2024年4月17日水曜日

飛鳥山 さくらが散って 人まばら

乘り鉄定番となっている王子駅、ホームの前は、飛鳥山です。都内お花見の三大名所といわれています。お花見には、なんども行ったことがありますが、人出を避けたい年頃になってからは行ってません。それでも乘り鉄の起点でもある王子駅は、頻繁に通っています。    お花見の時季、花が咲く前から散る頃までを、しっかり見届けています。駅のホームいっぱいの人だったのに、いつも通りの風景です。目の前の飛鳥山も白い桜の花のかわりに、濃い新緑の葉っぱに変身。お山の乘り降り用のエレベーター(3分間)も、並ばずに乗れる状態になっていました。

京浜東北線で、川口方面へ行く前に、荒川の鉄橋を渡ります。進行方向右の赤羽側に、50mほどの桜土手がありますが、ここのさくらも、散っており、だからか歩いている人影は、見えませんでした。南浦和駅で乗った武蔵野線、制服が真新しい新入生、座席が空いているのに、座らず立っていました。レイクタウン駅に着くと、ホームから「〇〇ちゃん、こっち、こっち」という声。まだ若そうだけれど、どうも、祖母らしい女性が、手を振っています。新入生も、手を振りながら下車。帰りにレイクタウンでお買い物、いや、学校帰りに買い物なんて。駅周辺の高層マンションの住民なのかもしれません。

JR武蔵野線は、もともと都心用の物流を目的に作られたもので、歴史は、100年。今でも、長い、長ーい貨物をひっぱった列車にときどき会えます。武蔵野線は、終点の南船橋駅に着く前、東川口で埼玉高速鉄道、新越谷でスカイツリーライン(東武電車)、南流山でTXつくばエクスプレスに、新松戸で常磐線に、西船橋では、JR総武本線と連絡しています。

ちなみに私のご用達は、新松戸で常磐線=地下鉄千代田線、に乗り換え15分で綾瀬駅までの路線乘りです。綾瀬駅改札で、スイカの数字は、230円。京浜東北線の王子駅で乗車して、南浦和駅から武蔵野線、新松戸駅で乗り換えて、綾瀬駅、というコース、なぜ230円なのか。つまり、王子から上野へ出て、北千住経由で綾瀬駅までの運賃が230円。ひと筆乘りという合法的な乘り方、なのです。この乘り方をいろいろ活用しながら、あっちこちの、乘り鉄を楽しんでいる、というわけです。

2024年4月8日月曜日

へたっぴー 初鳴きうぐいす がんばーれ

昨日もそうだったけれど、今朝も霧雨状態。少しくらい濡れても、そう寒くはない、ないしろ4月、春真っ盛りなのですから。都県境の運河沿いのコースを歩いていたら、うぐいす、らしい声。まだ、ホーホケキョになっておらず、でも、あれは、うぐいすの声。明日は、もっとうまくなっているかな。このコース、桜の木が3本、満開です。根本には、小さな山吹の黄色い花が咲いています。まだ、だれも通っていない、朝いちばんの初歩き、今日も大満足の始まりです。

午後、雨かもというので、8時すぎに家をでました。本日は、路線バス乗り。綾瀬に出て、亀有へ、乘り換えて、新小岩駅というルート。途中の学校では、入学式で、校門には、日の丸の旗、満開の桜をバックに、記念写真の制服姿の新入生。この風景、ずーと続いているんですね。自分の記憶には、まったくありませんが。

東北・北海道を除く地域、ほぼ桜が満開になったようです。夕べ、テレビで、奈良の吉野山の満開桜の様子が写っていましたが、この季節の吉野山、行ったことがあります。20年くらい前だったか、熊野古道を吉野山からスタートした時。満開には、ちょっと早かったけれど、さすがは、吉野山、黄色の菜の花とのコラボレーションが、よかったな。

ところで、台湾での地震、まだ能登の地震の印象が鮮明に残っている今、えっ、台湾でも、と叫んでしまった。現地の様子が、テレビに映し出されています。日本と同じように、台湾も地震大国なのです。でも、日本との違い、だいぶ違うようです。台湾の地震体制といえば事前に「備えよ、常に」、なのです。日頃から、いざという時のために、人も、物も、体制なども、しっかり準備している、大きな違いです。日本は、災害に対する事前準備よりも、災害になってはじめて大がかりな国の支援が行われる、という図式。あちら、台湾では、地震になる、3時間後には、もう仮の避難所が設置され、住も、食も、もちろんトイレもしっかり準備完了。支援の人力も、もちろん、即出動。三か月経た男鹿半島と比べ物にならない。寒い避難所ー学校の体育館などで、カップラーメンひとつで、ふとんをかぶって過ごす日本の被災者の姿と比べものにならない、ことがわかりました。

災害が起きて、「しっかり国は、財政支援をします」、というよりも、事前の支援が必要なのだと思います。70%の家屋が耐震性になっていなかった、という現状、なにも能登だけに限りません。いつ起こるかわからない災害に対して、備えをしておく、「備えよ、常に」です。事前復興、これが必要です。裏金だ、キックバックだ、なんて言ってる場合か。「国民の命と生活を守る」のが国会議員のお仕事のはず、じゃあなかったんですか。


2024年4月4日木曜日

ライトレール 初乗り故障で 料金ただ

4月3日、宇都宮へ。昨年の夏、開業したばかりの路面電車、気になっていたので、初乗りに出かけた。8時半に神明町発。上野駅から乗ったのは、小金井行き。ラッシュなしの逆乗りだったので、車内は、がらがら。ボックスシートひとり掛けでゆったり、乘り鉄です。桜の花が沿線あっちこっちで、咲いていました。約2時間。

小金井で乗り換え、宇都宮 駅に11時40分着。時刻表には、『ライトレール線・西口』とあったので、さっそく西口へ。ない、どこにも表示がない。で、戻って、駅構内で地元らしい人に尋ねたら、なんと、その男性もライトレールを探しているとのこと。宇都宮駅当局も、胴元の宇都宮市も、ライトレール線の宣伝を徹底すべき、ですよね、と。

西ではなく、東口だったライトレール線発着所、構内の外れにありました。階段を下りて行くと、制服の係がいて、「現金の方は、回数券を取って下さい」、と。スイカやスマホでOKの料金システムです。春休みだからか、子どもが多い。5分ほどで、電車到着。1時間に5~6本という感じです。下車した乗客12名。それほど混んではいない。すぐに乗車、発車。ワンマン、2両編成の路面を走る電車。4人掛けで、窓は大きい。

しばらく駅前の国道を往く。速度は、ゆっくりで、横を走る車に抜かれている。宇都宮大学のキャンパス駅、といっても、学生らしき乗客の乗降なし。停留所は、屋根付き、簡単なベンチもある。街中をすぎ、〇〇小学校前とか、城跡とかの停留所。学校の昔の写真や、城跡の写真なとが停留所壁に貼ってありました。でも、周辺には、民家はなく、ここまで、どうやってくるのかな。

たんぼや畑のある郊外に出て、鬼怒川を渡る頃には、電車は、かなりの急坂を登ったり、下ったり。乗降者皆無。丘陵地帯に入る。両側には、大きな工場施設が並ぶ。工業団地だ。と停留所には、自転車置き場・駐輪所があった。しかし、広い工場の敷地内には、もっと広い、広ーい駐車場があり、車がびっしり並んでいた。なあんだ、みんな、車通勤してるんじゃん。

「次は、終点の工業団地です」、とのアナウンス。と、電車は、停留所の手前50mあたりで急停車。停留所には、前に到着した電車が停まっおり、運転手さんが、電車を降りて、雨の中で、線路をのぞいたり、たたいたりしています。しばらくして、「前の車が故障のようなので、しばらく停車しまーす」、とこちらの運転手さん。そのしばらくが、40分ほど続きました。カメラを持って、はしゃいでいた子どもたちら、12名が車内に。本社からのレスキュー隊の車が到着。じきに故障は、改善。で、停留所着ここで、全員下車。どこへ行くのか、ひとり残され、そのまま宇都宮駅に戻ることに。運転手さんが、「どちらから?」と聞くので、東京からです、と言うと、料金は、いいですから、とおっしゃる。ここ終点からは、しばらく乗客一人状態で、しかし、途中で乗ってきた客もおり、終点の宇都宮駅では、20名くらいになっていました。

せっかくだったが、名物の餃子も食べず、ホームに停まっていた逗子行きに乗車。赤羽で乗り換えて西日暮里経由で綾瀬着。神明町に着いたのは、5時すぎでした。14.5キロに乗るため、往復5000円かけての乘り鉄の旅でした。それでも、達成感はあり、でした。


2024年3月31日日曜日

ようやっと 桜が咲いた 春実感

 昨3月3l日、靖国神社の標本木の桜の開花を宣言。関東地方でも、いよいよこれから、というお花見シーズン到来となりました。例年よりも、10日以上も遅れての開花。花が咲かなくても、すでに宴会は、始まっているようですが。お花見の予定は、特にありません。区内の中学校をいくつか訪ねてみようか、と。ここのところ、ほぼ毎日、靖国、まだです、を繰り返していた開花宣言係の方、ご苦労さんでした。

シンガポールの友人家族が、来日中で、箱根の別荘(戸建ての家を3年前に買った)に、先週1週間滞在したが、富士山が見えたのは、一日だけ、あとは毎日雨だった、といってました。昨日、六本木で、食事をご一緒しました。

急に浮上した製薬会社の紅麹事件で、得をしたのが、自民党の裏金問題、やっぱり気になります。で、話題の中心人物のあの方、解散した派閥の幹事長だった方、実は、現役時代にネパールで、ご一緒したことがあります。ずいぶん昔のことですが、1991年。同国の初の民主化のための総選挙、日本からの監視団という名目でのネパールでした。すでに、国会議員だったのにも関わらず、団長さんの小間使いのように、尽くしていた姿を思い出しています。偉くなったもんです。それにしても、国の、向こう一年の予算を審議するはずの国会で裏金問題ばかりを討議しているなんて、やっぱり心配。勝ち誇ったように、与党を追及している野党も、野党。

いい話ってあまりありません。天気がいいので、ちょっと路線バスにでも乗ってきます。


2024年3月28日木曜日

さくらまだ それでも全国 天気晴れ

本日は、朝から晴れ。日の出前の東の空が、きれい。久しぶりだ。予報でも、本日は、全国的に「晴れ」、とのこと。それにしても、咲かないな、さくら花。去年の日誌を見ると、三月二十日、飛鳥山のさくらが三分咲きとある。本日は、3月28日、高知では、咲き始めたとのことですが、靖国神社はまだのようです。

さくらといえば、日本全国、あちらにも、こちらにも、名所があり、五大桜名所は、お花見済みです。弘前城の桜、じゃぱ汁、うまかった。高遠は、高台に桜がありました。奈良の吉野山は、熊野古道を歩き始めた地点で、深夜の花見でした。あの大津波・地震の翌年に行ったのが三春の滝桜、近くに避難した人たちのプレハブがありました。山梨の山高神代桜、岐阜の根尾谷淡墨桜へも行きました。見物人で込み合っていたお花見、どこも、早々と引き上げたので、桜そのものは、よく覚えていません。

去年の今頃は、ワールドカップでした。今年も、同じく、韓国での大谷選手が出場する試合、サッカーワールド北朝鮮戦、そして、高校野球全国大会、相撲の大阪場所、それらが同じ日、同じ時間帯にあるので、本当に忙しい。その上、自民党議員の裏金問題もあり、同時に見るわけにもいかず、もう大変でした。2月末に、買い替えた新品のテレビが、大活躍でした。ちなみに、旧テレビ、17年間、愛用していました。

国会議員の裏金問題、特段、腹立たしいことでもなく、そうなんだ、やっぱり、といった感じでした。街の発言では、「国民の税金、あんなふうに使ってほしくない」とか、「国民は、苦労して税金払っているのに」、など、国民は怒っているようです。

モンゴルの民主化のはじまり選挙に際して、立候補した若者たちに、こんことを話したのを、思い出しました。

 「なんで、税金を払わねばならないのか。ひとりでは、自分ひとりでは、出来ないことをするには、みんなでお金を出しあった方が、効率がいい。たとえば、教育。学校で多くの子どもたちを同時に教え、育てる方が、ひとり、ひとりの親が、自分の子どもを、育て、教育するよりも、はるかに効率がいい。病院もそうだし、交通手段だってそうだ。行政サービス、みんなのために、みんなの収めた税金で行う。この仕組みが、税金」。その仕組みを、税金を払った国民のために実行するのが、政治、政治家。国民の生命と、財産を守る、国民が安心して生活出来るための仕組みー政治、なのです。

特に難しいことではありません。ただ、そのことが、どうもわかっていないようです。日本の政治家のみなさんも、それに、主権在民を有する国民ー有権者のみなさんも、あまり自覚がないように見えます。あゝ、この国、この先が、思いやられるーな。

こんな上天気、これから、やっぱり行ってきます。路線バスにするか、乘り鉄にするか。

2024年3月26日火曜日

さくら花 まだか まだかで 今日も雨

ここのところ毎日、毎日、テレビの係が靖国神社へ出張、「蕾がかたくなってきました」、「白くなってきました」、「蕾部分でしょうか、ピンクになり始めました」、などなど、さくら花の様子を報じています。我が家のそばの中学校のさくら、咲きはじめましたよ。

先日、山手線 一周乗りをした時、インバウンドの集団が、上野駅で下車。オハナミ、オハナミ、といいながら公園出口の方へ。咲いていないのに、さくらの木の下で宴会する人たち、新しいトレンドっていうことでしょうか。外国人たちも、やるんですね、お花見宴会。

武蔵野線沿線では、冬木立だった木々が、うっすら緑色になってきました。そうそう、一週間くらい前だったか、越谷駅近くから、富士山が見えました。富士山といえば、西新井駅から池袋行きの路線バスに乗っていた時、荒川(放水路)を渡る江北橋から、右前方に見えました。よく乗っている路線なのですが、都心方向なので、ほぼいつもぼーと曇りがちなので気がつかなかった。とにかく、富士山は、関東エリアからは、ほぼ、どこからでも見える山、日本一の山です。

昨日は、常磐線で土浦へ。定期バスで、筑波山を廻ってきました。最後は、つくばエキスプレス駅(TX).産地直地売り店で、フキノトウを買ってきました。これが最後、今年最後のフキノトウですよ、と売店のおばさんが言ってました。

家に帰ったら、テレビで、『六角精児 飲み鉄本線日本旅』をやっていました。ときどき見る番組です。福井から九頭竜線(越美北線)と長良川鉄道に乗車の旅。どちらの路線も、乗車済みです。高山の寺での講演に行った時、ついで乗り鉄で行ったのが、長良川鉄道です。高山線の美濃太田駅から終点の北濃まで、一両のみの電車、ほぼ乗客数名という贅な環境でした。終点で、この先、福井県側と線路がつながっていた、ということを聞いたのを忘れませんでした。数年前だったか、福井の友人を訪ねた際に乗ったのが、九頭竜線。こちらは、三両編成で、朝だったせいか、学生さん、通勤の人たちで、ほぼいっぱいでした。たんぼの中をひたすら走る、ごく普通の田舎のローカル線。終点の九頭竜湖で、折り返しがすぐ出るというので、旧鉄路跡は見ることが出来なかった。

家に帰ってつけたテレビで、『六角精児飲み鉄本線』をやっていました。六角さんが旧駅跡、旧鉄路跡なと、丁寧に見て回ってくれる番組です。六角さんは、福井から九竜線に乗車、廃線跡などを丁寧に見た後、福井へ戻らず、タクシーで、岐阜側の長良川鉄道の終点・北濃まで行ってくれました。ああ、なつかしいなあ。六角さんを真似て、コンビニでコップ酒を買ってきて、いただきました。ブラボー乗り鉄!

2024年3月17日日曜日

菜の花が 土手いっぱいに 春を告げ

中川の土手が、今年も 黄色い絨毯に変身。小学生らしいグループが、写生中。乘り鉄武蔵野線からの風景だ。ここのところ、週5日間、武蔵野線に乗っている。雨でも、強風でも、とにかく電車は走っているわけで、季節の代わりめ、日々、沿線の風景が変わりつつあるのを発見するのが、楽しい。                                 

昨日は、沿線の大学の卒業式だった。袴姿の正装の卒業生たちで、車内は、華やか、賑やかだった。結構、立派な貸衣装、安くはない、親も大変だ。こんな会話が聞こえてきた。「韓国、どうだった?」、「たった3日間だったけど、まあまあ・・・」、韓国組、フィリピン組など、卒業旅行も行ってきたらしい。アルバイトの稼ぎかな、それとも親御さんの卒業祝いなのかな。自分の、高校の卒業式のこと、あまり思い出せない。大学の卒業式は、たしか日本にいなかった。

3月16日、去年の記録を見ていたら、初めて冷やし中華を食べた、とあった。で、綾瀬のスーパーへ行ってみたら、あった。さっそく買ってきて食べた。春ですね。    こんな春を実感している昨今です。

ちなみに、本年1月元旦から、天候に関わらず、1日も休むことなく、乘り鉄、路線バス乗り、続けています。といっても、近場(ちかば)の電車、バスですが。

2024年2月19日月曜日

昨今 巷 あれこれ事情

能登地震 ごみ山どうする 大変だ

1月1日、元旦だった、能登地震 。あれから、ほぼ毎日、テレビで能登の様子を見てきた。まだまだ大変、復興はすすんでいない。気になっている映像は、ごみの山。テレビや冷蔵庫などの家電製品、畳やベッドなど大物家具、もちろん、家の中、部屋の中にあった全てのモノ、モノが運び出されている。地震で倒れたままの家が、まだ、沢山残っていることから、ごみ出しは、当分続くはず。

あれこれと モノあふれても まだ欲しい

西新井駅構内の100円ショップ。昼間の店内で、店の籠を持った高齢の女性、あれこれ、ほぼ一杯の商品を買いこんでいる。よく見ると、籠持ちのお客さん、ひとりやふたりではない。男性もいる。みなさん、物色しながら、いろいろ籠に入れておられる。一個100円でも、あんなに買うと、値がはるはず。でも、買ってしまうんですよね。そして、その結果、かぎりない とまらぬ欲望 やがてごみ  そして ごみの山 地球にごめん まだ続く

議員とは 良識 常識 なきおひと 

最近の新聞、面白くない。ためにならない記事が多い。腹立つ記事が目立つ。そして、あきらめる日が続く。というわけで、新聞を読んだ後、その日一日、気分、よろしくない。

モンゴルでのこと。75年間のソ連による共産主義下にあって、これから民主主義だ、という時、たまたま居合わせたことから、モンゴルでの政党づくりに関わった。バイカル湖に近い国境の村でのこと、これから立候補するという男性に会った。「政治家になったら、どうしたらいいんですか」、との質問。「政治家になったら、有権者のためになることは、すべて、かならず実行すること。自分のためにならなくても、有権者のためになるなら、必ず実行しましょう」。さらに「有権者のためにならないことは、自分のためになっても、やってはいけません」、そんな、あたりまえの会話を、思い出した。               くれたがる アテにしたがる お金の政治    


                                                    


2024年1月17日水曜日

この寒さ 能登・阪神を 想う朝

今朝、5時46分、NHKの画面を見ながら、「黙祷」をしました。あの阪神淡路大震災から29年め。あの朝、早い朝食を食べていました。指圧の学校の学生で、北綾瀬駅までちゃりで行き、乗り換え、乗り換えしながら、丸の内線の丸の内までの通学でした。そっか、あれから29年経ったんだ、現役引退して29年間 経ったんだ。

あの日のテレビ画面には、高速道路が壊れて、バスがぶらさがっていたり、神戸のあちこちから煙が立ち上っており、「えらいこっちゃ!」、といいながら学校へ行きました。

能登地震は、本年一月元旦、早い夕食を食べようと、準備をしていた4時すぎ、突然、大きな揺れ、えっ地震!、すぐにラジオから、石川県で地震、とのアナウンス。「津波が来るので、すぐに逃げて下さい、少しでも高い場所に、逃げて下さい」、なんども、なんども繰り返されます。

本日は、1月17日。来る日も、来る日も、被災地能登の様子が報道されており、新聞、テレビ、ラジオの能登現地報告を毎日、気にしています。私だけでなく、銭湯へ行っても、風呂友のみなさん、「気の毒だねえ、大変だろうね」、を繰り返しています。こんな時、あったかな風呂に入っていていいのかねえ、という人も。水も電気もなく、難儀な被災の日々、想うだけで、なんの手助けも出来ないままです。

ほっとするニュースも。日本で一番長距離の路線バス、そうです、奈良から新宮までの170キロを走る路線バスのことが、テレビで紹介されていました。インバウンド客たちも乗っているそうで、結構、人気みたいです。そういうわたしは、2017年に乗り済みです。

残念なニュース、鳥取の松江駅前のデパートー百貨店が、1月14日に閉店したっていうニュース。何年か前、松江から出雲大社への路線・一畑鉄道に乗りに行った時、あのデパートで弁当を買いました。同じ名前だったので、よく覚えています。電車は、2両編成で、客はまばらで、この路線、大丈夫かな、と思ったものでした。ちなみに新聞によると、「ノーデパート県」は山形県、徳島県、それに島根県の3県だそうです。

今日は、これからつくばエクスプレスに乗ってみようか、と。つくば方面の冬を感じてきます。お天気がいいから、気分も、よくなるか、な。

2024年1月3日水曜日

元旦に地震発生 二日目に飛行機炎上 令和六年

 正月元旦は、慣れた武蔵野線で初乗り。まだ店も、スーパーもさすが開いておらず、3時すぎに帰宅。正月だから、餅でも食べるか、と海苔巻き餅を食べながら、テレビをつけた。新聞は、年末、年始は夕刊がこないので、手持ち無沙汰で、テレビを見るしかない。

と緊急のお知らせが入った。画面に能登半島の地図が出てきて、地震発生。そうか、去年もあったっけ、東京は遠いから、あまり関係ない、と思っていた。ところが、1~2分してから、急に部屋の中でかたかたと音。わが家の地震震度計が大きく揺れ始めた。テレビ画面には、「津波です、津波です」、を叫ぶアナウンサー。えっ津波、「津波です、海岸に近い方、今、すぐ逃げて下さい、少しでも高い所に逃げて下さい」、叫ぶというよりも、ほとんど絶叫の繰り替えし。我が家の揺れも激しい。ベランダのドアを開けた。

「津波です、津波です、ご近所に声をかけてください」、「考えていないで、ともかくすぐに行動してください」、を繰り返しています。画面には、大きな活字で、津波、すぐ逃げる、が出ている。「すぐです、すぐに逃げて下さい。戻ったりしないでください」、「東北の津波を思い出して下さい」、の繰り返しが1時間くらいつづいた。

わが家の揺れは、間もなく終了。能登半島のどこかの港や、駅前の映像が出るものの、津波や地震による被害を実感できるものはなく、アナウンサーが男性にかわったが、「すぐに逃げて下さい」の連呼だった。

1月1日・正月気分は、ふっとんだ。用意した餅が固くなっていた。民放も、結構遅くまで、地震報道を優先していた。NHKは、さすが国民のみなさんのNHKです、全ての番組をキャンセルして、能登半島地震の現地放送に徹していました。夜の番組だって、キャンセル。せっかく年末に録画どりをして、準備していたのに。

1月2日、今日は、銭湯が始まる日。いつも通り、町屋から都電(初乗り)で、三ノ輪へ。商店街は、まだお休みの店が多い。銭湯は、いつもより混んでいた。都電は、ガラ空き状態だった。都電の中で、「能登は、たいへんだね」、と会話をしている人がいた。みんな心配しているんだ、と思った。二日目になり、能登では、余震が頻繁にあり、その都度、テレビにテロップが出るので、まだ、まだだね、と。二日目で、大火事がおさまっていないこと、家屋崩壊が多いこと、道路が寸断されていること、整っていない避難所で、大勢の人たちが、大変な思いをしていることなど、などがテレビ放映されていた。

新聞の朝刊もお休みの1月2日、今日も。ニュースは、テレビを見るしかない。正月うどん(初うどん)を食べながら、テレビのニュースを見ていたら、地震報道をしていたNHKの画面に、火を噴き上げながら、滑走している飛行機が写った。映しているNHKさんも、これは、どうしたことでしょう、羽田空港の滑走路を火を噴きながら、JALが走っています、と説明。じっと見ているうちに、炎は大きくなり、飛行機まるごと炎上。わかったことは、新千歳空港からの飛行機で、乗客乗務員379人が乗っていた、というではないか。乗客全員無事に脱出の文字が出るまで、テレビの前に立ったまま。うどんは、冷たくなっていた。

元旦の能登半島地震、二日の日航機の炎上、どちらも大変な出来事。地震大国の日本で、まだ本格的な大地震を体験していないこと、現役時代、あれほど、世界各地を飛行機で飛び回っていたのに、いちども危ない思いをしたことがない、あゝいい人生だったんだ、と実感した。それにしても、このふたつの出来事に、日本国総理大臣は、「被災者に寄り添って」や「航空行政の見直し」、なんていってました。キックバックで謝るよりも、こっちの方が、オトコを上げるには、うってつけテーマ、ってわけですよね。それにしても、被災者に寄り添う姿勢を示した天皇陛下さん、年一度の国民との対面の場「皇居参観」の中止を実施された、あなたは、やっぱり偉い。