ウクライナで、ロシア軍が町ぐるみ破壊を続けています。一般市民が逃げ惑う姿が、テレビのニュース番組で、繰り返されています。世界中の人たちが、こうしたシーンを見ながら、しかし、なんの手助けも出来ない、どうなる、どうする、を繰り返しながら。
こんなテレビを観てばかりいないで、どっか、出かけなければ、と、久しぶりに都心へ。山手線で、新橋駅へ。ゆりかもめ、に乗りました。たまには、海を見よう、と。人流を気にしながら。
新橋駅から終点の豊洲まで、30分くらいかな。ま昼だったので、乗客は、ほんのちらほら。お天気は、最高だったけれど、春霞がかかっていて、スカイツリーあたりは、ぼーとしています。座席は、いつものこだわりで、六両編成のいちばん前か、いちばん後ろの席、ここは、窓が全面ガラス張りで、東京湾の景色を堪能できます。この日は、最後部。始発から終点まで、他に乗客は来ずに、独占状態だった。
この5,6年の間、まったくご無沙汰だったけれど、それ以前、一年に一度、必ず乗ったことがあった。お台場の海浜公園で、毎年開催されていた「24時間チャリティーランニング大会」に、参加していました。いつも、ゆりかもめを利用していました。
東京ベイエリアは、本当に、別世界、高層ビル群だらけで、これには、びっくりしたり、感動したり。終点の豊洲駅に着く頃の車中は、乗客は、2人しか乗っておらず、運転手もいない電車なので、ま、こんなもんか、と。それにしても、この電車、いったいどうやって走っているのだろうか。
豊洲駅構内をさがしても、説明パンフレットらしきものはなく、改札近くの受付オフィス、にヒマそうな係のお兄さんに、
「あのう、ゆりかもめって、モノレールじゃあないですよね」と、「どういう仕組みで走っているんですか」、と尋ねると、ちょっとお待ちください、と事務所の中へ。説明書みたいなのを持ってきて、説明してくれました。
電車の車輪は、4個のゴムタイヤです。エネルギーは、電気使用、とのことです。だから線路なし、接触用の電柱もない。その説明書は、いただけないのですか、と懇願したものの、前には、沢山あったんですが、残部なしなので、「ごめんなさい」、と。この間、15分ほどだったけれど、他に客なし。ゆりかもめは、モノレールでは、ありません。
ゆりかもめ豊洲駅から外に出る。ここら辺は、はじめてではない。東銀座方面から都バスのスカイツリー行きに乗ると、ここを通るのを、承知していました。東劇でシネオペ(オペラを映像で見る)のシリーズを観ていた頃は、このバスを愛用していました。
深川の木場あたりをまわり、清洲橋を渡り、吾妻橋手前で右折、目の前に、でかいスカイツリー。634m(むさし)というのと、オープンが5月22日(自分の誕生日と同じ日)だったので、この数字は、しっかり覚えています。いつもは、ここでバスを降り(終点)まっすぐ東武線の業平橋駅へ、今は、スカイツリーライン駅っていうんですが。
エスカレーターで、4階へ。ここで搭乗券を買う。修学旅行の学生さんたちと、エレベーターで、50秒でいっきに第一展望台に到着。この上へのエレベーターは、別料金です。ここまでは、2100円。ここで十分です。スカイツリーは4回め。すぐ下に隅田川。両国橋、吾妻橋、言問橋などは、見えるが、東京タワーは、うっすら見える。右回りの下界は、本所あたりだ。高層ビルは、それほどない地区。それでも、民家がびっしりだ。
今から77年前、1945年、アメリカのB29爆撃機が、焼夷弾を雨のように落とし、本所など下町一帯がまたたく間に大火災。当時の日本の家屋は、紙と木材で出来ていたために、消化する間もなく灰となった。『日本のいちばん長い日』という著書で、ご自身の体験で語った半藤一利さん。吾妻橋あたりは、逃げ惑う人たちで大混乱、川には、死体が積み重なるように流れていた、と悲惨な事実を書いている。
ウクライナの人たちの惨状は、77年前の東京下町の大惨状と重なる。東京大空襲の方が、何倍もの死傷者だったことを、忘れたわけではない。戦争という名の、愚かな人間たちの争い、いつまで続くのか、繰り返されるのか。
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