2021年6月10日木曜日

ほんとうに会った話ーその2

 ひょんなことから知り合いになった浪岡(青森県)のUさんが、「あんたに合わせたい人がいるんだが」、と車で連れて行ってくれたのが、嶽温泉。岩木山の麓の温泉で、ちょうど近くの神社の祭り中だった。それが三浦恵三さん。三浦雄一郎、冒険家、プロス2キーヤー、80歳でヒマラヤを滑り降りた、あの有名な雄一郎さんのお父さんだ。

食事をしながら、2時間近く歓談。ご本人も、101歳で、ヨーロッパのモンブランをスキーでの大滑降。山の話、スキーの話などが話題だったような記憶。体格はあまり大きくなく、ごく普通の村人って印象だった。その頃は、息子の雄一郎さんのことなどあまり知らなかったが、いまや「高齢者の星」ていう感じだ。

岩波新書の『発想法ーKJ法』の読者だったこともあり、著者の川喜多先生は、あこがれの人だった。『チベット鳥葬の国』とかヒマラヤ関連の本を多く書いておれれ、ネパール協会の会長もされていた。たまたまダライラマの来日の歓迎会があり、それに出席。そこでお会いしたのが、ほんものに川喜多先生だった。山岳会に所属し、登山に現(うつつ)を抜かせていた頃で、ヒマラヤは憧れだった。お会いした先生は、話す声も小さく、これがほんものかと思えるほど静かなお人柄のようだった。結局、何を話したか、まったく覚えていない。

UNDP(国連開発機構)の副所長としてスーダンに赴任していた当時、「カルツーム便り」というタイトルの手紙を、ときどき日本に送っていた。送り先は、秋山ちえ子さん。ご本人が民間ラジオ局で、番組を持っておられ、そのネタにして貰っていた。ときどき、「アフリカのスーダンでは、」なんて話が登場していた。その「便り」を、帰国して一冊の本にまとめたのが、『カルツーム便りー体験した南北問題』(サイマル出版会)だ。秋山さんとは、UNDPへ行く前に勤務していたJICAの広報誌の対談に出ていただいたのがきっかけで、親しくさせていただいていた。ニューヨークへ行く前には、赤坂の料亭で、送別会をしてくれた。「カルツーム便り」は、その時に出たアイディアだ。

本が出版され、印税入るなんて話が、出版社からあった。印税なんてたいした額ではないんだろ、というと、「団体とか、施設とかに寄付っていう方法もありますよ」、と教えてくれる人がいた。で、考えたのが、婦選会館。存命中、母親が、ずっと会員だったあそこにしよう、と電話をしたら、すぐに返事がきて、代表の縫田ようこがお会いします、という返事。そんなに偉い人でなくてもいいのに、と思いつつ、都内のホテルのロビーで面会。話が終わらず、ホテル内のレストランへ移動、昼食をご馳走になってしまった。

万年筆が縁で、お会いすると話がはずむ、日本社会党委員長の土井たか子さん。土井さんとは、日本国内では、お会いしたことはないけれど、国際会議出席の外国では、なんども会う機会があった。同じホテルに泊まっているので、朝食をご一緒したこともある。彼女の愛用は、ドイツ製(?)のラミーで、いつも2~3本、ハンドバッグに入れていた。個人的な感想をいうと、ラミーの書き心地は、それほど、ではない(万年筆収集家の意見)。







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