2018年12月24日月曜日

空が晴れたら 筑波山    12月19日

関東、本日は晴天なり
いつものように、朝刊をひろげて、ラジオを聴いていたら「今朝の代々木公園、雲ひとつない青空。関東は、快晴の一日です」、NHKの天気予報。読みかけの朝刊をそのままにして出発。つくばエクスプレス(TX)八潮駅へ。9時すぎはまだ通勤時間だが、都心と逆方向なので、そう混んではいないけれど、座席はほぼいっぱい。男性が多い、スマホもいるけれど携帯パソコンを操作している人が多い。さすがは、研究都市行き電車だ。TXは、中ほど車輛がボックスシートなのがいい。この路線、なんども乗っているので、景色もおなじみだ。それでも、新発見。途中の守谷駅をすぎると、沿線には、一戸建て住宅が多い。もともと田んぼだった地域、駅周辺は高層マンションだが、ちょっと離れたあたりは、戸建て住宅が多い。驚きは、その屋根。ほぼすべての屋根にソーラーパネル。やるねえ。
学園都市つくばから 筑波山へ
40分でつくば駅着。下車した人たちが急ぎ足で行く先は、タクシー乗り場。大学や研究所のスタッフたち。なぜか女性客は少ない。巡回バスも走っているが、毎朝、タクシーで職場へ通勤する人たちが多いのだろう。タクシー待ちの列がなくなるまで30分ほどかかった。筑波山行き直行バスの停車は、1時間1本。乗客17人。男体山登り口の大鳥居と、その先つつじが丘の二か所。大鳥居で下車しなかったのは3名。14名がここで降りた。
つつじが丘下車3名のうち2名は、関係者らしく、ロープウェイへは1名のみ。1時間に3本の運行で、往復切符が1100円。乗客ひとりきりなのに、係りのお兄さんが同乗。乗っている時間は6分間。「本日は、富士山が見えますよ」、と。20分後に下ります、と。
877mとはいえ、独峯、関東の名峰筑波山。それほど風もないのに寒い。南に霞ケ浦、
西には真っ白な雪の富士山、北には、以外に近い日光連山。ロープウェイも頂上からの景色も、ひとり占め。たいへん気分よろしい。目の前の男体山あたり、人影なし。あちらは
大鳥居からケーブルカーで登れるのだが、「本日は、整備のため中止」情報を、つくば駅の案内所でゲットしていたのです。
名犬はな子と登った男体山
男体山には、歩いて山道登り3回。そのうちの1回は、名犬はな子といっしょ。岩場では
抱いたけれど、ほぼ全行程を四つ足で登った山岳犬でもあったはな子。そうそう、頂上したの広場のみやげもの店の前で、おしっこ、しました。水戸の天狗党の逃走路を探索していた時には、あっちから、こっちから古道をさがしながら、登ったこともあった。坂東巡礼では、山麓の巡礼寺を巡った。たしか近くのホテル泊まりの旅だった。
女体山から、乗客ひとりの贅沢ケーブルカーで下山。納豆入りコロッケ(150円)を食べながら、12時発の乗客ひとりの直行バスに乗車。バスの中の暖房がありがたい。大鳥居停車場で、5名乗車。なんと。駅から同乗の人たちだった。「ケーブルダメなんて、知らなかった」、「でも、うどんがおいしかったね」、「あたたかくなったら、もう一度ね」、との会話。早めの情報で、頂上へ行けた、しめしめ。にやにやしている自分の顔が想像できた。こうゆうのって、やたらうれしいものです。
   平成も これで打ち止め 乗り鉄の旅


2018年12月12日水曜日

霜の朝 乗り鉄は往く 水郡線

12月10日、「行こう、水郡線だ」
 朝、玄関の新聞受け、ない、新聞が入っていない。ひと呼吸してわかった。休刊日、月1回の休刊日だった。じゃあ行く、か。5時、外は真っ暗。寒い。図書館も休館日だし。
 上野発の常磐線ホームは、通勤客で混んでおり、ようやく手に入れた指定券で特急いわき行きに乗った。7時30分発。全座席指定、満席だった。綾瀬駅の千代田線ホームで、快走する1時間1本のこの列車を、眺めながら、「乗らなくちゃあ」、とつぶやいていた。
水戸も、いわきもなんどか乗っている、仙台まで乗ったこともあるけれど、いつも普通列車だった。見慣れた車窓風景。土浦あたりからの筑波山も、見慣れた光景だ。畑には、うっすら霜。こんな早くから、蓮の収穫をしている人の姿も。
 09:22発、水戸~郡山へ
 電車が遅れたおかげで、水戸駅での待時間がなく、乗ったらすぐに発車。通勤時間がすぎており、乗客は少ない。ジーゼル車、4両編成の水郡線。全長142k、各駅停車47駅、3時間10分、という水郡線、たしか、昔、いちど乗車したことがあるが、記憶は定かではない。上野は、曇りだったが、こちらは、晴天。たんぼ、畑の中を走る。車窓からは赤い柿の実、黄色いゆず、色とりどりの菊の花、白いすすきの穂、結構カラフルな田舎の景色。駅がちょこちょこあるのと、走行が遅いので、景色がしっかり見えるのがいい。駅近くの電柱に、「正直通り」、「元気通り」、なんて通り名が貼ってあった。
 スイカは、ダメの水郡線
 この路線だけではない、日本全国のJR、無人駅が増えている。木造の撮り鉄が喜びそうな木造の駅舎がいくつもあったが、建物が残っていても、無人駅が多い。だからスイカはダメなのだ。常陸太田駅で、4輌の車輌が引き離され、終点の郡山へは、1輌のみ。ワンマンのはずが、スイカが使えず、結局、切符係のお兄さんが乗車していた。進行前方には、うっすら山並み。左の山は、那須あたりか。水郡線は、茨城(水戸)から福島(郡山)への路線だ。茨城内の駅名には、常陸○○、福島に入ると磐越〇〇、となる。地方の駅名には、読めない、珍しい読み方が少なくないが、こんなのがあった。瓜連(うりづら)、静(しず)、仮名がなければ読解無理。郡山駅には、律儀にも、時刻表ぴったしに
到着。東京駅行き新幹線は、10分待ち。キオスクで50円引きのおにぎり2個ゲット。
車内はがら空きだった。水郡線の車内、駅ホームが寒かったので、新幹線車内の暖かさがありがたかった。さすが東北のお米、おにぎりがうまい。左手の筑波山が、あっという間に見えなくなった。水戸~郡山が142k、3時間10分、郡山~上野が225k、1時間
30分。昼でも6℃だった東京、雲っていたけれど、暖かかった。
 

2018年11月28日水曜日

うまいもん 秋

秋だ うまいもんだ
11月もあと3日で、今年最後の月12月。
ここのところ、旅に出ず、神明町で日々を過ごしている。一日一品料理に挑戦中。
(実は、ゆ友の料理上手な方から、嫁いできて、姑さんから、一日一品料理を伝授され、料理上手になったとのこと)。で、今からでも遅くない、やるか、と。
山芋(自然薯) 上州の親戚から毎年届く山芋。今年も届いた。2本あったので、1本をご近所さんにお裾分けしたら、お返しにまぐろのぶつをいただいた。擦った山芋が多いので
まぐろにかけて食す。さすが秋の代表的な味覚です。うまい。のどごしもよろしい。しっかり完食。ところが、後が続かなかった。山芋だけで、満腹状態に。せっかく炊いて新米ご飯、一粒も食べられなかった。寝てからも、なんとなく胃が重たく、山芋は、当分食べない。ちなみに、同じサイズ、もう1本の山芋は、家族4人で食べたそうです。
おでん  目の前のコンビニでは、まだ残暑の9月からおでんを売っている。11月に入り、そろそろおでん、か、と買ってみた。いちばんの売れ筋は、大根、ソーセージ、揚げに具が入っている袋もの、だそうだ。つくね棒、ちくわぶ 、こんにゃくなどを買った。
結構、おいしかった。翌日、自前のネタでおでんづくり。まあまあの出来ばえ、ご近所さ
んに宅配。
あじ  さんまとあじ、どちらがうまいか、の論争後、スーパーへ。さんまよりあじの方
が安かったので(一匹100円)あじにした。内心、さんまのつもりだったが、ま、いいかとあじ二匹購入。適当にさばいて、大根と煮た。味がしみるまでしっくり。試食してみたらなーんと、しょっぱい。それでは、と水をたして味を薄めたら、あじも、大根もぐちゃぐちゃになってしまい、人さまには、提供不可の状態でした。あじの味よくなかった。
きんぴら  朝の3P0で、採れ立ての人参をいただいた。で、挑戦は、きんぴらごぼう。
ごぼうを買ってきて、シュトラウスのワルツなどを聴きながら、時間をかけて、人参、ごぼうをこまかく切った。途中で、包丁を研いだりして、1時間ほどかかった。ごま油で炒め
唐辛子をふりかけ、出来上がり。どうかな、つぶやきながら、残っていた根ショウガを千切りにして入れてみた。この隠し味が大成功。ご近所さんから、料亭の味と褒められた。
かぼちゃとさつまいも煮  ハロウィンで売れ残ったかぼちゃをいただいた。農家のHさんちで、掘りたてのさつまいもを貰ったので、この際だから、いっしょに煮てみよう、と。味つけは、砂糖と醤油。よく煮過ぎで、かぼちゃの黄色、さつまイモの白がまぜこぜになったあんこ状態。スプーンで食べた。でも、まずくない。
ボジョレーヌーボー  テレビ、新聞などで解禁が報じられ、綾瀬のスーパーマーケット
でも特設コーナーに並んでいたが、買う気なし。と、普段あまり親しくしていない風呂友が「あの、ワイン好きですか」、というので。ええ、まあと。ボジョレーヌーボー、買ってみたけれど、「口にあいそうもないので」、とまだ栓をぬいていないボトルを下さっ
た。さっそくチーズクラッカーで、試飲してみたが、うーん、うまくない。騒ぐほどない
今年のボジョレー、それでも、いただきました。
八街の落花生  千葉県の八街(やちまた)、福島原発後、汚染の風評があった八街へ行ってみた。街中を歩き、老舗らしき構えの店で、ご主人と落花生談義。「八街の落花生は
安全、安心」、というポスターをいただいて帰った。今年で、7年めになる。毎年11月
になると、注文している。ポリフェノール、オレイン酸、ビタミンE,Bも含まれているという落花生。今年も食べてます。


2018年11月19日月曜日

芸術の秋

オペラ『AIDA・アイーダ』 11月5日
 MET(米メトロポリタン歌劇場)で上演のオペラの名作が、東京で観ることが出来る。東劇の大スクリーン映像で、結構臨場感あるオペラだ。数年前から東銀座に通っている。東劇で、『寅さん』シリーズを一挙に上映したのを、観に行った時に、オペラのライブ上映を知ったのだ。この日の出し物は、ヴェルディのアイーダ。エジプトに囚われたエチオピアの王妃が、エジプト軍士官と恋に陥り、二人とも死んでしまうというストーリー。エチオピアとの戦闘で勝利したエジプト軍の兵士、人民たちによる凱旋の合唱、これが見どころ、聴きどころ。同じヴェルディの『ナブッコ』の合唱も聴き応えがあるが、アイーダもいい。現役時代、アイーダ見物のためにローマへ行き、たしかカラカラ浴場だったかで、ホンモノの馬が出てくるシーンに感動した。METの舞台装置もなかなか壮大だった。

上野で『ムンク展』 11月7日  ついでに青森物産展
 一年ほど前からPRしてきたムンク作品の展覧会が、始まった。上野公園で青森物産展があるというので、ついでに行ってみるかと出かけた。物産展は、絵を観てからと東京都美術館へ。入館の際に、ちょいと並んだが、会場は、それほど混んではいなかった。ナマの絵の具を塗りたくったような「・・・・魂の叫び」の絵の前は、さすが混んでいた。説明によると、あの絵は、同じ作品が4枚あるとのこと。オスロから東京に出稼ぎにきていても、あと3枚があるということ。オスロで、ムンク美術館へ行ったが、連れていってくれたノルウェーの友人も、自慢するでもなく、特段、感動しなかった気がする。ムンクさんは、自画像が好きらしい。何枚もあった。もういいや、と公園内の物産展へ。ちょうどちんどん屋が演奏(?)を始めたところだった。ちんどん屋が、なんとも好みなのです。吉幾三の演歌が次々に演奏され、会場内の物産のブースをまわる。オンナ3人の演奏で、リーダーらしき女性が、会場内コースをずっとついてくる人(私)に気づき、時々目くばせなど。。。。結局、30分ほど、ちんどんの追っかけをして、ニシンの粕漬(700円)を購入。湯島まで歩いて千代田線で帰宅。ムンクより、ちんどんの方がよかったな。

マイク・ムーア映画『華氏119』  11月9日
 ムーア監督の映画は、N.Y.貿易センタービル爆破を題材にした・・・911、あれは衝撃的だった。今回の・・・119、は、2年前の11月9日、トランプがアメリカ大統領選挙の勝利宣言をした日だ。オバマの後、民主党のヒラリークリントンが、女性初の米大統領になる、と信じて疑わなかった。が、なんと、自分ファーストのトランプが大統領に。
トランプ大統領のこの二年間、アメリカの社会は、どう変わったか。社会派の監督が、民主、共和党政治家たち、支持者たち、ワシントンのホワイトハウスの内情などを、真実みたいな、風刺みたいな映像に仕上げていて、観る者たちにアメリカ社会の分断の実態を投げかけている。フロリダの銃乱射事件で、銃規制運動に立ち上がった高校生たち、ウエストバージニアの公立校の教員のストライキ、水道汚染で鉛中毒患者を出したミシガン州の
共和党知事とトランプ大統領との関係、などなど。中間選挙を意識しての封切映画。選挙では、上院はトランプの共和党が、下院は、民主党が勝利するとの結果だった。

 




 

2018年11月3日土曜日

「今は、もう秋」-小さな旅ふたつ

日光わたらせ渓谷鉄道 10月29日
 韓国の鉄旅で、紅葉を愛でてきたので、それでは、わが日本国の「秋」を、と出かけた。いつも通り、なんとなく日光方面へ。東武線(今は、スカイツリーラインという)で
日光へ。なんども乗っているのに、気づかなかったこと。この路線には、トンネルがありません。着いた東武日光駅前の路線バス乗り場、行列が長ーく、整理係が3人もいた。中禅寺湖往きバス、座席に座れず、立ちんぼ客で満杯。立ったまんまで、あのいろは坂を往くのか。ほぼ全員、外国人観光客だ。秋晴れの、日光日和なのに、難儀な路線バス。
 中禅寺湖方面は、あきらめて、わたらせ渓谷へ行ってみようと決めた。すぐ下のJR日光駅前からのコミュニテイバスで、足尾方面へ。道が狭いので、交通量は少ない。紅葉の盛りは、ちょい過ぎた感じ。茶色くなった葉っぱが、風で飛んでいる。
 長いトンネルを出ると、景色は一変、秋景色。両サイドの山々も、秋模様、よろしい。
 わたらせ渓谷の終点間藤駅でバス下車。観光バスが2台とまっており、無人駅の駅舎内、プラットホームで、電車を待っていた。30分ほど待って、列車到着。2両編成。旧足尾銅山の記念館あたり、平日なので人気(ひとけ)なし。一日一往復(大間々~間藤間)のトロッコ列車は、春の桜、秋の紅葉時に運転されていて、途中駅ですれ違った。間藤駅で乗車の団体さんたちは、20分ほど乗って下車。駅前には、バスが先回りして待っていた。
 桜もいいけれど、渡良瀬川の清流を、赤、黄色の葉っぱが流れていく様子、たしかに今は、もう秋、です。
     花のない しだれ桜の 秋わびし
 桐生駅が終点だけれども、途中の相老駅でおりて、太田からきた浅草行きに乗った。持参のおにぎりを食べながら、帰宅。 わたらせ渓谷鉄道ーわ鐡(90分・1050円)

奥多摩湖・山梨小菅村  10月31日
 せっかく行った日光が、なんとなくいまひとつ、消化不良の紅葉見物だったので、それでは西へ、と都内西のはずれ奥多摩湖へ。東京、東のはずれ神明町からは、まさに東京横断、千代田線、中央線、奥多摩線を乗り継ぎ、3時間がかりで奥多摩駅(氷川駅)到着。
青梅から二両編成の電車には、座れない人もいたほどの満員状態。中高年登山愛好家の人
たち。どちらかというと、オンナが多い。彼女たちのいでたちがなかなか。登山靴、上下登山着、色とりどりのブレーカー、安くないブランドもの、カネがかかっている。日帰りのはずなのに、なんであんなに大荷物なのか。
 駅前で待っていた路線バス数台が、発車。駅員が、乗らなかったんですか、と。これから行くところを決めようか、と言うと、「そうですか」。
 駅にあったパンフレットを読んだりしていたら、バスが一台車庫から出てきた。行き先は、小菅の湯行き。乗りますか、と運転手。で、乗車。乗客ひとりで、発車。いい天気。
道路際の表示では、12℃、風なし。40分ほど奥多摩湖を見ながらのバス旅。運転手さんによると、紅葉の見ごろは、あと一週間だね、とのこと。それでも、山々は、充分「秋」風景。『ここから小菅村』の標識。運転手さん、「お客さん、もし、東京のシルバーパスならば、この先は使えませんよ」。そっか、ここで降りるわけにはいかないな、と終点まで行くことにした。ところが、です。山梨県に入ったとたん、景色は一変、それは、それは、素晴らしい紅葉風景。赤は、真っ赤、黄色は、真っ黄色、農家の軒には、びっしりの吊るし柿、視界の周辺の山、秋一色。運転手さんも、ここは、いいね、きれいだね、と。山梨県の小菅村、ここの温泉には、塩山から歩き、大菩薩峠に登った時、下山し、入ったことがある。終点なので下車。時計を見たらまだ12時前。塩山行きのバスも、奥多摩駅へのバスも、2時すぎなので、温泉で時間をつぶすのも、とこのバスで戻ることにした。「温泉にきたんじゃないんですか」、という運転手さんのバスで、帰りも乗客ひとりで発車。途中の奥多摩湖バス停で3人乗車、1時すぎには、始発、終点の奥多摩湖駅着。帰りの電車は、青梅、立川までは、がらすき。さすが中央線、立川駅からは満杯だった。シルバーパスが使えなかったが、小菅村、紅葉、よかった。

2018年11月2日金曜日

往きも帰りも、船の旅ー韓国

韓国の旅 10月20~24日
 4月に山陰の乗り鉄の際に、境港へ行った。ここからロシアのウラジオストック、韓国の東海(トンヘイ)へ船で行けることを知った。7月のウラジオストックへは、日程の都合で成田から空路だったが、韓国は、船でと決めていた。海外へは、これまで、成田や、羽田から飛行機でという旅だったが、船で出国してみたかったのだ。今回の旅の第一目的は、飛行機に乗らず、海路で往復する旅。
   10月20日(土) 19:00 境港出発            船中泊
   10月21日(日) 09:00 韓国東海港泊
                   東海駅~江陵駅経由~ソウル駅へ  
             16:29 ソウル駅着           ソウル泊
   10月22日(月)                       ソウル泊
   10月23日(火) 07:50 ソウル駅発~釜山駅へ
             10:07 釜山駅着 
             15:00 釜山港発            船中泊
   10月24日(水) 10:00 大阪南港着
「ゲゲゲの 」境港
水木しげるの出身地境港へは、東京駅から新幹線で岡山へ、ここから特急で米子へ。境港線(JR)で終点の境港駅へ。神明町から約8時間。ちなみに、境港線の駅には、「ゲゲゲ 」に出てくる妖怪の駅名がついている。駅前には、約1キロ、キタロードなるものがあって、妖怪のモニュメント、妖怪まんじゅう、妖怪アイス、妖怪グッヅ店がずらっと軒を連ねており、週末の観光客がぞろぞろ歩いていた。「ヨーカイ」、「ソーカイ」。
ロシア国籍船イースタンドリーム
境港からは、沖ノ島行きの船も出るが、ロシア行きも、韓国行きも、ここからではなく、バスで20分ほど乗った港の幅先端が船着き場。この日の乗船者は、9週間の日本国内旅をしたというドイツ人カップル(大荷物4個)、ロシア人若者男女4名、時間ぎりぎりに到着したバス2台の韓国人団体客、チャリ旅の韓国人男性6人組、欧米系らしい中高年のひとり旅男性、船にご一緒する客、こんな感じで、100人前後。時間になり、出国手続きの列に並んだが、パスポートをちょいと覗いただけの超簡単なもの。岸壁の船は、予想していたより大きい(2万トン)。ロシアと韓国を行ったり、来たりしている船だ。
 乗船が、なんと縄梯子。ユーㇻユーラ揺れる、足を乗せた板きれの下に地面が見える。
大荷物を持った乗船客たちには、韓国人らしいスタッフが手伝っていた。
 船室は、2段ベッドで8名部屋。枕、毛布、シーツ付。幅も高さも、シベリア鉄道よりずっと広い。ドイツ人カップル、欧米系男性の4名だったので、ゆったりだった。トイレは、さすがにきれい、シベリアよりずっときれいだった.船内には、免税店、コンビニ(駄菓子、カップ麺など)、サウナもある。免税店には、ロシアのみやげも陳列していた。食堂もあるが、持ち込みのパン、コーヒーですませた。船内では、日本円、米ドル、韓ウオンが通用可。
 ま夜中にトイレに起きた時、デッキに出てみたら、船は停泊中。遠くに灯りが見えた。
もう韓国領なのか。時間つぶしをしていたようだ。
 朝、6時32分、水平線の下から、そろそろ上がってくる「太陽」を、しっかり鑑賞。
東海港についた 
 船は予定の時間に到着。ここは韓国。入国手続きが、韓国人優先で、日本から持ち込みの大きな荷物の検査で1時間ほど待たされた。手続きは、簡単だったが、出た時には、人はほとんどいなかった。港湾の銀行で換金をしていたら、もうひとりの乗船者の日本人女性に会った。あちらも、日本人乗客は自分だけかと思っていました、と。ここからウラジオストックへ行くとのことだった。
 外へ出たら、客待ちのタクシーが数台停まっていて、どこへ行くのか、というので、東海駅、というと、ひとりの運転手が、「乗りなよ」、と。持参の地図を見せながら、歩いて行くので、と断った。と、別のタクシードライバーが、「そうだ、そうだ、歩いていきなさい」、といい、手にした地図の駅を指でさして、15分くらいだよ、と。いい天気、韓国でも北の地なのに寒くない。道路も整備しており、しかし、ほとんど車は、走っていない。人の姿もない。静かな地方都市っていう感じ。日本の地方と変わらない、いいね、とひとりごと。と、後の方から、車のクラクション。さっきのタクシードライバー。丸顔、首に金のネックレス、薄い色の眼鏡、紫色のダウン、お洒落さんドライバー。「まっすぐ行って、線路が見えたら右に行くと駅だよ」、と大声で叫んで走っていった。
 駅が見えてきた。と、あのタクシードライバーさんが、手を振って迎えてくれた。駅舎の入口まで連れていってくれて、予約しているか、切符持ってるか、と聞くので、切符を見せると、1時間あるね、あと10分で来る列車もあるよ、と教えてくれた。それなら、と駅窓口で変更手続きをしたら、特急から普通便に変更したので、お金が戻ってきた。タクシードライバーに、報告。と、改札を出る際に、あたたかい缶コーヒーを、「プレゼント」と言って手渡してくれた。「カムサハムニダ」、韓国語で御礼。なお、彼とのこの間の会話hが、日本語、英語、韓語の片言だった。充分意思疎通が出来ていた。
江陵駅からソウルへ
 東海駅から江陵駅(カンヌン)までは、海岸すれすれを走る路線、江ノ電みたいな路線で、海の向こうは日本海、陸の続きは、北朝鮮、その先は、ロシア。韓国人乗客が写真を撮っていた。
江陵駅は、冬季オリンピックのあった平昌(ピョンチャン)のために新設された駅。駅の外には、オリンピックのモニュメントがあった。駅は、ま新しく、空港並みの諸施設だ。この駅から、ソウルまで2時間、釜山までの直行便もある。駅待合室のベンチだけでも500人分くらいある。構内には、わかめ、するめ、貝などのご当地特産品の店もあった。日本のデイカウントショップ、ここではstory wayが、駅中(えきなか)に3店もあった。おにぎりを買ったら、中味は、キムチ。ここは、韓国だ。
 ソウルへの列車は、日本の新幹線。とにかく、トンネルが多い。スピードも、乗り心地も、新幹線。たまーに車窓の視界が開くと、田んぼや、畑、人家などが、下の方に見える。つまり、新幹線は、平地より高い所を走っているのだ。車内座席は、日本は、通路の両側に2席、3席タイプだが、韓国は、1席、2席タイプ。アテンダントという男性が、飲料水のペットボトル、スナック菓子の小箱を配っていた。車内販売なし。自動販売機なし。駅のホームは、各列車の乗車口より低く、大荷物を持ち上げるのが大変。なお、新幹線停車駅には、ホームドア―が設置してあった。発車は、小さな音で、ピー、ピー、ピー
というだけ。各座席毎に充電差し込み有。だからか、パソコン操作の客が少なくない。
ソウルで二泊
 韓国訪問は、なんどもあったが、プライベート訪問は、たしか1968年だった。鍾路区だったことが判明。泊まったのは、YMCAで、韓国人友人の案内で行った「パゴダ公園」。予約していたホテルが、鍾路区だったので、22日朝、周辺を歩いていたら、公園があり、TAPGOL公園との表示。入ってたら、石の説明板があって、なんと旧名が「パゴダ」だった。1913年3月11日、学生たちがこの公園に集まり、朝鮮独立を宣言したという3.1運動で知られる歴史的な公園。当時のソウルは、京城で、日本統治下にあり3.1運動が、この公園から全国に広がった。園内の歴史的な建物六角堂の横のベンチで
2時間ほど沈思黙考。日韓関係の今、北朝鮮のこと、など、歴史的なパゴダ公園で、考えさせられた。ソウル訪問のハイライト。
 夜は、このあたりは、繁華街。屋台が1キロほど続く、賑やかな通りとなる。あめ横、
渋谷の繁華街みたいな通りで、韓国人だけでなく、観光客で賑わうストリートだ。欲しいモノ、買いたいモノもなく、はやばやとホテルへ戻った。
 昼は、パゴダ公園のフェンスの裏側が、「おばあちゃんの原宿」といわれている巣鴨の
韓国版「おじいちゃんのパゴダ」風景だった。50人、60人くらいの高齢男性たちがたまっていて、ゲーム盤に興じる人たち、自動販売機の焼酎(?)を、おでんの串刺しで食べる人たち、なんとも楽しそうな風景だった。日本には、いや東京には、こんな所はない。ソウルが、東京よりも高層ビルだらけで、道路は、終日渋滞、だから大気汚染のビッグシテイ。朝の通勤時、着飾って、さっそうと歩く女性たち、かっこいい。テレビの人気アイドルのプロマイドの店に行列ができている。繁栄する韓国には、まさに目を見張るばかりだったが、別の面も見えたソウルだった。
ソウルから釜山へ
朝いちばんの列車で、釜山へ。早朝のソウル駅、早くから通勤客が地方から乗ってくる。韓国の駅には、改札口がない。車内での検札もない。切符は、券売機で買うが、薄い紙きれ風の切符、有難みが感じられない。無賃乗車、ないのだろうか。
 ソウル駅のホームへの入口には、いわゆる駅弁店が5軒。日本のホットモット店もあった。300~1000Wが駅弁の値段。2時間で着いてしまうので買わなかった。
 途中で停車の駅、太田、大邸で、ネクタイ背広のビジネスエリートたちが下車。韓国でもこうした男性たちが、新幹線通勤をしているのだ。車内アナウンスは、韓語、英語、釜山近くでは、日語もあった。この路線は、トンネルが少ない。団地、工業地帯などが多い
釜山駅は、古いタイプの駅。天井も高くない。構内店も少ないが、ここでサンドイッチを買った。駅前の大通りを渡った向うが、釜山港だ。
釜山港から大阪港へ
 釜山港の乗船ターミナルは、コンビニが1軒、船会社の窓口事務所、それしかなく、体育館なみのだだっ広い建物。出航予定のスケジュール表があり、対馬、福岡、唐津、下関、大阪、となんと、本日の午後便の全てが日本行き。釜山からは、2時間、3時間で着いてしまう日本。韓国は、ほんとうに近い国だというのを実感した。
 午後2時乗船。バンスタードリームは、韓国籍の船で2.5万トン。545人乗り。韓国人団体60人くらい(2組)と、数人ほどの日本人(在日の人も)。乗船は、縄梯子でなくて、建物から続くエスカレーター。さくがは国際港釜山。出国手続きほぼなし。船内ロビーに入るとクラシック音楽の生演奏。イムジチの四季、グノーのアヴェマリア、バイオリンとピアノの生演奏で、欧米系の女性ふたり。この船には、サウナ、カラオケ、日本酒バー、免税店、コンビニなどがある。部屋は、マットレス、シーツ2枚、枕、毛布つきで、6人部屋だが、乗客が少ないので、大阪在住の在日女性(60代)とふたり。毎週この船便で、韓国野菜の買い付けにきているとのこと。たくましい女性の話、しっかり聞くことが出来た。大阪港での再入国審査は、ほぼフリーだった。
 16時30分ー対馬、21時―下関、瀬戸大橋朝6時、明石8時半、大阪南港には24日朝10時着、というスケジュール通りの航行だった。23日の夕陽も感動だった。
 往きも、帰りも、揺れはまるで感じられず、静かな海路だった。停泊が多く、到着港での時間調整をしているようだった。静かな船旅で、海外旅行。
 


 

2018年10月12日金曜日

仏像を訪ねて  身延の「木喰」、大報恩寺の快慶・定慶

高速路線バスで身延へ
今秋は、9月末と10月第二週に、三連休があり、10月連休三日めの八日、いつもの通り、思い立って出かけることにした。行き先は、山梨の身延町の身延なかとみ現代工芸美術館。身延出身の仏師木喰の特別展示会。新宿駅隣接の新宿バスタ(バスターミナル)から出ている身延行きバス、7時45分に乗車、乗客は、14名。路線バスなので、途中の停留所(高速道路上)で乗せた客は3名だった。都内は曇り、山梨は晴れの天候だった。

木喰展
バスは、美術館前にとまり、帰りの時刻表を確認して入館。11時過ぎだったが、駐車場は、満杯だった。ナンバーを見ると、地元山梨、静岡、東京、大阪、京都、新潟など、遠方からの来館者が多い。入場料金は700円。場内の説明によると、身延で生まれた木喰は、22歳で出家、各地を廻り、61歳になってから第一作の釈迦如来像を彫り、93歳で亡くなるまで1000体もの仏像を作ったとのこと。大正12年になってから柳宗悦が山梨の甲府で最初の一体を発見、次々にその存在が明らかになってきたという木喰仏像。
展示の木喰仏像の顔の表情は、どれもなんとなく微笑んでおり、いかにもおかしい、というか、可愛いというか、童顔っぽく、どれもとってもやさしい。3,4年前だったか静岡県立美術館での「円空・木喰展」を観たことがあったが、今回の木喰仏像は、どれも圧巻だった。そういえば、パリのルーブル美術館の「モナリザ」の微笑、日本人観光客必見だそうだが、日本にだって、木喰微笑み仏像があることを忘れてほしくないものだ。
 木喰よりも100年以上前の仏師円空(岐阜生まれ)の方が、よく知られているが、どちらかといえば、木喰の方が好きだ、とひとりごと。

三連休最後の日の高速路線バス
美術館からすぐの富士川の土手で、持参のおにぎり昼食。富士川は、静岡の清水から甲府まで歩いたことがある。身延山のあるこの旧街道は、日蓮さんが歩いた道でもあり、かつては、山梨から太平洋側へ出る物流の富士川であった。今、JR身延線が走っているが、
利用者も減り、本数も少ない路線だ。ちなみに、JRの最寄の駅から美術館までは、タクシー利用しかない。
 13時35分の新宿行きの路線バスは、予定通りだったが、途中、各停留所で大荷物を持った帰省客(?)が、次々に乗り込んできた。外国人旅行者も、数名おり、予約制なの
で、ほぼ満席状態で、高速道路に入った。1時間ほど走って、後は、停まったり、のろのろ運転で、トンネル内でしばらく停車状態も。結局、新宿バスタに着いたのは、6時間後だった。神明町着が、8時すぎ。木喰には感動したが、高速路線バスは、最悪だった。

上野で、快慶・定慶のみほとけ展
10月10日、出かけたついでに、覗いてみようか、と上野公園へ。木喰の仏さんを観たばかりだったが、めったに見ることが出来ない、との触れ込みだった京都大報恩寺の秘宝仏像展。公園内の黄色くなった銀杏の実を蹴とばしながら、東京国立博物館へ。入館料は1400円。鎌倉時代の珠玉の仏像というだけあって、六観音、十大弟子立像、釈迦如来像など、さすが秘仏。展示の像の後側・背中部分にも照明があてられて、よく見ることが出来る。全て国宝、混雑状態ではなかったが、観覧者は多い。こちらの仏さんたちは、みなさん表情は、暗い、深刻な顔つきだ。仏さんの前に立つと、手を合わせたくなるような表情。平成25年だったが、運慶作の仏像展があり、行ったことがあった。こちらも、重要文化財だった。帰宅したら、仙台の知人から、東北の新米の宅急便。



2018年10月7日日曜日

関東八十八か寺巡礼ー後半9月26日~29日

千葉、神奈川、東京、埼玉の寺を巡礼
前回は、8月末の4日間、群馬、栃木、茨城と千葉の一部を巡拝。今回は、千葉の残った40の寺のお詣り。九十九里を南下し、山武市の勝覚寺からスタート。
第一日:房総最南端の立山、勝浦、木更津の寺々を廻り、館山の休暇村に宿泊。台風うはまだ沖縄の方なのに、海は荒れており、海岸ぎりぎりのホテルの窓からは、大きな波が沖から打ち寄せられており、波の音もはんぱじゃない。津波がきたら、一発、助からないと
一晩中、時々目がさめ、カーテンを開けて、海を眺めた。この日は、曇り、時々小雨。
第二日:朝いちばんに那古山の中腹にある那古寺へ。坂東三十三観音霊場の結願寺でもあり、前に来たことがある。源頼朝が平家討伐の祈願に建立したという霊場。ここから浜金谷のフェリー乗り場へ。東京湾フェリーで、対岸の横須賀浦賀へ。ここは、東京湾で一番狭い所で、40分のフェリーで、ひとり650円。アクアラインと比べると格安。この日のフェリーには、観光バス(中国人観光客)1台と一般乗用車7台だった。下船し、三浦半島最南の妙音寺(58番)、鎌倉の59番青蓮寺、伊勢原、大山など南の寺を廻り、新横浜駅前のビジネスホテル泊。太陽は出ないものの、ほぼ一日曇り空。
第三日;横浜市内、町田周辺の寺を巡った。以前、このあたりの小机観音霊場を、歩きでお詣りしたことがある。横浜が畑が多く、坂も多い丘陵地帯というのを、今回も実感した。午後は、青梅の塩船・観音寺へ。ピンク、白、赤の萩の花が見頃だった。この寺もこれまで3回きたことがある。快晴の一日、昼は、猛暑だった。翌日の道巡を考えて、埼玉の南部岩槻駅近くのビジネスホテル泊。
第四日:桶川、吉見、久喜、加須、深谷、本所、秩父の寺を巡拝。最後は、妻沼(熊谷市)の聖天山・歓喜院、広い境内だが、参拝者はちらほら。奥の院の彫刻が有名で、以前来たことあり。関東八十八か寺巡拝の結願を無事終え、名物の大稲荷寿司(3本で450円)を食べた。雨がポツポツ落ちていたが、熊谷駅に出て、帰宅。

2018年9月18日火曜日

秋をみつけに 磐越西線

新潟駅か、郡山駅か
 翌日会うことになっていた約束が、相手の都合で延期になったので、「行くか、乗るか」と、朝いちで上野駅へ。地下の新幹線ホーム、片や上越線、片や東北線、早く来た方に乗る、と到着を待つ。仙台行きが先にきたので乗車。本日の乗り鉄は、郡山から新潟までの磐越西線だ。10分ほどで大宮駅、長い行列、自由席はほぼいっぱい。通勤客たちのほとんどが宇都宮駅で下車。そういえば、上野駅通過の東京駅行き新幹線も、朝の便は、通勤客でいっぱい。最近の通勤には、新幹線利用があたりまえになっているようだ。
 2時間ほどで郡山駅着。4分の乗り換えで会津若松行きに。通学、通勤時間を過ぎているので、乗客は、まばら。猪苗代湖が少ーし見え、フラダンスの磐梯熱海駅通過。会津若松駅に着いたら、10分の乗り継ぎで喜多方行きが出るというので、列車から列車へ移動するだけ。4,5年前、ま冬の季節に磐越西線に乗ったことがあった。会津若松駅、喜多方駅で下車して、市内を歩きまわったので、今回は、「乗る」だけ。
 沿線は、紅葉にはまだ、まだ、で、唯一あたり一面、茶色のすすきの穂、風に揺れている。ああ、秋だ。新津経由で新潟駅に着いたのが13時40分。
 朝からおにぎり一個だったので、新潟駅に着いたら、昼食を、のつもりだったが、上野往き新幹線のアナウンスが聞こえると、考えることなく新幹線ホームへ。で、乗車。こちらも2時間で上野駅着。新幹線は、当たり前だけれども、早すぎで、もう景色なんか楽しむどころじゃない。シベリア鉄道がなつかしい。上野駅のエスカレータに乗っていたら
なんだか眩暈(めまい)がした。水分補給不足、胃袋からっぽ、の一日「乗り鉄」だった。この日の夕食は、駅弁(950円)。気分は、満腹でした。      9月12日

2018年9月11日火曜日

関東八十八か寺巡拝ー三泊四日

『遠心会』巡礼
4年前に立ち上げた巡礼をする隠居の会(遠心会)、今年3回めの前半は、関東八十八寺。群馬県、栃木県、茨城県の40か寺を、8月29日から9月1日までの四日間。本家お四国の八十八寺を模した弘法大師を祀った寺が、関東の七都府県内の寺によって結成れたものだ。残りの千葉県、神奈川県、東京都、埼玉県の寺は、10月に継続して巡る予定になっている。
 第一日めは、JR高崎駅に集合、有名な、遠くからも見える高崎観音へ。前に二度来たことがある。ここから中山道の宿場でもある松井田に出て、不動院、金剛寺へ。あいにくの曇り空、妙義山も浅間山も見えなかった。藤岡、伊勢崎、桐生、太田の寺をまわり、宿泊は、足利駅前のビジネスホテル。途中通った下仁田、毎週末に通った西上州の山歩きを思い出した。南牧村から佐久までの山道を歩いたこともあった。
 第二日めは、栃木県。夕べは風雨が激しかったが、朝の出発時にはやんでいた。足利市、栃木市、宇都宮、鹿沼、益子などの寺をお詣りし、宇都宮駅近くのホテル泊。移動の車のエアコンの故障、お詣りの寺までの歩き道、ともかく暑かった。夕方小雨。
 第三日めは、栃木の残った寺、茨城の寺へ。水戸周辺、鹿島、土浦、石岡など。午後から筑波山あたりが暗くなり、夕立模様に。鬼怒川、那珂川などの橋を渡った頃、大粒の雨が降り出し、あっちでも、こっちでもという具合に稲光、雷が始まった。宿泊の土浦への途中、筑波の学園都市あたりでは、走れないほどの激しい雨だった。目の前で、落雷、こわかった。ホテルに入り、テレビのニュースを見ていたら、午後、通過した町の多くが落雷で停電になったとか、雷が落ちて火事になったとか、とにかくひどい悪天候だった。
 第四日めは、茨城の続きで、古河、坂東、常総、取手などの寺を巡り、早々に引き揚げることになり、3時には、東京駅に帰着。
 朝7時から夕方6時すぎまで、車に乗ったり、降りたり、本堂でお経を挙げ、ご朱印をいただき、寺によっては、住職さんの法話を聞かされたりで、休む時間なし。昼食は、コンビニ弁当。これが四日間も続くと、さすがにくたびれる。
 ところで、地方のコンビニは、大きなトラックが数台も駐車できるほどの広さ。運転手さんたちが、車の中で食事をしていた。コンビニのスタッフの多くは、中高年の日本人。
神明町など東京のコンビニでは、外国人(中国人が多い)がメインだが、地方では、高齢者に職場を提供しているようだ。
 お詣りした寺で、賽銭箱なし、がいくつもあった。はした金はいらない、ということか。麦茶、お菓子などのお接待を下さった寺もあった。
 群馬では、こんにゃく畑が広がり、穀倉地帯の栃木、茨城では、稲刈りが始まっていた。紅葉には、まだまだ早いけれど、山々は、うっすら黄色になっていた。
 かなりの強行日程だったが、同行のみなさん(男三人)、「これもお大師さんのおかげ」、と異口同音。次回は、暑さも和らぐ秋の10月。

2018年8月26日日曜日

猛暑、酷暑の夏は、映画館で避暑

シベリア帰りには、堪えるこの暑さ
 行く前も暑かったけれど、帰ってきた東京の暑さには、さすがにぐったりの毎日。お盆の期間中は、涼しい所は、どこも混んでいるので、神明町でじっとしていようと決心したのに、終日、じっとしているなんて、無理。
で、冷房ばっちりの映画館へ。

岩波ホール『祈り』ージョージア(グルジア)映画   8月7日
 旧ソ連時代、70年間モスクワの下にあったジョージアは、黒海に面した国。北海道よりも面積は小さく、人口も370万。レーニン、スターリン下の共産主義時代は、苦難なジョージアだったが、戦後独立国となった。
しかし、現ロシア政府による軍事介入が後を絶たず、南地域、北西地域には、ロシア軍が常駐している。ウクライナ介入と同じように、プーチンがジョージアもロシアに併合するのではないか。そんなこともあり、この映画は、見ておくべき、と決めていた。内容は、ロシア国境でもあるコーカサスの山地でのキリスト教{正教)とイスラム教徒間の抗争の場面に終始する。モノ黒映画で、グルジア語の訳文字が出てくるのだが、これが、まことにわかりにくい。訳文を訳してもらいたいほど。異教徒同士が殺し合うシーンが多く、全体のあらすじがほとんど理解出来ず、納得いかない気分で終った。「祈り』の文字と共に、イスラム教徒の女性の映像のあるパンフレット、これがまことにインパクトがあり、内容など気にせずに、映画館へ、という人たちが多かったようだ。
岩波なら、いい映画、見るべき映画、というイメージ、自分もそうだったのだろう。

愉快だった、笑った『スターリンの葬送狂騒曲』    8月17日
 ロシアで上映禁止、というキャッチコピーを見て、出かけた。前日、年表を見ていたら、スターリンが死んだのが、1953年とあり、なーんだ、まだ、それほど前のことではないんだ、ちょっと前のことじゃあないの。
スターリンの前のレーニンは、自分の後継者にトロッキーを選んだのに、なぜかスターリンが後継者になった。
党幹部の多くを粛清し、独裁政権が続く。そのスターリンの急死で、またまた後継者選びで、残された党幹部たちが画策する様子が、なんとも可笑しい。スターリンの国葬の責任者選び、新政権の大臣選び、党幹部の同志らを排斥、追放しようとする幹部が、袋叩きになり、彼も粛清される。政治の裏面、今もこんなのかな。
 結局、スターリンの後継者には、フルシチョフがなり、戦後続いてきた米ソ冷戦構造が終焉し、彼は、デタント時代の主役を務めた。続くブレジネフは、ワシントンを訪問するなど、対米関係を進め、平和路線を主導するゴルバチョフにバトンが渡された。そのブレジネフ、ゴルバチョフ、ふたりの書記長にクレムリンで会ったという自らの歴史へのコミットメントを、実感した映画だった。
 イギリス人が作った映画、ロシア語でなく、英語を喋るソ連共産党幹部たちだった。

2018年8月24日金曜日

ちょい旅  長野駅から路線バスで小谷村栂池へ

シベリア帰りで、日本の新幹線初乗り
 旧盆休日が終わった8月21日、6時58分、上野駅から新幹線乗車。この日からジパング割引が使える。長野行きの朝の新幹線は、通勤客でほぼ満席。神明町は小雨だったが安中あたりから、晴天。軽井沢では、うっすらと紅葉が始まっていた。暑い、暑いを繰り返しながら、今年も季節は、確実に「秋」に向かっているのだ。
 8時40分長野駅着。2時間足らずで長野へ行けるのです。シベリア鉄道乗り旅から戻って、初めての「乗り旅」。新幹線は、速い、快適だ、でも、早ければいいってもんではない。心地よい速さっていうのもある。新幹線は、早すぎる。車窓からの景色なんて、まるで見えない。目が回る。その点、シベリア鉄道は、窓近くの白樺林、野に咲く花々ひとつひとつが、しっかり視野に入る速さである。線路を往く車輪の音がいい。人間の心臓の鼓動に逆らわないのがいい。
 
長野駅発路線バス
 駅からの路線バスは、善光寺方面への西口より東口が多い。上高地行きバスも出ており、東京や関西からの長距離バスの客たちの長い行列が、上高地行きバスに乗り換えていた。栂池高原行バス停には、人影ゼロ。あと1時間後発だが、いちばんに並ぶ。路線バスなら、定座席に乗らねばならないから.発車10分前に、ようやく客がきた。大きな、立派なバス。冬の最盛期には、スキー客で満員になるのだろうが、この日の客は6名。運転手さん横の定席で、ご機嫌な路線バス旅。大糸線の白馬駅経由で、白馬村、八方尾根ターミナルなど経由で、栂池高原着。たしか3年前だったが、白馬駅から長野駅間は、このバスに乗ったことがある。

雪のない栂池高原の夏景色
 ホテルや民宿が集中しているこのあたり、まず人っけがまるでない。大きな駐車場には
数台の乗用車。ホテルも、売店も開いておらず、12時なのに食事すらできない。道路には夏草、雑草がはえており、夏のスキー場は、なんともわびしい。同じ長野県の乗鞍高原スキー場のある安曇村の夏、やっぱり同じ景色だった。

小谷村の千国街道、あった
 バスターミナルから、しばらく歩いたところに、あった、「千国街道」の標識をみつけた。今回の目的は塩尻から糸魚川までの千国街道歩き旅の際に、たしか白馬からここら辺栂池を通ったのではないか、を確認することだった。千国街道は、信州から日本海へ出る街道で、塩尻(塩の尻)へ塩を運んだ街道でもある。太平洋側からは、愛知の足助(あすけ)から伊那谷を通り、塩尻までの「三州街道」。10年くらい前だったか、こちらも完歩している。いずれも海側から信州に「塩」を運んだ塩の道だ。標識で、このあたりを千国街道が通っていたこと、自分が歩いたことを確認することが出来た。簡単に目的が済んでしまったのに、長野駅行きバスまで1時間もあり、やることなし。昼ご飯なし状態で、バス停の小屋のベンチですごす。それでも山の風は心地よい。なんたって、立山からの風
だ。台風といっても、九州。雲は多いけれど、山も見える。秋の虫も鳴いている。すすきも、茶色になっていて、高原は秋の気配。コスモスも満開だ。小さな白い花をつけたそば畑。信州そば、食べたいな。帰途のバスも、定席確保。白馬駅までの登山客が7名。あとは、貸し切り状態のバスで長野駅へ。往復共、定席、ご機嫌な路線バスだった。15時20分発の新幹線に飛び乗り。栂池高原バスターミナルのトイレで入れた貴重な水を飲み、飲み上野駅帰着。上野駅で買った焼肉弁当を、駅ホームのベンチで食べた。

2018年8月13日月曜日

乗り旅 シベリア鉄道

ウラジオストクへは、成田からプロペラ機で
 7月22日、成田空港。持参の茹でたとうもろこしと玉子を食べながら、慣れてるはずなのに、やや緊張。銀行で、ルーブル換金。搭乗ゲートからバスに乗る。国際空港だから飛行機は、数えきれないほど見えるが、これから乗る飛行機まで15分ほどバスに乗る。まだ工事中の滑走路(?)のまだ先、川崎方面が見えるあたりにポツンと停まっていたのが
これから乗るABPOPA(オーロラ)。【ロシア語では、PはR発音】。プロペラ機じゃあないですか。機内も狭いけれど、機内乗務員は、背の高い、あまり若くないロシア人女性ひとり。出発国の日本語、国際語の英語も使わず、ロシア語のみのアナウンス。2時間ほどの
搭乗中にオレンジジュースが出てきたが、期待していた昼食なし。搭乗時間が12時40分だったのに。
 成田からロシアへというので、当然、北海道上空を飛んで、北方領土の上も飛ぶんじゃ
ないかと、わざわざ窓際席をとったのに、それなのに、飛行機は、離陸すると東に向かわず、左旋回。じきに富士山が見えてきて、「あれっ、乗り間違えたかな」。と、中央アルプス、北アルプス、で次は、海に出て佐渡島。そうこうしているうちに着陸モードに入り
着いてしまった、ウラジオストク空港。神明町から成田空港への所要時間とおんなじ。

ウラジオストクは、シベリア鉄道始発駅
 空港手続きがめんどうだと聞いてきたが、あっという間に済み、乗客数も少なかったし
どうも、先のワールドサッカーを機に簡易化したらしい。白タクまがいのおっさんの運転する車で市内のホテルへ。白髪の、気の弱そうな、英語が下手な運転手さんで、なにを言っても、イエス、イエスを繰り返す、昼間だし、ルーブル現金もあることだし、ま、いいか、と。乗ったタクシー、メーターはついてはいたが、稼働していなかった。30をくり返していたので、ま、いいか。20分くらいでホテル着。
 チェックインして、さっそく市内探索。近くの中央駅に行ってみた。明日は、ここから列車に乗るのだ。駅舎は、見栄えのする建物で、日曜日なので、家族連れや、ヨーロッパ人らしき若者たちの旅行者が、着いたばかりの列車から降りてくる。駅構内は、広い待合室、ベンチが100人分ほどあるだけ。天井は高いけれど、冷房なし。よく見ると冬用の暖房施設はしっかりある。ヨーロッパの駅のように、駅構内に売店など、さまざまな施設があるのでは、期待していたが、ゼロ。切符の窓口は、待合室の隣りへの廊下の先に、トイレは、地下室に、という具合。もともと改札口がないことは知っていたが、ほんとうに駅舎としての機能がない駅だ。この建物の下にも線路があった。
 出入り自由なホームを通り、階段を上がっていくと、海が見え、大きな建物、こちらは
船舶乗車のターミナル。日本の新潟、韓国の東海(トンへ)との間に、定期客船がある。
実は、シベリア鉄道の旅を企画した当初、韓国の東海から船でウラジオストクへ、と考えていたのだが。このターミナル建物の中には、みやげモノ店、ドラッグストア、宝石店、モバイル店、電気製品の店など、店舗が10ほどある。船旅の人たちを目当ての店には、結構多くの客がいた。韓国語、中国語が聞こえていたが、日本人は、いなかった。
 建物から外へ出ると、海。港の向うには、ロシア軍艦も見える。対岸への長い、立派な
橋がかかっていて、完成式に参列したプーチン大統領の写真が、ターミナルビルに貼って
あった。プーチン大統領は、モスクワにいるので、時差7時間の極東ウラジオストクは、
ヨーロッパの国々へ行くよりは、はるかに時間がかかる、遠ーい地であるわけだ。この港は、日本海に続いている。満州事変、第二次大戦時、日本軍が軍の拠点にしていた地でもある。地理的には、モスクワよりも、日本からの方がよっぽど近いウラジオストク。

いよいよ乗る、シベリア鉄道
 出発は、夜なので、それまで、港を一望する公園で、すごした。海からの風が心地よい
地元の人たちの憩いの場であるらしい。飲み物持参で、買物帰りの主婦らも、一時談笑していた。とにかく、この公園が気にいった。なにしろ、公園の南の端に、巨大なレーニンの銅像が立っている。海を眺めて立つレーニンは、かっこいい。時々、鳩がレーニンさんの頭や、肩にとまっており、ロシア革命の指導者レーニンも、鳩と平和に過ごしている、なーんて、勝手にうれしがった。ナロード(人民)や、多くの同志たちをも虐殺したスターリンよりも、レーニンの方が、好きだ。
 夜の駅構内に入るには、セキュリティチェックがある。ちょっと外で買い物をしてくるのでも、チエックされる。駅のスタッフは、チェック係りのおっさんが3人だけで、他に見当たらない。列車の出入りのアナウンスもロシア語だけ。時刻表もあるけれど、駅名も全部ロシア語。その上、時刻表の発着時間が、なんとモスクワ時間なのだ。待合室の乗客た
ちの様子から、出発時間が遅れているようだ、あれっ、あわてて出ていったけれど、間に合ったかな、と。ここでも、日本人には、ひとりも会わなかった。70人ほどの韓国語の団体が入ってきて、30ほどで、出て行った。ハバロフスク行きの夜行寝台列車に乗ったようだ。
 地下のトイレの横に立っていたスタッフらしき男性に、ロシア語で書いてあるクーポン
(これが切符なのだ)を見せて、ウランウデイに行く列車のホーム番号を聴いてみた。6
番、と英語だった。6番のホームへ行ってみたら、うす暗いホームに、人影があった。列車がすでに着いていたが、デッキのドアは開いておらず、乗客はなんとなく並んでいた。
10分ほどたち、ドアが開いて、制服姿の女性が降りてきた。車輛が17の列車の12番
車輛専属さん。クーポンとパスポートを念入りにチェックして、いよいよ乗車。入口のデッキの階段が高く、大荷物だと大変だ。周りの男性たちが、助けてくれる。車内に入る
右手に細い通路があり、指定コンパートメント12は、この車輛の最後の方だった。4人
ベッドの下段に座った。「やれやれ、長い一日だった」。
 列車は、まだ止まったままだ。あの車掌さんが、シーツ、毛布カバー、枕カバー、それに日本風のタオルを持ってきてくれた。コンパートメント(室内)の中をあっちこっち眺めたり、触ったり。日本の寝台列車とそう変わらない内部構造だ。
 この列車は、Novosibirsk(ノボシビルスク)行きで、ウラジオストクからは、モスクワ行きは、何本も出ている。ノボシビルスクは、イルクーツクの先でウラジオストクからは
5956キロ。今回のシベリア鉄道は、途中下車のウランウデイまで、3650キロ、
3泊6日の旅だ。さらに、ウランウデイから、南下する北京行き列車で、モンゴルのウランバートルまでの600キロ、一泊二日の旅。
 予定の時間から20分遅れで、発車。シベリア鉄道の旅が始まった。外は、真っ暗。

発車は、しずーかに、しずーかに、 発車オーライ
 線路も、車輛自体も、日本の鉄道と比べるとはるかに大きく、17もの車輛という長い
列車、なのに発車があまりにも静かなのだ。ガッタンゴー、じゃないのだ。5分もたたないうちに、列車は、暗闇の中を走っていた。四人部屋だが、上段は客なし。揺れも少なく
心地よいシベリア鉄道、初日の夜、いつの間にか寝入っていた。

列車内の設備いろいろ
 2等寝台車12号には、四人用のコンパートメントが13あり、乗客は65人可。乗客が乗降するデッキに入ったところに、車掌室とサーモスタット(湯沸し器)があり、24時間熱いお湯が出る。トイレは、最後部で、男女共用で、昔の日本の国鉄列車のような大小とも、線路上にポットン式で、停車中は、施錠されてしまう。車掌さんが、こまめにトイレ掃除をしており、まあまあのトイレ。通路側は、大きな窓があり、窓は開かないけれど、やることないし、いつも、だれかが立って外を眺めている。ごみ箱が、トイレの前にあり、停車するたびに、車掌さんが、回収していた。エアコンは、冬がメインで、夏は、
冷房なし。二日めは、かなりの暑さだったが、なんの神明町の暑さとくらべれば、なんてことない。

食堂車、行かなかったワケ
 シベリア鉄道に乗ったら、食堂車でロシア料理、なーんて期待していた。7号車という食堂車まで、まづは、偵察にと、出かけてみた。12号と11号車の連結部分でのこと。こちら側とあちら側のドアが、両手で、全力で、よいっしょしないと開けることができない。その上、連結部分の鉄板が揺れるたびに、下の線路が見え、おっこちたらえらいこっちゃ、で「やーめた!」。結局、四日間、三食とも、メニューは、ウラジオストクで買ってきたロシアパン、チーズ、サラミソーセージ、ウオッカ、ビール、プラス、停車駅の露店で買った、茹でたトウモロコシ、ピロシキ、食堂車で焼いたばかりのパンの車内販売で過ごした。日本から持参のつまみ、日本茶、コーヒーは、なかなかだった。

心地よし 車にぬかれるこの速さ
 とにかく列車のスピードがよろしい。線路からの音もよし。ガタン、ガタン、の音がなんともやさしいのだ。外の風景は、ほとんど変わらない。白樺の原野が続く。線路わきの草が朝露で光っているのも見える。東(車窓右側)から太陽が出てくる頃、白樺がうす赤く染まる。と一面朝もやがかかり、今度は、景色は、真っ白に。そっか、冬は、一面風景は、雪の白一色になるのだ。
   音よし 揺れよし シベリア鉄道

停車駅 たばこ吸える それ急げ
 停車駅に着くとの車内アナウンス(ロシア語のみ)があると、あっちこっちから男、女乗客が出口デッキに並ぶ。露店でなにか買うのか、と見ていると、喫煙者たちだった。足元には、吸い殻がいっぱい。列車が着くたびに、乗客たちが捨てていくのだろう。
 反対側には、先も、後ろも見えないほど長ーい貨物車が停車している。停車駅だけでなく、走行中でも、頻繁に貨物列車とすれ違う。ロシア、特にシベリア地方では、物流の主
役は、どうも鉄道のようだ。木材、石炭、石油など満載らしき長ーい貨物列車。

停まる駅、通過する駅
 二日めの午前11時頃、ハバロフスク駅に停車した。駅舎は、さすが立派だ。ここで何人かの客が降りた。60分ほど停車していたが、下車の許可がなかった。ここは、ロシアの極東の拠点地区でもあり、軍の施設もあるようなので、下車が許されていないのではないか。敗戦日本の兵士たちが抑留されていたハバロフスク、たしか日本人墓地もある。ウラジオストクから12時間のハバロフスク駅を出ると、大きな川、鉄橋を渡る。アムール川だ。中国との国境も近い。空室だったお隣のコンパートメントに、ハバロフスク駅で乗車の家族三人。この家族は、ウランウデイ駅の先に行った。

夜がきて、朝になっても まだ車内
 白樺と草原がどこまでも、いつまでも続く。西に向かって列車は走る。白樺が、夕日に染まる。専属車掌さんが、ユニフォームを替えて、通路、各コンパートメント内の掃除に
やってきた。一日、2回、丁寧に掃除をしてくれる。ウオッカを飲みながら、夕日をぼんやり眺めている。山頭火の詩(うた)を思い出す。   
   走っても 走っても まだシベリア

朝のお茶タイムは、日本茶と羊羹
 三日めの朝。熱い日本茶、羊羹をいただいた。線路すぐの草っ原に、だいだい色の花の群生が続く。この花、たしかモンゴルのセレンゲ地方で見たことがある。その時に命名したのが、「モンゴルきすげ」。日光きすげによく似た色、花、だ。ロシアにもあったモンゴルきすげ。三日めになっても、シベリア鉄道の感動は続く。

あーあ あこがれーの シベリア鉄道
   晴ーれた空 こーの景色  続ーく 続ーく どこまで続ーく
   赤 白 黄色の 花先みだれ  白樺林も ま夏を謳歌
   あーあ あこがれーの シベリア鉄道     (替え歌してみました)

持ち込み食料が、底をついた最終日
 食料が底をついたが、午後には、目的地のウランウデイに着く。時々ロシアの田舎の風景。たまーに民家が現れる。敷地内には、白いじゃがいもの花が満開だ。11時すぎ、食堂のお姉さんが、あったかいパンを売りにきた。なんどか買ったので、愛想がいい。英語で、サンキュウ、なんて言う。日本の菓子パン、ピロシキはないと。食べていたら、車掌がやってきて、あと1時間でウランウデイと教えてくれた。14時40分、なんと時間通りに到着した。ここでは、モスクワとの時差は、一時間。
 ホームには、モンゴルから迎えにきてくれた友人たちが、待っていた。

ロシア最大の仏教センター ウランウデイ
 ロシアは、ロシア正教の国だが、ここウランウデイは、ブリヤード共和国の首都で、仏教センターがある。チベット宗教だ。スターリン時代、弾圧されたブリヤード人たちが隣国モンゴルに逃げ、その子孫がウランバートルに住む友人たち。彼らから、ブリヤード民族の歴史をなんども聞かされていたのでの、いつかは、ウランウデイへ、との念願を抱いていたのだ。その念願を達成するのが、今回の旅の目的。
 三日間のウランウデイ滞在中、チベット仏教総本山、市内のブリヤード民族博物館などを見学。友人の親戚・親類の家訪問。150キロ先のバイカル湖へも連れていってもらった。バイカル湖は、琵琶湖のなんと50倍の大きさとか。1時間ばかり遊覧船にも乗ったが、その広さ、大きさは、実感すらできないほどだった。

ロシア(ウランウデイ)からモンゴル(ウランバートル)へ
 車でウランバートルへ、という友人たちと別れて、ウランウデイ駅から寝台列車に乗った。モスクワから来た北京行きの列車だ。600キロを15時間かけて走る。実際には、ロシアとモンゴルの国境で、ま夜中の2時間ほど出入国検査のための停車だった。この列車には、韓国人ファミリー、メキシコ人団体が同乗していた。いずれもモンゴル観光とのこと。韓国人の大学教授という男性と、英語で会話。なんか、ほっとした。
 この列車(シベリア鉄道)は、近代的で、トイレもバキューム式で、男女別、各車輛の連結部分は、タッチ式自動だった。モンゴル内の走行が夜だったので、見慣れたモンゴルの景色を見ることはなかったが、早朝のウランバートルが見えてきた時、なんだか、とてもなつかしい気がした。

 8月2日、暑い、暑い神明町に帰着。長年の念願だったシベリア鉄道、ウランウデイ訪問、無事終了。白樺のシベリアの夏を思い出しながら、しばらくは、じっとしていよう。
 なお、今回の旅は、4年前のスペイン巡礼を共に歩いた友人とのふたり旅だった。旅は
道連れ、の良きパートナーだった。

2018年6月30日土曜日

ちょい旅   直行列車ロマンスカーメトロ乗車

梅雨のはずなのに、雨が降らない。温度も、まるで夏のようで、暑い日が続いている。水道の水も、ぬるま湯のようだ。神明町、ご近所の紫陽花(あじさい)は、満開をすぎて、花の色が変色しはじめたが、山の中だから、まだ、まだ大丈夫だろうと、出かけた先は、箱根。東京の東のはずれ北千住駅から、箱根湯本へ直行のロマンスカーに乗ることに。
朝9時47分発、11時41分終点湯本着、帰路は、14時44分発、16時56分北千住駅着。平日は、これ1本のみ。
ラッシュアワーの終わった駅ホームには、20名くらいのそれらしい乗客が、次々に到着、発車する地下鉄に乗らず、ロマンスカーを待っていた。小田急は、新宿発のロマンスカーを何本も走らせており、地下鉄千代田線を使ってのロマンスカーは、北千住駅のみだ。名称も「ロマンスカーメトロ」、なんとなくダサイ。
定刻通りの発車、ここで乗る客は、全て1号車、ざっと見渡して30名くらい。走りだしてすぐ、まだ西日暮里駅を通過したころ、車内販売のお姉さんがきた。アナウンスが、「ご乗車ありがとうございます。ただいま、みなさまのお席に『アテンダント』がお伺いしております。ご利用ください」、小田急では、弁当、飲み物売りのお姉さんを地下鉄、アテンダントって呼んでいることを知った。なにしろ、客が乗っているのは、この一両しかなく、従って、このアテンダントが、ちょくちょくやってくる。
大手町、霞が関、表参道に停車するものの、乗客なし。ちなみに、これらの停車駅での下車ができない。代々木上原までは、地下を走り、地上に出ても、町田、本厚木、小田原、
期待はしていなかったものの、車窓から、見るべき風景もない。そうこうしているうちに
定刻通り箱根湯本駅に着いた。
ホーム反対側に止まっていた電車・強羅行き登山電車に飛び乗る。日本人客は、たまにしかいないほど、外国人客ばかりの車内。トランク、ゴロひきなどの大荷物の客ばかり。彼らは、みな箱根の温泉宿に行くのだろう。
お目当てのあじさいは、花が茶色に変色し、なんとも惨めな風景。登山列車なので、ゆっくり、ゆっくり速度なのがいい。スイッチバックが2か所。昔の信越線碓氷峠、今でも篠ノ井線の姥捨て駅も、たしかスイッチバックだ。12時すぎ、終点の強羅着。昼でも食べるか、と3軒のそば屋を覗いたが、名物箱根そば屋のはずなのに、ラーメン、カレーライス、丼物などもメニューにあり、なかなかの値段、だったので、即ギブアップ。入ってきたばかりの電車で、湯本に戻った。この電車は、ガラすきだった。北千住駅行きのロマンスカーメトロ発車まで30分あったので、駅前のみやげもの店を覗く。と、小田原のかまぼこが、どの店でも売られていて、味見用の箱に、大きめに切ったかまぼこが、しこたま入っており、まわった3軒で、しっかり食べたおかげで、昼飯替わりになりました。味見しすぎで、買う気がおこらず、空腹解消のかまぼこだった。
帰りのロマンスカーは、朝よりも客が少なく、この先、営業が続くのかと心配だった。

ちょい旅  路線バス乗りは、花小金井から青梅まで
箱根の翌日6月26日、この日も晴れ。4時に洗濯をして、農家のHさんちで、出荷する枝豆採りを2時間ほどお手伝い。朝刊を読みながら朝食。お天気図では、東京は本日も上天気。
一昨日、路線バス同好のSさんと話していた青梅街道の路線に乗ってみるか、と都内バス案内本を見ているうちに、行く、乗る、と決めた。
高田馬場から西武線で田無、花小金井へ。駅前バスは、みな西武なのに、唯一都バスなのが青梅行きだ。1時間に1本、あと30分でくる。なんとしても、いちばんに乗車しなければならないのだ。で、持参の水分を補給しながら待つ。建物の日蔭で、こちらを見ながらいう立っている御仁、どうやらこの男性、ご同好の方とみた。バス到着のちょっと前に、駅前のいなげやの袋をさげた買物客ら7名が並ぶ。全員高齢者男女。さきほどのご同好さんも乗車。Sさんが言っていたように、バスは、ひたすら青梅街道を走る。
どこにでもある郊外、新興住宅地。いい景色はないけれど、車窓は、おもしろい。
「アートペットクラブ」、停まった信号先の看板。なにかとおもったら、動物葬儀社。東村山に入ると、「宿・すく」とか、「岸・きし」など、一字のバス停地名があった。岩蔵街道、どこから、どこへの街道か。13時35分、青梅駅着。最後は、始発からのあの男性とふたりっきりだった。駅から、東京駅行き特快がすぐにきたので、乗車。神明町わが家前のコンビニで買ってきたパンを食べながら、心地よい冷房の電車で御茶ノ水駅へ。駅そばの丸善で、立ち読みして、帰宅。             

2018年6月29日金曜日

「ヒットラーとわたし」  映画『ゲッベルスと私』

雨降り日は、映画、と決めている。夕べの予報では、雨だったのに、朝起きら、降ってはいなかったが、せっかくなので、映画日。神保町の岩波ホール。前回のマルクスでは、超満員だったのにこの日は、200あまりの座席、ほぼ半分の入りだった。
ゲッベルスは、ナチス・ドイツの宣伝大臣で、ヒットラーに次ぐナンバーツーの、あの戦争の実力者。彼の秘書だった女性が、当時を思い出しながらの、インタービュが映画の内容だ。103歳になった女性ーブルンヒルデ・ポゼムさん、の顔が、白黒映像の中心だ。103歳になると、人間の顔ってこんなになるんだ、と。深ーい皺の彼女が、しっかり語る内容に、当時の記録映像が、時々、写し出される。
この時代のヨーロッパでは、イタリアには、ムッソリーニ、ロシアでは、スターリン、そして、ドイツのヒットラー、という3人の独裁者が、活躍していた。ロシアのスターリンは
ウクライナの300万の農民を餓死させ、1934年には、反スターリン派300人を粛清したことなど、このあたりの歴史は、学んだ、読んだことがある。
ヒットラーが、オーストリアを併合し、第二次大戦開始となった1939年、なんと自分が、東京京橋の木挽町(東銀座)で生まれた年であることに、ふと気づいた。1942年にヒットラーのドイツ軍がスターリングラードで敗退、1943年ムッソリーニが失脚、
1945年、ヒットラーがベルリンで自殺し、終戦となった、こうした時代に子ども時代を過ごしてきたことを、今になって、そうだったのか、と実感している。
生き残ったソ連のスターリンの誕生日、モスクワでの式典に、中国の毛沢東、朝鮮のキム・イルソン(金日成、現金正恩の祖父)らが並んでいる写真、みたことがある。
ヒットラーの狂気の時代に、遠い極東の国で、わたしは、幼少を過ごしていたのだ。
映画のポゼムさん、
   「なぜ みんな、あんなにゲッベルスの演説に熱狂したのか」、
   「私は、罪を犯したのか、もしそうなら、ドイツ国民全員が罪を犯したと」。
日本人は、「あの戦争時、なぜ戦争に反対しなかったのか、日の丸を振って、多くの男
      たちを、戦地に送り出したのか」、と。
   原題は、A German Life (あるドイツ人の人生)。        6月19日

翌日は、日本映画『モリのいる場所』
昨日の映画館で、もらってきたパンフレットにあった映画を観ることにした。なんと2日続けての映画鑑賞。銀座4丁目の映画館。ついでに久しぶりで伊東屋へ行ってみるか、と
出かけた。雨だった。30分前から傘をさしての行列。評判の映画らしい。ほぼ全員が女性客。有名な画家熊谷守一さんご夫妻の日常生活が内容。高名な日本画家の先生だそうだ
が、知らなかった。94歳と76歳ご夫婦が主役。30年もの間、自宅から一歩も出かけたことのない画家先生が、自宅お庭で、植物や蟻などを終日鑑賞(?)している日々。文化勲章も辞退する、なんとも時代離れの御仁には、ただただ驚き、感心するばかり。
昨年だったか、『人生フルーツ』という映画を観た。建築家だった夫と3歳年下の妻が、
雑木林の中の一軒家で、野菜、果実などの自家栽培をしながら、ゆったり暮らしている様子は、感動モノだった。
   「風が吹けば、枯葉が落ちる。枯葉が落ちれば、土が肥える。土が肥えれば、
    果実が実る。こつこつ ゆっくり、人生フルーツ」

この5月22日、待望の八十歳になった高齢者の目線、まだまだ迷いを引きづっている。





2018年6月8日金曜日

米朝階段直前のシンガポール

「やる」、「やらない」・一喜一憂

平昌オリンピックで、北朝鮮が選手団派遣、政府要人も参加。その後、板門店で、北朝鮮の、あの金正恩と韓国の文在寅、両首脳が会談。あれよ、あれよという進展ぶりで、敵対関係の米朝が会談をすることとなった。いずれも、超変わり者トップのトランプ大統領と
金正恩労働党委員長、本当に実現するのか、と当初いわれていたが、トランプの「やらない」、発言、そして、結果的には、「やっぱりやる」、の結論だった。
会談の場所貸しシンガポールでは、政府だけでなく、一般の人たちの間でも、会談のやる、やらない、が話題になっていた。
「北朝鮮からシンガポールまで、直行便で飛べるヒコーキ、持っているのか」、「外貨不足の北朝鮮、シンガポールの高級ホテル代、はらえるのか」、「奥さん連れてくるのか」
などなど。オーチャードロードの高島屋地下の食品売り場では、朝鮮のキムチの特売をし
ていた。ちなみに、ここの回転寿司、平日の昼、行列が出来ていた。

他民族「都市国家」シンガポール
滞在中の5月22日、通いの運転手が来ないので、聞いたら「今日は、祝日だ」とのこと。仏教徒の祝日『仏誕節』。シンガポールには、中国人、マレ―人、インド人が共存しており、それぞれキリスト教、イスラム教、ヒンズー教、仏教の4つの宗教が、教会や寺、モスクなどを持っている。4つの宗教の祝日が設定されていて、お休み日。この日に祝日繁華街へ行ってみた。街中の寺では、お詣りの人たちでいっぱい。環境によくないということで、伝統の長ーい、お線香、
自粛。車椅子の高齢信者も多くみられた。外食大好きの国だけあって、昼も夜も、食堂は、どこも満員だった。日本食が大流行りのようで、
ラーメン、たこ焼き、寿司、今川焼、すき焼き、うどん・そば、しゃぶしゃぶ、看板が目にはいる。寿司は、生の魚を東京の築地から週1~2回、空輸便で運んでくるとのこと。

ハイソサエティ(上流社会)の暮らし
50年来の友人宅に宿泊。プール、テニスコート、屋内ジムなどありの金持ち。夫妻共、毎朝、コーチつきのテニス、週1~2回は、早朝ゴルフ。滞在中、セントーサ島でゴルフ、といっていた。ここには、米朝会談の会場になるホテルがある。街の中心地へ、車で20分とのロケーションなのに、緑いっぱいの静かな高級住宅地。ご近所を、今回も、毎朝散歩ついでに覗きまわった。アテネのパンテオン風の真っ白な柱の門構えのお宅、玄関脇の車庫には、超高級自家用車が7台も並んでいるお宅。テニスコートは、ほぼ、どこにもある。お手伝いさんが、夕べ落ちたばかりの葉っぱをひろっている。犬の散歩も、スクールバスを待つ子らの付き添いも、お手伝いさん。お手伝い(家政婦ーベビーシッター、洗濯係、食事係など)は、2~3名おり、フィリピン人女性がメイン。友人宅のお手伝いさんは、40年くらい前からの女性。25歳になったこの家の息子(医師)は、彼女に育てられたという具合で、生涯、この家で過ごすことになる。
今年の誕生日ー5月22日は、あのシャングリラホテルの中華レストランで、祝ってもらった。自宅のコレクションから、ワインを持ち込むことが可能で、しかし、持ち込み料金が高い、2~3本、買えてしまうほどの高額にショック。シャングリラホテル、米朝どちらの首脳が宿泊するのか。
外の温度は、35~6℃。屋内は、20~23℃、どこへ行っても、寒い、寒い、シンガポールでした。散歩の途中で、毎朝、買ってくる日経新聞(480円也)を1時間ほどかけて読むのが、なんとも楽しい時間でした。



2018年5月16日水曜日

憧れのカール・マルクス  生誕200年で映画に

映画・The Yong Karl Marx(元タイトル)
連休前、神保町の岩波ホールへ行った。日本語のタイトルは「マルクス、エンゲルス」。朝いちのつもりだったのに、50人ほど先客が並んでいた。若い世代は、ちらほら。2時間の内容は、マルクスとエンゲルスがパリで出会って、『共産党宣言』をロンドンで、発表させるまでのストーリだ。青年マルクスとエンゲルスが、外出時には、必ずシルクハットを被り、ヒマがあれば、赤ワインを飲みながらチェスに興じるふたり、マルクスの執筆は付けペン、鮮明に覚えているシーンだ。マルクスに共産党宣言、資本論を書かせた時代は産業革命で、イギリスが富んだ時代、労働者が搾取された時代、というのも、時々描かれている。「万国の労働者よ、団結せよ」、共産党宣言が発表された映像は、さすがに感動だった。前の方の席で、拍手する人もいた。感動に手を叩く、共有する人もいたにちがいない。共産党宣言も、資本論も神保町で、どの古本屋にもあった〈大月書房)。そういえば、イスラエルのキブツ(集団農場)で、働いていた時、招待されたキブツメンバーの個人宅で、書棚にドイツ語の『資本論』があったのを思い出す。マルクスは、ドイツ生まれ
のユダヤ人だ。

マルクス生誕地への中国政府の贈りもの
生誕200年を祝う生誕地ドイツ西部の町トリ―ア市に、マルクスの銅像がプレゼントされた。贈り主は、中国政府(中国共産党)。北京で開催された生誕200年記念行事で「中国共産党は、マルクス主義を新時代の中国の現実と結合させ、中国民族の偉大な飛躍をも
たらした」、習近平国家主席。ソ連のスターリン、レーニン、キューバのカストロ、ゲバラなど、とっくにマルクス主義を卒業しているのに、いまだマルクス主義の忠実な信奉者
が中国。といっても、市場経済、自由貿易、言論統制、一党独裁など、マルクスが宣言した共産主義とは、ほど遠い現実だ。ともあれ、「友好の贈り物」(中国側)、贈られたドイツでは、「毒のある贈り物」(新聞)と報じられたいる。モリ・カケ問題で、超多忙な日本の共産党、どんな生誕の行事をしたのだろうか。

マルクスの元追っかけ?
岩波文庫の「共産党宣言」は、常時かばんにあった。難解な「資本論」、全編購入するも
結局、通読せず。しかし、ついで旅のロンドンでマルクスの墓へお詣りした。ボンにあったドイツ社民党本部の地下のアーカイブで、ご本人自筆サインのエンゲルスの書簡を見せてもらったこともあった。マルクスが資本論の執筆をしたという大英博物館へも行った。
紡績工場の労働者たちが、搾取に抗議、蜂起したというマンチェスターへも行った。
この三月まで在籍の都内私立大学では、学生の単位習得科目に、マルクス主義なんかは、
出てこない。勿論、資本論なんて出る場もない。古本屋にも、それら関連本は、ほとんどない。5月1日のメーデーで、行進しながら歌った「起て飢えたる者よ、今ぞ日は近し、
いざ闘わんいざ、ふるい起ていざ、ああインターナショナル、我等がもの」なつかしい。

2018年5月10日木曜日

気ままに乗り鉄 中央線名古屋駅~長野駅

中央線は、新宿発だけじゃないんだ
 連休も終わった。旅に出る人、旅から帰る人のニュースを毎日、テレビや新聞でみせつけられながら、「連休がすんだら、行くぞ」、を繰り返していた。諸般の都合で、5月9日は、「旅日和」と決めていた。何度も、JR時刻表を取り出し、あっちか、こっちか、そっちか、悩みまくり、結局、日帰り可能旅に。太平洋側から日本海側への「乗り鉄旅」。
飯田線を済ませたので、次は、中央線、ということに決定。時刻表には、中央本線(名古屋~塩尻~長野)、とあり、もひとつ中央本線(新宿~甲府~松本)もある。中央線は、新宿発だけではないのだ。
朝いちで名古屋へ
 天気予報は、しっかりチェックしていたが、予報大当たりで、どしゃぶり、傘もさせないほどの大雨だった朝5時に出て、下半身びしょぬれで、それでも時間通りに東京駅着。
ジパング割引可のひかり乗車。新幹線通勤の客が多い。熱海のトンネルを出たら、雨はやんでいた。富士山は、見えない。富士川も、大井川も、天竜川も、濁り水。浜松を過ぎた頃から、青空がちらほら。名古屋の駅ホームで、きしめん(350円)食べて、お掃除おじさんに、濡れた傘を引き取ってもらった。六両編成の特急『しなの』は、指定も、自由席もガラ空き。車内販売もあったが、持参の浅草ぺりかんパンと、今朝煎れたコーヒーで一日を過ごした。
中山道・木曽路を走る
 お天気は、まあまあ。山間部が多く、トンネルも多い。新幹線ほど速くないので、車窓
は楽しい。中津川、南木曽(なぎそ)、木曽福島、左に木曽川を眺めながらの旅。なんども歩き旅をした中山道・木曽路。歩かないのがもったいない。途中で、菅笠を被ったオーストラリア人ご一行さま(7名)も乗ってきた。自分の足で歩いて旅する外国人、大いに歓迎でーす。塩尻へ出たら、松本はすぐだ。曇が低く、北アルプスは見えないが、どこら辺が、どの山並みか、わかります。さらにガラ空きになった特急が明科方向へ曲がった頃から、水をはったたんぼが出てきた。今回の旅の目的のひとつは、沿線のたんぼの様子を
視察することだった。線路のメインは、木曽川と山間部、田んぼはあまりなかった。ようやく出てきた田んぼ。おそらく今週末あたりが植え時なのだろう。12時54分に長野駅に着いた。乗り換えの新幹線(金沢発)が来るというので、走った。ホーム売店で新聞を買うつもりが、売り手の女性が、はい、はい、とお金と引き換えに袋を渡してくれた。あわてて列車に乗り込み、袋を開けてみたら、なんと、長野名物の「とうがらし」が入っていた。名物八幡屋磯五郎、元文元年(1736年)創業という、ありがたいとうがらし。
午後3時前に上野駅着。晴れていたけれど、神明町には、水たまりがあった。(5月9日)

2018年5月2日水曜日

課外・部活「南北朝鮮のコト」

南北朝鮮が統一する?
 「南朝鮮=韓国・SOUTH KOREA」、「北朝鮮=NORTH KOREA].ここら辺が、ややこしい。横文字の南朝鮮は、訳すと韓国。戦後の東西冷戦時、中国の後押しで戦った北朝鮮、国連軍という名のアメリカ軍が代理介入の韓国、北と南の朝鮮戦争が、とりあえず休戦したのは、1953年だった。両国首脳会談は、65年ぶりでのことだった。両国境界の板門店は、今も双方の武装兵士が立つ戦争状態。板門店には、2回行ったことがある。(韓国の二名の大統領が北を訪問したことはあるが、北の首脳の南訪問は、初めて)。

こんな朝鮮体験
 高校時代、クラスメートのO君が、「母国朝鮮・北へ帰ります」、と挨拶。日本名だったが、在日だったことを知った。あの頃は、在日の朝鮮人が、75000人も北朝に帰還した。O君もそのひとり。たまーに、どうしているか、と。
 パリでの国際会議に出席していた時、ホテル内の日本料理店を借り切って、「北」の大使館スタッフ(?)が、各国出席者を食事に招待していた。いわゆるロビー活動。おみやげに、金日成の自伝本(各国語版)を配っていた。なぜか日本の野党代表が協力していた
 関東大震災だけでなく、戦前、戦中、在日朝鮮の人たちの多くが、強制連行、強制労働を強いられていた。日本が大敗した戦争にもかり出されていたことは、明白。慰安婦問題
それに、最近では、徴用工像問題など、被害者側の言い分、わかる気がする。
 
韓流映画2本
 韓流映画は、冬のソナタ、だけではない。”The King"と、「タクシードライバー」の2本を観た。前者は、司法に携わる青年が、体制の腐敗に挑むというストリーで、朴大統領(朴槿恵全大統領の父)、全斗換、金大中など実名で、出てくる。政治家は、どこの国で
もスキャンダラスなのだ。
 後者は、民主化運動の先駆けだった光州事件(1980年)。事件取材のドイツ人記者
を乗せたドライバー、戒厳令下の光州へ。ここで起きた軍による市民、学生たちへの弾圧、拷問のシーンは、凄まじい。実話だそうだが、現職大統領を監獄へ、を実現した国民の背景わかったような気がする。
 「南北朝鮮の首脳が、にこやかに握手し、抱き合うシーンは、銃を持ってた高くシーン
  よりもいい」。北の金正恩、まるぽちゃの、愛すべき表情に見えてしまった、が。

,

2018年4月26日木曜日

サンライズー雑魚寝列車で米子へ

 天下のJR,昨今、夜行列車を走らせない。日本全国、どこへ行っても、JRに乗れば東京に日帰り出来る、なんて豪語している。昔、昔は、大垣行きの夜行列車、二段ベッドの寝台車で青森へ、楽しい「旅」だった。
 かろうじて生き残っているのが、夜の10時東京駅発のサンライズ。今回三度目の乗車だ。個室もあるけれど、まさに雑魚寝の二段寝室(?)。経験から、100円ショップで
敷布団替わりになる敷物を買った。三枚=300円。これがバッチリ、正解だった。いつもの起床時間の4時まで熟睡。うす暗い外を見ていたら、お隣りさんも起き上がり、「おはよう」と挨拶。返事がないので、よーく見たら、外国人女性。そう若くない。で、Good
Morning、英語で挨拶したら、あちらも Good Morning。シアトルからの旅人だった。黒人ではない、しかし、ホワイトでない彼女。アメリカ人? と尋ねると、南米のこと、知っていいる? というので、「まあまあ」、と答えると、「ペルー人、ペルー、わかりますか」、マチュピチュ、二度行ったよ。それから米子まで会話。日本の宗教に関心があって三度めの来日とのこと。今回は、出雲大社へ行き、広島で原爆記念館をみて、大阪から帰る、という彼女。「それ、いくらで借りたの?」と、100円ショップの敷物が、JR貸し出し品だと勘違いしたらしい。自弁で持ち込んだと説明。もしよかったら、プレゼントするよ、と言うと、うれしい、ありがとう(日本語)。帰りは、新幹線なので不要モノ、どこかで捨てるつもりだったので、貰い手が出来てよかった。よろこんで貰ってくれる人
がいてよかった。彼女も、サブザックと小さな手荷物だけの旅の達人。米子駅で別れた。

 朝9時。米子駅前のバス停から乗ったのが、市内循環バス。乗客は、病院通いの高齢者3人。どこへ、と聞かれたので、境港というと、途中の後藤駅でバスを降りると、境港行き電車が来るよ、と教えてくれた。20分ほど、説明つきで市内見物。後藤駅近くで下車。
15分ほどで電車が来た。鬼太郎(キタロー)の絵がべたべたの二両編成。終点の境港まで約30分ー340円。途中で、米子鬼太郎空港駅。海上空港だ。電車の乗客は、13名。自家用車の故障で、久々の電車乗車という地元主婦ー40歳代、がガイドをしてくれた。鬼太郎のイベント期間は、観光客が多いけれど、普段は、境港は閑散とのこと。終点で降りて、港をちょっと見学。ここから、ロシアのウラジオストック行き、韓国の東海港への国際航路船が出るというので、一度、みておきたかったのだ。
 観光センター内の食堂で昼食。さすがは、境港、魚がうまかった。香港からの女性。日本の食べ物は、みなおいしい、という彼女、2回めの訪日。ここから岡山経由で高松へ。明後日のフライトで、高松空港から帰国する。まだ東京へは行ってないので、次は、東京、と言っていた。急増の外国人旅行者、東京だけじゃない、地方を観光している人たちも多いことを知った。
 食後、発車のエンジンを聞き、飛び乗ったバス。松江行きの路線バスだった。乗客は他になし。運転手さんのガイドつきで40分、松江駅着。発車から終点まで、乗客なし。鳥取県から島根県に移動。駅前から市内循環バスに乗ってひとまわり。280円。松江は前にもきたことがある。駅に戻り、路線バスで米子駅へ。途中の安来、道の駅名が「あらエッさ」だって。午後3時すぎに到着。駅前のホテル泊。雑魚寝列車よりも快適だった。

 おにぎりを食べながら、8時20分発の通勤列車で、鳥取へ。車窓の山は、大山。雪はなかった。鳥取で、50年ぶりの再会そしたのは、Kさん。鳥取の老舗和菓子屋のご主人だ。大学生だったKさんの下宿に、シンガポールの友人を1週間ほど泊めてもらったことがある。シンガポールの友人が、そのことを思い出し、突然、Kさん、どうしてる?、というので、昔のメモや、ネットで探しだしたのだ。連絡すると、すぐに返事がきた。で、このたびの再会となったわけ。市内のKさんの店で対面、駅近くの店で昼食。何を食べたか思い出せないほど、喋り続けた二時間だった。12時54分発の特急で、姫路に出て、新幹線乗車。夕方6時、東京駅帰着。目的地で、用事があっての「旅」も、たまーにある。
                             (4月4、5、6日)

 

2018年4月25日水曜日

気ままに乗り鉄ー小湊鉄道~いずみ鉄道

 この路線、実は3回目の挑戦。過去2回は、時刻表を無視しての旅での失敗だった。
 内房線の五井駅で乗り換えて、小湊線。乗り換え通路の弁当売りのおばさん、顔を覚えていてくれた。
 「また来たね、あと20分で出るよ、今日も赤飯かい?」
 前回、断念しての帰り弁当に買ったのが、赤飯弁当だった。
 「今回は、一番安い稲荷弁当、下さい」、310円也。鰹節が混ぜてある稲り寿司で、米の量が多い、でかいおむすび状態だ。 「飲み物は?」、うちから持ってきた。
 9時30分発。小湊線列車は、上総中野までの39.1k、17駅。ほぼ無人駅だ。
 デイーぜル気動車、五井駅から乗車したのは、二両編成で、乗客11名。乗り鉄らしき男性2名。他は、途中駅で下車。車掌さんがいた。地域の主婦らしき車掌さんは、途中下車のお客さんたちと、親しげに会話。日本国首相の言う「国民総働き革命」って、こういうことなのか、とふと思った。
 列車は、房総半島の内陸地域、田んぼ、畑、時々竹藪の景色の中を、ゆっくり走行。このスピードがなんともいえない。新幹線のぞみ、あれは最悪た。車窓の景色をみていると
眩暈(めまい)がする。小湊鉄道からは、田んぼのあぜ道のたんぽぽの花まで見える。
 駅員なし、乗降者ゼロ、それでも律儀に、各駅に停車する。駅舎は、なんと木造が多く遺産として遺しているのか、資金不足で、建て替えられないのか。駅舎周辺は、草ぼうぼう状態。チャリ置き場のある駅は少ない。ホームの駅名板も、ペンキがはがれた板版が多い。単線なので、対向列車とのすれ違い待ちも、ちょこちょこ。これが、なかなかよろしい。対向列車も、乗客は、数名。トンネルなし、踏切が多い。でも、踏切の開け待ち車は、ほとんどない。線路は、「続くよ、どこまでも」、まっすぐだ。
 駅名も、面白い。駅名の上に「上総」がついている。上総牛久、上総鶴舞、上総久保、
上総大久保、上総中野、ってな具合。海から遠い内陸なのに「海土有木」(あまありき)
などという駅も。
 まだ途中のはずなのに、上総牛久駅が終点。この列車は、五井駅間を走るだけだった。
有人駅で、元駅長らしき威厳を感じる方が、改札におられた。
 「この先へは、あと2時間待ちです、すみませんね」、とすまなそうに言った。
駅前には、人家3軒。そのうちの店らしき家を覗いてみた。唯一のその店には、近くの高校生のための文房具、化粧品、履物を売っている。駅の反対側は、大きな墓地だった。
 小湊鉄道は、ここから養老渓谷駅へ。12時35分着。養老渓谷へは、走り旅で行ったことがあるのに、あまり思い出せない。
 ここ上総中野駅から終点の大原駅までは、26.8k、駅の数は12。車輛が、2両。
 久我原駅(無人)なのに、どさどさっと客が乗り込んできた。胸に名札つきの団体さんは、埼玉の川口からのツアー客。名称が「ミステリーツアー」というバス旅行客だった。
ほとんど中高年、案内ガイドさんも、リタイア後、再就職のおっさんだった。オンナが多い。大声で喋る、だからうるさい。車窓の菜の花を見ながら、「すごいね、きれいだね」
と叫ぶ。川口だって、郊外へ行けば、菜の花、いくらでもあるのに。左車窓から大滝城が見えると、列車は、徐行してくれる。ガイドおじさんが、大声で、説明をしてくれる。
 こうして、いずみ鉄道は、終点大原駅に到着。改札は、みやげもの店の中を、つっきると、JR大原駅構内に出る。団体さんたちは、みやげ店で足止め。駅前には、大型観光バス
「ミステリーツアー」が待っていた。大原駅から、海が見えた。ここは、房総半島だ。
                          (3月14日、快晴、日帰り旅)

2018年4月23日月曜日

気ままに乗り鉄  飯田線

気ままに乗り鉄ー飯田線
上天気との予報。行ってみるか、乗ってみるか、と時刻本をぱっと開けたら、中央本線。
東京駅から豊橋へ。新幹線の車内チャイムは、『いい日 旅立ち』。思わず口ずさんでいた。平日のこだまは、ガラすきだ。3月も中旬、富士山は雪なし。新富士あたりの工場の煙突、煙はまっすぐ、無風状態。
豊橋で、20分待ちだったので、改札を出てみた。開いている店が一軒。豊橋名物の「ちくわ」屋さん。店の名前が「ちくわ」、分かり易い。串さしのちくわを3本買った。この3本が、本日の昼食替わりになるとは思っていなかった。
三両編成の特急(1日2本)伊那路、豊橋乗車の客は3人。豊川稲荷駅を過ぎると、天竜川沿いを走る。単線なので、特急でも、駅で上り列車を待ったり、待たれたり。駅は、ほとんで無人駅。下車客も乗車客も、いないので、支障なし。雪なし、梅の花が満開だ。花粉が最盛期。12時40分、飯田駅着。駅構内は、がらーんとしていて、売店なし。昼なのに弁当なし。で、水を飲みながら、豊橋ちくわを食べた。30分ほどして、岡谷行き発車。
右に南アルプル、左に中央アルプス、ご機嫌な車窓です。秋葉街道歩きの旅で、通った元善光寺は、駅名になっていた。学生が乗ってきたので、客が増えた。学生たちのほぼが、スマホに熱中しており、車内は、静か、話声なし。距離のわりには、時間のかかる路線で
岡崎駅着は、16時。でも、10分ほどで新宿行きがきた。韮崎駅手前で、なんと富士山が左車窓から見えた。八ヶ岳は、まだ雪だった。新宿着18時40分。神明町帰着20時15分。
ご近所コンビニで、おにぎり3個買ってきて、夕食。     (3月12日・日帰り旅)

2018年4月21日土曜日

This is title

Dear Friends,
How are you,  as I noticed what I  wish to restart my mail from today/

リニューアルのご挨拶、です!









本日は、2018年4月21日。楽隠居ニュースは、2月末日で終了。新たな、といっても、日々の生活は変わらず、楽隠居が文章を書いているって次第であります。

内容も、文体も、そう変わってはいないけれど、自分的(今流行りことば)には、リニュアル、であります。