若気(わかげ)のいたり、っていうのが、いくつもあった。
フランスとの国境を越えて、スペインへ。トラックの荷台に乗り、幌をかけて、ピレーネ山脈を越えて、スペイン側の地元教会へ。スペインの州独立派を激励するため、というのが、たしか目的だった、ような気がする。あまり確かではないけれど、政治的な国際会議に出席の仲間たちが参加し、それに加わった、ということ。その時の、全員が、目隠して撮った教会での集合写真が、日本に送られてきたので、あれは、事実のことだった。
思考回路が狂ったようなプーチンの暴挙、毎日、そればっかり見ているうちに、そんな昔のことを思い出した。そんな日常から抜け出したくて、出かけた。どこでもよかった。
とりあえず、線路のあるところ。西新井駅から東武線に乗った。どこへ行くか、どこで降りるかを決めずに。急行や、快速ではなくて、考えるため、すぐに降りられるように、ドン行(普通)に乗車。竹の塚(東京都)から谷塚(埼玉県)へ。越谷をすぎ、車内アナウンスが春日部、というので、下車。ここを、東武野田線が通っている。
ホームへ出ると、すぐにきたのが普通列車の船橋行き。これに乗った。昼すぎなので、乗客はちらほろ。空いている。乳母車に乗った赤ん坊が、大声で、わけのわからない歌をうたっていた。お母さんは、スマホに熱中していて、気にする気配もない。わりと近くで、サラリーマン風の男性が、カバンを抱えたままで、爆睡している。電車は、まじめに、各駅に停車。コロナ対策で、窓開け中なので、寒い。でも、こういう車中にいることが、なんともいえない、いい感じなのです。
駅に着いても、乗る人はなく、降りる人もいない。沿線はといえば、駅周辺は、戸建ての家が多く、しかし、まだまだ、たんぼや畑がいっぱい残っている。白い梅の花が咲いている。間もなく清水公園駅。公園には、バラを見にきたことがある。野田市は、あのキッコーマン醬油の発祥の地だ。醤油工場が並んでいる。
野田市で、思い出した。20年くらい前のこと。夏山の北アルプス、常念岳頂上近くで、5名の女性グループに会った。うち一人が体調が悪くなり、みんなで、心配している様子。で、こちらは、単独行、ここら辺の山は、ワケ知りなので、お助けマン、ということで、彼女のザックを持ってあげて、小屋まで、ご案内。そのことがきっかけで、リーダー格のNさんと知り合いに。Nさんは、松戸の病院の看護師さんで、野田市の住人。ある時「うちの庭の栗、たくさんあって、困っているので、採りにきて欲しい」との連絡。もちろん、すぐに参上。
Nさん宅は、元農家。広ーい敷地で、庭には、栗の木が10本ほどあり、畑も広く、ご近所さんたちに開放していた。ご自分は、新築の瀟洒な2階建てに住んでいた。もともと山菜採りや、栗ひろいが趣味だったこともあり、秋になると、野田通いを楽しんだ。拾ったばかりの栗を、庭で火を焚いて、大きな釜で茹であげ、ひとつづつ実を取出す作業。20キロ近くを背負って、つくばエキスプレスで八潮駅まで。わが家のベランダで、3日間ほど干して、ご近所さんにプレゼント。秋のいい思い出。
東武野田線は、今は、東武アーバンパークラインという。乗ってみて、Urban(都会)というよりも、Local(田舎)という感じ。大宮駅から船橋駅までの約60キロ、沿線には、計画なしの戸建てやアパート群があるけれど、たんぼ、畑、やぶ地が多い。こういう路線、首都圏には、いくつもあるんじゃないか。
一日中、いい天気だったので、夕日がきれい。風は、つめたい、でも、なんとなく、いい気分だった。やっぱり、乗り鉄。やめられない。
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