2022年10月30日日曜日

楽隠居 この一週間

山の手線 一周しても 210円 

10月16日(日)朝4時、曇り空、といっても、この時間、東の空は、まだ暗い。早朝でも、車は走っている。たまに、バイク、自転車にも合う。夏の間は、運河の遊歩道を歩いていたのだが、街灯がなく、真っ暗なので、コースを変えた。午前中は、町内の周辺掃除の日だったので、それをすませてのお出かけです。空いている道路、交通手段でいつものように西新井駅経由で、王子駅へ。ここまでは、シルバーパス可能。王子駅で、京浜線に乗る。田端駅で、山の手線の外回りに乗りかえる。約1時間かけて一周。上野駅下車、といっても改札は出ない。駅構内の本屋へ。見るだけ、見るだけ、のつもりが、買って、「しまった」、2冊。常磐線で北千住経由で、綾瀬駅まで、で、改札口へ。210円、でした。

雨だけど 傘をさしての ちょい乗りへ

10月17日(月) 予報では、降る、といっていたが、いつもの4時、降っていなかったので、いつものように、歩く。6時半頃、体操をしていたら、降ってきた。8時、電話。こんな朝早くだれからと、おもいながら受話器をとる。シンガポールからだった。夜は、早寝なので、朝の電話。「11月の16日から、東京へ行くので」、とのこと。コロナで、3年ほど、来ることが出来なかったのだ。六本木のマンションで、とのことだった。そういえば六本木、この3年、行ったことがなかった。なんたって、人流の危険地帯だもんね、用もないし。午後は雨だったが、傘をさしてのお出かけ。昨日と同じルートで、王子駅から上野駅へ。ここで本屋の見学。見学だけだったが、常磐線に乗ってから、気になる「本」が、気になり、北千住駅下車。駅ビルの本屋へ。『人新世の資本論』の著者斎藤幸平氏の対談本、でも北千住では見つからなかった。上野駅の本屋にはあったのに。

国会の 論戦見飽きた 銭湯へ

10月18日(火)  小雨に濡れながらのウオーキング。寒い朝。一日中、降ったり、止んだりだった。午前中は、参議院予算委員会の実況テレビに、かじりつくように見入ってしまった。12時、なんか、くたびれた、なんとなく、むなしい。そうだ、こんなことで、貴重な時間を無駄にするなんて、と思いなおして、出かけた。綾瀬駅から町屋駅経由で、都電に乗って三ノ輪へ。ここの商店街のど真ん中にある銭湯「大勝湯」へ。だいたい、週二回ほど、通っている。大正時代に開店の、この銭湯、天井が高く、脱衣所も、風呂場も、広ーく浴槽は、6個もある。もひとつ、気にいってるのは、「水風呂」の存在。番台の女将さんとは、相性がいい。もう、10年以上、通っている。4時に帰宅したら、予算委員会、まだやっていた。

客ひとり 見えた電車に 乗り換えた

10月19日(水) 今朝も、暗い、曇り空。冷たくなったので、手袋の出番。なにしろ両手に、ストックを持つので、手が寒い。国鉄150年関連の本に目を通していたら、「そうだ、乗りに行こう」、と。9時15分のバスに乗る、行く先は、西新井駅、なにしろ、シルバーパス可能なので。もう一回、西新井から、王子駅まで、都バス。王子から赤羽駅へ出て、宇都宮線に乗る。10両編成、先頭、後方の車両がボックスシート、もちろんボックスシートに。客は、3名。利根川を渡る頃、晴れてきた。右に筑波山、左前方に日光の山々が見える。小山駅で下車。新幹線も止まる駅。駅前大学が、白鷗大学。新幹線で通学している学生さんたちもいる。水戸線に乗る。6両編成で、中の2両以外、前後各2両がボックスシートだ。客は、数名ほど。まあ昼の時間帯なので、客は少ないのは、仕方ない。鬼怒川を渡り、下館駅へ、ここで、対向車待ちをしていたら、向こう側のホームに一両編成の電車が止まっている。見ると、乗客はひとり。そっか、あれに乗ろう、と階段を上がり、降りる。階段の下で、係の人らしい男性が、「急がなくて、いいですよ」、と手を振る。こうして、気が変わり、水戸線で友部駅へ行かずに、関東鉄道真岡線に乗り換えた。発車時、乗客4名、地方の赤字私鉄路線です。なんどめかな、この路線。でも、すずなりの柿、稲刈りを終えた田んぼ、紅葉はまだだけれども、充分に「秋」を感じられる乗り鉄だった。ワンマンの運転手さんの鼻マスがおかしかった。筑波山も見えた。乗客の乗り降りは、残念ながら、ほとんどなく、ガラ空きのまま守谷へ。80分も乗ったので、ここで、つくばエクスプレスに乗り替えた。真岡線、ここまでで1310円。守谷駅から八潮駅へ。20分くらいだった。つくばエクスプレス・TXは、スピードも速いけれど、運賃も安くない。

時刻表 発売20日 なぜないの

10月20日(木)  今日は、快晴、4時でも、東の空は、うっすら明るい。この天気、旅どころではない、洗濯だ、ふとんも干そう。そうだ、衣替えもしよう、というわけで、家事労働。朝がはやかったので、午後1時には、全て終了。ちょこっと、おでかけ。綾瀬駅前のヨーカ堂4階にできたばかりの大型本屋。毎月20日、JR,交通公社それぞれが、時刻表(本)を発売する。どちらかといえば、JR派だが、たまには、交通公社モノも買う。ところが、まだ入荷していない、とのこと。本屋のスタッフ「そうなんですか、JRの時刻表、毎月20日ですか」、だって。それくらい、覚えておけよ。

朝の4時 下弦の月が 西の空

10月21日(金)寒い。早朝ウオーキング、家を出て、西に向かって歩き、ターンして東に向かう、というのがパターン。家を出て、すぐに西の空に、下弦の月。本日も晴れ。だから寒いのだろう。朝食は、夕べのに残りのシチューをあたためて食べた。今週は、うどん、そば食が多かった。午後、三ノ輪の銭湯へ。なにしろ、都電に乗れるのがいい。都電が好きなんです。それに、シルバーパスが使えるのもいい。風呂上りに、商店街の八百屋で、栗を買ってきた。昔は、旅の途中で、特に東北、奥の細道を歩いた時は、栗をずいぶん拾ったもんだ。

旅友の 宅急便は 丹波豆

10月22日(日)  いつもほど寒くない。帽子も毛糸モノ、手袋、それに、真冬用のダウン上着、にしたので、寒さ、感じなくなったのかも。曇り空。月は、もうない。牛乳配達のおじさんから、なぜか、「早いね、頑張ってるね」、と声かけがあった。はじめて、だ。「あんたも、がんばってるね、」、とお互いにエール交換。朝の4時すぎ、歩いている人なんか、めったにいない。9時すぎ、宅急便。丹波篠山の黒豆の枝豆が2箱も届いた。コロナ期に入ってからは、いったんお休みしていたが、もう、何年くらいになるかな、毎年送られてくる。送り主は、神戸在住の旅友。さっそく、ご近所さんにおすそ分け。茹でて食べました。うまい。感謝。丹波篠山は、西国巡礼に行った際に、訪れたことがある。午後は、綾瀬から金町へ。ここから、バスで新小岩へ。だだ乗るだけで、綾瀬駅に戻る。夜は、湯豆腐、納豆、めざしで、ご飯は、仙台からの宅急便の新米。



2022年10月20日木曜日

武蔵野線 その先乗ったら デイズニーランド

いつものように、なんとなくバスに乗り、王子駅へ。ここから田端駅へ出て、山手線でも一周するか。と、すぐに来たのが南浦和行きの京浜東北。乗った。南浦和駅で下車。昼すぎの武蔵野線は、学生はいるが、一般乗客は、それほど乗っていない。途中のレイクタウン駅で、乗客の入れ替えはあったものの、まあ、ガラすき状態。武蔵野線は、府中本町から西船橋駅の71キロ、西船橋までは、なんどか乗ったことがあるけれど、この電車、行く先、つまりか。終点が、なんと「東京駅」となっており、それじゃあ東京駅まで行ってみようか。

西船橋駅から、千葉県の市川塩浜駅を通り、ここからが、京葉線になる。実は、この路線は、はじめての乗車。地下鉄日比谷線の八丁堀で、京葉線乗り換え、のアナウンスは、ちょくちょく耳にしてはいたが、実際、どこを走っているのか、知らなかった。

西浦安を通り、舞浜駅へ。と、ここで、あのデイズ二ーランドのみやげ袋をかかえた子どもたちが、ドーンと乗ってきた。外を見ると、デイズ二ーランド、お城や、いくつもの施設が眼下に広がっている。広い駐車場も見えるが、多くの人たちは、電車で来るのだ。

デイズ二ーで、遊び疲れたのか、子どもも、親たちも、すぐに眠っている。お金、かかるんだろうな。行ったことないので、どんな様子なのか、わからないけれど、ご近所のデイズ二ー好きのお母さんは、「とにかく、お金がかかるんだよね、デイズ二ーは、なんでも高い」、と言っている。でも、アメリカのデイズ二ランドは、2回行ったので、内部の様子はなんとなくわかる。

この後、京葉線は、都の湾岸施設を見ながら走る。ずいぶん、高層ビルが建ったものだ。ここに、多くの人口が住んでおり、朝晩、住人たちが京葉線に乗って通勤しているのだ。間もなく地下に入る。八丁堀をすぎ、東京駅へ。終点。デイズ二ーランド袋を持った人たち、結構、満員だったようだ。東京駅の地下。ここから、始まったのが「動く通路」。空港などにある平らな動く通路。たしか、新宿駅にもあった。列に並ぶのがいやな人たちは、通路の横を歩く。この動く通路、3回、乗り換えた。ようやく改札が見えた。

丸ビルサイドに出て、丸善で立ち読みをして、西新井行きのバスに乗り、途中で、都電に乗り換えて、帰宅。5時、ちょっと前だった。

2022年10月9日日曜日

紅葉は まだか どこかと 路線バス

朝から雨。今日は10月6日。予報では、一日中、雨模様とのこと。明日も、明後日も、同じような天気とか。ぐーんと、寒くなるとも。

「それなら、今日、行くべき」、と決めたのは、朝、4時半。勿論、傘持参での、ちょい旅です。

家の前を、一日6本しか走っていないコミュニティバスで、西新井駅まで。池袋行き都バスに乗りかえて、王子駅へ。もちろん、シルバーパスOK。王子駅から京浜東北線で赤羽へ。ここで、高崎線に乗りかえる。階段 を降りて、お隣ホームへ。と、発車のベルが鳴っていて、滑り込みセーフ。10時40分の籠原行き。いちばん前車両の、ボックスシート席。がら空きでした。理想的な乗り鉄のはじまり。グリーン車もついており、しかし、高崎まで行かない列車なので、空いている、ボックスシート車両も、客は少ない。にんまり、です。

荒川の鉄橋を渡る。下流の岩淵水門あたりが、雨でけぶっている。いいね、いいね、雨の車窓も、なかなかです。車内の各地の交通状況のお知らせにでは、あっちの路線、こっちの路線で、事故、確認などでの見合わせとか、遅延が多いようです。この電車、通常通りに走っています、おもわず、よろしい、ありがとう。

新都心駅では、ホームで待っていた人、2名。降りた人、なし。これでは、JR、経営は大変なはずです。大宮駅では、ドアが開くと、とーんと外気が入ってくる。寒い。この感覚、久しぶり。

4人掛けボックスシート、その後も、客なしで、ひとり独占のまま、11時36分、熊谷駅着。ここで下車。まっすぐ駅前のバス停へ。待つ人ゼロ。「小川」行きをチェック。なんと1時間半後の13時発。待つか、あきらめるか、一瞬考える。小川行きバスは、山間部を走るので、紅葉を楽しめるはずの路線バス。せっかく来たのだから、やっぱり乗ろう。

駅構内に戻り、「うどん屋」へ。熊谷名物のうどん、埼玉県は、うどん県で、県内、どこでもうどんがうまい。ここは、良く知られている店で、なんどか来たことがある。秩父鉄道での乗り鉄の時でも、うどんのためにここで下車する。かけうどん、550円。この後は、お隣に新設された大型本屋で時間をつぶす。椅子が3個あり、そこで、読書。買わない、買わないを繰り返しながら、立ち読みでない、座り読み。といっても、やっぱり買ってしまった、1冊。中央公論10月号ー「ポスト資本主義、斎藤幸平x佐藤優」が読んでみたくなり、買ってしまった。

13時、きっちりのバスに乗った。乗客3名。バスは、熊谷市内の国道を、しばらくはしる。熊谷名物の五家寶店、以前は、何軒かあったのが、今は、一軒のみ。老舗デパートの八木橋も近くにできたイオンモールに押され気味とか。

バスは、荒川を渡る。まっすぐは、松山方面、小川行きは、右折。あとは、畑と林の中を行く。紅葉、ぜんぜんだめ。まだまだの状況です。早すぎた。乗客2名は、いつの間にか下車していて、ひとり客になっていた。14時、終点の小川駅着。スイカでOK。690円だった。このバスは、すぐに熊谷駅に戻る。どうしようか、一瞬思った。雨も降っており、やっぱり、やめとこう。到着した電車からの客数名が、迎えの車を待っていた。不便なところなんです。駅前の「おからドーナツ」店で、ドーナツを2個買って、食べながら14時22分の池袋快速に乗る。東武東上線、途中の大学のある駅で、若者たちがどーんと乗ってきた。この頃の学生たちって、あまりお喋りをしない。ほぼ全員、スマホとお話し中です。だからとても静か。電車の走る音が、なんとも心地よく、紅葉、だめだったけれど、ま、しかたない。出直しします。

2022年10月3日月曜日

国葬に 参列した

といっても、最近行われた日本の元総理のことではありません。

この9月25日は、日中国交正常化が実現した日。田中角栄首相が、北京で日中共同声明に調印した日、1972年(昭和47年)のことだった。

その日中関係史に、中国側の実質的に活躍されたのが、廖承志、中日友好協会会長だ。その廖承志さんの葬儀に参列した。1983、ずいぶん昔のことだ。実は、当時、参列はしたもの廖承志さんのことは、あまり理解していなかった。で、調べてみた。

日本が、戦前、戦中、中国で何をしたのか、学校では、それほど学ばなかったが、それなりに知っていた。だから、中国の人たちが、日本を恨んでいたことも。

そんな中国との関係をなんとかしようと、日本の財界人、文化人が、積極的に活動をしていた。まだ、国交が樹立する前のこと。多くの日本の財界人が、訪中し、中国のための協力を行っていた。文化人たちも、さまざまな交流のため中国各地を訪れていた。その中日交流の中国側の窓口が廖承志さんだった。

その間、中国では、全国的な食糧危機や文化大革命などの国難があり、日本でも、反共の岸信介 内閣が誕生、対中関係は、悪化。そうした状況の中、突然のアメリカによる、ピンポン外交で、アメリカが中国を承認。で、田中首相の北京訪問となり、日中共同声明に至ったという次第。

このような歴史の流れの中で、重要な役割を果たされたのが、廖承志氏。北京での葬儀に、なんで、杉村春子さんや、有吉佐和子さんが参列されていたことが、今になって、よくわかった、という次第です。40余年経って、今になって理解した、時間がかかったもんです。

日本でも、最近、偉かった人の国葬が行われ、海外からも要人が多く参列されたということで、そういえば、自分も、現役時代、職務で、海外での葬儀に参列したことがあったっけ、と思い出した。

1983年6月、北京での、廖承志氏、中日友好協会会長、の葬儀

1986年3月、ストックホルムでの、オロフ・パルメ氏、スウェーデンの現役首相で、テロによる暗殺。日本からは、福田赳夫元首相が参列された。福田康夫さん(元首相)がご一緒だった。

1992年2月、社会主義インターナショナル議長の、ウイリー・ブラント氏の葬儀、ベルリンの市長でもあったブラントさんの葬儀は、ベルリンで行われた。日本政府を代表して、海部俊樹元首相が参列されていた。

偉い人が亡くなり、海外からの参列者の多い葬儀会場周辺で、「葬儀反対!」のデモは、経験したことがない。

なお、対中関係だが、今の中国とは、はかばかしくない。経済でも、日本は抜かれ、軍事的にも、核保有国となり、中国は、今や世界の大国。なんとなく、友好というよりも、憂慮を感じる、日本国民です。    

2022年9月24日土曜日

久しぶり 新幹線で ちょい旅へ

 9月21日朝、いつものように起床、4時。昨日、あんなに降っていた雨、今朝はやんでいた。台風は、おきまりコースで東北からぬけて、温帯低気圧に。まだ、暗いので、よくわからないけれど、ま、大丈夫でしょう、行くか。3POも、般若心経の読経、エアロバイク漕ぎもいつもの朝のように、こなす。

5時50分の北千住行きバス、いちばんのバス、これに乗る。ちょっと小雨がおちてきたけれど、ま、行ってみよう。上野行きの常磐線電車、6時20発、それほど混んではいないけれど、もちろん座れない。女性客は、ちらほら、少ない。オトコがほとんどで、それも7~8割が中高年のおじさんたち。みーんな、しっかり眠っている。立ったままで目をつぶっている人も。くたびれているんだね。昼間の乗り物では、ほとんど全乗客がスマホをいじっているのが、車内風景なのに。

上野発6時58分の新幹線あさま601号、長野行きに乗る。東京駅発の新幹線、がら空き状態だったが、大宮駅へついたら、どーんと乗ってきた。通勤客だ。ほぼ満席に。でも熊谷、高崎駅でほとんど下車。列車が、高崎を出て左へ曲がる頃、車内は5名。外は、降ってはいないけれど、曇り空。浅間山は、見えない。8時7分、軽井沢駅に停車。1名、下車、乗る客なし。

8時26分、上田駅着。ここで下車。ホームを出て、端っこにある上田鉄道改札へ。人気(ひとけ)なく、「スイカは使えません」の張り紙。ホームを見ると列車は、スタンバイしており、窓口で、「すいません」、と大声をだすと、中から男性が出てきた。帽子に線が入っている。駅長さんだ。往復切符を下さい、というと、すぐ出してくれた、1100円。

8時41分発、別所温泉行。本日の目的の上田鉄道別所温泉行の電車に乗車。えっまだ9時前なんだ。2両編成、でワンマンだけれども、なぜか、さっきの駅長さんが乗っていて、車内切符係をしている。通勤らしい客が、11名。途中駅で、みなさん下車。始発の上田駅から終点の別所温泉駅までは、30分。これに乗るために、はるばるやって来たのです。

実は、この路線、北国海道の歩き旅の時、高齢者グループを引率しての旅、単独ついで旅、そして今回で4回め。車窓からは、周辺の低い山々が見え、線路すれすれに、すすき、コスモス、朝顔が風に揺れている。電車の、のろのろスピードがちょうどいい。

線路は、ほぼまっすぐ。人家の間を走る。この路線、結構古い。大正10年(1921年)に開通というから、歴史を感じる。今は、途中の駅、全て無人駅だが、木造の駅舎は、歴史を感じる。別所線をアテに建てられた大学や、メディア情報センターなどが沿線にある。

終点別所温泉に着いた時、乗客は1名だった。だーれもいない駅。ここも無人駅で、乗ってきた駅長さんが、終点駅構内の点検をしていた。

まだ9時すぎ、次の列車は、1時間後なので、せっかくきたんだから、と坂道を15分ほど登る。そこにあるのが『北向き観音』さん。北の長野の善光寺さんの方向を向いて立っている、ということで、知られている。薄暗い建物の中の観音さんに手を合わせる。あの時は、ここから北国海道を善光寺まで歩いて行ったっけ。

北向き観音は、都内にもある。三ノ輪の明治通り交差点近く、昭和通りを西に入ってところ荒川図書館脇にあり、行ったことがある。

10時40分、上田駅に戻る。戻り列車には、学生さん、ご近所の高齢者など20名ほどの乗客、結構、利用する人たちがいるんだ。

まだ、早い。まっすぐ上野に戻るには、早すぎ。ということで、行ってみるか、長野へ、ということに。上田は、晴れていたのに、10分ほど乗った長野は、曇り空だった。せっかくなので、長野といえば、善光寺。駅から外へ出たら、バスが待っていた。善光寺さん行き。山門近くで下車。参拝者は、ちらほら。山門入って右側、いくつか宿坊があるが、ここに泊まったことを思い出した。お参りをして、山門に戻った頃、急に雨がおちてきた。バスがきた、すぐに乗った。駅からまっすぐの善光寺さん参道、両側の店、かなり閉まっている。インバウンドの影響がここでもおきている、そんな感じ。駅に着く。濡れずにすんだ。駅構内の立ち食いで、新そばのかけ310円を食べ、金沢ではなく、長野発の新幹線各駅列車に乗り、14時22分、上野駅着。

久々の新幹線、長野電鉄別所線、どっちもよかった。おまけの善光寺さんも。


2022年9月22日木曜日

紙製だった ランドセルの話

 戦争のリアル「紙のランドセル」、という見出し。(朝日新聞9月20日)

『こんな学歴 あんな職歴 そして今、隠居』の中で、私は、こんな思い出話を書いた。

    ー疎開先で終戦を迎えた私。小学校は、二学期から始まった。東京のだれかから送って貰った赤いランドセルで学校へ。ところが、当時、モノ不足の折、ランドセルなんかもっている子はおらず、クラスメートのあこがれの的になっており、それが我慢できなかった。学校帰りに会ったどこかの「犬」にランドセルを背負わせた。びっくりした犬は、ランドセルを背負ったまま、桑畑の中を走りまわった。新品とはいえ、素材もよくなかたのか、赤いランドセルは、原型をどどめないほど、ぼろぼろ状態になってしまった。翌日から、しばらくの間、教科書、ノート、筆箱を風呂敷に包んでの通学となった。

というのが私の体験だが、これと同じ体験の話が新聞に載っていたのだ。

「戦争が進むにつれて、革製品の使用が制限されて、紙や竹に置き換わったのだという。(略)母親が隣町まで自転車をこぎ、やっとのおもいで買ってきてくれた厚紙製のランドセル。赤い花の模様は、雨で色落ちして、溶けてしまった」(2008年投稿欄より)。

そうだったのか。あの赤いランドセル、紙製だったのだ。犬が背負ったまま、畑の中を走りまわっているうちに、ぼろぼろになってしまったわけが、よーくわかった。紙製のランドセルが、実際に出回っていたという思い出を共有している人がいた。

「紙」といえば、当時、米軍キャンプ内で、クリーニング店をしていた父が、時々持ち帰ってきたのが、英語の雑誌。英語の理解は、全く出来なかったが、あのすべすべのアート紙の感覚が、珍しかった、まぶしかったのを覚えている。あの時の手触りの感覚、今でも覚えている。当時の教科書の紙といえば、黒っぽくて、ガサガサの、今おもえば、ひどいもんだった。あれ以来、今日に至るまで、「紙」に対する思い入れが、特別のものとなっている。「紙」、大好き人間です。「本」の収集も、その一環かも知れない。海外でも、行った先の街で、必ず立ち寄るところ、本屋と文房具店。ノートはじめ、紙製品が気になる。買ってしまう。ほとんど、びょーき、って感じ。

               

2022年9月2日金曜日

ぬれ煎を 買いまくって乗る 銚子電鉄

今朝のニュースで、ゴルバチョフさんの死亡が伝えられた。91際だった。

モスクワのクレムリンで、ゴルバチョフさんに会ったのは、1985年。それ以前に会ったブレジネフ書記長と比べると、この人、やり手だな、違う人種だというのが、直観。ブレジネフ書記長とは、1982年に、同じクレムリンで2時間ほどの会談だった。冒頭の30分間、事前にタイプされた原稿を抑揚なく読み上げる、というブレジネフ。一方通行の会談で、おきまりの内容だった。

ブレジネフ亡き後に登場のゴルバチョフ、どんな人だろうと同行者たちと話し会っていた。会談の部屋で、待っていたら、ニコニコしながら入ってきたゴルバチョフさん、10人ほどの来客者たちと、ひとりひとり握手。会談の前に、こちら側出席者の紹介があり、軍縮代表団の団長だったソルサフィンランド首相が、「フィンランドのクロススキー大会を完走し、人々からシス(ガッツ)と呼ばれている日本のタグチさん」、と紹介。と、ゴルバチョフさんは、「わが国にも、冬のスキーが出来るところがたくさんありますよ。そう、日本からならばウラジオストック、ぜひいらっして下さい。歓迎します」、と。

そのゴルバチョフ、ペーパーなしで、自ら主張する「グラチノチス」(情報公開)や、「ペレストロイカ」( 政治改革)について言及。東西冷戦の終結、核兵器削減の提案なども主張されていた。書記長になって、初めての外国からの代表団だったのが、われわれだったということを、後で知った。

そんなことを思い出しながら、本日の乗り旅へ。8月最後の日、8時すぎのバスで、綾瀬駅へ。ここで新小岩駅行きの路線バスに。片道25分なので、JRで秋葉原経由よりも早い。バスも、道路も、空いていた。曇り空。新小岩駅から千葉へ。ほとんど待たずに快速に乗れた。市川、船橋、津田沼、稲毛に停車。グリーン車つき。9時50分、千葉駅着。

同じホームから銚子行きのドン行が、10時17分発。4両で、前後がボックスシート車両だ。うれしい。勿論、ボックスシート車に。乗客は、申し訳ないほどで、6人。ガラガラです。なのに、冷房がガンガン利いていて、寒い。佐倉駅で、ゴロ曳トランクの客が下車。ここから成田空港へ行ける。

八街を過ぎた頃から、急に空が明るくなった。車窓には、茶畑が続く。落花生だけでなく、お茶も出来るということがわかった。あれっ 柿が色づいている、黄色くなっている。はずです、明日は、9月1日。田んぼでは、稲刈りのまっ最中。ぜーんぶ機械化で、働いているのは、1人か2人。各駅停車なので、ひとつづつ停まる。駅は、ほとんど無人駅。それに特急の通過待ちで、10分、15分、と待たされる。先日乗った東金線の乗換駅の成東駅。ここからは、見えないけれど、右側、田んぼの向こう側は、九十九里浜。風力発電の塔が並んで見える。

銚子駅着は、12時17分のはずだったが、10分ほど遅れた。なのに、目指す銚子電鉄の電車が、ホーム先端で待っていてくれた。今着いた、こちらの同じ電車からの客、20名ほどが、走った。

銚子電鉄。この日のお目当ては、銚子電鉄です。実は、昨日の夕刊(朝日)に『ローカル線物語 銚子電鉄』の記事があり、行ってみるか、になったのです。以前、犬吠埼灯台の近くのホテルに泊まった時、朝の散歩のついでに、この銚子電鉄に乗って、銚子駅を往復したことがあった。お目あての「ぬれ煎」は、まだ店が開いてなく、買えなかったけれど。

さて、この日の銚子電鉄、すでに乗っている客もおり、2両編成で、50~60人ほど。早くなく、ガッタン、ゴットン、文字通りの乗り心地。この音が、なんとも言えない。線路の両側は、ほぼやぶ、木や草が、しっかり生い茂っており、たまーに、民家がポツン、ポツン。地元の客といえば、ほんの2~3名が、乗り降りする。あっという間に終点駅。全長6.4キロ、9駅、乗車時間は、15分間。

終点駅で全員下車。改札を出ると、記念品を売る店。客のお目当ての、あのぬれ煎が、どーんと置いてあり、行列が出来る。みんな大量に購入。大きな袋いっぱいの人も。食べても音がしない、しめっぽいせん餅なんて、煎餅とはいわない、というコンセプトなので、勿論、買わない。少し色落ちした絵葉書を買う。15分ほどで、銚子行きの戻りの列車が出る。ほぼ半数ほどの客が乗る。この電車、乗車券は、往復で700円。15分で銚子駅に戻る。

銚子駅に戻ると、ホームには、電車が待っており、成田行きに乗る。四両で、これにもボックスシート車がついていた。ラッキー。客は、2人。右手遠くに鹿島灘の工業地帯、煙突が見える。これも普通列車なので、各駅に停車。乗る人、降りる人、ほとんどなし。最後部に車掌はいるが、ほとんどアナウンスなし。停車する駅ホーム、駅名を書いた看板が古くなっていて、ペンキがはがれ、読み取れないほど。JRも貧乏なんだ、と。田んぼの中を線路は走る。秋ですね、収穫の秋。本日、3つめのトンネル。千葉県は、平らなんですね。

2時すぎ成田駅着。余裕なく、向かい側のホームの我孫子行き電車にとび乗る。我孫子は、成田線の続きなのだ。もうボックスシートはない。空港からきたらしい大きな荷物のインド系の男性2人と、日本人高齢男性1人。途中で下車。30分ほどで我孫子着。

上野行きの常磐線に乗り、松戸で千代田線に乗り換え、綾瀬駅着。改札口で、スイカを通すと、396円、だった。朝、新小岩駅でスイカを通し、その後、どこの駅でも、改札から出なかったので、新小岩~綾瀬間の乗車、となったわけ。銚子鉄道の700円を除き、約6時間乗車のJR料金が、396円、だったということです。なんとなく、得したな。