2021年6月14日月曜日

ほんとうにあった話 -その4

外国の政治家の葬儀に、なぜか3回も参列したことがある。

スウエーデン首相オロフ・パルメは、現役の首相だった。ストックホルム市内で、暗殺された。1986年。現役だったこともあり、120か国からの参列者があった。会場は、ノーベル賞の授賞式で知られているストックホルムの市公会堂で行われ、遺体は、フレドリック教会に運ばれた。沿道では、松明を持った多くの人々が見送った。その光景が、ともかく印象的だった。

この葬儀には、日本国政府を代表して、福田赳夫元首相が、スウエーデン社民党の友党である民社党の佐々木良作委員長が列席していた。両人共、同じホテルに宿泊していた。

この頃も、朝の習慣だったジョギングから、ホテルに戻ってくると、日本大使の奥方が、館員の女性とロビーにいた。そこへ、福田さんの息子さん康夫氏がこられて、なにやら風呂敷つつみを、大使夫人から受け取って「ごくろうさま」、と挨拶。次の朝も、次の朝も、同じ光景に出くわし、大使夫人に尋ねると、「日本からお持ちになった、おそばを茹でて、お届けしている」とのことだった。その息子さん福田康夫氏も、首相になられた。

ウイリーブラントは、戦争中は、ロンドンに亡命していたが、帰国して、ベルリン市長になり、西ドイツ首相となった。長いこと、社会主義インターナショナルの議長もされ、国際的にも知られた政治家。社会主義インターナショナルの会議で、ヨーロッパや、アフリカなどでも会う機会が多かった。ブラントさんも、朝が早く、ひとりで散歩をしているのに、よく会った。朝食も、なんどかご一緒させていただいた。

そのブラントさんが、亡くなったのは、1992年。葬儀は、ベルリンで行われた。たしかシテイホールだったとおもう。日本政府代表は、海部俊樹氏だった。参列者のためのパーティーがあり、海部さんは、あまり知らていないので、紹介してあげて下さい、とお付きの日本大使館員にいわれて、主にヨーロッパの政治家たちに紹介したのを覚えている。あの時は、たしか韓国の金大中氏未亡人も、来ておられ、ソウルの自宅で、いちど会っただけなのに、覚えていて下さり、挨拶に来られた。アジア人の列席者は、少ない葬儀だった。

1983年、廖承志さんの葬儀に出るために、北京へ。廖承志氏は、日中友好の中国側の要人だったということもあり、日本からの参列者は、多かった。葬儀の会場は、どこだったか覚えていない。ただ、ご遺体に最後のお別れをする儀式の待ち時間が、やたら長かった。2時間くらい待ったか、その間、やることもなく、日本からの参列者のみなさんと、なんとなく雑談。杉村春子さんは、名前は聞いたことがあったが、本人に会ったのは、初めてで、15分ほど歓談したが、どこにもいそうな、やさしいおばさんっていうのが、印象だった。もひとり、有吉佐和子さん。白の喪服(和服)姿の彼女は、「いつまで待てばいいのよ」、とひとりごとのように繰り返し、いらいら、しているようだった。いざ、番がきて、行列をつくると、なんと私の前、そのがたいの大きさに驚いた。彼女の真っ白な和服に、黒い帯、わが身の貧弱さを痛感。振り返って、「いつ帰るの」、ときくので、明日帰ります、と答えると、「万里の長城へは、行った方がいいわよ」、となぜかすすめて下さった。それまでに行ったことは、なんどかあったが、ただ、「そうですか」、と返事をした。












 

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