2022年5月22日、84歳になりました。
海外の友人たちからの「おめでとう」電話、メールがあった。いつも長ーい、長ーい電話のお祝いお喋り、オーストリアのフリッツイ、今年は来ない。彼女は、長年の闘病生活だったけれど、一昨年、ウィーンに会いに行った。元気だった時のように、本当に明るかった。滞在中、4日間、毎日、彼女のお見舞いに行き、いろいろ、なんとなく、他愛ないお喋りを楽しんだ。そうそう、毎年の誕生日の電話で、彼女が「娘さん、よく聞けよ、山男に惚れるなよ」の歌を冒頭に歌ってくれたっけ。ちょうどHappy Birthday to youのように。日本でいちばんポピュラーな歌と称して、日本語で彼女に教えこんだ歌。なぜか、憶えていてくれた唯一の日本語の歌だった。今年の誕生日には、フリッツイの歌を聴くことが出来なかった。さびしい限り。
イスラエルのヌザット、なぜか、今年は、電話の代わりにCARDが届いた。最愛に連れ合いだったルーベンさんが亡くなったとのこと。二人とも、イスラエルのヒスタドルート(労働総同盟)の役員だった。彼女ヌザットは、イスラエル国内に住むアラブ系女性の部門の責任者で、イスラエル労働党のクネセット(国会)議員でもあった。ルーベンさんは、10年ほど前から難病で、自宅療養だった。ヨーロッパへ行った時、イスラエルに立ち寄って、お見舞いをしたが、フィリピン人の在宅看護人を雇って、世話をしていた。ヒスタドルート,クネセットは辞任していたが、ガザに住むアラブ女性たちのためのNGOを立ちあげ、自宅を事務所にして、活動を続けていた。
シンガポールの病院院長ローチョン・ヨン、いつも誕生日には、チーズとワインを送ってくれる。今年は、奥さんのジャッキーとイタリアのミラノからの電話だった。彼は、院長だが多くの公職についており、そのひとつが、シンガポールのイタリア大使。年2~3回、イタリアのシンガポール大使館に出かける。ミラノに別荘があり、そこに滞在する。というわけで、今年の誕生日には、ミラノにいた、というわけ。こどもが二人いて、ふたり共、医師。長女のサラは、マレー人の医師と結婚、この2月、男の子が誕生、メールで写真を送ってきた。長男のデヴィット、彼の結婚は、どうなっているのか。
トン・ウオンは、ビルマ人(ミャンマー人)。インドネシア人女性と結婚、ウイーンとジャカルタ、双方に家があり、行ったり、来たりの生活。フリッツイのお見舞いウイーン滞在では、彼の家に泊めてもらった。ドイツ銀行に長く勤務していて、アジア局長でもあったが、今は、ご隠居さん。奥さんのソフィーは、父親は、インドネシアの元外交官で、海外生活が長く、自身もウイーンの国連本部のスタッフだった。子どもはいない。トン・ウオンは、昔の友人たち、世界各地の友人たちの動静を、ときどき知らせてくれる。今回も、写真つきのメールだったが、「メール、見てくれた」の念押し電話もあった。
「Happy Birthday to You」を歌いながらの電話は、モンゴルのナランゲール。彼女は、昔から、そそっかしくて、5月22日誕生日びったしというのではなく、早すぎ、遅い、の誕生日電話だ。「ウランバートルも、春ですよ、待ってるよ」、とのお誘い。
今年も、こんなお祝い電話があった。84歳って、めでたいのかな、めでたくないのかな。毎日、毎日をなんとか過ごしては、いるけれど、体力も、脳力も、日々減退しており、あと、どれくらいもつのか、そんなことも考えるポスト誕生日です。このトシになれば、だれもが考えることなのかも。日本人の女性の平均年齢は、87.74歳。だとすれば、あと3~4年。まあ、一日一日を、大事に生きるってことかも。