緊急事態宣言が解除され、だめだったことが、出来るようになった。その中に、屋形船の解禁も含まれており、女船主が、和服姿で、「感染予防をしっかりやっての営業、安心して、是非お越し下さい」、と言っていた。屋形船といえば、昨年、新型コロナ騒ぎの初っ端だった、お台場の屋形船から始まったのを思い出した。ずいぶんと昔のことだったよう思うけれど、まだ去年のこと。
で、屋形船の思い出。
いつの頃だったが、まだ現役時代。屋形船を借り切って、お台場の遊覧をしたことがある。ことの始まりは、友人のひとりKと、ある日、お台場が見える飲み屋での話。屋形船が通りすぎるのが見えた。
「屋形船、なかなか粋だね」、
「お酒なんか、いただきながら、海から東京を眺める、いいんじゃん」、
という会話から、屋形船を借り切る話になった。
Kは、深川の住民、こちらはといえば、銀座生まれ、話は、すぐにまとまった。どちらかといえば、Kは、遊び人。大学時代は、ダンス同好会で、女性にかなりもてたとのこと。当時、まだ始まったばかりのカラオケで、フランク永井の歌を得意としていた。車を所有していて、都内の移動は、自家用車、っていう人間。屋形船の段取りは、Kがやってくれた。
だれをよぶか、共通の友人たち数名に声をかけた。「招待」することにした。その後で、船主に交渉。結構な費用がかかるが、ま、「招待」すると言ってしまったので、もう後にはひけないな、と。
で、当日になった。たしか、品川あたりの船乗り場、友人たちが、やってきた。うちの奥さんも連れたきたよ、外国人の友人が、是非というので、などなどで、10名くらいのつもりでいたのに、なんと、40名ほどになっていた。船が出る前に、船主さんから、人数分の保険をかけて欲しいといわれ、書類にサイン。
さらに、人数が超過したので、2名、減らさなければ、というのだ。全員、乗船した状態で「降りて下さい」というわけにもいかず、船主側のスタッフが2名、下船することになった。2名は、船の中で料理した皿運び。屋形船は、予定通り出航し、主催者のふたりが、食事の皿を運ぶというはめになったのだ。屋形船の名物「東京湾のはぜの天ぷら」、揚げたてのはぜ天は、乗客のみなさん、とっても喜んで下さいました。
屋形船は、予定通り3時間ほどかけて、お台場あたりを運行した。乗船のみなさん、下船時、「ほんとうに、ありがとう」、「料理もおいしかったし、海からの東京ナイト、最高でしたよ」、なんて感謝されましたが、こちとら、はぜ天も口にせず、にこにこしながらの皿運び、なんとなく複雑な気持ちだった。
結局、屋形船の貸し切り代、保険料金、ひとりで、払うことになり、お金を貸してくれた友人に、3,4か月かけて返済したのだった。
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