2022年3月27日日曜日

終点まで12分 流鉄流山線

 ちょいと新松戸あたりまで行ってみるか、と綾瀬から千代田線に乗った。常磐線は、北千住から松戸までの間は、停まらないので、各駅停の地下鉄千代田線しかない(実際には、北千住駅からは、地上走行)。天気もいいし、見慣れた景色を楽しんでいた。馬橋駅、次が新松戸駅。いつもは、南側を眺めていたので、気づかなかったのだ。馬橋駅ホームの北側に、でっかい文字で「りゅうてつ」、とひらがな文字。えっ、といいながら下車。発車直前だった。階段を上がって、行ってみた。駅ホームのはずれに、「流鉄流山線乗り場」とあった。階段を降りながら、思い出した。数年前だったか、乗ったことがある。

スイカはだめで、自販で切符を買う、発車のベル。飛び乗る、閉まる、いいタイミングだった。二両編成、ワンマン車。10名ほど乗っている。車内に各駅間の走行距離、所要時間、それに時刻表が張ってある。始発から終点の流山まで、駅の数は、7つ。

 馬橋ー赤谷ー小金城跡ー鰭ケ崎ー平和台ー流山  総距離 5.7キロ  

                        所要時間 12分

午後2時だったが、乗り降りは、結構ある。時刻表をみると、朝晩の稼働時間帯は、10分おきに出ており、昼間でも3~4本は、走っている。昨今、日本中、あっちこっちで、鉄道の廃線がすすんでいるが、この駅数、所要時間にしてはなかなか健闘している。

そのわけは、すぐにわかった。線路すぐわき(右側)には、びっしり戸建ての住宅、見ると駐車場のない家も。これら住宅の住民たちは、日々の足として流鉄を利用しているのだ。馬橋駅に出て、千代田線に乗れば、40分ほどで大手町へ出られる距離なのだ。電車賃も、最長で200円だった。

線路左側は、はば3mほどの水路で、桜並木。3分咲きほどの桜の下を幼稚園児たちが手をつないで歩いていた。

終点の流山駅に着いた。女性の駅員がいた。

以前ここへきたのは、流山線に乗ることではなく、ここ流山の富士塚を見るのが目的だった。駅前の一本目は、現在の流山街道、も一つ先の万上通りの方が古い。この通りに、浅間神社があり、立派な富士塚がある。幕末、この神社に近藤勇ら新選組が、本陣をおいたことでも知られている。他にもいくつか史跡のある通りである。通りの西は、江戸川の土手。ここから、富士山が見える。当時、水路での江戸からの要路だったのだ。

駅前の流山街道に戻り、京成バスで松戸駅まで。1日に10本しかなく、大型トラックがばんばん走る街道を行く路線バスだ。乗客は、乗った時のひとりは、途中の日大病院で降りた。乗客ひとりの路線バス。停留所に面白い地名があった。「膝丸(ひざまる)」、「主水(もんど)」など。混雑で、1時間もかかってしまった。、これなら12分の流鉄の方が、はるかに速い。

松戸駅から乗った千代田線、途中で、江戸川の鉄橋を渡る。江戸川土手が、菜の花で、まっ黄色な絨毯になっていた。まだまだ陽は、高い。


 



2022年3月22日火曜日

ちょい乗りの旅ー八高線

 がくるのが、だいぶ早くなった。5時半頃から、少しづつ明るくなる。本日は、土曜日、3月19日。夕べ、蔓延防止措置が3月21日まで、その後は、全面解除、旅行もOKになるとの政府発表があった。今朝の新聞には、さっそく見開きの広告ーGO TO トラブルじゃあなくて、トラベルのPR満載。それなら、ちょいと行ってみるか。都心の土日は、混むので、都外、県境を越えた旅も悪くない、なんて、いろいろ言い訳をしながら、上野駅へ。上野の方が、目的地の選択余地が多いから、東京駅より上野駅です。

9時30分発の高崎行き、これにすると決めた。週末なのに、準急並みのアーバンというのもいい。ボックスシートのある最後車両に乗車。乗車率は、土曜日にしては、混んでいるが、ほぼ全員が座れる状態。上野を出て、鶯谷、日暮里、西日暮里を通過、と尾久駅も通過。列車の車庫のある尾久駅、ここには、高崎線も宇都宮線も停車するのに、土曜だからか、アーバンだからか。

赤羽駅には、停まった。これじゃあ座れない、というほどの乗客。ボックスシートを目指す人たちが多いってことか。「ここ、いいですか」、と高齢のご夫妻。どうぞどうぞ、というわけで、着席。座るなり、ご主人、カバンから取り出した本を、めがねをかけて読みはじめる。図書館から借りてきた本だ。奥さんは、といえば、大きな財布をしばらくいじっており、乗車券を確認したり、東京都のシルバーパスを取り出したり。彼女、都民です。熊谷駅で、多くの客が下りたけれど、おふたりは、一向に降りる気配なく、旦那は、めがねをかけたまま、爆睡状態。奥さんの方も、目をつぶっており、結局、終点の高崎駅まで、ご一緒の「旅」でした。あの二人、高崎止まりなのか、その先、どこかへ行くのか、でも、観光じゃあないみたいだけれど、ま、どうでもいいことです。

改札を出て、駅構内を一回り。高崎駅といえば、昔、月2~3回、通ったことがあります。山岳会に属していた頃の話。西上州の山、20峰くらいあり、それらすべてを登頂する、という計画でした。東京をいちばんの電車で出て、高崎駅で上信電鉄で終点の下仁田駅まで乗り、駅から歩いて、目的の山へ、というのが日程でした。山が低いので、だいたい4~5時間で往復可能の登山でした。どちらかというと、妙義山の裏側です。その際には、朝いちばんの高崎での駅うどん、帰りは、下仁田駅近くの茶屋でのこんにゃくの刺身(と日本酒)というのが定番、楽しみでもありました。

この日も、上信電鉄戦の改札近くの立うどん店へ。もちろん、そばもありますが、群馬は、うどん県、うどんの味は、絶品です。すうどん、280円、値段はあまり変わっていない。

さて、八高線のホーム、3番線とあるのに、その3、がなかなかみつからない。2番線ホームの最先端、駅構内からは、ずっと離れていました。11時56分発の高麗川行きは、一両編成、ワンマン車。座れない乗客も。沿線の駅は、すべて無人で、しかし、スイカ使用可でした。そういえば、いつだったか、いちど乗った記憶がある。それと、高崎から、ほぼ八高線沿いの街道を、鎌倉までの歩き旅をしたこともあった。いくつかある鎌倉街道のひとつで、「いざ鎌倉!」の緊急事態の街道なので、途中、宿場がなく、友人の親類の家に泊めてもらった。

八高線は、始発は、本来ならば倉賀野駅だが、いつの間にか、高崎駅になっている。列車は、高麗川駅までと、高麗川駅から八王子駅までの二段階の路線になっている。高麗川駅から、八王子駅の方が、乗客が多く、車両も多い。

車窓からの景色、もう春だ。でも、麦畑が多い。青々とした麦が、ずーと、続いている、ところどことに菜の花の黄色、れんげ草のピンクがいい感じ。春ですね。高崎から67キロを約1時間で高麗川駅着。ここで、川越線に乗り換え、大宮経由で、神明町には、4時すぎ帰着、今日もいい旅でした。



2022年3月16日水曜日

華厳の滝で拾ったご縁(五円) 路線の旅日光

 いつものように朝4時、雨は降っていなかったが、曇り空。昨日、洗濯したし、布団も干したし、今日は、どうするか。ストレッチ、体操、エアロバイクにも乗った。般若心経もあげた。朝のルーティングもすませ、6時30分。東の空が明るくなってきた。空が青い。

昨日、買ってきたばかりの、今月から大幅に更新されるというJRの時刻表、パッとひろげたら「わたらせ渓谷鉄道」のページ。

  「行くか」、「行こうか」、「行こう」。。。。。

ちょっと厚着をして、ペットボトルに水を入れて、玄関を出る。7時10分のバスに乗る。北千住駅は、通勤の人たちで、もう混みはじめていた。駅売店でコロッケパンを2個買う。特急列車ホームへ。5~6人乗客。ここで待つこと40分。

8時15分のけごんスペーシア日光行き、全座席指定だけれど、始発の浅草からの客は、おらず、北千住から3名のみ。週末以外は、毎日、こんな状態で走っているのか。自宅の水道の水を飲みながら、コロッケパンを食べながら、これから職場へ、学校へ急ぐ人たちの姿を見ながら、「こちらは、旅ですよ」。月曜の朝、空は青空、いい日、旅立ち。

8時50分、利根川の鉄橋を渡る。土手は、菜の花で、まっ黄色。大谷石の蔵のある農家が点在する。畑は、もう春です。春霞で、遠くは、見えない。

9時47分、東武日光着。日光には、宇都宮からのJR日光駅もある。まっすぐバス停へ。

「えっ 出たばかり」、9時30分、本日二本目のバス。なにしろ、一日6本しかない足尾銅山(旧)の病院行きのバス、日光市民のためのバスなのだ。3時間半、どうやって時間をつぶすか。上(中禅寺湖)へ上るバス停では、待つ人4名だったので、決定、中禅寺湖に行くことにした。混んでいた頃と比べると、信じられないほどのがら空き状態。いろは坂も空いていた。30分ほどで、中禅寺湖着。道路わきには、残雪が残っており、しかし、まったく寒くはなかった。

人っけはなく、みやげ物店、食堂なども、多くが閉まっている。華厳の滝、入場料窓口にも人の姿はない。料金を払わず、ただで見ることが出来るところへ。階段を下りると、目の前に華厳の滝。雪解けなのに、水は少ない。迫力なし。と足元に発見、五円玉。周辺にダレも居らず、拾いました。ついている、ご縁があるはず、ポケットに入れた。

修学旅行なのか、バスが何台も通る。華厳の滝へ行くらしい。さっき降りたバス停に戻る。とすぐに、東武日光駅行きのバス、湯本からのバスがやってきた。乗る。「ついているねえ」、とポケットのご縁玉に触れた。帰り(下り)のいろは坂も、スムーズ。なにしろ月曜日だし、ご縁だもんね。

12時15分、駅に着いてしまった。足尾行きバスは、13時7分。昼食、どうするか。開いている食堂、結構、いい値段だ。コンビニでおにぎりを買う。日光には、コンビニが二軒しかない。駅近くの一軒に。駅舎の外のベンチで、山々を、青空を見ながら、お昼ご飯。

時間通り、バスがきた。マイクロバスで、10名ほどの座席。男性がひとり、のみ。町営なので、地元乗客は、別料金だけれども、外部のお客さんは、高め料金、それも現金払いのみ。道路は、それほど広くは、ないけれど、足尾を抜けて、桐生方向につながっている。周辺は、山と沢、廃屋もいくつか見える。足尾銅山最盛期時代には、人口は、多かったにちがいない。長いトンネルを抜けると、人家が見えてきた。

1時半、間藤駅に着いた。約30分、乗車賃は、現金で、1120円。無人駅、なんどか来たことがある。時刻表を見ると、出たばかりで、次の電車は3時9分。1時間半ほど、待たねばならない。幸運の五円玉、ぜんぜん、ご利益、ないんじゃないの。でも、ここまできて、他に選択の余地はなく、とにかく、待つしかない。周辺を歩いても、なーんにもない。山しかない。

駅の案内版によると、足尾銅山全盛期の頃、中国人、朝鮮人が働いていたらしい。近くに、中国人捕虜収容所跡、朝鮮人供養塔、という記述があった。見る人が見ると、国際問題に発展しそうな、史実、そんな気がした。

上着14時45分に、電車が来た。終点で降りた客は、女性1名。ワンマン車の運転手さんが、をぬいで、車内掃除を始めた。終わると「お客さーん、乗ってていいですよ」、と。時間ぴったりに出発。一両編成の運転手と客一名。この先、相老駅で降りるまで、乗った客は10名以内だった。これじゃあ、クラウドファンディングをしても、持たないはず。それでも、春になり、桜が咲く頃は、トロッコ列車も走るので、賑わうのだろう。無人駅前の広場で、猿(野生)が3匹、珍しそうに電車を眺めていた。

1時間20分かかって相老駅に着く。料金1070円。北千住まで2270円、赤城リバティりょうもう特急に乗車。ここでも45分間、待った。華厳の滝の五円は、ほとんど、「いいご縁」の効果がなかった。

それでも、北千住駅には、6時50分に着いた。朝、うちを出て、12時間、結構、長ーい、一日だった。くたびれたけれど、ま、これも、ちょい旅。

2022年3月12日土曜日

あの日、東京でも10万人が、の事実

 ウクライナで、ロシア軍が町ぐるみ破壊を続けています。一般市民が逃げ惑う姿が、テレビのニュース番組で、繰り返されています。世界中の人たちが、こうしたシーンを見ながら、しかし、なんの手助けも出来ない、どうなる、どうする、を繰り返しながら。

こんなテレビを観てばかりいないで、どっか、出かけなければ、と、久しぶりに都心へ。山手線で、新橋駅へ。ゆりかもめ、に乗りました。たまには、海を見よう、と。人流を気にしながら。

新橋駅から終点の豊洲まで、30分くらいかな。ま昼だったので、乗客は、ほんのちらほら。お天気は、最高だったけれど、春霞がかかっていて、スカイツリーあたりは、ぼーとしています。座席は、いつものこだわりで、六両編成のいちばん前か、いちばん後ろの席、ここは、窓が全面ガラス張りで、東京湾の景色を堪能できます。この日は、最後部。始発から終点まで、他に乗客は来ずに、独占状態だった。

この5,6年の間、まったくご無沙汰だったけれど、それ以前、一年に一度、必ず乗ったことがあった。お台場の海浜公園で、毎年開催されていた「24時間チャリティーランニング大会」に、参加していました。いつも、ゆりかもめを利用していました。

東京ベイエリアは、本当に、別世界、高層ビル群だらけで、これには、びっくりしたり、感動したり。終点の豊洲駅に着く頃の車中は、乗客は、2人しか乗っておらず、運転手もいない電車なので、ま、こんなもんか、と。それにしても、この電車、いったいどうやって走っているのだろうか。

豊洲駅構内をさがしても、説明パンフレットらしきものはなく、改札近くの受付オフィス、にヒマそうな係のお兄さんに、

「あのう、ゆりかもめって、モノレールじゃあないですよね」と、「どういう仕組みで走っているんですか」、と尋ねると、ちょっとお待ちください、と事務所の中へ。説明書みたいなのを持ってきて、説明してくれました。

電車の車輪は、4個のゴムタイヤです。エネルギーは、電気使用、とのことです。だから線路なし、接触用の電柱もない。その説明書は、いただけないのですか、と懇願したものの、前には、沢山あったんですが、残部なしなので、「ごめんなさい」、と。この間、15分ほどだったけれど、他に客なし。ゆりかもめは、モノレールでは、ありません。

ゆりかもめ豊洲駅から外に出る。ここら辺は、はじめてではない。東銀座方面から都バスのスカイツリー行きに乗ると、ここを通るのを、承知していました。東劇でシネオペ(オペラを映像で見る)のシリーズを観ていた頃は、このバスを愛用していました。

深川の木場あたりをまわり、清洲橋を渡り、吾妻橋手前で右折、目の前に、でかいスカイツリー。634m(むさし)というのと、オープンが5月22日(自分の誕生日と同じ日)だったので、この数字は、しっかり覚えています。いつもは、ここでバスを降り(終点)まっすぐ東武線の業平橋駅へ、今は、スカイツリーライン駅っていうんですが。

エスカレーターで、4階へ。ここで搭乗券を買う。修学旅行の学生さんたちと、エレベーターで、50秒でいっきに第一展望台に到着。この上へのエレベーターは、別料金です。ここまでは、2100円。ここで十分です。スカイツリーは4回め。すぐ下に隅田川。両国橋、吾妻橋、言問橋などは、見えるが、東京タワーは、うっすら見える。右回りの下界は、本所あたりだ。高層ビルは、それほどない地区。それでも、民家がびっしりだ。

今から77年前、1945年、アメリカのB29爆撃機が、焼夷弾を雨のように落とし、本所など下町一帯がまたたく間に大火災。当時の日本の家屋は、紙と木材で出来ていたために、消化する間もなく灰となった。『日本のいちばん長い日』という著書で、ご自身の体験で語った半藤一利さん。吾妻橋あたりは、逃げ惑う人たちで大混乱、川には、死体が積み重なるように流れていた、と悲惨な事実を書いている。

ウクライナの人たちの惨状は、77年前の東京下町の大惨状と重なる。東京大空襲の方が、何倍もの死傷者だったことを、忘れたわけではない。戦争という名の、愚かな人間たちの争い、いつまで続くのか、繰り返されるのか。






2022年3月10日木曜日

王子の卵焼き と 焼売(しゅうまい)

 王子駅、久しぶりでした。

埼玉の高齢者団体のお手伝いをしていた頃、帰りがけのルートは、王子駅経由で、ここから都電に乗るか、都バスに乗るか、いずれもシルバーパス可能なのです。その王子駅周辺には、飛鳥山公園があり、博物館が3つもある。公園は、四季それぞれ、風情があり、特に春の桜は、見事です。ただ、花見見物人が多いのが難。

王子駅で下車すると、楽しみなのが、卵焼きと焼売です。

卵焼きは、JR王寺駅の裏側すぐのところにある『王子扇屋』。卵焼きしか売ってない、屋台風の店です。実際に卵を焼いている調理場は、奥の方にあるはずですか、売っているところは、気付かずに通りすぎてしまう。

ところが、です。この扇屋さん、昔は、料亭だった。1684年創業というから、江戸時代からの老舗。広重の絵に登場する立派な料亭で、この卵焼きを、江戸の人たちも味わっていたなんて、ロマンを感じます。今は、ちなみに、日本橋高島屋で買えるとのこと。値段は、本店(?)と同じ650円。

これまで、なんどか買いに行ったことがあり、いつも、店番兼料理人の高齢のご主人だったのに、この日は、女性(やっぱり高齢)だった。そっか、ご主人、もしかして亡くなったのかな、と。しばらくして、もうひとりお客さん。常連さんらしい。特に急ぐでもなく、中から出てくる店の人を待つ。「甘すぎず、それでも味がしっかりしていて、ね」、というので「そうですよね、うまいんだよね」。

おしゃべりをしていると、後ろから声がかかった。「毎度、ありがとうございます」、と、見るとあのおやじさん。白いYシャッツに、紺色の背広姿、杖をついていたが、まちがいなく扇屋のおやじさんだった。今日は、町会の寄り合いがあったんでね、とのこと。「コロナで大変ですね」、というと、うちは、都や国などから、オカネもらってないけど、ま、いつものように、好きにやってるんでね、とのこと。なるほど、なるほど。この日も、650円の卵焼き、おいしくいただきました。

もう一軒は、焼売。王子駅前の反対側、「お札と切手の博物館」沿いにある豚肉専門店。息子と、その母(90歳くらい)のふたりでやっている店。息子は、肉を切っており、お母さんは、豚肉の焼売、ぎょうざを調理、それに店番役。肉の販売が主だが、焼売、ぎょうざも、結構、売れている。客が来ると、「ばっちゃん、お客さんだよ」、と息子が声をかける。中の方から、ばっちゃんが「あいよ」、と出てくる。いつだったか、トシを聞くと、もうじき90だよ、と息子。買うのは、いつも焼売。380円。買わない日も、なんとなく気になり、店番さん、健在かな、と覗いている。焼売、でかくて、6個入り。味、抜群。

帰りのルートは、本日は、都バス。王子駅から北千住駅まで、約40分。1時間に1本という路線バス。10分ほど走ると、北区から足立区に入る。足立の西の端、新田地区。ここに大きな団地ができた。「ハートアイランド」という高層ビル住宅地で、バスは、ビル群の中をぐるぐる回る。ここの小中一貫校(足立区立)に、うちの近くの子どもが通学しているので、存在は知っていた。

ハートアイランドを出ると、荒川土手。右に墨田川、左は荒川で、バスは、土手下の道路に沿って走る。住宅は、ほとんどないので、乗り降り客は、ほぼゼロ。

ここは、赤羽駅からのルートで、荒川に架かる江北橋、扇橋、西新井橋を見ながら、千住新橋をすぎ、堀切橋を渡って、堀切から綾瀬、そして神明町と3~4時間かけて自宅までを、月1~2回は、歩いていた。おかげで、11年前の東北大震災の日、浦和駅から神明町まで6時間ほどかけて、歩くことができた。

途中の江北橋の宮城側には、富士塚のある氷川神社、墨田川向こう側には、荒川遊園地が見える(今は、工事中)。西新井橋で、土手とわかれて側に右折。周辺は、最近、大学が新設され、若い人たちで賑わっている。ここから、10分も乗れば、北千住駅だ。



2022年3月6日日曜日

東武アーバンパークライン

 若気(わかげ)のいたり、っていうのが、いくつもあった。

フランスとの国境を越えて、スペインへ。トラックの荷台に乗り、幌をかけて、ピレーネ山脈を越えて、スペイン側の地元教会へ。スペインの州独立派を激励するため、というのが、たしか目的だった、ような気がする。あまり確かではないけれど、政治的な国際会議に出席の仲間たちが参加し、それに加わった、ということ。その時の、全員が、目隠して撮った教会での集合写真が、日本に送られてきたので、あれは、事実のことだった。

思考回路が狂ったようなプーチンの暴挙、毎日、そればっかり見ているうちに、そんな昔のことを思い出した。そんな日常から抜け出したくて、出かけた。どこでもよかった。

とりあえず、線路のあるところ。西新井駅から東武線に乗った。どこへ行くか、どこで降りるかを決めずに。急行や、快速ではなくて、考えるため、すぐに降りられるように、ドン行(普通)に乗車。竹の塚(東京都)から谷塚(埼玉県)へ。越谷をすぎ、車内アナウンスが春日部、というので、下車。ここを、東武野田線が通っている。

ホームへ出ると、すぐにきたのが普通列車の船橋行き。これに乗った。昼すぎなので、乗客はちらほろ。空いている。乳母車に乗った赤ん坊が、大声で、わけのわからない歌をうたっていた。お母さんは、スマホに熱中していて、気にする気配もない。わりと近くで、サラリーマン風の男性が、カバンを抱えたままで、爆睡している。電車は、まじめに、各駅に停車。コロナ対策で、窓開け中なので、寒い。でも、こういう車中にいることが、なんともいえない、いい感じなのです。

駅に着いても、乗る人はなく、降りる人もいない。沿線はといえば、駅周辺は、戸建ての家が多く、しかし、まだまだ、たんぼや畑がいっぱい残っている。白い梅の花が咲いている。間もなく清水公園駅。公園には、バラを見にきたことがある。野田市は、あのキッコーマン醬油の発祥の地だ。醤油工場が並んでいる。

野田市で、思い出した。20年くらい前のこと。夏山の北アルプス、常念岳頂上近くで、5名の女性グループに会った。うち一人が体調が悪くなり、みんなで、心配している様子。で、こちらは、単独行、ここら辺の山は、ワケ知りなので、お助けマン、ということで、彼女のザックを持ってあげて、小屋まで、ご案内。そのことがきっかけで、リーダー格のNさんと知り合いに。Nさんは、松戸の病院の看護師さんで、野田市の住人。ある時「うちの庭の栗、たくさんあって、困っているので、採りにきて欲しい」との連絡。もちろん、すぐに参上。

Nさん宅は、元農家。広ーい敷地で、庭には、栗の木が10本ほどあり、畑も広く、ご近所さんたちに開放していた。ご自分は、新築の瀟洒な2階建てに住んでいた。もともと山菜採りや、栗ひろいが趣味だったこともあり、秋になると、野田通いを楽しんだ。拾ったばかりの栗を、庭で火を焚いて、大きな釜で茹であげ、ひとつづつ実を取出す作業。20キロ近くを背負って、つくばエキスプレスで八潮駅まで。わが家のベランダで、3日間ほど干して、ご近所さんにプレゼント。秋のいい思い出。

東武野田線は、今は、東武アーバンパークラインという。乗ってみて、Urban(都会)というよりも、Local(田舎)という感じ。大宮駅から船橋駅までの約60キロ、沿線には、計画なしの戸建てやアパート群があるけれど、たんぼ、畑、やぶ地が多い。こういう路線、首都圏には、いくつもあるんじゃないか。

一日中、いい天気だったので、夕日がきれい。風は、つめたい、でも、なんとなく、いい気分だった。やっぱり、乗り鉄。やめられない。



2022年3月2日水曜日

久しぶりの「山手線一周」 乗り鉄

月曜日なので、そう混んではいないはず、と出かけました珍しく都心です。しっかり都心ー山手線を一周してみました。

3月1日、春いちばんの旅です。

上野駅をスタート。時間は、11時30分。電車は、そう混んではおらず、鶯谷から池袋方面へ。

電車のタイプ、しばらく乗らない間に、随分、よくなっています。車内の広告が、貼り付けの紙広告ではなく、動画です。

①予備校 合格者が、私は、この予備校でがんばりました。合格しました。

②新発売 缶入り赤ワイン、白ワイン、男女の俳優さんが乾  杯!

③美容外科 ムダ毛の手術は、

④ふるさと納税 北海道の町の宣伝

⑤リクルート 転職をサポートします

⑥韓国医療 美容系

⑦東京都のPR,お知らせ 職業訓練所、だまされない

⑧デイズ二ーランドの特集のお知らせ

⑨東京スター銀行

⑩スキンクリニック 男性頭髪ケア 

こうした動画が、繰り返し、繰り返し出てきます。乗客のみなさんは、といえばスマホに忙しく、あまり見ていない。電車は、混んでおらず、ほぼ全員が座れる状態です。約1時間、たのしかった。

  上野をあとに池袋 走る電車は内まわり わたしゃ近頃外まわり 

  彼女の招いたうぐいす芸者 日暮里笑ったあのえくぼ

  田端を売っても 命がけ  想うはあの娘(こ)のことばかり

  この胸のうち 駒込と 愛の巣鴨に伝えたい

  大塚なびっくり度胸をきめて 彼女に会いに池袋

  高田の馬場や 新大久保のおじさんの意見など

  新宿聞いてはいられません

  代々木になったら家を出て 原宿減ったら 渋谷顔

  彼女に会ったら 恵比寿

  おやじのいきてて目黒いうちは 俺もいささか五反田

  大崎まっ暗 恋の島 

  彼女に贈るプレゼント どんな品川よいのやら

  田町にゃ夢中で踊るよな 色よい返事を浜松町

  そのことばかりが新橋で だれに悩みを有楽町

  想った私が す東京なんだ神田の行き違い

  彼女はとうに秋葉原 ほんに御徒なことばかり

  山手は暮れ行く 恋でした。

          (その後、追加された新駅2つを除く)

  高校時代、今から〇〇年前、上野鈴本亭に通って、覚えた落語の一節です。ま  だ覚えていた。この5月22日、84歳になる予定です。