2024年1月3日水曜日

元旦に地震発生 二日目に飛行機炎上 令和六年

 正月元旦は、慣れた武蔵野線で初乗り。まだ店も、スーパーもさすが開いておらず、3時すぎに帰宅。正月だから、餅でも食べるか、と海苔巻き餅を食べながら、テレビをつけた。新聞は、年末、年始は夕刊がこないので、手持ち無沙汰で、テレビを見るしかない。

と緊急のお知らせが入った。画面に能登半島の地図が出てきて、地震発生。そうか、去年もあったっけ、東京は遠いから、あまり関係ない、と思っていた。ところが、1~2分してから、急に部屋の中でかたかたと音。わが家の地震震度計が大きく揺れ始めた。テレビ画面には、「津波です、津波です」、を叫ぶアナウンサー。えっ津波、「津波です、海岸に近い方、今、すぐ逃げて下さい、少しでも高い所に逃げて下さい」、叫ぶというよりも、ほとんど絶叫の繰り替えし。我が家の揺れも激しい。ベランダのドアを開けた。

「津波です、津波です、ご近所に声をかけてください」、「考えていないで、ともかくすぐに行動してください」、を繰り返しています。画面には、大きな活字で、津波、すぐ逃げる、が出ている。「すぐです、すぐに逃げて下さい。戻ったりしないでください」、「東北の津波を思い出して下さい」、の繰り返しが1時間くらいつづいた。

わが家の揺れは、間もなく終了。能登半島のどこかの港や、駅前の映像が出るものの、津波や地震による被害を実感できるものはなく、アナウンサーが男性にかわったが、「すぐに逃げて下さい」の連呼だった。

1月1日・正月気分は、ふっとんだ。用意した餅が固くなっていた。民放も、結構遅くまで、地震報道を優先していた。NHKは、さすが国民のみなさんのNHKです、全ての番組をキャンセルして、能登半島地震の現地放送に徹していました。夜の番組だって、キャンセル。せっかく年末に録画どりをして、準備していたのに。

1月2日、今日は、銭湯が始まる日。いつも通り、町屋から都電(初乗り)で、三ノ輪へ。商店街は、まだお休みの店が多い。銭湯は、いつもより混んでいた。都電は、ガラ空き状態だった。都電の中で、「能登は、たいへんだね」、と会話をしている人がいた。みんな心配しているんだ、と思った。二日目になり、能登では、余震が頻繁にあり、その都度、テレビにテロップが出るので、まだ、まだだね、と。二日目で、大火事がおさまっていないこと、家屋崩壊が多いこと、道路が寸断されていること、整っていない避難所で、大勢の人たちが、大変な思いをしていることなど、などがテレビ放映されていた。

新聞の朝刊もお休みの1月2日、今日も。ニュースは、テレビを見るしかない。正月うどん(初うどん)を食べながら、テレビのニュースを見ていたら、地震報道をしていたNHKの画面に、火を噴き上げながら、滑走している飛行機が写った。映しているNHKさんも、これは、どうしたことでしょう、羽田空港の滑走路を火を噴きながら、JALが走っています、と説明。じっと見ているうちに、炎は大きくなり、飛行機まるごと炎上。わかったことは、新千歳空港からの飛行機で、乗客乗務員379人が乗っていた、というではないか。乗客全員無事に脱出の文字が出るまで、テレビの前に立ったまま。うどんは、冷たくなっていた。

元旦の能登半島地震、二日の日航機の炎上、どちらも大変な出来事。地震大国の日本で、まだ本格的な大地震を体験していないこと、現役時代、あれほど、世界各地を飛行機で飛び回っていたのに、いちども危ない思いをしたことがない、あゝいい人生だったんだ、と実感した。それにしても、このふたつの出来事に、日本国総理大臣は、「被災者に寄り添って」や「航空行政の見直し」、なんていってました。キックバックで謝るよりも、こっちの方が、オトコを上げるには、うってつけテーマ、ってわけですよね。それにしても、被災者に寄り添う姿勢を示した天皇陛下さん、年一度の国民との対面の場「皇居参観」の中止を実施された、あなたは、やっぱり偉い。

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