2023年1月18日水曜日

語り継ぐ あの震災を 東京で

1月27日、朝の5時46分、関西大震災。今から28年前のことだった。当時、指圧の学校の57歳の生徒だった。あの時間、朝ごはんを食べながらテレビを見ていた。で、地震直後の神戸に、「えらいこっちゃ 」と叫びながら、見入っていた。それでも、いつもの通りの通学。北綾瀬駅までチャリで。早朝の乗客、いつもの通りで、だれひとり、地震を話題にせず、「神戸で、大地震あったんですよ」、を叫びたい気持ちをぐっと抑えて学校へ。ここでは、だれもが話題にしていた。友人や親戚もいたので、それから3~4日は、電話をかけまくったが、なかなか通じず、心配の日々だった。幸いみなさん、命だけは無事だった。

その後は、東北大震災。1973年だった。この時は、旅先だった。放射能汚染で、多くの住民が、いのちからがら、日本中、あちこちに避難。足立区でも被災者を受け入れた。綾瀬駅近くの銭湯が、被災者で混むという状態だった。今朝の新聞を見ていたら、東京電力の当時の幹部だった人たちの裁判が行われているとのこと。津波を予期できなかったのが、罪になるのかなあ。あれから12年、放射能汚染地域を莫大な費用をかけての除染がすんだものの、元の村や町に戻る人は少ない。あの事故で、日本中の原発が止まり、私たちは、もっと電力消費を減らそうとの風潮が高まった。なのに、なぜか、原発再稼働の声が政府から発せられている。ウクライナ戦争で、石油の供給不安が高まり、海外からの輸入に頼っているわが国の現状、この際、国内の原発の再稼働しかない、というわけ。

もひとつ、気掛かりなこと。日本が防衛大国になるかもしれない、という懸念だ。この正月休みに、日本のPMは、主要各国を回り、「わが国は、今後、防衛予算を増額し、こんな防衛計画を」、と説明しまくったようです。今後の日本、どうなるか、とても気になります。

そんなことを考えながら、西新井大師へ初参り。それほどの人出ではなかった。参道で、スマホの画面を見ながら歩いている若者たち、ひとりやふたりではない。お大師さんに、何しにきたのか。西新井から王子行きの都バスに乗ったら、客のほとんどが、スマホをいじっていた。

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