2025年3月5日水曜日

啓執(けいしつ)に 降った初雪 冬もどり

本日は、3月5日、けいしつ。「地中の虫が冬もごりを終え、外に出る日」なのに、夕べから雪が降っています。満開だった梅の花が、すっかり散ってしまいました。なのに、ずいぶん前から満開だった山茶花のピンクの花は、まだちらほら残っており、その生命力には、驚いています。雪には、めっぽう弱い首都圏では、雪による鉄道や、高速道路の交通渋滞をさけるため、「予防的通行止め」というのを発令したそうです。

雪で足止めのホームステイ、テレビのニュースを見ながら、過ごしています。

日本では、昨日、政府予算が衆議院を通過。毎日、毎日、新聞やテレビをフォローしてきたけれど、よくわかんない。「〇〇の壁」、この単語が繰り返されていましたが、結局、理解できないまんまでした。これって、わたし無知な有権者っていうことか。

国外では、アメリカのトランプさんの発言に、毎日、毎日、一憂一憂。中国への関税とか、ウクライナへの軍事支援、もーやめた、とか、アメリカの公用語は、英語(アメリカ語)だけ、などなど。日本人だけでなく、世界中の人たち、当のアメリカ人たちも、驚いたり、戸惑ったりしています。言いたい放題、やりたい放題、そんな国のリーダーのことを「独裁者」なんて、学校で教わった気がします。

それにしても、東北の大船渡の山火事、8日間も、燃え続けている。これって、どうにもなんないコトだったのか・・・もともと原因は、地球温暖化、と言われており、温暖化を止めるための努、しているのか。気にしていても、何にもしていない自分、反省しきりです。

いろいろ考えでも、解決策、結論、なんにも出ないまんま、

     雪やんで ちょこっとお出かけ 乗り鉄へ



 

2025年3月1日土曜日

忖度が ワシントンでも 大流行り

トランプ氏が、アメリカ大統領に就任して一か月。この間、ほぼ毎日、トランプ発言が、日本でも、ニュースに出ない日は、ありません。来る日も、来る日も、毎日、毎日、トランプ発言がニュースになっています。日本の首相発言よりも、トランプ。経済問題が主なイッシュですが、ガザ問題では、イスラエルの攻撃で、ほとんど破壊され、廃墟となったガザを、世界一のリゾートにしてみせる、なんてことを言い、戦争で追い出されたガザの住民たち(難民)のこの先を全く考ていない発言に、世界中がびっくり。とにかく、毎日、毎日、どんなトランプ発言が、とニュースを見る日々でした。

さて、昨日、ウクライナのゼレンスキー大統領が、ワシントンを訪問しました。どんな会談になるのか、気にしていました。今朝いちばんのニュースで、会談の様子が報道されました。ウクライナにある鉱物資源の権益を、アメリカに譲るという協定に、サインすること、が会談の目的(トランプ側)。ところが、テレビカメラの前に写った両者、大声でいい合っています。こんなシーン、見たことない。トランプさんが、選挙演説で、バイデン前大統領を、身振り、手振り、大声で批判するシーン、ほぼ、あの感じで、ゼレンスキー大統領に悪態をつく。「あなたは、ここをどこだと思っているのか、アメリカ大統領の執務室、そんな失礼なことを言っていいのか」、とトランプ。負けずに「プーチンは、殺人者」、とゼレンスキー大統領。「あなたは、国民を騙した大統領だ」、とトランプ。

その前から、トランプ大統領は、「支持率4%の大統領」、「第三次世界大戦をはじめようとしている大統領」などなど、名指しでゼレンスキー氏を非難する悪態を、繰り返したいました。対立のまま、ゼレンスキー大統領は、帰国。

トランプ大統領のいうMake America Great Againって、こういうことなのか、と思いました。そういうトランプ大統領の周辺は、なんとなく、いやーな動き。共和党の議員のひとりは「ワシントン空港」を「トランプ空港」に名称変更の提案をしたとのこと。

ワシントンで、いよいよ、忖度の始まりー、始まりー、です。

天気よし、温度もあったか、風もない。ちょいと乗り鉄、どこへ行こうか。ともかく、行ってきまーす。


2025年2月24日月曜日

トランプの サインしたペン 〇〇製

就任してから1か月。ほぼ毎日、黒いファイルに挟んだ書類に、太い、15センチほどの黒いペン、サインペンで、”ドナルド・トランプ”のサインを繰り返しています。ドナルド・トランプさん、なんと70もの、この大統領令にサインをしたとのことです。サイン済みの書類を、得意げに披露し、使用済みのサインペン、熱狂的な自身の支持者たちに、まるで節分の豆まきのように投げ入れている、そんな光景を、この1か月、ほぼ毎日、テレビニュースで見せられています。

トランプ大統領のサインで、翌日から変わったこと。コーヒー店で出すストローが、紙製からプラスチック製になった。実は、前政権のバイデンさんが、環境に配慮してストローから紙に変えた。さすがアメリカ、と全世界が、感心した ばかり。USAIDーアメリカの援助基金を、無駄との一声で、全て廃止。世界中の、途上の国々のプロジェクトが、事実上ストップした。スーダンや、ミャンマーの難民プロジェクトが、援助の中止になり、カンボジアの地雷撤去プロジェクトも、中止とのことです。USAIDは、かなり前から、アジアやアフリカで活躍しており、国連職員でスーダンに赴任していた時、その活動ぶりを知り、やっぱりアメリカは、やるな、と感心していたのを覚えている。

冷戦時代だったことでもあるが、金持ちアメリカの途上の国々への援助は、大きな助けになったことは、たしか。その援助が、一枚の紙きれへのサインで、一瞬ゼロになる、信じがたいトランプの発想、そして決断。

それにしても、あのサインペン、一枚に案件に、それぞれ1本使用、執務室のテーブルの上には、10本も、20本も置いてありました。

あのサインペン、made in Americaーアメリカ製、なのか。文房具に関しては、日本が先行しており、しかし、あのタイプは、現在の日本のものではない。昔、国際会議で会ったことのあるソ連(当時)共産党のブレジネフ書記長は、日本のペンテル製のサインペンを使っていた。あの頃、ペンテルは、フランクフルトに工場があったので、フランクフルト製だったかも。一方、日本人の多くは、当時は、ペンー万年筆は、外国製が好まれており、パーカー、モンブラン、ペリカン、ウオーターマン、シエーファなどを、海外に出るたびに、買ってくるように依頼されたものです。

ご近所さんから、「西新井大師の梅、行ってきたよ」と言われ、じゃあ行くべし、と行ってきました。直通バスが廃線になってしまい、シルバーパスで行くなら、いちど綾瀬駅に出なければなりません。今日も、いい天気なので、行ってきました。思ったよりも混んでいません。西新井大師の梅は、梅園というほどの広さではなく、亀戸天神や、池上の梅園とは、比べものにならないスペース。それでも、みなさん、スマホカメラで、撮影しまくっていました。まだ、風が吹いても散るほどではなく、当分、楽しめそうです。

本日も、東京は、晴天。風もなく、いい日和。九州や、山陰、北陸方面は、大雪注意報も出ています。大雪で難儀な生活を強いられている人たち、日本列島は、とにかく、いろいろです。この寒さ、「春 とうからじ」。

2025年2月20日木曜日

あらいやだ お相撲さんが 自転車で

最近は、乘り鉄よりも、乘り路線バスの方が、多い。首都圏近辺の電車は、全て乗り尽くしてしまい、3度、4度めなんてえのも多いんです。路線バスも、乘る人が減ったとか、運転手不足などで、廃線になる路線も少なくない状態が、都内でもあちこちに見られます。自家用車のない、運転出来ない(免許返納)高齢者が増えているのに、「足」である路線バスは、必要だと思います。

本日は、亀有駅から都バスに乘りました。亀有までは、綾瀬駅から千代田線です。駅前から環七に出て、新小岩駅行きの路線バス。午前11時なので、車内の客は、5名。これじゃあ採算がとれないな。環七もそれほど、ラッシュではなく、順調に走っています。右側は、中川、その向こうにスカイツリーが、しっかり見えます。左には、遠く筑波山も視界にあります。すぐ右は、京成線の青砥駅、現役時代は、成田空港へよく通った路線です。青砥駅は、今は、羽田空港ともつながっています。

しばらくして、葛飾スポーツセンターのわきを通り、道路が狭くなりました。信号のある角に、マクドナルド店。と、中から出てきたのは、お相撲さん。紙の袋を持ったお相撲さんはトレーナー姿で、頭は、ちょんまげ。駐輪所にとめてあったママチャリの前カゴに紙袋を入れ、よいしょ、と自転車に乗りました。ゆっくり、ゆっくり、奥戸街道を四ツ木方向へ。子どもが、ちびチャリに乗った、という感じで、信号待ちのバスの運転手さんと顔を見合わせて、ニヤリ。こんな事で、運転手さんと「客」が、笑いを共有するなんて、めったにないこと。今日は、いい日だなあ。

15時に自宅に戻り、テレビをすぐにつけてみました。えっ まだそのまんま? 実は、今朝、家を出る時、NHKで、国会の予算委員会の中継を見ようとしたら、委員会が始まらない。テロップで、「審議が始まり次第、放映します」の文字。本日は、朝9時から午後5時まで、予算委員会の中継があるはずだったのです。総理大臣以下、閣僚の先生方が待機するも、いっこうにはじまらず、結局、終日、委員会は開かれなかった。放映義務のNHKさんは、他の番組にするわけにいかず、そのまま、っていう一日。でも、コマーシャルを気にせずのNHK、辛抱強く続けていたのです。

なんでか、というと、いわゆるウラ金問題で、旧安部派の事務局長という人を、参考人としてきてもらうことになっていたのが、だめになった、ということでの、もめごとのようです。ま、そんなことは、どうでもよろしい、と。

2025年2月13日木曜日

今どきの スポーツジムは キャシューレス

神明町には、当然のことだが、スポーツジムなどない。

最近、綾瀬駅の周辺が、急に騒がしくなってきた。33階建てのタワーマンションが、建設中だ。だからか、新しいお店も、出来つつある。そのひとつ、スポーツジム。わかっているだけでも、5か所が開店(っていうか)。24時間営業とか、初心者大歓迎、個人トレーナーが親切に指導とか、とかのキャッチフレーズ。で、ちょっと覗いてみようかと、駅から十分くらいのジムに行ってみた。

5階建てのビルの2階部分にある。エントランス(入口ではない)は、閉まっており、ドアに「ここをタッチして下さい」のとある。タッチするものを持ち合わせていなかったので、その横にあったボタンを押す。中から、「どんなご用ですか」、と女性の声。「あのう、見学をしたいんですが」、といい、しばらく待つ。現れたのは、上下スポーツウエアの女性。「見学の予約は?」ときくので、「していません。予約なしでは、ダメなんですか」、となばってみる。「いいですよ」、と案内してくれた。

階段で二階へ。ここがジムの施設のようだ。土曜の11時すぎ、だったからか、客=利用者は、見えるだけで3名だった。エアロバイクが5台、ベルトの上を歩く、走るマシーンが5台、ベンチプレスが5台、ところ狭しと並べられている。十畳ほどのスペース、エアロビクス、敷物を敷いて、ヨガをする。ロッカーが20ほど、男女別(あたりまえ)のシャワー室(というより、半畳ほどの箱型スペース)。各2つしかなく、スポーツ終了後、行列するのかな。個人トレーナーは、6人で、写真つきの紹介が貼ってあった。うち2名が女性トレーナーで、1時間のご指導が、9,000円(税別)だそうです。説明を聞いていた横を、挨拶をして通りすぎた女性、「あの方は、トレーナーです」、とのこと。小柄な、痩せすぎの体形の方です。この人に、1時間9000円か・・・

20分ほどのガイダンス、なにか質問は、と聞かれたので、「あのう、入会金とか、月決めの費用は?」、と尋ねた。

入会金は、3000円、月会費が9000円、とのことです。「マシーンの使用料は、なし、使い放題。無料です」、とのお返事。それほどの高額ではない、との印象。

ところが、ところがです。

施設への入退出は、24時間、スマホで、会費など支払いは、キャシュレス(カード決済)になっています、とのこと。

という、本当にあった話、実話です。  (カード、持ってないんです。)

実は、スポーツジム歴、結構、長い体験者です。

あの国立競技場の1あったったトレーニングセンター(トレセン)の会員だったことがありました。現役で働いていた時代、外国へ行っていた時をのぞいて、12,3年ほど、会員だった。2~3回は、行っていた。使用していない時には、あの広ーい、400Mトラックを走ったことがありました。雨天で、だめな時には、観客用の座席の裏側の回廊を走りました。マシーンもいろいろ揃っていて、自由に使えました。国立競技場から、赤坂を通り、皇居まで行き、一周5キロの皇居を2周、3周走って、また戻る、を繰り返したこともありました。自由のきく個人タクシーの運転手さんらと仲良くなりました。

もひとつ、北千住駅からすぐのスポーツジム、ここは、14,5年通いました。サウナ、お風呂が利用できるジムで、当時は、銀座や上野、浅草などから、歩いて帰る、を繰り返していて、ここで、サウナ、風呂に入って帰宅、というのが定番でした。地元千住界隈の人たちと、仲良くなりました。突然の閉鎖となり、その後に建てられたのが、今ある理科大学。銭湯が趣味になったのは、あのスポーツジムのお風呂の延長かも、しれません。


2025年1月20日月曜日

快語碌 気づいてみたら 回顧録

気がついたんです、「快語碌」という単語をみていたら、なあんだ! これって回顧録だったんだ、と。

あの時、ホームページ立ち上げの時、助っ人の三輪先生から、ホームページのタイトルをつけなくては、といわれ、準備していなかったので、とっさに出てきた単語が「快語碌」だったというわけなのです。「録」のつもりが、「碌」となっていた、これは、後で気づいたことなのですが。ま、そういうわけで、後で考えたことなのですが、好き勝手なことを、碌でなし放題、そんな内容で、いいかな、と。

結果的には、自分の、これまでの体験を、思い出しながら、雑文を綴ってきたというわけであります。87歳も生き続けてきたので、その体験も、半端じゃない。

生まれたのが、東京の木挽町、現在の東銀座。疎開先の埼玉で、終戦を体験、小中学校時代は、親の放し飼い教育方針で、ガキ大将、ソフトボールを、都立高校時代は、バスケットボール部で活躍、落研にはまったのも、高校時代でした。大学時代は、学生運動にかまけて、ほとんど勉強らしい勉強はせず、もっぱらガリ版の印刷物(ビラ)の鉄板書きに専念していました。よく卒業できたものです。

「それから」の人生は、一転して、真面目に働く人たちのため、独立したばかりの途上国の人たちのため、を掲げての日々でした。運がよかったというか、その間に、留学体験をすることが出来ました。イスラエルでは、独立間もない国づくりに励むユダヤ人たちを、まじかに体験、アメリカ、西ドイツで、学ぶ機会を得ました。

こうした留学体験のおかげで、JICA(国際事業団)、そして国際機関・UNDP(国連開発会議)で働くことになりました。国際会議や、国際的な各種イベント、選挙監視団などへの出席、参加をしました。

海外の友人たちが、早め現役引退を決めるので、あとさき考えずに、「やめた!」、と隠居生活に。ちょうど、その年、1995年1月、あの阪神・淡路大震災。今年で、30年たったとのニュース。そうなんです、あれから、30年がたちました。大地震の映像を見ながら、隠居生活、30年も、と感慨深いものがあります。

もうすぐかな、もう少しかな、そんなことを思いながら、新しい年を迎えました。



2025年1月13日月曜日

ブレジネフ 次に会った ジミー カーター

アメリカ大統領だったジミー・カーターさんが亡くなった。長寿、100歳、の大統領。国葬が行われ、日本からは、元首相の菅さんが列席されたと報道されていた。

そのカーター大統領に、お会いしたことがあります。1979年、モスクワのクレムリンで、ヨーロッパの政党代表らと、当時の共産党書記長のブレジネフさんに会い、その足でワシントンを訪問。ホワイトハウスで、カーターさんと会いました。会談のテーマは、「軍縮問題」。その年の6月に、米ソ首脳よるSALT軍縮制限条約が調印され、その流れでの両首脳との会談だった。カーター大統領は、ニコニコ顔で、ひとり、ひとりと丁寧な握手を交わしておられたのを、思い出します。クレムリンでの仏頂面のブレジネフさんとは、対照的だったのを覚えています。

カーターさんは、大統領をやめてからも、中東和平や米中関係など、多岐にわたる活動でノーベル平和賞を受理されました。そういえば、大統領だったオバマさんも、ノーベル平和賞を受理されたいます。次期大統領の〇〇〇さんも、ノーベル賞を狙っておられるのか。

新しい年、2025年になり、なにか変わるのか、少しだけ、期待しています。

ウクライナ戦争が終わるか、人質を取り返し、ガザに平和の日がくるか、スーダンの内戦が終わり、人々が国に戻れるか。

日本は、どうなるか。国会が正常に機能するか、政治家たちが、国民のことを本気で考えてくれるか。国民は、といえば、人々が、「足るを知る」精神で、生活するようになれるか。もちょっと、居心地よく、日々を暮らしたい、新年の願いです。




2025年1月2日木曜日

幸せは ウイーンワルツの とし始め

1月1日、夜7時30分、ウィーンからのテレビの実況中継。「ウィーン ニューイヤーコンサート」。どこへも行かない正月を過ごすようになってから、毎年、楽しみな番組です。今年の指揮者は、リカルド・ムーテイ。いつものように、シュトラウスのワルツが主流です。2時間ほどの演奏、今年も楽しかった。イタリア人のムーテイさんが、イタリア語で「愛と平和の世界に」、と新年の挨拶。最後のラデツキー行進曲、観客といっしょに手をたたいていました。

このウイーン ニューイヤーコンサート、行ったことがあります。ウイーンのテレビ局勤務の友人に入場券を手配してもらい、日本のNHKのスタッフということにして、入場したのでした。音楽の都ウイーンの学友会ホール、独特の雰囲気でした。同じホールでの「ワーグナー週間」では、6日間、毎日、ワーグナーの曲を演奏するもので、この時は、近くの高級ホテルの一番安価な部屋を予約、ホテルのコンシェルジュのおじさんにお世話になり、ホールの、その日のキャンセル席を手配してもらい、2000円くらいの安い切符で、ワーグナーの歌劇など、名曲を堪能したのでした。

1月2日、今日は、朝から箱根駅伝。2日がかりで、大学のランナーたちが、箱根芦ノ湖を往復する、駅伝。2日は、往路、明日3日は、復路。

当時、旧街道の旅を楽しんでいました。江戸の日本橋(東京)から京の三条大橋(京都)間の旧東海道は、トータルで7往復しました。

この日は、三条大橋からの旅の道中でした。箱根駅伝に合わせての旅で、この時間帯に復路のランナーたちが、箱根の山を駆け下り、小田原の駅(小田急)あたりを走りおりてくる、その時間です。沿道には、各大学の応援処が設置されており、先輩や家族らがいました。「京都から走ってきた」、というと、用意されていたお菓子や、熱いお茶をふるまってくれました。レースで走っている選手たちのスピードは、とにかく速い。仲間の東海道旅人の友人が、公衆電話で、自宅に電話、「今、小田原、駅伝の選手たちが、走ってる」、「あっ今走っていく」、と実況中継。あの頃は、携帯電話は復旧していなかった。

今年も、1月2日、箱根駅伝の正月です。