2022年5月16日月曜日

50年 沖縄今も 基地だらけ

 沖縄が日本復帰して50年、復帰を記念しての行事が沖縄那覇と東京で行われたとのニュース。沖縄知事と、日本国政府首相の挨拶が報道されている。米軍基地をすぐなくせ、という知事への答えは首相の演説にはない。どんな解決方法があるのか。

その沖縄、実は、復帰前の1969年に行ったことがある。なぜか、これまでの全てのパスポートが残っている。「身分証明書」の文字がある粗末な厚紙の表紙で、発行は、日本政府総理府とある。実際にその証明書で沖縄入りしたんは、1969年1月25日で、5日間滞在している。目的は、現地の国際大学の取材だったが、復帰前の那覇市や地方へも行ったと思うが、あまり覚えていない。その後、復帰後の沖縄へは、3度ほど行っている。仕事が1回、あとの2度は、観光目的。それでもかつての激戦地区、ひめゆり、平和祈念公園、サミット開催地、米軍基地などを廻った。いろんな思いがある。

保存のパスポートの束(全部で47冊)の中に、日本政府発行でない、こんなのがあった。発行は、国際機関で働く人のためのパスポートLAISSEZ PASSERレセパセ。内部文章は、英語、スペイン語、フランス語、中国語だ。ニューヨークの国連本部、アフリカスーダンの首都カルツームで働いていた時に使用していたものだ。特権というか、これを携帯している人は、空港などでの出入国ゲートが、一般旅行者とは、別のところだった。

あの頃のパスポートには、予防接種証明書がついている。アジア、アフリカなど途上国への渡航には、この証明書が必要だった。なぜか、今は、コロナの予防接種署名書が不可欠のようだ。

パスポートを忘れた夢をときどきみる。実際には、人生でたった一度だったが、忘れた、があった。アイスランドの首都レイキャビックへ行った時のこと。前の晩、現地の友人たちと盛大な飲み会だった。朝いちばんの飛行機に乗るため、タクシーでホテルを出た。走りはじめて、チェックしたら、パスポートがない。あわてている客の様子に気づき、運転手さんが「どうした?」、というので、ホテルにパスポートを忘れたみたい、というと、無線で会社に連絡、会社からホテルに連絡し、戻ったホテル玄関で、ホテルスタッフが待っていてくれた。なんと、ホテルの部屋のテーブルの上に置いてあったのだ。運転手さんは、空港にも連絡をしてくれた。まさに離陸寸前の搭乗機が、待ってくれていて、最後の乗客だった。あの時のタクシーの運転手さんには、ちゃんとお礼を言わなかったことが、今もすまない気持ちだ。そういえば、どんな人だったかも、思い出せない。でも、なぜか、今になっても、ときどき空港へ行く途中、パスポートを忘れた夢をみる。

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