2024年9月19日木曜日

日の出前 でっかい名月 西の空

だんだん日の出が遅くなりました。でも、毎朝の3POは、いつも通りなので、4時すぎは、まだ真っ暗。そんな時、西の空に、夕べの残り月、中秋の名月です。その月の、なんと大きいこと、でっかい名月でした。沖縄は、今頃台風14号の接近中、月見どころじゃあない、申し訳ありません。

新聞に、今年の富士登山の報告が載っていました。入山料を払っての富士登山なんて、信じられませんでした。今は、それくらい大勢の登山者が登り、いろいろお金がかかるんでしょう。その富士山、4回、登ったことがあります。午後、新宿から大月へ、乗り換えて、富士宮へ、バスで五合目へ行き、夕方の時間帯に登りはじめます。弾丸登山、そのまま夜どうし歩き、頂上でご来光、。下山は、須走をいっきに降りる、そして、夕食は、足立区の自宅で、というものでした。山岳会で、夏山を縦走する前の高度順化のための富士登山でした。今、大勢のインバウンド客たちが、競ってフジ山をめざす、そんな時代になったってわけ。

これから日本橋の丸善へ。例年主催の「万年筆フェスタ」を、のぞいてみようか、と。綾瀬駅へ出て、西新井へ、ここから東京駅行きの路線バスに乗って行こうかと。9月も半ばをすぎたのに、連日猛暑が続いています。でも、ぼちぼち路線バス乗り、です。



2024年9月17日火曜日

中秋の 名月ちょっこと 雲合いに

自宅の南側に面して、6階建てのマンションがあり、だから、見える空の面積が限られているが、その限られた空に「月」があった。今夜は、中秋の名月。台風は、14号、本州に来る様子はない。お月見、できるか。

そんなことを考えながら、パソコを打ち始めていたら、さっき電話。モンゴルからだ。友人のナランゲールが、「元気? どうしてる?」、と。机の上の砂時計で、5分間のお喋り。6月に、モスクワの大学時代の同級生に会いにアルバニアに行ったこと、今年の夏は、世界各国からの観光客が増えたこと、大きなデパート、スーパーが出来、ウランバートルでは、昔のような小さな、個人商店がなくなったことなど、相変わらず、弾丸のように喋る。そうそう、ロシアのプーチンの訪問、歓迎していたのは、政府だけ、とも。こちらからは、ともかく猛暑、酷暑の夏、生き残るのが精いっぱいだったと現状報告。東京は、まだ暑いよ、と言うと、「こちらは、明日は、雪との予報」、と言っていた。涼しいどころか、もう寒いんだと、思った。

縫田曄子さんが、亡くなられたとの報道。102歳、と。縫田さんには、市川房江財団の理事長であった時、お目にかかったことがある。『カルツーム便り』(サイマル出版会)を出版した際、印税を財団に寄付したい、と申し出た。縫田さん自身から電話があり、日比谷の松本楼でお会いした。カレーライスを食べながらの話会いだった。内容は、よく覚えていないが、縫田さんのアメリカ留学での体験談などだった。市川財団には、私の母が関係していたが、特に相談した記憶はないままの印税寄付ということになったのだった。

見るまい、見るまい、気にするまい、を繰り返しながら、ここのところ、自民党の総裁選挙、立憲の党首選挙の番組を見ている。実現出来そうもない公約、政策をみなさん言っておられる。国民の大半は、あまりアテにしていないじゃあないかな。その無関心さが、ダメ政治家を助長させている、反省しています。



2024年9月2日月曜日

今日も雨 日本列島 水びたし

台風10号、ようやっと熱帯低気圧になって、列島から出ていきました。ひとつの台風で、こんなに長い間、毎日、毎日、心配したことはない。10日前ほど、フィリピン沖に熱帯低気圧発生、これから台風になる可能性がある、といわれ、いつの間にか、台風になり、ノロノロと沖縄地方から、九州に上陸。ゆっくりゆっくり九州全土を移動、四国に入り、こちらでも、時間をかけて、えっまだ高知、といわれるほどの遅さ。その間が、大変でした。新幹線も、飛行機も、前もって運休を発表、計画運休。夏休みの最後の締めくくりの「旅」を計画していた人たち、残念でしたの状況に。

それだけではありません。台風は、まだ南なのに、その影響か、列島あちこちで大雨を降らせました。富山県、岐阜県、静岡県、神奈川などで、「これまでに経験したことのない」大雨による災害をもたらしました。東北でも被害が出ています。東京でも、あの目黒川が、もうちょい で氾濫というところまで。まさに、日本列島水びらし、でした。

ようやく、その台風もすぎ、秋かな、と期待していたのに、残暑。それでも、早朝は、いくぶん涼しくなってきました。

     ほんのちょい 涼しさ実感 今朝の秋

8月末日、31日の夜、秋田大曲の花火を、テレビでみました。花火の現場、雄物川のあたりを、「奥の細道」(奥細)の旅で、歩いた時のことです。たまたま花火の日だったので、近くに宿をとり、いざ見物、と思いきや、あまりの見物人の多さに圧倒され、宿の庭からの見物でした。ずいぶん、あちこち、日本列島を旅(歩き旅)しましたが、花火に出くわしたのは、大曲、だけでした。花火屋さん、煙火店って、長野、山梨、新潟に多いみたいですね。それにしても、テレビでの2時間の花火、圧巻でした。

     大曲 夏のおわりの 花火かな


2024年8月7日水曜日

この暑さ それでも乘り鉄 今日立秋

毎日暑い日が続いています。5時をすぎると、早起き蝉が鳴きはじめます。今年は、鳴き始めが遅かったので、稼働日数のもとを取ろうと、蝉も、早出出勤をしているかのようです。

毎晩、パリ五輪の実況を聴く(ラジオ)ために、夜中に起き出す癖がつき、昼間の時間帯にちょい寝を繰り返すという日常です。それにしても、日本勢、頑張ってますね。柔道とか、体操とかは、まあ、当たり前ですが、馬術、フェンシングなんて種目って、そんなのに日本選手がいたんですか、といえそうな、知らなかった、種目です。注目外だったのに、メダル、それも「金」なんか取ってくださり、もうびっくり。

そんな日常なのに、中東では、ハマスの指導者が殺された、アメリカでは、バイデン現役大統領が辞任表明(選挙不出馬)し、副大統領のハリスが民主党の大統領候補に決定。耳を撃たれ、これで、次に大統領の当選は間違いなしと確信していたトランプさん。なんだか、気がかりな次期アメリカ大統領選挙です。

毎年のことですが、広島では、6日、原爆の日の式典が行われました。新聞もテレビも、原爆投下のあの日の、あの光景を報道していました。

実は、先日、8月2日の朝、早朝散歩の際、東の空、ずーと先に見えたのです。筑波山、見えるはずがない、と信じていました。これまで、いちども見えたことがない筑波山が見えたのです。山容から、あれは、筑波山にまちがいない、と確信しました。で、本日の乘り鉄は筑波エクスプレス(TX)に乗って、つくば(平仮名)駅へ。夏休みのせいか、車内は、がらがら。それにしても、ここら辺の在来線と比べると、TXは、乘り心地抜群、スピードも抜群、値段はやや高いけれど。守谷駅をすぎると、曇りがちな東の方に、筑波山が見え始めます。終点のつくば駅下車。いつもの地産店を覗く。なすが5個で100円、買いました。地上に出て、バス停留所へ。出たばかりで、土浦行きは、25分待ち。筑波山行きバスは、頻繁に出ていますが、休みの間は、本数が少ない。

持参のおにぎりを食べていたら、「おいしそうだね」、とご同輩の女性。「福島の米、おいしいですよ」、と。ということで、いろいろ雑談。昔から、ここつくばに住んでいた住人で、前のことは、忘れるくらい、この地域は変わった、といい、今は、コンクリートの家に住んでいるとのこと。土浦へ買い物ですか、と尋ねると、「ここつくばで、買えないモンはなーんにもない。なんでも手にはいるよ」、と。ということで、片道20分かけて、土浦へ映画を観に行くんだそうです。路線バスには、この女性とふたりっきり。学園都市を出て、たんぼの中の大通りをまっすぐ土浦駅へ。途中、どこからでも、筑波山が見えました。土浦駅から、常磐線で北千住駅まで。こちらの電車は、かなり混んでいました。

今日から、夏の甲子園、高校野球全国大会。暑さ対策とかで、一日じゅう、連日の対戦をしないことになったらしいです。夕方、照明の下での高校野球の試合のようです。今夜も、パリ五輪、あと何日、これが続くんだろう。 

2024年7月30日火曜日

連日の 深夜五輪 楽隠居

パリ・オリンピックが始まりました。時差の関係で、ほとんどの種目が、真夜中になるので、はまるまい、と決意。でも、開会式のセレモニーは、テレビを見る、と心に誓いました。とにかく、連日のこの暑さ、86歳の後期高齢者にとっては、寝不足は大敵。

27日の開会式は、昼寝をして、その気になり、スタンバイ。翌朝7時半まで、しっかり見ました。セーヌ河を往く各国選手団を乗せた船、あまり感動せず、それにしても、世界の国の数が208ケ国になっていたのには、驚きました。

パリは、国際会議出席のため、10回以上は、訪れています。オルセー、ルーブル、凱旋門、エッフェル塔、モンパルナスなど、パリの名所は、なんども行ったことがある。開会式のプロジェクト、イベントなどで、紹介されていた。ああ、あそこ、あそこにも行ったことがある、ある、といいながら。そうそう、パリマラソンで、走ったこともある。ハンガリーのブダペストで会議に出席していて、マラソン出場のため、パリーブダペストを往復。どこを走ったのか、覚えていませんが、たしかに42.195Kを完走しました。

オリンピックで、思い出すのは、ミュンヘンオリンピック(1972年)で、殺害されたイスラエル選手たちの遺体が、到着したテルアビブのロッド空港、あの時間に、別の飛行機で、たまたま到着。空港ロビーでの黙祷に参加した、なんてこともありました。

見るまい、見るまい、を繰り返しながら、本日7月30日、今日もテレビで、オリンピック漬け時間を過ごしています。 

2024年6月12日水曜日

 梅雨入りを 待てぬと あじさい今 満開

 乗り鉄定番の王子駅、目の前の飛鳥山は、今、あじさいがが満開です。さくらの満開時には、毎日、大勢の花見客で賑わっていたのが、あじさいは、それほど人気がないみたいです。あじさいは、神明町でも、あちこちで見ることが出来ます。種類、結構多いんですね。鎌倉のあじさい寺はじめ、各地のあじさい名所、賑わっているようです。でも梅雨はまだ。

5月22日に、86歳になり、みなさん、どんな86歳を迎えているんだろう、ときょろきょろしてみました。いました、いました、すごい人物。イランの最高指導者のホメイニさん、同じ年なんですよ。現職の大統領が飛行機事故で亡くなり、今、後継者選びの選挙中です。その大統領よりも、ホメイニさんは、偉い人なんです。

86歳になって、何が変わったか。日常生活で、特に変化はないように思えますが、よーく考えてみると、前は、こんなでなかった、ということがいくつもある。やっぱり、加齢による変化、あります。一日に30K、40kもの歩き旅をしていた足が、なかなか思うように動かない。それでも、毎朝のウオーキングを続けており、駅の階段は、歩くように心がけており、リハビリのため、室内エアロバイクを毎日漕いでいます。

サロマ湖の100キロマラソンに9年間連続出場、完走した、サハラ砂漠の8日間マラソン、四国お遍路、西国巡礼、秩父巡礼など、何日もかけて歩いた、東海道はじめ、日本の古道、街道、ほぼ全て歩破。いろいろ挑戦したこの足、もう充分働いてくれました。

卒業歩きは、スペインのサンチャゴ巡礼でした。2014年、800キロ。今から10年前のことです。最近は、もっぱら乗り鉄、乘り路線バスです。

加齢による肉体の衰えは、いたしかたないこと。それでも、毎日、機嫌よく過ごせることに感謝し、満足しています。

最近、気になること。いちばんはじめに留学した国イスラエルが、世界の注目を浴びているー建国したばかりの理想主義者たちが、国づくりに懸命だったあの頃のイスラエルが、非人道的な戦争の当事者として、世界中から非難を浴びている、国連職員として赴任していたアフリカのスーダンで、終わることない内戦により、民間人の多く(150人ー6月9日)が殺されている。長生きしすぎたかな、とひとりごと。

昨日乗った常磐線車内の広告に、こんなのがありました。

   ルワンダ共和国の女性国会議員の割合は、61.3%、

            それに対して日本は、10.0%です。

                   この差について、どう考えます。

                        (広告主は、東京女子大学、でした)  

2024年5月23日木曜日

三ノ輪から 都電で終点 早稲田まで

いつものように、三ノ輪商店街の銭湯・大勝湯に入り、都電の停留所へ。ここは、ちょっとした広場になっていて、今は、薔薇が満開で、テレビで紹介されたとか、スマホカメラさんたちで、賑わっていました。昼間なのに、ウイークデーでもあり、こんなにも暇人がと思われるほどの賑わい。混雑状態で、一台待って乗車。この先、旧三河島汚水処理場ー荒川自然公園は、桜もきれいだったけれど、薔薇も見どころ多く、しかし、こちらは、観客が少ないようです。間もなく京成町屋駅前の停留所着。千代田線乗り換えなので、降りようとしたら、立っていた中年男性が、「降りるかい」、と聞くので、おりません、と言ってしまったのです。ということで、この電車に引き続き乗ることになってしまいました。

ここから先、終点早稲田まで、なんどか乗ったことがありますが、コロナ禍で、ひさびさの乗車です。町屋から尾久を通り、熊の前駅へ。ここは、尾久橋通りで、上を舎人ライナーが走っています。舎人ライナーで、お花見に行きました。次の宮の前駅は、東京女子医大の医療センターがあった、ところですが、今は、センターは、足立区に引っ越しました。小台通り、次が荒川遊園地です。リニューアルオープンしたばかりです。荒川区が経営しているだけあって、とにかく、安い。デイズ二ーランドとは、比べものにならない安価で、しかも、こっちの方が歴史がある、ということで、お休み日は、家族連れで混んでいます。ほぼみなさん、この都電で来られます。

次の停留所、都電荒川車庫、ここで、運転手さんが交代します。旧電車を見学することが出来ます。停留所の古本屋さんが有名だった梶原、本屋さんは閉店になっていて、店には、テントがかぶさっています。石神井川を渡ると王子駅前。JR駅に直結しているのは、ここ王子と大塚駅。都電は、左折し、急坂を上ります。左は、あの有名な飛鳥山です。登りきったところで、右折。滝野川、西ヶ原を通り、巣鴨の庚申塚駅へ。白山通りの銭湯ニュー椿は、銭湯愛好のみなさんが、よく来る湯です。とげぬき地蔵の縁日の日には、庚申塚駅を利用する人が多く、都電が遅れるでもあります。

突然、大きな、たかーいビルが林立する大塚駅前にでました。JR大塚駅横を右折。サンシャインビルが見えると東池袋4丁目駅。 ここから池袋駅までは、徒歩15分くらい。霊園を左側に見て、雑司ヶ谷駅。ここから先、いくつもの踏切があり、都電が通過するたびに、木製の遮断機が下ります。以前は、もっと民家の戸建てが多かった地域なのに、目下工事中が目につきます。高層ビルになるんでしょうか。

学習院下をすぎると、明治通りと目黒通りがあり、都電は、その横を並走、右側に鬼子母神を見て、大きく左折、左側は、神田川。面影橋をすぎると終点早稲田駅。三ノ輪から約60分。帰宅して地図を見たら、早稲田大学は、新宿区、学習院大学は、豊島区、日本女子大は、文京区、とそれぞれが、かなり近い距離にありながら、別々の区であることに気づきました。とにかく、始発三ノ輪から、終点早稲田まで、通しで都電に乗りました。帰途も都電で、町屋まで戻り、綾瀬駅からバスで神明町、自宅に着いたのは、4時すぎでした。

2024年5月20日月曜日

ご同好 外出大好き 他にいた

昨日、5月19日のこと。曇っては いたけれど、降りそうにもないし、いくか、と出かけました。2月からわが家に近い停留所の、西新井行きが廃止になり、お出かけコース変更。綾瀬駅まで、出て、西新井行きに乘る、というルートになりました。といっても1時間に2本しかなく、それでも、車を持たない、運転しない高齢者たちが、便利に利用しています。

バスを待つ列に並んでいたら、すぐ後ろにきた男性、突然、「ここは、やっぱり郊外だね、ぜんぜん違う」、と独りごとのように言うんです。どこから来たんですか、どこに住んでいるんですか、と聞いてしまいました。本当は、郊外で悪かったね、と一言いいたかったんですが。 男性は、池袋の東口あたりに住んでおり、今日は浅草の三社さんのお祭りに行き、北千住まで東武線で来て、綾瀬まで、との説明。これから、足立区役所へ行くので、ここでバスを待っている、とも。「区役所は、本日は、日曜日でお休みですよ」、と言うと、やってるうんだよね、ボランティア祭りってのを、と新聞の切り抜きをポケットから出して、見せてくれました。こちらが訊きもしないのに、年金暮らしの82歳というこの男性、奥さんに月5万円もらって、その金で、朝、昼の食事代、外歩きの交通費にしているとのこと。奥さんが、家にいると、電気代がかかるし、食事を作らねばならないし、とにかく、出かけてほしいと言うんだそうです。で、ほぼ毎日、主に都内をあちこちで歩いている、イベント情報を探しながら、出張(でば)っているんだそうです。たまーに、映画をみるけれど、有料なのでね、まあ、ほぼ無料の、ただの催しものを探してね。

間もなく、待っていたバスが2台来て、どちらも区役所を経由して西新井駅が終点というバスですが、区役所までのルートが、ちよっと違うバス。男性は、先のバスに乗り、話好きそうなので、バスの中で喋られてはと、同じバスをパスして、2台めに乗車。バスの中で、世の中って、いるんだよね、同じことをしている人種っているんだよね、とニヤニヤしていました。区役所にバスが着いたら、乗っていた客がほぼ全員下車。で、そういえば、去年のボランティア祭りにも来たっけ、と思い出しました。区役所ロビーで、さまざまな売店、展示、仮設舞台では、障害児たちが、ダンスをしており、しばらく観覧。手作りえんぴつを買い、バス停に戻りました。と、そこにいたのは、さっき綾瀬駅で会った「同行の士」おじさん。お互いに、また会いましたね、と挨拶。バスが来て、離れた席に座り、なんとなく、ひと安心。

西新井駅で下車し、行く先が同じバスなのでと、駅構内の100円ショップでちょっと時間つぶしをして、バス停へ。王子駅を通る「池袋行き」に乗る。日曜日の昼、そう混んではいない、と思いきや、えっ、乗ってきた、と同好おじさん。そうだよね、池袋の住民だもの、これに乗るはず。それにシルバーパス使えるし。幸い、彼はいちばん前の席。後ろの席にいたのは、気づいていないらしい。王子駅までの25分間、この出会いというか、偶然が、おかしくて、おかしくて、何回も、何回も、ひとり笑ってしまいました。王子まで、同好さんは、眼鏡をかけ、かばんから出した漫画本に、ずっと目を通してました。

ご挨拶もせず、お先に失礼、と王子駅で下車。ここから、京浜東北線で南浦和へ。武蔵野線で新松戸駅、常磐線で綾瀬駅までの、乘り鉄ちょい旅ー230円コース、をいつものように乗りました。ご同好さん、今日は、どこら辺に出ばっているのかな、雨だけれど。

2024年5月16日木曜日

苗代を 吹く風涼し 車窓まで

5月も半ばをすぎ、晴天が続いています。朝の3PO(散歩)時も、4時半を過ぎると、もう明るくなっています。本日(5月15日)も晴れ。久々に、いつもよりちょいと遠出を、と出かけました。

綾瀬駅から松戸へ。千代田線地下鉄は、綾瀬~代々木間で、綾瀬から先は、常磐線。綾瀬~亀有~金町、そして松戸駅。常磐線は、北千住駅の次の駅が松戸になっています。とくことで、松戸で土浦行きに乗り換えました。久々の常磐線、10時すぎ、都心と反対方向なので、車内は空いています。先頭と後方のボックスシート(各2両)車両も、ガラガラ状態です。これでよし。

柏、我孫子あたりまでは、通勤圏だけあって、駅周辺は、マンションや戸建て住宅が 多く、取手を過ぎた頃から、車窓からの景色は、いっぺん、田園風景になります。田植えがすんだたんぼ、代かき最中のたんぼもあります。いつ頃からか、田植えのシーンが、変わっています。村総出、家内総出の田植え風景って、今は昔、田植えも、稲刈りも、機械一台で、運転手さんひとりです。そんなことを考えながら、松戸から30分、土浦駅到着、下車。

改札を出た所の売店では、なぜか水戸納豆を販売していました。外に出て、バス停へ。1時間に2本、ここからTXつくば駅にバスが出ています。時間がずれているものの、国際学園都市つくばに、ご出勤の方らしい人たちも、乗車。関東鉄道バスですが、まだ走り始めたばかりという路線バス新車に乗ることが出来ました。車内の座席が、いわゆる観光バス並みの、2人がけ、横2列、というもので、なかなか座り心地がよろしい。約20分、TXつくば駅到着。ここからは、土浦の他、荒川沖駅、成田空港など、もちろん、筑波山へのバスも出ています。さっき乗ってきた常磐線に、荒川沖駅、というのがありましたが、いつも気になっていたので、調べてみました。荒川っていう「川」は、ここら辺にはない、ありません。荒川は、秩父から出て、埼玉、東京を流れて、東京湾に注いでいる。注意深く地図を見ても、ない。川といえば、利根川とか、小貝川などがあるけれど、「荒川」はない。荒川遠く、海もなく、なんでーか。荒川沖は、住所は、土浦市なんだけれど。

さて、つくば駅では、地元産品売り場で、野菜を購入、区間快速に乗り30分、八潮駅(埼玉県)で下車、東武バスの綾瀬駅行きに乗車して、2時すぎに帰宅しました。上天気の一日でした。


2024年5月12日日曜日

区内旅 今日も乗り鉄 乗りバスで

あれ以来(5月2日、スマホを手にした日)、毎日2時間、朝と晩に、スマホ自主トレを実行しています。といっても、ことさら日々のルーティングの変化はありません。スマホ、慣れました。でも、まだちょっと不安。

今朝は、雨なしの予報なので、朝いちで洗濯をしました。風もあり、よく乾くはず。新聞を読み、朝食。なんとなくテレビを見ていたら、NHKの人気番組「チコちゃんシリーズ」。11時すぎまで見てしまった。12時すぎの綾瀬行きのバスに。

神明町から綾瀬行きバス。綾瀬駅で、まっすぐ行ったのは、マツキヨ。駅周辺には、大きなマツキヨと、小さなマツキヨがあり、小さい方へ。こちらは、客も少なく、ご高齢女性の薬剤師さんが客の応対をしています。もともと薬屋だったとのこと、多分マツキヨに買収されたみたい。8年使用の体温計の買い替えをしました。

駅に戻り、改札口近くで、上着を落とした人がおり、「落としましたよ」、と叫びながら、気がつくと改札内に入っており、行くしかないか、とホームへあがりました。千代田線、この日、土曜日、混んでおり、じゃあ北千住でおりよう、といいながら乗車。

久しぶり、せっかく来たんだから、と駅ビル7階へ。ビル内の店舗には、ほとんど興味なく、ここへ来ると、まっすぐ行くのは、8階の本屋か、7階の東急ハンズだけ。文房具売り場を点検。ガラスペンのインクがなくなりつつあるので、買わねばと思っていたので、ブルーブラック、とブラックの2種類ー440円、パイロット製を購入。そういえば、以前は、万年筆といえば、パイロットかセーラーだったっけ。そうそう、プラチナというのもあった。そんなことを考えながら、万年筆売り場を点検。と、見つけました。使い捨の万年筆。3年ぶりです。発売元で製造中止、といわれていた万年筆です。あの、老舗のパイロッとが、最後まで頑張って製造していた最安価の幻の万年筆。再登場、うれしくなって10本陳列してあるうちの3本をゲット。単価200円。ぺん先の太さは、”F”(細字)ので”M”(太字)はありません。レジで、店員さんに、いつから売っているのか、尋ねてみました、「4月頃かな」、とのこと。北千住駅にきてよかった、ほんと、これが、手に入ったんだから、とひとりごと。

駅前は、バスの停留所になっていて、今、すぐに発車しそうなバス、「西新井大師行き」。乘りました。客3名。駅前を通り、日光街道を横切り、西新井橋で荒川を渡り、20分ほどで、環七を横切ると、西新井大師。バスの中で、買ったばかりの万年筆をとり出し、ちょっと書いたりして、うれしさ、なつかしさを楽しみました。

バスを降りたら、外は、すごい強風。信号で立っていられないほどの強い風。すぐ来たバスに乗る。赤羽からの国際興業バスで西新井駅行き。数分で、到着。2時50分の「綾瀬駅行き」コミュニティバスに10分待って乗車。こちらは、15名ほどの乗客。40分で綾瀬駅着。と、わが神明町を通る「八潮駅行き」が、発車寸前でした。土曜日のこの時間、乗客が少なく、道路もそれほど混んでおらず、15分で着いてしまいました。

今日は、いい旅だった。まさか、あの万年筆が手に入るとは、思ってもみなかった。足立区内でも、いい買い物が出来るもんです。こういう時には、こう言っていいんです。

                 Life  is  to  be  happy




























2024年5月8日水曜日

五月晴れ スマホデビューの 楽隠居

5月1日、綾瀬駅近くのau店へ行きました。同行いただいたのは、M先生、付き添いです。付き添い、つまり、そばにいて、いろいろ世話をする人、です。この道80年、かな、スマホの表わざ、裏わざに精通されている方、です。

連休中だからか、待つことなく担当者のいる席に案内されました。担当者の男性、片かなでマリさんの名札。マリは、英語読みするとメアリーで、まあ一般的には、女性のfirst name。そんなことは、どうでもいい、ネパール人のマリさんが本日の担当です。

マリさんの説明が始まりました。購入者の名前、年齢を書くと、マリさん、一瞬、えっとこちらを注視。この後、約1時間ほど、流暢な日本語です、説明が続きました。その説明を聞いていたのは、付き添い人、時々、マリ説明人と、なにやら会話をしています。内容は、全くわからない。スマホ購入者、全く理解出来ず、別のことを考えていました。

なあんで、日本人じゃあなくて、ネパール人。そういえば、三ノ輪商店街の八百屋さんで、ネパールのお兄さんが働いています。日本語の学校の生徒なんだそうです。「ネパール、インドなど、能力のすぐれている若者たちが、海外で多く働いている。日本人は、この分野で、アジアなど途上国より、遅れをとっている」(M先生)、だそうです。そうだよね、このトシになって、スマホ、持とうなんていう人がいるんだもんね。

1時間ちょっとで、マリさんの説明が終わり、新品のスマホを持って、店の外へ。大雨でした。自宅へ戻り、付き添い人のM先生の懇切丁寧な説明が2時間。ほとんど「うわの空」。もう疲れた、くたびれた、というのが実感。

アレから一週間。スマホについてきた『かんたんマニュアル Basio active』を、1pageから繰りながの猛勉中です。あと、何日、どれくらい経ったら、この複雑な機能を使いこなせるか。

4月19日の ケイタイ持たず生きてる隠居、を、 ケイタイ持って生きてる隠居、に転身しようとの強い決意で、日々努力の楽隠居、頑張ります。

2024年5月4日土曜日

あわれなり スマホも持ってない 楽隠居

4月19日のことです。コロナ自粛の日々で、ナマで会う機会のなかった友人たちに会いました。久々に新宿まで、出かけてきました。結構な会場は、有名な山野愛子さんのご自宅だった建。食事の内容も、珍しい趣向でした。その際に、披露させていただいた「駄洒落」です。少ーし、本音です。

 わたしゃ 神明のラク隠居 

   こんなところ もうイヤだ  道路はいつも渋滞状態  ナンバーみんな埼玉県

   空気きれいなわけがない   はま寿司ない  本屋もない  菓子屋もない

   ホテルない  パチンコない  スロットない  病院もない  

   公衆トイレひとつもない  100ショップそんなのない

   こんな神明もうイヤだ  わたしゃ孤独なさみしい隠居

   子がいない  孫もおらず  連れ合いいない

   ケイタイ持たず 生きてる隠居 面倒かけつつ もちょっと

食事会も無事終了。これからゆっくりコーヒでもいただきながら、つのるお話でも、とのお誘いを、ひとり断り、近くの大江戸線に乗りました。「わたしゃ 孤独な楽隠居」、か、と言いながら、こちらも久しぶりの大江戸線。たしかに便利ではありますが、最近、地下鉄、あまり乗っていません。外が見えないから、好きじゃあないんです。それに、都市直下型地震でも来たら、どうするんですか。乘り鉄の行動は、主に足立区発埼玉、千葉、茨城方面です。というわけで、新御徒町で日比谷線に、北千住で千代田線に乗り換えて綾瀬駅着。改札を出たところで、いたんですよ、「ちんどん屋」さんが。仕事を終えて、帰るところでした。親方(リーダー)らしき男性は、アコーデオン、20歳代の女性、なんとトランペット担当のようで、ボックスに収納しているところでした。つい、声をかけちゃいました。「ご苦労さんです」、と。親方さんが、「毎度、ありがとうございます」、とご丁寧なご挨拶。ききたかったんです、というと、トランペットのお姉さん、しまいかけのペットをとり出して、My Funny Valentineの最初のフレーズを吹いてくれました。「いいなあ」、「サンキュウ、ありがとね」、とお礼。なかなかのミュージシャンの彼女にお礼をいいました。親方もうまいもんでしょう、なにしろ、この子、芸術家、立派なアーティストだもんね、と。



                                


2024年4月17日水曜日

飛鳥山 さくらが散って 人まばら

乘り鉄定番となっている王子駅、ホームの前は、飛鳥山です。都内お花見の三大名所といわれています。お花見には、なんども行ったことがありますが、人出を避けたい年頃になってからは行ってません。それでも乘り鉄の起点でもある王子駅は、頻繁に通っています。    お花見の時季、花が咲く前から散る頃までを、しっかり見届けています。駅のホームいっぱいの人だったのに、いつも通りの風景です。目の前の飛鳥山も白い桜の花のかわりに、濃い新緑の葉っぱに変身。お山の乘り降り用のエレベーター(3分間)も、並ばずに乗れる状態になっていました。

京浜東北線で、川口方面へ行く前に、荒川の鉄橋を渡ります。進行方向右の赤羽側に、50mほどの桜土手がありますが、ここのさくらも、散っており、だからか歩いている人影は、見えませんでした。南浦和駅で乗った武蔵野線、制服が真新しい新入生、座席が空いているのに、座らず立っていました。レイクタウン駅に着くと、ホームから「〇〇ちゃん、こっち、こっち」という声。まだ若そうだけれど、どうも、祖母らしい女性が、手を振っています。新入生も、手を振りながら下車。帰りにレイクタウンでお買い物、いや、学校帰りに買い物なんて。駅周辺の高層マンションの住民なのかもしれません。

JR武蔵野線は、もともと都心用の物流を目的に作られたもので、歴史は、100年。今でも、長い、長ーい貨物をひっぱった列車にときどき会えます。武蔵野線は、終点の南船橋駅に着く前、東川口で埼玉高速鉄道、新越谷でスカイツリーライン(東武電車)、南流山でTXつくばエクスプレスに、新松戸で常磐線に、西船橋では、JR総武本線と連絡しています。

ちなみに私のご用達は、新松戸で常磐線=地下鉄千代田線、に乗り換え15分で綾瀬駅までの路線乘りです。綾瀬駅改札で、スイカの数字は、230円。京浜東北線の王子駅で乗車して、南浦和駅から武蔵野線、新松戸駅で乗り換えて、綾瀬駅、というコース、なぜ230円なのか。つまり、王子から上野へ出て、北千住経由で綾瀬駅までの運賃が230円。ひと筆乘りという合法的な乘り方、なのです。この乘り方をいろいろ活用しながら、あっちこちの、乘り鉄を楽しんでいる、というわけです。

2024年4月8日月曜日

へたっぴー 初鳴きうぐいす がんばーれ

昨日もそうだったけれど、今朝も霧雨状態。少しくらい濡れても、そう寒くはない、ないしろ4月、春真っ盛りなのですから。都県境の運河沿いのコースを歩いていたら、うぐいす、らしい声。まだ、ホーホケキョになっておらず、でも、あれは、うぐいすの声。明日は、もっとうまくなっているかな。このコース、桜の木が3本、満開です。根本には、小さな山吹の黄色い花が咲いています。まだ、だれも通っていない、朝いちばんの初歩き、今日も大満足の始まりです。

午後、雨かもというので、8時すぎに家をでました。本日は、路線バス乗り。綾瀬に出て、亀有へ、乘り換えて、新小岩駅というルート。途中の学校では、入学式で、校門には、日の丸の旗、満開の桜をバックに、記念写真の制服姿の新入生。この風景、ずーと続いているんですね。自分の記憶には、まったくありませんが。

東北・北海道を除く地域、ほぼ桜が満開になったようです。夕べ、テレビで、奈良の吉野山の満開桜の様子が写っていましたが、この季節の吉野山、行ったことがあります。20年くらい前だったか、熊野古道を吉野山からスタートした時。満開には、ちょっと早かったけれど、さすがは、吉野山、黄色の菜の花とのコラボレーションが、よかったな。

ところで、台湾での地震、まだ能登の地震の印象が鮮明に残っている今、えっ、台湾でも、と叫んでしまった。現地の様子が、テレビに映し出されています。日本と同じように、台湾も地震大国なのです。でも、日本との違い、だいぶ違うようです。台湾の地震体制といえば事前に「備えよ、常に」、なのです。日頃から、いざという時のために、人も、物も、体制なども、しっかり準備している、大きな違いです。日本は、災害に対する事前準備よりも、災害になってはじめて大がかりな国の支援が行われる、という図式。あちら、台湾では、地震になる、3時間後には、もう仮の避難所が設置され、住も、食も、もちろんトイレもしっかり準備完了。支援の人力も、もちろん、即出動。三か月経た男鹿半島と比べ物にならない。寒い避難所ー学校の体育館などで、カップラーメンひとつで、ふとんをかぶって過ごす日本の被災者の姿と比べものにならない、ことがわかりました。

災害が起きて、「しっかり国は、財政支援をします」、というよりも、事前の支援が必要なのだと思います。70%の家屋が耐震性になっていなかった、という現状、なにも能登だけに限りません。いつ起こるかわからない災害に対して、備えをしておく、「備えよ、常に」です。事前復興、これが必要です。裏金だ、キックバックだ、なんて言ってる場合か。「国民の命と生活を守る」のが国会議員のお仕事のはず、じゃあなかったんですか。


2024年4月4日木曜日

ライトレール 初乗り故障で 料金ただ

4月3日、宇都宮へ。昨年の夏、開業したばかりの路面電車、気になっていたので、初乗りに出かけた。8時半に神明町発。上野駅から乗ったのは、小金井行き。ラッシュなしの逆乗りだったので、車内は、がらがら。ボックスシートひとり掛けでゆったり、乘り鉄です。桜の花が沿線あっちこっちで、咲いていました。約2時間。

小金井で乗り換え、宇都宮 駅に11時40分着。時刻表には、『ライトレール線・西口』とあったので、さっそく西口へ。ない、どこにも表示がない。で、戻って、駅構内で地元らしい人に尋ねたら、なんと、その男性もライトレールを探しているとのこと。宇都宮駅当局も、胴元の宇都宮市も、ライトレール線の宣伝を徹底すべき、ですよね、と。

西ではなく、東口だったライトレール線発着所、構内の外れにありました。階段を下りて行くと、制服の係がいて、「現金の方は、回数券を取って下さい」、と。スイカやスマホでOKの料金システムです。春休みだからか、子どもが多い。5分ほどで、電車到着。1時間に5~6本という感じです。下車した乗客12名。それほど混んではいない。すぐに乗車、発車。ワンマン、2両編成の路面を走る電車。4人掛けで、窓は大きい。

しばらく駅前の国道を往く。速度は、ゆっくりで、横を走る車に抜かれている。宇都宮大学のキャンパス駅、といっても、学生らしき乗客の乗降なし。停留所は、屋根付き、簡単なベンチもある。街中をすぎ、〇〇小学校前とか、城跡とかの停留所。学校の昔の写真や、城跡の写真なとが停留所壁に貼ってありました。でも、周辺には、民家はなく、ここまで、どうやってくるのかな。

たんぼや畑のある郊外に出て、鬼怒川を渡る頃には、電車は、かなりの急坂を登ったり、下ったり。乗降者皆無。丘陵地帯に入る。両側には、大きな工場施設が並ぶ。工業団地だ。と停留所には、自転車置き場・駐輪所があった。しかし、広い工場の敷地内には、もっと広い、広ーい駐車場があり、車がびっしり並んでいた。なあんだ、みんな、車通勤してるんじゃん。

「次は、終点の工業団地です」、とのアナウンス。と、電車は、停留所の手前50mあたりで急停車。停留所には、前に到着した電車が停まっおり、運転手さんが、電車を降りて、雨の中で、線路をのぞいたり、たたいたりしています。しばらくして、「前の車が故障のようなので、しばらく停車しまーす」、とこちらの運転手さん。そのしばらくが、40分ほど続きました。カメラを持って、はしゃいでいた子どもたちら、12名が車内に。本社からのレスキュー隊の車が到着。じきに故障は、改善。で、停留所着ここで、全員下車。どこへ行くのか、ひとり残され、そのまま宇都宮駅に戻ることに。運転手さんが、「どちらから?」と聞くので、東京からです、と言うと、料金は、いいですから、とおっしゃる。ここ終点からは、しばらく乗客一人状態で、しかし、途中で乗ってきた客もおり、終点の宇都宮駅では、20名くらいになっていました。

せっかくだったが、名物の餃子も食べず、ホームに停まっていた逗子行きに乗車。赤羽で乗り換えて西日暮里経由で綾瀬着。神明町に着いたのは、5時すぎでした。14.5キロに乗るため、往復5000円かけての乘り鉄の旅でした。それでも、達成感はあり、でした。


2024年3月31日日曜日

ようやっと 桜が咲いた 春実感

 昨3月3l日、靖国神社の標本木の桜の開花を宣言。関東地方でも、いよいよこれから、というお花見シーズン到来となりました。例年よりも、10日以上も遅れての開花。花が咲かなくても、すでに宴会は、始まっているようですが。お花見の予定は、特にありません。区内の中学校をいくつか訪ねてみようか、と。ここのところ、ほぼ毎日、靖国、まだです、を繰り返していた開花宣言係の方、ご苦労さんでした。

シンガポールの友人家族が、来日中で、箱根の別荘(戸建ての家を3年前に買った)に、先週1週間滞在したが、富士山が見えたのは、一日だけ、あとは毎日雨だった、といってました。昨日、六本木で、食事をご一緒しました。

急に浮上した製薬会社の紅麹事件で、得をしたのが、自民党の裏金問題、やっぱり気になります。で、話題の中心人物のあの方、解散した派閥の幹事長だった方、実は、現役時代にネパールで、ご一緒したことがあります。ずいぶん昔のことですが、1991年。同国の初の民主化のための総選挙、日本からの監視団という名目でのネパールでした。すでに、国会議員だったのにも関わらず、団長さんの小間使いのように、尽くしていた姿を思い出しています。偉くなったもんです。それにしても、国の、向こう一年の予算を審議するはずの国会で裏金問題ばかりを討議しているなんて、やっぱり心配。勝ち誇ったように、与党を追及している野党も、野党。

いい話ってあまりありません。天気がいいので、ちょっと路線バスにでも乗ってきます。


2024年3月28日木曜日

さくらまだ それでも全国 天気晴れ

本日は、朝から晴れ。日の出前の東の空が、きれい。久しぶりだ。予報でも、本日は、全国的に「晴れ」、とのこと。それにしても、咲かないな、さくら花。去年の日誌を見ると、三月二十日、飛鳥山のさくらが三分咲きとある。本日は、3月28日、高知では、咲き始めたとのことですが、靖国神社はまだのようです。

さくらといえば、日本全国、あちらにも、こちらにも、名所があり、五大桜名所は、お花見済みです。弘前城の桜、じゃぱ汁、うまかった。高遠は、高台に桜がありました。奈良の吉野山は、熊野古道を歩き始めた地点で、深夜の花見でした。あの大津波・地震の翌年に行ったのが三春の滝桜、近くに避難した人たちのプレハブがありました。山梨の山高神代桜、岐阜の根尾谷淡墨桜へも行きました。見物人で込み合っていたお花見、どこも、早々と引き上げたので、桜そのものは、よく覚えていません。

去年の今頃は、ワールドカップでした。今年も、同じく、韓国での大谷選手が出場する試合、サッカーワールド北朝鮮戦、そして、高校野球全国大会、相撲の大阪場所、それらが同じ日、同じ時間帯にあるので、本当に忙しい。その上、自民党議員の裏金問題もあり、同時に見るわけにもいかず、もう大変でした。2月末に、買い替えた新品のテレビが、大活躍でした。ちなみに、旧テレビ、17年間、愛用していました。

国会議員の裏金問題、特段、腹立たしいことでもなく、そうなんだ、やっぱり、といった感じでした。街の発言では、「国民の税金、あんなふうに使ってほしくない」とか、「国民は、苦労して税金払っているのに」、など、国民は怒っているようです。

モンゴルの民主化のはじまり選挙に際して、立候補した若者たちに、こんことを話したのを、思い出しました。

 「なんで、税金を払わねばならないのか。ひとりでは、自分ひとりでは、出来ないことをするには、みんなでお金を出しあった方が、効率がいい。たとえば、教育。学校で多くの子どもたちを同時に教え、育てる方が、ひとり、ひとりの親が、自分の子どもを、育て、教育するよりも、はるかに効率がいい。病院もそうだし、交通手段だってそうだ。行政サービス、みんなのために、みんなの収めた税金で行う。この仕組みが、税金」。その仕組みを、税金を払った国民のために実行するのが、政治、政治家。国民の生命と、財産を守る、国民が安心して生活出来るための仕組みー政治、なのです。

特に難しいことではありません。ただ、そのことが、どうもわかっていないようです。日本の政治家のみなさんも、それに、主権在民を有する国民ー有権者のみなさんも、あまり自覚がないように見えます。あゝ、この国、この先が、思いやられるーな。

こんな上天気、これから、やっぱり行ってきます。路線バスにするか、乘り鉄にするか。

2024年3月26日火曜日

さくら花 まだか まだかで 今日も雨

ここのところ毎日、毎日、テレビの係が靖国神社へ出張、「蕾がかたくなってきました」、「白くなってきました」、「蕾部分でしょうか、ピンクになり始めました」、などなど、さくら花の様子を報じています。我が家のそばの中学校のさくら、咲きはじめましたよ。

先日、山手線 一周乗りをした時、インバウンドの集団が、上野駅で下車。オハナミ、オハナミ、といいながら公園出口の方へ。咲いていないのに、さくらの木の下で宴会する人たち、新しいトレンドっていうことでしょうか。外国人たちも、やるんですね、お花見宴会。

武蔵野線沿線では、冬木立だった木々が、うっすら緑色になってきました。そうそう、一週間くらい前だったか、越谷駅近くから、富士山が見えました。富士山といえば、西新井駅から池袋行きの路線バスに乗っていた時、荒川(放水路)を渡る江北橋から、右前方に見えました。よく乗っている路線なのですが、都心方向なので、ほぼいつもぼーと曇りがちなので気がつかなかった。とにかく、富士山は、関東エリアからは、ほぼ、どこからでも見える山、日本一の山です。

昨日は、常磐線で土浦へ。定期バスで、筑波山を廻ってきました。最後は、つくばエキスプレス駅(TX).産地直地売り店で、フキノトウを買ってきました。これが最後、今年最後のフキノトウですよ、と売店のおばさんが言ってました。

家に帰ったら、テレビで、『六角精児 飲み鉄本線日本旅』をやっていました。ときどき見る番組です。福井から九頭竜線(越美北線)と長良川鉄道に乗車の旅。どちらの路線も、乗車済みです。高山の寺での講演に行った時、ついで乗り鉄で行ったのが、長良川鉄道です。高山線の美濃太田駅から終点の北濃まで、一両のみの電車、ほぼ乗客数名という贅な環境でした。終点で、この先、福井県側と線路がつながっていた、ということを聞いたのを忘れませんでした。数年前だったか、福井の友人を訪ねた際に乗ったのが、九頭竜線。こちらは、三両編成で、朝だったせいか、学生さん、通勤の人たちで、ほぼいっぱいでした。たんぼの中をひたすら走る、ごく普通の田舎のローカル線。終点の九頭竜湖で、折り返しがすぐ出るというので、旧鉄路跡は見ることが出来なかった。

家に帰ってつけたテレビで、『六角精児飲み鉄本線』をやっていました。六角さんが旧駅跡、旧鉄路跡なと、丁寧に見て回ってくれる番組です。六角さんは、福井から九竜線に乗車、廃線跡などを丁寧に見た後、福井へ戻らず、タクシーで、岐阜側の長良川鉄道の終点・北濃まで行ってくれました。ああ、なつかしいなあ。六角さんを真似て、コンビニでコップ酒を買ってきて、いただきました。ブラボー乗り鉄!

2024年3月17日日曜日

菜の花が 土手いっぱいに 春を告げ

中川の土手が、今年も 黄色い絨毯に変身。小学生らしいグループが、写生中。乘り鉄武蔵野線からの風景だ。ここのところ、週5日間、武蔵野線に乗っている。雨でも、強風でも、とにかく電車は走っているわけで、季節の代わりめ、日々、沿線の風景が変わりつつあるのを発見するのが、楽しい。                                 

昨日は、沿線の大学の卒業式だった。袴姿の正装の卒業生たちで、車内は、華やか、賑やかだった。結構、立派な貸衣装、安くはない、親も大変だ。こんな会話が聞こえてきた。「韓国、どうだった?」、「たった3日間だったけど、まあまあ・・・」、韓国組、フィリピン組など、卒業旅行も行ってきたらしい。アルバイトの稼ぎかな、それとも親御さんの卒業祝いなのかな。自分の、高校の卒業式のこと、あまり思い出せない。大学の卒業式は、たしか日本にいなかった。

3月16日、去年の記録を見ていたら、初めて冷やし中華を食べた、とあった。で、綾瀬のスーパーへ行ってみたら、あった。さっそく買ってきて食べた。春ですね。    こんな春を実感している昨今です。

ちなみに、本年1月元旦から、天候に関わらず、1日も休むことなく、乘り鉄、路線バス乗り、続けています。といっても、近場(ちかば)の電車、バスですが。

2024年2月19日月曜日

昨今 巷 あれこれ事情

能登地震 ごみ山どうする 大変だ

1月1日、元旦だった、能登地震 。あれから、ほぼ毎日、テレビで能登の様子を見てきた。まだまだ大変、復興はすすんでいない。気になっている映像は、ごみの山。テレビや冷蔵庫などの家電製品、畳やベッドなど大物家具、もちろん、家の中、部屋の中にあった全てのモノ、モノが運び出されている。地震で倒れたままの家が、まだ、沢山残っていることから、ごみ出しは、当分続くはず。

あれこれと モノあふれても まだ欲しい

西新井駅構内の100円ショップ。昼間の店内で、店の籠を持った高齢の女性、あれこれ、ほぼ一杯の商品を買いこんでいる。よく見ると、籠持ちのお客さん、ひとりやふたりではない。男性もいる。みなさん、物色しながら、いろいろ籠に入れておられる。一個100円でも、あんなに買うと、値がはるはず。でも、買ってしまうんですよね。そして、その結果、かぎりない とまらぬ欲望 やがてごみ  そして ごみの山 地球にごめん まだ続く

議員とは 良識 常識 なきおひと 

最近の新聞、面白くない。ためにならない記事が多い。腹立つ記事が目立つ。そして、あきらめる日が続く。というわけで、新聞を読んだ後、その日一日、気分、よろしくない。

モンゴルでのこと。75年間のソ連による共産主義下にあって、これから民主主義だ、という時、たまたま居合わせたことから、モンゴルでの政党づくりに関わった。バイカル湖に近い国境の村でのこと、これから立候補するという男性に会った。「政治家になったら、どうしたらいいんですか」、との質問。「政治家になったら、有権者のためになることは、すべて、かならず実行すること。自分のためにならなくても、有権者のためになるなら、必ず実行しましょう」。さらに「有権者のためにならないことは、自分のためになっても、やってはいけません」、そんな、あたりまえの会話を、思い出した。               くれたがる アテにしたがる お金の政治    


                                                    


2024年1月17日水曜日

この寒さ 能登・阪神を 想う朝

今朝、5時46分、NHKの画面を見ながら、「黙祷」をしました。あの阪神淡路大震災から29年め。あの朝、早い朝食を食べていました。指圧の学校の学生で、北綾瀬駅までちゃりで行き、乗り換え、乗り換えしながら、丸の内線の丸の内までの通学でした。そっか、あれから29年経ったんだ、現役引退して29年間 経ったんだ。

あの日のテレビ画面には、高速道路が壊れて、バスがぶらさがっていたり、神戸のあちこちから煙が立ち上っており、「えらいこっちゃ!」、といいながら学校へ行きました。

能登地震は、本年一月元旦、早い夕食を食べようと、準備をしていた4時すぎ、突然、大きな揺れ、えっ地震!、すぐにラジオから、石川県で地震、とのアナウンス。「津波が来るので、すぐに逃げて下さい、少しでも高い場所に、逃げて下さい」、なんども、なんども繰り返されます。

本日は、1月17日。来る日も、来る日も、被災地能登の様子が報道されており、新聞、テレビ、ラジオの能登現地報告を毎日、気にしています。私だけでなく、銭湯へ行っても、風呂友のみなさん、「気の毒だねえ、大変だろうね」、を繰り返しています。こんな時、あったかな風呂に入っていていいのかねえ、という人も。水も電気もなく、難儀な被災の日々、想うだけで、なんの手助けも出来ないままです。

ほっとするニュースも。日本で一番長距離の路線バス、そうです、奈良から新宮までの170キロを走る路線バスのことが、テレビで紹介されていました。インバウンド客たちも乗っているそうで、結構、人気みたいです。そういうわたしは、2017年に乗り済みです。

残念なニュース、鳥取の松江駅前のデパートー百貨店が、1月14日に閉店したっていうニュース。何年か前、松江から出雲大社への路線・一畑鉄道に乗りに行った時、あのデパートで弁当を買いました。同じ名前だったので、よく覚えています。電車は、2両編成で、客はまばらで、この路線、大丈夫かな、と思ったものでした。ちなみに新聞によると、「ノーデパート県」は山形県、徳島県、それに島根県の3県だそうです。

今日は、これからつくばエクスプレスに乗ってみようか、と。つくば方面の冬を感じてきます。お天気がいいから、気分も、よくなるか、な。

2024年1月3日水曜日

元旦に地震発生 二日目に飛行機炎上 令和六年

 正月元旦は、慣れた武蔵野線で初乗り。まだ店も、スーパーもさすが開いておらず、3時すぎに帰宅。正月だから、餅でも食べるか、と海苔巻き餅を食べながら、テレビをつけた。新聞は、年末、年始は夕刊がこないので、手持ち無沙汰で、テレビを見るしかない。

と緊急のお知らせが入った。画面に能登半島の地図が出てきて、地震発生。そうか、去年もあったっけ、東京は遠いから、あまり関係ない、と思っていた。ところが、1~2分してから、急に部屋の中でかたかたと音。わが家の地震震度計が大きく揺れ始めた。テレビ画面には、「津波です、津波です」、を叫ぶアナウンサー。えっ津波、「津波です、海岸に近い方、今、すぐ逃げて下さい、少しでも高い所に逃げて下さい」、叫ぶというよりも、ほとんど絶叫の繰り替えし。我が家の揺れも激しい。ベランダのドアを開けた。

「津波です、津波です、ご近所に声をかけてください」、「考えていないで、ともかくすぐに行動してください」、を繰り返しています。画面には、大きな活字で、津波、すぐ逃げる、が出ている。「すぐです、すぐに逃げて下さい。戻ったりしないでください」、「東北の津波を思い出して下さい」、の繰り返しが1時間くらいつづいた。

わが家の揺れは、間もなく終了。能登半島のどこかの港や、駅前の映像が出るものの、津波や地震による被害を実感できるものはなく、アナウンサーが男性にかわったが、「すぐに逃げて下さい」の連呼だった。

1月1日・正月気分は、ふっとんだ。用意した餅が固くなっていた。民放も、結構遅くまで、地震報道を優先していた。NHKは、さすが国民のみなさんのNHKです、全ての番組をキャンセルして、能登半島地震の現地放送に徹していました。夜の番組だって、キャンセル。せっかく年末に録画どりをして、準備していたのに。

1月2日、今日は、銭湯が始まる日。いつも通り、町屋から都電(初乗り)で、三ノ輪へ。商店街は、まだお休みの店が多い。銭湯は、いつもより混んでいた。都電は、ガラ空き状態だった。都電の中で、「能登は、たいへんだね」、と会話をしている人がいた。みんな心配しているんだ、と思った。二日目になり、能登では、余震が頻繁にあり、その都度、テレビにテロップが出るので、まだ、まだだね、と。二日目で、大火事がおさまっていないこと、家屋崩壊が多いこと、道路が寸断されていること、整っていない避難所で、大勢の人たちが、大変な思いをしていることなど、などがテレビ放映されていた。

新聞の朝刊もお休みの1月2日、今日も。ニュースは、テレビを見るしかない。正月うどん(初うどん)を食べながら、テレビのニュースを見ていたら、地震報道をしていたNHKの画面に、火を噴き上げながら、滑走している飛行機が写った。映しているNHKさんも、これは、どうしたことでしょう、羽田空港の滑走路を火を噴きながら、JALが走っています、と説明。じっと見ているうちに、炎は大きくなり、飛行機まるごと炎上。わかったことは、新千歳空港からの飛行機で、乗客乗務員379人が乗っていた、というではないか。乗客全員無事に脱出の文字が出るまで、テレビの前に立ったまま。うどんは、冷たくなっていた。

元旦の能登半島地震、二日の日航機の炎上、どちらも大変な出来事。地震大国の日本で、まだ本格的な大地震を体験していないこと、現役時代、あれほど、世界各地を飛行機で飛び回っていたのに、いちども危ない思いをしたことがない、あゝいい人生だったんだ、と実感した。それにしても、このふたつの出来事に、日本国総理大臣は、「被災者に寄り添って」や「航空行政の見直し」、なんていってました。キックバックで謝るよりも、こっちの方が、オトコを上げるには、うってつけテーマ、ってわけですよね。それにしても、被災者に寄り添う姿勢を示した天皇陛下さん、年一度の国民との対面の場「皇居参観」の中止を実施された、あなたは、やっぱり偉い。