2月22日、ちょっと遠いめの静岡県へ。目的は、天竜浜名湖線(略天浜線)。秋葉街道の旅をした時に、天浜線の途中駅二股駅から浜松まで乗ったことがあるが、全線乗りは、はじめて。
実は、『地形の思想史』 原武史著、という本を読んでいたら、天浜線の気賀駅近くの浜名湖畔に、皇室の御用邸(なぜか、西気賀保養所とよばれていた)があったという文章。とても気になり、1800円も出して、その本を買ってしまった。著者は、皇室が専門の大学の先生で、もっと有名なのは、熱心な「乗り鉄」で、知られている方だ。
浜名湖は、東海道新幹線で、通りすぎる時に眺める、海に入る景色が見慣れものだが、反対側、裏側というか北側は、もっと、湖畔が広がっている。そのへりを走るのが天浜線だ。みかんで有名な三ヶ日も、こちら側にある。東海道の脇街道が通っていて、姫街道ともいう。歩き旅では、過去二度来たことがある。
22日は、日曜日と祝日の間の月曜日というわけで、人出があるかな、と気にしながら、出かけた。東京駅新幹線のキヨスクで、品川づくしー駅弁を購入し、9時57分発の「こだま」に乗車。こだまは、全駅に停車する特急だ。10~15分おきに停車する。その上、先を急ぐ「のぞみ」が、ゴオーとけたたましい音をたてて、抜いていく、走り去っていく。それを停車駅で待つ。というわけで、豊橋駅に着いたのは、12時2分。途中の三島での富士山は、春霞でうっすらの富士山だった。新富士あたりでの工場の煙突の煙が、まっすぐだったので、無風状態、いい天気です。
豊橋駅から東海道線で、ふたつ目の駅新所原へ戻り、ここで天浜線に乗る。1時間に1本しか出ておらず、50分近く待つはめに。静岡、浜松、いやーな予感がしたんですよ。天浜線の改札口のすぐ横、名物うなぎ弁当、と張り紙。天浜線に乗りにきた、それらしい6名の方たちが、全員注文。狭い待合室に、店員が焼き立ての〇〇弁当を運んできた。6名のみなさんが、いっせいに弁当を食べる、こりゃたまんない、と待合室の外へ、退避。到着した電車の運転手さんが、どうぞ、中で待ってて下さい、と。
13時50分発。一両のみのデイ―ゼル車。もちろん、ワンマン。他に高校生5名。三ヶ日、気賀へ。進行方向の右側は、浜名湖。東海道側からでは見られない、いい風景だ。気賀あたりの浜名湖にちょっと突き出た半島があり、地元の人たちは、ここをプリンス岬と呼んでいたと、前述の本にあった。那須とか、日光とか、皇室の御用邸は、いくつかあるが、ここは保養所。現天皇が皇太子時代に、夏休みに滞在されていたとのこと。地元の子らと、野球なんかやっていたらしい。
天竜浜名湖線は、もともとJR線だったが、1987年に廃線となり、現在の3セクとして走っている。進行方向の右側は、天竜川に続くフルーツ路線だ。ときどき「〇〇料理」の看板がある。浜名湖名産だから、当たり前のことだが。線路と併走する道路を、車が電車を抜いtげいく。低速度の列車。新所原~掛川間は、67,7キロ、約2時間かかった。乗車賃は、1670円、乗りでがあった。天竜二股駅で、乗り鉄さん、撮り鉄さんたちは、下車。最後までの乗車は、ひとりだった。掛川駅には、15時40分着。16時10分のこだまに乗れた。静岡で、後続の「ひかり」に乗り換え、ようやく、車内で、朝、東京駅で買った「品川づくし」をじっくりいただきました。19時、神明町帰着。