2021年2月1日月曜日

回想ー名犬はな子

 わが家は、昔から動物を飼う習慣はあまりなく、職人肌の父は、仕事一筋で、家に帰ってきても、特になにかをするでなく、夕飯、朝飯を食べて店を往復するだけ。母は家でじっとしているタイプでなく、いつもどこかへ出かけている、そんな家庭環境だった。

 その母が、安保闘争の頃、九官鳥をどこかで貰ってきた。玄関に鳥籠を置いて、外からだれかがドアを開けると、「アンポハンタイ」、「キシヤメロ」を繰り返す九官鳥だった。

 愛犬はな子の話に戻そう。1989年に母が亡くなった。ひとり残された父が、さびしくないように、と犬を飼うことにした。だれが、はな子と命名したのかは、定かでないが、飼い主の父が亡くなるまでの6年間、はな子は、24時間、父と同居した。洗濯機(商売用)から落ちて、右足が不自由だった父かいは手押し車を押しての歩行で、同行のはな子は、ご主人の歩行に合わせて歩いていた。同じベッドで一緒に寝て、膝に座って一緒にテレビを見て、三食一緒に食事もしていた。6年間。

 次の飼い主は、仕事を辞め、指圧の学校を卒業したばかりの「ご隠居さん」。こちらとのお付き合いの方が長い、8年間も。はな子の生活は、一変した。

 朝は早朝から、近くの遊歩道を走らされた。犬の朝の散歩は、大小便をするのが目的だが、はな子は、用をたしていると「はな子、しょんべんなんかしている場合か」、と叱責が飛ぶ。で、しかたなしに、たれションをしんがら、走っていた。他の犬連れのみなさんからは、気の毒なはな子と、同情の目で見られていた。

 隠居の飼い主は、遊びの達人、年がら年中、国内外を旅していた。留守の間は、託犬所(犬猫病院)に預けられた。行くよと、声をかけると、自転車の下まで走っていき、待つ、なかなか察しのよろしい犬だった。病院暮らしが長かった(?)おかげで、東京都愛犬協会から表彰されたこともある。6年間、ほとんどは知らず、身体障碍者とのろのろ歩きに付き合っていたのが、その後の8年間は、全速力で、10キロ、20キロを走る犬に変身した、見事な変身ぶりは、さすが名犬。14歳、老衰だった。

    寒い朝 子犬の糞から 湯気が立つ

 


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