「生まれたよ、ベイビー 」、と叫ぶような電話。シンガポールからです。友人、Dr.Loo Choon Yongの娘Sara,結婚してから、どれくらい経ったんだろう。1985年だったか、彼女たちの結婚式に招待され、母とシンガポールへ。Sara は、生まれた時から、わが家になんどもきていた。日本のスキー場にも、連れて行き、スキーを教えたこともあった。結婚式には、両親で、ということで、航空券ふたり分が送られてきたが、どうしても、飛行機には乗らないという父の代わりに、妹が行くことになった。
はじめて、そして、生涯一回だけになった母にとっての外国行き。パスポート申請、ローマ字でのサイン、だれの助けもなく、ひとりでやり遂げたわが母、あっぱれ、でした。
というわけで、サラのその後は、彼女の実母と同じくら気がかりだった。六本木にマンションを買ったので、年に2,3回は、来ていたが、なかなか二世誕生、ないね、と。
友人、Dr.Loo Choon Yong は、病院の医院長で、国内、東南アジア、中国などにも支店というか、関連の病院を展開している、民間大病院の医院長。それだけではなく、ポーランド大使でもある。他にも、政府関係の役職にも、いくつか、ついている。
というわけで、これまでも、年1~2回は、シンガポールを訪問しており、邸宅内に、自分の部屋まで用意してくれていて、居心地よく、過ごしていた。コロナ禍で、この2年間は、行くことができなかったが。
サラの母、ジャッキーは、不動産会社の社長さんで、日本での商売もやっているビジネスウーマン。大坂に旦那のクリニックを設置したのは、彼女だ。
彼女に会うたびに、「まだかい、まだ生まれないの」、をこの20年、いや30年、繰り返してきた。ようやく、生まれた、との電話だった。
サラも、彼女の夫も、医師。ロンドンに留学していた時に知り合い、結婚。夫は、マレーシア人だ。ふたりが、父の病院を、おそらく引き継ぐことになるのだろうが、現在は、別の病院勤務。ま、そんなことは、どでもよろしい、赤ん坊の誕生、とにかくよかった。
n
0 件のコメント:
コメントを投稿