コロナで自粛中だけれど、羽田空港へ行ってみた。北千住駅で、バスを待っていたら、羽田行きのバスがやってきて、だれも乗らないので、乗ってみるか、と。本当は、緊急事態宣言は、今日までなんだけれど、ちょとだけ、宣言やぶりしてみるか。
羽田空港行きのバスは、都内各駅、近県の駅などからも出ている。空港まで、どこにも止まらず、まっすぐに走る。便利になったもんだ。
初めて羽田空港を利用したのは、イスラエルへ留学した時。1964年だった。その頃は、エアフランスの直行便が、東京からテルアビブに週3回飛んでいた。今は、イスラエル行きはヨーロッパのどこかの空港で乗り換えなければならい。羽田空港には、いわゆる、お見送りの人たちが、あっちにも、こっちにも来ていて、バンザイなんかを合唱しているグループもあったりして、まるで戦地出世するような,雰囲気だった。その後、団体旅行が盛んになり、搭乗前に飛行機の前で記念写真なんかをとっていた。
訪問国が、最初の頃は、ヨーロッパが多く、いちばん近いルートは、羽田空港からアメリカのアンカッレジ経由だった。米ソが緊張関係にあった当時、ロシア上空が通れず、北極のアンカッレジだった。6~7時間でアンカレッジに着陸し、2時間くらい空港内の免税店で買い物をする、これが楽しみだった。帰国時には、ここで、キャビアなんかを買わされた。一番最初のヨーロッパは、コペンハーゲン空港、ここで乗り換え、ヨーロッパ各都市へ行った。フライトがなく、コペンハーゲンで一泊することもあり、だから、コペンハーゲンは馴染みの都市。チボリ公園など、何度も行った。公園前の中華料理店は、馴染みになるほど通った。
成田空港は、三里塚闘争などもあり、開港まで、かなり時間がかかった。空港までの足は、箱崎(シテイターミナル)からの定期バスで、たしか、箱崎で手続きもやっていた。まだ、京成電車が空港内に入っていなかった。だから、成田空港から外国へ行く時には、見送り、出迎えは、少なく、代わりに、見送り、出迎えを担当する業者もいた。
アメリカ留学時も、羽田だった。たしか、アフリカへ行った帰り、開港したばかりの成田空港に帰着したのを、覚えている。たばこを買ってきてくれ、スイスの時計、イギリスのウイスキーを、などなど、ずいぶんおみやげを頼まれた。
今、日本全国、都道府県には、1~2のエアポートがある。東京から2~3時間で、どこへも行ける。成田空港も、羽田空港も、日本中、世界中をつないでいる。便利になったものだ。そんなことを考えていたら、北千住駅発の空港行きバスは、羽田に到着.人気(ひとけ)少ないターミナルを一周して、帰りのバスに乗車した。
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