黒海の港町オデッサ、沖に停泊中の船、「戦艦ポチョムキン」、船上で乗組員兵士と、船長が衝突。食事はじめ、船上での生活改善を要求する兵士たちが、反乱を起こしたのだ。勝利を勝ち取った兵士たちが、船上に赤旗を立てる。集まってきた市民たち。と、突然、現れたコザック兵士たちの発砲で、船上の兵士、市民らが逃げ惑う。その時、乳母車を押していた母親が、その手を放してしまう。階段のいちばん上から母親の手を離れた乳母車、赤ん坊を乗せたまま、ガタン、ガタンと落ちていく。
オデッサの階段は、今は、観光名所として残されており、そのオデッサは、ウクライナの港町。ロシア革命の運動の拠点で、ロシア社会民主労働党bがここでされた(1900年)。
監督ポチョムキンの映画を見たのは、今から60年前のこと。大学の卒業論文のテーマが「ロシア革命における社会民主労働党とボルシェビキ派」。二月革命後、オデッサに臨時政府ができた。というわけで、革命思考の青春時代を送ることになった。日本だけでなく、独立したばかりの後進国を、なんとしても助けなければ、なんて、真剣に考えていました。
ミンスクには、モスクワから列車で往復したことがある。滞在期間が1日だったので、町の印象は、ほとんどない。当時は、ソヴィエト連邦のメンバー国家のひとつだった。日本に帰ってから、ウクライナで見た衣装が気に入り、撮ってきた写真をもとに、コサック風の上着を作って、着ていた。2~3年間、愛用していたが、写真が残っていないのは、残念。
その後、国連の仕事で、スーダンに赴任した際、ホテル住まいをしていたが、そのホテル、オーナーがギリシャ国籍のウクライナ人だった。ホテルの名が「アクアポール」。食事に、ときどきピロシキが出てきた。
留学していたイスラエルで、ウクライナに住んでいたというユダヤ人(イスラエル人)の友人がいた。オデッサには、ユダヤ人が多く住んでいて、スターリン時代に数千人が殺された、ということを、彼は、話してくれた。今も、オデッサには、ユダヤ人のコミュニティ(ゲット)がある。
ここのところ、毎日、ロシアのプーチン大統領の映像、侵略されているウクライナの様子を見ている。核兵器があるよ、とちらちらさせながら、西側陣営を牽制しているモスクワのドン、この先、ウクライナは、どうなることやら。
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