いつのことだったか、まだ現役時代の話。だれかが、ひとりのタイの留学生(女性)を連れてきた。下宿がみつからず、困っているので、なんとか探してやって、と。たまたま海外出張で、一か月ほど留守にするので、とりあえず、自分の部屋に住んでいて、と彼女を自宅に連れ帰った。
タイでは、チュラロンコン大学出身とかで、タイで一番古い、伝統のある大学で、日本ならば、さしずめ東京大学ってところか。来日したばかりの彼女、当然ながら、日本語は、ほとんどダメで、それでも、ま、なんとかなるだろう、と両親に預けて、出かけた。
一か月ぶりで帰宅したら、パチャリさん(彼女の名前)はまだ我が家に居候していた。ところが、である、びっくり、本当にびっくりだった。日本語がかなりうまくなっていたのだ。ヒアリングも、会話もなかなかで、母親とは、普通にコミュニケイトしているではないか。
「おはようございます」、「いただきます」、「行ってきます」、「今日は、早く帰ります、夕食、いただきます」、なんともいえない、いい日本語なのだ。おかげで、家中が、いい日本語で話さねばならない状況になっていた。寝る前には「おやすみなさい」、なんて、めったに言ったことのない挨拶まで、していた。我が母親の特訓に、すっかりはめられた。
パチャリさんは、我が家に居候した期間、母親のアドバイスで奨学金を近くの郵便局に預けさせられ、夏休みには、北海道や広島などへの旅行を楽しんだ。たしか、上智大学で学んでいた。その後、貯めたお金を持って、アメリカに留学。
しばらく経って、再会。都内のホテルで開かれた国際会議に出席していた際に、タイの代表の席に、パチャリさんが座っているではないか。出席名簿を見ると、たしかにパチャリさんだった、チュラロンコン大学の教授とあった。休憩時間に再会。彼女もびっくりしたようだったが、わたしもびっくり。彼女の第一声「お母さん、お元気ですか」、だった。母は亡くなったというと、「お父さんは?」、と。きれいな日本語だった。父は、元気ですよ、と言うと、よかったです、と。奇遇というか、すばらしい再会だった。
その後、バンコックを訪れた際に、パチャリさん一家との再々会も実現。こんなことってあるんですね。
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