といっても、最近行われた日本の元総理のことではありません。
この9月25日は、日中国交正常化が実現した日。田中角栄首相が、北京で日中共同声明に調印した日、1972年(昭和47年)のことだった。
その日中関係史に、中国側の実質的に活躍されたのが、廖承志、中日友好協会会長だ。その廖承志さんの葬儀に参列した。1983、ずいぶん昔のことだ。実は、当時、参列はしたもの廖承志さんのことは、あまり理解していなかった。で、調べてみた。
日本が、戦前、戦中、中国で何をしたのか、学校では、それほど学ばなかったが、それなりに知っていた。だから、中国の人たちが、日本を恨んでいたことも。
そんな中国との関係をなんとかしようと、日本の財界人、文化人が、積極的に活動をしていた。まだ、国交が樹立する前のこと。多くの日本の財界人が、訪中し、中国のための協力を行っていた。文化人たちも、さまざまな交流のため中国各地を訪れていた。その中日交流の中国側の窓口が廖承志さんだった。
その間、中国では、全国的な食糧危機や文化大革命などの国難があり、日本でも、反共の岸信介 内閣が誕生、対中関係は、悪化。そうした状況の中、突然のアメリカによる、ピンポン外交で、アメリカが中国を承認。で、田中首相の北京訪問となり、日中共同声明に至ったという次第。
このような歴史の流れの中で、重要な役割を果たされたのが、廖承志氏。北京での葬儀に、なんで、杉村春子さんや、有吉佐和子さんが参列されていたことが、今になって、よくわかった、という次第です。40余年経って、今になって理解した、時間がかかったもんです。
日本でも、最近、偉かった人の国葬が行われ、海外からも要人が多く参列されたということで、そういえば、自分も、現役時代、職務で、海外での葬儀に参列したことがあったっけ、と思い出した。
1983年6月、北京での、廖承志氏、中日友好協会会長、の葬儀
1986年3月、ストックホルムでの、オロフ・パルメ氏、スウェーデンの現役首相で、テロによる暗殺。日本からは、福田赳夫元首相が参列された。福田康夫さん(元首相)がご一緒だった。
1992年2月、社会主義インターナショナル議長の、ウイリー・ブラント氏の葬儀、ベルリンの市長でもあったブラントさんの葬儀は、ベルリンで行われた。日本政府を代表して、海部俊樹元首相が参列されていた。
偉い人が亡くなり、海外からの参列者の多い葬儀会場周辺で、「葬儀反対!」のデモは、経験したことがない。
なお、対中関係だが、今の中国とは、はかばかしくない。経済でも、日本は抜かれ、軍事的にも、核保有国となり、中国は、今や世界の大国。なんとなく、友好というよりも、憂慮を感じる、日本国民です。
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