2020年10月28日水曜日

自粛やブリ、乗り鉄へ

 東武鉄道ー野岩鉄道ー会津鉄道ー磐越西線

 10月26日、本格的な「乗り鉄」へ。

 5時50分のバスで北千住駅へ。6時42分発の特急乗車。この特急は、半分(3両編成)が日光行、もう半分が会津田馬行き。乗ったのは、田島行き。すぐ前に、4人組のオトコ集団が座っており、そのすぐわきが指定の席だったので、空いている席に自主避難。オトコのお喋りってあるんですね。アルコールこそ飲んではいないけれど、ずーと喋りまくっていた。

 いつものように、右側に筑波山、でも、今朝はなんとなく曇っていて、はっきりは見えない。7時20分に利根川を渡る。車内アナウンスは、外国人なんか乗っていないのに、英語、中国語、韓国語、そして日本語で行われていた。そういえば、英語のアナウンサー、日本語のフレーズがとてもきれい。英語の出来る日本人だったのかな。

 お墓といえば、だいたいお寺の周辺っていうのが相場だが、ここら辺のお墓は、たんぼや畑の中、山の中、自宅の庭先、っていうのが多い。いつも気になるのだが、どうしてなんだろう、と走る列車から眺めながら、思った。

 間もなく今市駅に到着。ここで、日光行を切り離し、会津田馬行きは、各駅停車となる。車掌が女性になった。切り離して間もなく、新高徳駅に着くと、ほぼ全員が下車。4人組のお喋りおじいさんたちも、降りた。残ったのは、3人だけ。この先は、トンネルが13もあり、停車駅の半数がトンネル内だった。30.7キロを約30分かけての走行。温泉だらけー鬼怒川温泉、川治温泉、湯西川温泉、中三依温泉、三依塩原温泉、これみな駅名です。紅葉は、いまひとつ。

 会津高原尾瀬口駅までが、野岩鉄道、ここから福島県で、この先は、会津鉄道が西若松まで続く。高原駅の次が会津田島駅で、特急リバティは、ここまで。北千住駅で買った切符もここまで。ホーム反対側に止まっていた会津線会津若松駅行きに乗り換える。乗客4名だった。まだ9時41分。

 会津高原駅は、七ヶ岳に登った時、それから、ここから尾瀬に行ったことがある。

 列車は、稲刈りを終えた田んぼの中を走る。線路は、やや下り坂になっていて、快速だったこともあり、かなりのスピードだ。一両編成。小雨が降ってきた。10時49分、会津若松駅に到着。ここでの乗り換え時間が、9分で、磐越西線郡山行きに乗車。ちなみに、会津田島駅から会津若松駅までの乗車賃は、1470円、ちょっと高いんじゃない。

 列車は、快速で2両編成、立っている客がいない程度の乗車率。もちろん、単線で、快速とはいえ、郡山から来る列車を、なんどか待つために、停車。

 いつの間にか、雨は止んで、磐梯熱海駅通過、乗車、降車する客なし。猪苗代湖が、ちょいと見え、磐梯山も見えた。裏磐梯には、XC(クロスカントリースキー)をやっていた頃、10年間ほど、ちょくちょく通ったので、なつかしい。

 12時19分、郡山駅着。そばでも、たべるか、と思っていたのに、12時30分発の新幹線のホームに駆け上がっていた。客は、少なく、4人しか乗っていなかった。車内販売などなく、でも、神明町から持参の特性おにぎりがあります。塩昆布と梅干し入りの、でかめのおにぎり。時間をかけてゆっくり、ゆっくりいただきました。景色、面白くない。

 13時42分、上野駅到着。会津若松~郡山間が、64,6キロ、郡山~上野間が、223.1キロ。やっぱり早い、新幹線。でも、おにぎりを食べて、ひと眠りしただけ。


 


 

2020年10月27日火曜日

オリンピック村へ、新型バスで

 大江戸線の築地市場駅下車。前回、9月は、日比谷線の築地駅だった。雨だった。今回は、青空。13時30分集合時間、13時20分着。ここは、地下鉄改札から長ーい地下道を歩かなければならない。地上に出ると、ほぼ全員の顔があった。  

 道路向うの建物は、朝日新聞社ビル。昔は、有楽町の日劇の隣りにあった。知っている人は、あまりいないじゃないか。

 道路は、汐留、新橋方面に右折。一行は、左折。元築地市場の西の端を白い壁側をしばらく歩き、隅田川に架かる豊洲大橋を渡る。オリンピック選手村、築地新市場を結ぶ橋で、なぜか舛添知事の名前があった。舛添さん、橋を架けた人ってわけか。橋を渡り切ったところに、エレベーターがあり、「あれば乗る」の年金組6名。

 降りてちょいのところにバス停があり、バスがくるのを待った。都心から晴海につながっている路線。10月1日から始まったばかりの新型2台つなぎのバスに乗った。ヨーロッパでは、ウイーンなどで走っている。もちろん、シルバーバス、OK.他に客が5名、団体さんたちは、やや興奮気味ではしゃいでいました。勝どき、月島をまわり、バスターミナル着。

 下車して、晴海ふ頭まで、歩く。ビル群の中、ほとんど人っけのない大通り。前方左、海側との間に、オリンピック選手村。本来なら、全世界の選手たちで、大賑わいだったであろうエリアだ。

 道路が交通止めになっており、反対側に渡る。このビルは、東京都の中央清掃工場。顔近くで、ぶよが飛んでいる。でも、人影は、ほぼゼロ。

 晴海ふ頭に出た。巨大な建物、ここも人気(ひとけ)なし。ガランとしたバスターミナル。時計をみたら3時すぎだった。ちょうど来たバスに乗った。東京駅行きだった。銀座4丁目下車。木村屋でパンを買って、まっすぐ帰宅。

 コロナ自粛後、2回目のちょい歩き。狛犬にまったく会わない、東京狛犬楽会だった。


2020年10月19日月曜日

断捨離ーその②

 断捨離ーその②

 断捨離してないけれど、しなければならない、と思っているもの、モノ。

万年筆  いちばん持っていた頃は、499本。なんとか500本以内にとの配慮から、1本買うと、1本減らすということをしていた。今は、選んで、残っているのが、約80本くらい。モンブラン、ペリカンが多い。日常的に使っているのは、240円の使い捨てのパイロット。ガラスペン3セット。

鉛筆  三菱鉛筆10セット(H~B)

ノート  海外で買ったもの、日本製など100冊くらい。

時計  腕時計9個、 懐中時計4個

ハモニカ  8本。

ナイフ  肥後守7本、他2日本。

 文房具は、とにかく大好きで、丸善、伊東屋、東急ハンズは、月1~2回は、通っていた。新製品が出ると、どうしても手にとってみたくなる。コレクターを対象の本も、何冊か持っている。新製品が気になるのだ。日本の地方でも、外国の街でも、必ず行くところは、文房具店。随分、整理したけれど、断捨離? なんて、考えられない、今は。



2020年10月16日金曜日

コロナ・ステイホーム脱出

 コロナ脱出ーまずは、日光・足尾へ。

 10月14日、行ってきました。8か月ぶりでの遠出です。6時42分の北千住発に乗るつもりで、5時50分の神明町から北千住駅行きのいちばんバスに乗車。いちばんバスの状況が変わっていた、景色が変わっていました。

 バスには、すでに4人の乗客が乗っており、4人とも高齢者。次、次に停まる停留所で、乗ってくる客、すべて高齢者。すぐわかるんです、全員が、東京都のシルバーバスだった。終点に着くまでに、20人ほどの乗客、男女の高齢者で、みな朝いちバスのお知り合いらしく、「おはようございます」、のご挨拶。運転手さんにも、「おはようございます」。コロナの日々に入ってから、高齢者は、ステイホーム、しているとばっかり考えていたのに、なんと、働いていたことを知った。実は、あさいちバスは、ちょい旅に出る時には、かならず利用していたので、なみじ深いバスで、いつもなら、乗客は、終点まで5~6名で、スーツ姿の勤め人もおり、早番なんだな、なんて思っていた。いつの間にか高齢者通勤客が増えていた。

「今日の弁当は」、と女性客が尋ねると、「のり弁だよ、夕べののこりご飯でね」、と男性客が応えていた。弁当もちで、働きに行くんだ、どんなところで働いているんだろう。これから、遊びに行くのが、なんだか悪いみたいな感じだった。

 特急けごんは、1時間20分で、日光駅着。一両に15人ほどの乗客で、「密」は十分避けての列車旅。曇り空だけれど、降らなければいい。1時間ほど待って、足尾行きの市営のミニバスに乗った。市内から山間部に入ったけれど、紅葉は、まったく感じられず、去年もそうだったけれど、今年の紅葉は、だめそう。乗客は、途中から乗った女性客がひとり。1時間ほどで、間藤駅前着。わたらせ渓谷鉄道の終点駅だ。何回も来ている駅、無人駅だ。

 わたらせ渓谷鉄道が、コロナ禍で、名物のトロッコ列車の運行が困難となり、今はやりの「クラウドファンディング」とやらで、カンパ集めを始めたというので、乗り鉄に行ったというわけ。間藤からの乗客ひとりだけで、途中からも乗り降りほとんどなく、名所の足尾銅山のある駅でも、3人だけという乗客率だった。途中ですれちがったトロッコ列車にも、乗客が数名のみで、経営はたいへんだ、と。

 足尾銅山は、江戸、明治、昭和の400年間、日本の近代化に貢献してきたが、昭和48年に閉山。渡良瀬川の鉱毒事件で、国会議員だった田中正造が天皇に直訴したことで知られており、たしか学校の教科書にも載っていた。今の古河電工の前身。運転手さんに聞いたら、足尾銅山観光は、ほぼゼロの状態とのことだった。

 クラウドファンディングの様子も尋ねてみたら、「おかげさまで、目標の300万円は、集まったようです」、だそうです。途中下車せず、桐生までの44.1キロ、約90分の久々の乗り鉄、充分に楽しみました。

2020年10月9日金曜日

廃品回収の日

断捨離ーその➀

 あんなにも暑い、暑い夏だったのに、急に寒い日になった。10月9日なのに、暖房が欲しくなった朝の寒さ。せっかく咲いた金木犀が、今朝、落花、そこらじゅうが黄色になっていた。

 昨日は、終日雨だったけれど、大忙しい一日だった。朝いちばんで、大物廃棄物をいっせいに出す日。コロナ籠りで少しづつ整理した「お宝」が、遂に、我が家からなくなった。

スキー(XCクロスカントリー)  板8組、ストック3、靴3足、ローラースキー(夏のトレーニング用)1組、

登山  ザック4(小、中クラスは、すでに廃棄)、靴3足、アイゼン2組、ピッケル3本、ザイル3組、

チャリ(自転車)  本体そのものは、すでに廃棄3台、携行備品一組、靴1足、

剣道   面、小手用防具、上下衣(袴、上着)、竹刀3本

 XCスキーは、長続きしたスポーツ(薬10年)だったので、板も多く、なんとなく捨て難く、ベランダに置いてあった。いつか、また使うかも、やるかも、なんて思っていたが、6年前に日光へ行った時以来、使っていない。

 登山は、最近は、「軽」装が主流で、昔の厚くて重い皮の山靴は流行らない。運動靴で結構な山を歩ける。底にビブラムなんかを打つなんてことはしない。アイゼンは、冬山、春山で使用していたもの。こちらも、冬山をやらないので、不用。ピッケルは、なぜか3本もあったが、あまり使った記憶がない。

 チャリ(自転車)は、ツーリング用、レース用など3台あったが、75歳時に廃棄。だた、ツーリングに持っていく携行袋が、中味(タイヤはじめ、空気入れなど)が入ったままで、残っていた。オーストラリアを走ったチャリもある。

 いづれも、アウトドア用品ばかり、現役時代の遊びの多様さが、わかる。これら、しめて回収料金が、10,000円ほどだった。もう、二度とやらないんだな、と思いながら、廃品回収の車に積み込まれるのを、眺めていた。