曜日だし、曇り空なので、そう人出は、ないはずだ。と、「大丈夫ですか」、と声がかかった。後ろをみると、駅員さんが立っていた。「ええ、まあ・・・」というと、「どこまで行きますか」、「日光まで・・・」というと、手に持っていたスイカをとって、券売機に挿入し、プツン、プツンと数字を押した。直通の特急は、1時間ほど待つけれど、下今市駅で乗り換えれば、7時42分のスペーシア「きぬ」に乗れる、という。切符を受け取りながら、よく見ると、駅員さんの制帽に赤い線があった。えっこの人って、駅長さんだったんです。恐縮して、最敬礼で「ありがとうございました」。

7時42分発の「きぬ」特急に乗車。到着した電車は、がらがらだったが、北千住駅でかなりの乗客。山歩き、観光客が8割ほど、なかには、7,8名の団体さんもいた。

車窓は、いつもながら楽しい。本なんか読んでらんない、スマホなんかいじってらんない。コスモスが満開だ、すすきの白い穂が風に揺れている、色づいた柿の実・・・

8時10分、東武動物公園駅通過、100人くらいの行列、通学のバス待ちの行列だ。ソーシャルデイスタンスをとっているので、列が長くなる。利根川を渡る。茨城県だ。1ダースほどの白鷺が、稲刈り終えたばかりの田んぼで、餌をさがしている。左に大平山、ぶどうの産地だ。梨も栽培している。しばらく、葉っぱが黄色になった豆畑が続く。ここら辺の蔵は大谷石が多い。

そうこうしているうちに下今市駅着。ホーム反対側の日光行に乗り換え、10分ほどで東武日光駅に着いた。途中、JR日光駅を通過、こちらは、立派な駅舎で、皇族ご使用の駅だった。

まっすぐバス停へ。日光のバスは、観光バスではなく、定期バスで、スイカ使用なのだ。待つこと20分。行列は、120人ほど。えっ、こんなに。結局、臨時バスが出たっぱいの乗客を乗せ、いろは坂へ。華厳の滝で20名ほど降りたけれど、同じくらい乗ってきた。乗ったり、降りたりを繰り返しながら、バスは、中禅寺湖畔を往く。空は、しっかり晴れてきた。男体山もよく見える。三本松、戦場ヶ原、光徳牧場などを経由、終点の湯本温泉の手前で、ほぼ全員下車。ここで湯滝見物へ。金精峠への道でもあるので、交通渋滞で20分ほど待たされる。

湯の湖の周辺のベンチは、ほぼ人でいっぱい。夏の上高地のようだ。11時10分、湯元に到着。10分後のバスで戻る。始発時は、3人だったが、途中は、団体さんや、ゴロ引きのトランクを持った観光客も乗り降りし、道路も混雑しているし、コロナ禍になってから、初めて、こんなに多い人間に会った。

宇都宮から来たという男性(70歳くらい)が、隣りに座った。中禅寺湖の遊覧船に乗るつもりで来たのだが、学生たちでいっぱいなので、やめた、と話していた。

ようやく振り出しに戻った。駅のホームのベンチで、持参のおにぎりを食べ、北千住へ。






2021年10月4日月曜日

お台場で屋形船

緊急事態宣言が解除され、だめだったことが、出来るようになった。その中に、屋形船の解禁も含まれており、女船主が、和服姿で、「感染予防をしっかりやっての営業、安心して、是非お越し下さい」、と言っていた。屋形船といえば、昨年、新型コロナ騒ぎの初っ端だった、お台場の屋形船から始まったのを思い出した。ずいぶんと昔のことだったよう思うけれど、まだ去年のこと。

で、屋形船の思い出。

いつの頃だったが、まだ現役時代。屋形船を借り切って、お台場の遊覧をしたことがある。ことの始まりは、友人のひとりKと、ある日、お台場が見える飲み屋での話。屋形船が通りすぎるのが見えた。

「屋形船、なかなか粋だね」、

「お酒なんか、いただきながら、海から東京を眺める、いいんじゃん」、

という会話から、屋形船を借り切る話になった。

Kは、深川の住民、こちらはといえば、銀座生まれ、話は、すぐにまとまった。どちらかといえば、Kは、遊び人。大学時代は、ダンス同好会で、女性にかなりもてたとのこと。当時、まだ始まったばかりのカラオケで、フランク永井の歌を得意としていた。車を所有していて、都内の移動は、自家用車、っていう人間。屋形船の段取りは、Kがやってくれた。

だれをよぶか、共通の友人たち数名に声をかけた。「招待」することにした。その後で、船主に交渉。結構な費用がかかるが、ま、「招待」すると言ってしまったので、もう後にはひけないな、と。

で、当日になった。たしか、品川あたりの船乗り場、友人たちが、やってきた。うちの奥さんも連れたきたよ、外国人の友人が、是非というので、などなどで、10名くらいのつもりでいたのに、なんと、40名ほどになっていた。船が出る前に、船主さんから、人数分の保険をかけて欲しいといわれ、書類にサイン。

さらに、人数が超過したので、2名、減らさなければ、というのだ。全員、乗船した状態で「降りて下さい」というわけにもいかず、船主側のスタッフが2名、下船することになった。2名は、船の中で料理した皿運び。屋形船は、予定通り出航し、主催者のふたりが、食事の皿を運ぶというはめになったのだ。屋形船の名物「東京湾のはぜの天ぷら」、揚げたてのはぜ天は、乗客のみなさん、とっても喜んで下さいました。

屋形船は、予定通り3時間ほどかけて、お台場あたりを運行した。乗船のみなさん、下船時、「ほんとうに、ありがとう」、「料理もおいしかったし、海からの東京ナイト、最高でしたよ」、なんて感謝されましたが、こちとら、はぜ天も口にせず、にこにこしながらの皿運び、なんとなく複雑な気持ちだった。

結局、屋形船の貸し切り代、保険料金、ひとりで、払うことになり、お金を貸してくれた友人に、3,4か月かけて返済したのだった。


2021年10月2日土曜日

10月になりました。

 緊急事態宣言が解除されたけれど、「あーよかった」って感じにならない。朝4時半、まだ、あたりは真っ暗なのに、3POへ。習慣で、マスクをつけてしまう。昨日と、今日で何が変わったのだろう。テレビのニュースは、まちにまった営業開始、と飲み屋さんが、グラスを洗ったり、動物園の動物たちが、緊張気に檻の中を歩いていたり、羽田空港や、東京駅、新宿駅などの客足の映像を映している。

新聞は、見開きページで、観光案内。北海道から沖縄まで、観光地がずらり。添乗員つき、特典つき、特別料金で、お客さまを歓迎、とある。紹介されている観光地、これまでに、ほぼ全て行ったことがあり、あまり行きたい気がおきない。十和田湖の紅葉、なんていうのもあったが、今は、行きたくない。日本中、ずいぶん、あっちこっちへ行ったもんだ。

そうそう、新幹線の2階建て車両が、廃止とがるとか。なんどもお世話になった。最近は、コロナで乗客が減った新幹線、とれたての魚や、野菜などを産地から直送しているとのこと。コロナで、新しい使い道がでてきたようだ。

白鵬が引退。そういえば、白鵬のお父さんに、ウランバートルで会ったことがある。10年ほど前だったか。青年海外協力隊の隊員だった男性が、日本式のケーキ屋さんを開店したとかで、見に行った時のこと、そこで会ったのが、白鵬のお父さんだった。お父さんもモンゴル相撲の力士で、オリンピックの銀メダリスト。相撲の力士、印象として、大男ではなかった。「息子が、日本で力士なんだよ、知ってるかい」、というので、「知ってるよ、有名だよ」、というと、「よろしくね」と握手をしながら、なんども、なんども言っていた。モンゴルの力士、今では、多いが、当初、旭鷲山がいた。日本で稼いだお金で、両親がスーパーを経営していた。朝青龍は、ホテル経営者として、財界では、有名人だった。いっとき選挙に出るらしい、という噂があり、実際に、ウランバートル市長の選挙集会に行った時、朝青龍の姿があった。そんな中、場所の中継を見ることが出来るテレビに、白鵬が出るのを、多くの国民は、楽しみにしていた。空港から市内へ向かう道路には、白鵬の大きなポスターが立っており、母国モンゴルでは、朝青龍よりも、白鵬人気が上だ。

台風一過で、本日は、快晴。秋、真っ盛り。