令和三年、誕生日(5月22日)がくると83歳。よくもまあ、長く生きてきたもんだ。その人生、ご縁のあった方々が多くいた。
某外資系の会社が主催するセミナーに、5年間、参加していた。伊豆会議というセミナーには、当時の日本を代表する中堅リーダーたちが招待されており、理由はわからないが、なぜかリストに入っていた。参加者の顔ぶれは、大学の先生、企業の役員、各界で活躍中の現役にのみなさん。山本寛斎さん、矢内廣さん、三枝成彰さん、竹田津実さんなどの名前を思い出した
寛斎さんは、残念なことに昨年亡くなった。とっても明るい方で、セミナー中、午前、午後、夕食時、毎回着替えて登場、さすが服飾デザイナーだ。朝ご飯を食べながら、「今朝のシャツ、色がいいですね」、と感想を言うと、「プレゼントしましょうか」、と。そんな約束などすっかり忘れた頃、宅急便がきた。寛斎さんからだった。あのシャツが、入っていた。有名な、あの山本寛斎デザインのシャツ、一枚ゲット。
矢内廣さんは、だれでも知っている『ぴあ』の社長。当時、埼玉の高齢者団体でボランテアをしていた。会員の高齢者たちが、「死ぬまでに、いちどホンモノの相撲を見てみたい」というので、矢内社長に相談。と、すぐに社長秘書から電話があり、両国国技館での初場所の切符を二枚送ってくれた。必ず、タグチが同行すること、というのが条件。優待券は、いわゆる砂っかぶりといわれている土俵真下で、テレビなどに映ってしまう「席」だった。ルールは、会場に入る前に、指定のお茶屋へ立ち寄ると、飯天を着た男性が席まで案内してくれる。休憩時間には、お茶を持ってきてくれる。終了して帰る前に、茶屋に立ち寄ると、大きな紙袋、相撲見物おみやげだ。中には、焼き鳥、番付本、てぬぐい、皿など、相撲関連のあれこれがいっぱい。お連れした高齢者さんは、大喜び。で、これを6回続けた。両国の初場所を6年もみたことになる。ところで、死ぬまでのはずが、みなさん長寿されている。
三枝さんは、有名な作曲家。上野の文化ホールで上演のオペラ忠臣蔵に招待してくれたことがあった。高校時代の友人と行ったが、帰りの電車が故障で、タクシーで帰宅したのを、思い出した.竹田津実さんは、北海道の小清水町でキタキツネを相手に暮らしていた獣医さん。大分県生まれのくせに、キタキツネに魅せられて、北海道へ。絵本など、著書も多い。小清水町へ、尋ねたこともある。
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