待ってました、春が来た、です。近くの運河の両側に植えてある「桜」(河津桜)は、散りはじめました。梅、梅は、とっくに散った。ちょい乗りは、週4~5回、いつもの路線、武蔵野線、埼京線、常磐線、スカイツリーライン(この呼び名、好きじゃあない)などに乗っています。同じ路線でも、日々変わる沿線の風景の変化が、これ、なかなかなんです。
ところで、電車の中の吊るし、あれが、最近、変わりつつある。まず、週刊誌の広告がなくなった。皆無です。週刊誌、あれほど、買いまくっていた週刊誌、最近、車内で、読んでいる人はまずいない。週刊誌どころではないおもちゃが登場。スマホ、スマホです。スマホをのぞき込んでいない人、皆無。座っている人も、立っている人も、車内では、ほぼ全員、スマホを覗いています。満員電車の中でも。スマホなしの乗客は、少数派で、なんだか、肩身が狭いという心境。
車内の吊るし、山手線の車内は、動く広告(動画っていうんですよね)が定着しており、住んでいる自宅を売る方法とか、男性も化粧すべきと化粧品のすすめ、「わたし、東大に受かったんですー予備校の宣伝」、大学のPRも今の時期モノ、「うちの県にきませんかー地方移住のすすめ」など、など。ところが、ローカル線=赤字路線電車内は、他社の広告ゼロ、わが社のお知らせ、宣伝がチラホラ。
スマホが変えたこと、他にもある。地図が売れないんだそうです。日本橋の武揚堂、有名な地図専門店だったけれど、今、地図の売り場が小さくなった。登山も、地図でなく、スマホをみながら登る。日本国内だけではない。シンガポールの友人は、スマホで、箱根の分譲住宅の取引きをしており、東京での会食の寿司屋の予約も、シンガポールから、という。
なのに、スマホ、持ってない。不便かといえば、それほど不便さを感じていないのです。スマホがないと、生きていけない時代、来るのかなあ。常連の三ノ輪商店街の銭湯、スマホ決済でなく、やっぱり現金500円です。スマホでは、風呂に入れない、そういう現実もあるってこと。
そういえば、こんな話も。「子どもが出来ると、ずいぶんお金、貰えるらしい」、「お金もらえるっていっても、そう簡単に日本の人口、増えるわけないよね」、「そうそう、昔は、政府からお金、貰わなくたって、みんな一生懸命働いて、子どもを育てたんだよね」、「政府が、お金くれるって言っても、結局は、みんなの税金だもんね」、「他人の金をあてになんかしないで、子育てしたもんね」、銭湯の脱衣場での会話です(女湯)。
なんだか「自分の人生は、政府次第、政治家次第」、「うまく行かないのは、政府が怠慢だから」、みたいな風潮が蔓延しているのではないか。自分の努力で、自分の「幸福」は実現するもの、という思想は、なくなったのかな。最近、日本政府は、すぐに、安直に、お金を配ることを考え、国民は、過激に、お上のカネを当てにする、こんなことを繰り返している、みたいな気がしています。貰いたがり民意を、煽っているみたい。
昔、昔の話。貧しい途上国で、日本からの援助をする際、贈呈式に参加の日本からの大臣や国会議員、あるいは日本大使に、途上国の人たちは感謝のことばを述べます。この援助の贈り主は、その場にいない、日本国民ひとり、ひとりの税金であり、善意であることが、欠落している。そのことを関係者に伝えたが、今も、そういった慣習は、続いている。日本政府のウクライナ支援、どんな言葉で贈られているのか。
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