2020年9月29日火曜日

   スウエーデンのストックホルムのホテルで、いつものように早めの朝食、ということで、エレベーターに乗った。上階から降りてきたエレベータには、ひとりの男性が乗っていた。「おはようございます」、と英語であいさつすると、相手も「おはよう」という。発音からして、英語ネイティブではないようだ。背が低く、しかし、眼光鋭い男性だった。

 レストランのある二階でエレベーターを降りると、「ひとりですか?」、というので、「はい」と返事をすると、椅子をひきながら、「一緒にどう?」と誘ってくれた。で着席。そのあとゆっくり、ゆっくりの英語での会話。実は、何を話していたか、まるで覚えていない。ただ、その男性が、あの有名な哲学者サルトル氏であることは、後で知った。

 迎えにきてくれたスウエーデンの友人が、「知り合いか」と尋ねるので、たまたま朝食をいっしょしただけ、と答えると「あの人、サルトルだよ」、と教えてくれた。

 このことを、中央大学の哲学のM教授(ヤスパース研究の第一人者)に話すと、いろいろ尋ねられたが、サルトル氏なんて意識がなかったし、そもそも、サルトルさんの実存主義なんてえのも、読んだこともなければ、まるで無知だった。

 ただ、ジャンポール・サルトル氏と、ストックホルムのホテルで、朝食を共にした、ということは、事実、史実というのかな。

 これも、記憶のコレクションのひとつである。


2020年9月28日月曜日

ルーマニアの大使館員

 「ヒヨーショージョウ」

相撲の千秋楽、なんとなくテレビで見ていた。知った名前の相撲取り、ひとりもいなく、足立区内に部屋のある〇〇部屋の力士たちが、コロナで出場していないということもあって、銭湯へ行っても話題にならない。

 熊本の正代とかが優勝し、表彰式を見ていたら、外国からの表彰状が在日の大使から手渡されており、それを見ていて、久しぶりに思い出した。

 現役時代、たまたまルーマニア大使館の書記官だった男性と知り合い、着任したばかりの彼に、日本語、日本事情を教えることになった。こちらも、東ヨーロッパ事情を聴きたかったこともあり、月1回くらいだった。場所は、麻布のフランス料理のレストラン。そこのオーナーが、なぜか、食器、皿とか、グラスとかをルーマニア産の陶器を使っており、ワインで乾杯する際に「これ、ルーマニアのグラス」、と得意げに話していた。その彼氏から、電話がかかってきた。

 「緊急にお会いしたい」、というので、何事かとレストランへ。実は、大使が帰国中で、大使の代わりということで大役を仰せつかった、と。その大役というのが、国技館で、千秋楽に優勝力士、ルーマニアのクリスタルを手渡す役だった。その際に、賞状を日本語で読まなければならない。日本語の正しい発音を教えて欲しい、というものだった。千秋楽まで一週間、なんどか会って、特訓した。そうそう、特訓会場が、飯倉のアメリカン・クラブだった。レストランの予約がとれなく、そちらにしたらしい。当時、まだ冷戦下の世界情勢で、東欧の大使館員が、アメリカン・クラブか、と多少は気になったのを覚えている。

 千秋楽当日、靴をぬいで、土俵に上がり、表彰状を無事朗読したのを、浅草橋の寿司屋のテレビで見た。イントネーションも悪くない、うまくいった。

 その後、「お礼です」、とルーマニア製の花瓶をもらった。今でも、わが家の玄関に置いてある。





2020年9月9日水曜日

ひらめいた、で、はじめた(その2)

こんなことも、やった 

楽器、ハモニカ、アコーデオン、フルートを、実際にそのものを買って、練習したが、歌ー声楽もやったことがある。始まりは、コーラスグループを作って、週一回、先生とピアニストを頼んで(有料)、10人ほどのコーラスグループ。名称は「キャリア・インターナショナル」。5年くらいは、続いた。東京都のコーラス大会に出場して、入賞したこともある。メンバーは、インターナショナルに活躍中の女性たちで、海外出張で時々欠席していたものの、結構まじめに参加していた。コーラスがなくなってから、安田祥子先生の個人レッスンを、3年間ほど受けていた。安田先生は、由紀さおりさんのお姉さん。歌曲ではなく、声楽の練習曲だけだっが。

3年前のことだが、北千住のカルチャーセンターで、ボイストレーニング教室というのに入った。引退後の音大の教授だったオトコ先生が、自らピアノをひきながらのご指導。受講生は、もう何年もやっているという中高年女性6名。みなさん、なかなかの美声で、それでも、おそるおそる仲間入りした。先生が好きだったのだろう、カンツォーネが多く、それもイタリア語での歌曲、実をいうと、うれしかった。先生の声は、テノールで、パパロッテみたいだった。5か月ほど通った頃、先生が欠席がちになり、遂に講座は、中止となってしまった。 カラオケは、やったことがない。

          


ひらめいた、で、始めたこと

まだステイホームしています。結構、やることが多いんです。

昨日は、押し入れから、ハモニカが出てきました。それも7本も。そういえば、ハモニカ、吹いていたこともあった。山岳会時代、山の上で「雪よ、岩よ、、」なんて吹いていました。5~6年くらいだったけれど。試しに吹いてみたら、まだ吹けた。 楽器では、アコーデオンも習ったことがある。イスラエル留学から帰ってきた頃、あちらが、フォークダンスの本場だったことから、アコーデオンが盛んだった。目白駅近くの楽器店で、週一アコーデオンを教えてくれるっていうので、一年半くらい通った。アコーデオンそのものは、かなりの高額だったと思う。止めてから、友人の娘さんに貰ってもらった。古道具屋で、買ってきたフルート、これは、勝手に吹いていたが、聖者の行進、だけが吹けるようになった。