2021年6月9日水曜日

ほんとうに会った人たちーその1

ヨーロッパで、訪れた回数がいちばん多かったのは、ウイーンだ。ウイーンは、昔から国際会議都市として知られており、勿論、芸術の都でもある。

そのウイーンの副市長(3人制)になったのが、ピーター・シーダー。彼とは、20代からの付き合いで、ウイーンへ行く度に会った。ある夜、いつものようにレストランで宴会をして、フォルクスワーゲンの小さな乗用車に何人乗れるかの掛けをした。5人か6人でいっぱいになり、そのまま市内に。と、だれかが、ここ、ここ、という所で車から降りた。大きな噴水のある所。と、ひとりが、持参の洗剤を噴水にかけた。噴水は、みるみるうちに泡だらけ。ピーターがなにやら書いた紙を、噴水のある石に貼り付けた。

「歴史も たまには 洗いましょう」、と書いてあった。

この噴水、ウイーンの中心街のシュタットオッパ(国立オペラ劇場)近くにあり、今でもなつかしく、眺めに行くのが習慣に。

そのピーターが、ウイーンの副市長になったというから、可笑しいかぎり。副市長時代、彼に「副市長って、なにをしているの」、と訊くと、「高級コートに身をつつんだ上流社会のご婦人に、あなたの大事なわんちゃんに、どうか公道でうんちをさせないで」というのが仕事、とにこにこ顔で答えていたピーター、数年前に亡くなった。ビールの飲みすぎ、というのが、友人たちの話。

新宿の高野といえば、有名なフルーツパーラの店。高校時代の学生服なんかも、たしか、高野制だった。この高野のご主人が、インドの独立を支援していたことは、関連本もあるので、あとで知らったのだが。といっても、行ったことはなかったが。ところが、ある時、インド人の友人が来日。どこか行きたいところは、ないかと尋ねると、新宿のタカノと。そっかあそこは、たしかカレーライス、日本でいちばん始めにメニューにした店。高野へ行き、カレーを食べたら、手帳をみながら、「杉並の蓮光寺」へ行きたいという。彼の持っていた住所を頼りに、連光寺をさがした。蚕糸試験場近くに、その寺はあった。彼、ブラディープ・ボースのおじいさんが、この寺に安置されていたのだ。おじいさんの名前は、チャンドラー・ボース、銅像もあった。

あわてて、調べたら、高野のご主人がインド独立運動家のチャンドラー・ボースを物資両面で援助していたことが、わかった。その後、インドで、ボースの妹さんに会う機会があったが、サリーの似合う美人だったのを、覚えている。

アメリカ留学時代、ライシャワーさんが、駐日大使を終えて、ハーバード大学に戻ってきた頃。現地の美術館で働く女性と、ふたりが、ライシャワーさんのお宅に招待された。たしか、アパートのなん階かで、エレベーターに乗った。停まったところが、玄関で、夫人が出迎えてくれた。お手伝いさんはいないようだった。

応接間で、日本の干菓子とお茶をいただいた。美術館の行事などが話題の会話で、どうもついていけないので、「あのう先生の蔵書など、みせて貰ってもいいですか」、と許可をいただき、隣りの部屋の書斎へ。ほとんど日本語の本で、佐久間象山関連の本が20冊ほどあり、当時、佐久間象山なんて人物は知らないひと、あわてて、大学の図書館で調べた。英語の本にも出ている人物だった。ライシャワー夫人が、昔の富豪松方家出の方というのも、後でわかった。

その後、来日したライシャワーさんを歓迎するパーティーがあり、お会いした。その際に撮った写真を、サイン入りで贈ってくれた。

そのライシャワー教授とは、朝、大学構内で、本を入れた風呂敷包みを小脇にかかえて歩く姿を、よくお見掛けをした。















 

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