奥の細道を歩いたのは、2005年。江戸深川を出たのは、1月、日光から東北へ、まだ東北大地震が起こる前だった。最上川を日本海側へ下り、秋田から新潟へ。4月に、新潟から直江津までを歩いた。旅は、4~5日歩いては、東京に戻るを繰り返しながら、歩を進めるというやり方。トータルで、60日間かかった。450里176キロ。
今回 の「乗り鉄」は、越後線。新潟から柏崎までの83.8キロ。新潟までの新幹線は、簡単だが、その先の連絡が難儀だった。新潟から柏崎まで、もう一つ信越本線があり、こちらは、利用者も多く、本数も多い。柏崎、直江津方面へ、というと信越本線の切符が出てくる。越後線です、といっても、こっちの方が早いですよ、とJR駅員はいう。おかげで、切符を二回も買いなおした。
10時22分、新潟から越後線に乗車。客は、少ないけれど4両編成。ボックスシートあり。新潟は、雨だったが、じきに雨は、あがり、しかし曇り空。雪は、まったくない。そういえば、新幹線の浦佐あたりの田んぼには、残雪があった。
しばらくは、新潟市街地を走る。芭蕉道は、もっと海よりだったような気がするが、車窓からは、海らしき景色はない。
1時間ほどで、吉田駅着。列車は、ここまでで、次の列車柏崎行きは、1時間後。ここは、弥彦神社への弥彦線が通っている。南は、越後三条で新幹線と連絡している。
奥細歩きの際には、弥彦神社入口の日本旅館に泊まった。他にチョイスがなく、結構な泊まり賃だった。朝の散歩で、歩いていたら競輪場が近くにあったのを思い出した。
吉田駅では、9時、10,11,13,14,17,20時には、電車がこない。暖房のはいった待合室があるけれど、乗客は2名。駅周辺も店は皆無。タクシー会社あるのみ。これじゃあ、越後線はすたれるばかり、と実感。
12時32分、柏崎行きに乗車。大雨があったらしく、道路に水たまりが出来ていた。出雲崎。ここ出雲崎、寺泊は、芭蕉の頃は、佐渡島へ船が出る港町だった。宿泊施設や、女郎もいたらしい。芭蕉は、ここで、一句読んだ。
荒海や 佐渡によこたふ天河
歩き旅では、日本海側右の奥に、佐渡島がたしかに見えた。そういえば、歩いた車道は、何十キロも、信号がまったくなかったのを思い出した。
13時40分、柏崎駅着。ここまでが越後線。40分待って上越妙高行きの特急に乗車。これは、新潟発。日曜だからか結構な乗客数。直江津は通過、上越市に入ると残雪あり。あの時は、上越市で盛大な花見見物をしたっけ。車窓の風景も様変わりして、雪山が見える。
上越妙高駅に着いて、30分待ち。金沢からきた新幹線に乗る、15;54発。ようやく空席をみつけた。それほどの混みようだ。この先、上田、軽井沢、高崎で乗ってきた客、座れず、次の各駅停車の「あさま」に乗り換える人もいた。こんなに混んだ新幹線、久しぶりだった。卒業旅行の学生のグループや、ちょい旅軽井沢の女の子グループなどが目立っていた。自粛の緊急事態宣言下なんだよね、今も。
行きも、帰りも、西の空に、富士山が、しっかり見えた。夕日の富士山のシルエット、格好よかった。
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