2022年9月22日木曜日

紙製だった ランドセルの話

 戦争のリアル「紙のランドセル」、という見出し。(朝日新聞9月20日)

『こんな学歴 あんな職歴 そして今、隠居』の中で、私は、こんな思い出話を書いた。

    ー疎開先で終戦を迎えた私。小学校は、二学期から始まった。東京のだれかから送って貰った赤いランドセルで学校へ。ところが、当時、モノ不足の折、ランドセルなんかもっている子はおらず、クラスメートのあこがれの的になっており、それが我慢できなかった。学校帰りに会ったどこかの「犬」にランドセルを背負わせた。びっくりした犬は、ランドセルを背負ったまま、桑畑の中を走りまわった。新品とはいえ、素材もよくなかたのか、赤いランドセルは、原型をどどめないほど、ぼろぼろ状態になってしまった。翌日から、しばらくの間、教科書、ノート、筆箱を風呂敷に包んでの通学となった。

というのが私の体験だが、これと同じ体験の話が新聞に載っていたのだ。

「戦争が進むにつれて、革製品の使用が制限されて、紙や竹に置き換わったのだという。(略)母親が隣町まで自転車をこぎ、やっとのおもいで買ってきてくれた厚紙製のランドセル。赤い花の模様は、雨で色落ちして、溶けてしまった」(2008年投稿欄より)。

そうだったのか。あの赤いランドセル、紙製だったのだ。犬が背負ったまま、畑の中を走りまわっているうちに、ぼろぼろになってしまったわけが、よーくわかった。紙製のランドセルが、実際に出回っていたという思い出を共有している人がいた。

「紙」といえば、当時、米軍キャンプ内で、クリーニング店をしていた父が、時々持ち帰ってきたのが、英語の雑誌。英語の理解は、全く出来なかったが、あのすべすべのアート紙の感覚が、珍しかった、まぶしかったのを覚えている。あの時の手触りの感覚、今でも覚えている。当時の教科書の紙といえば、黒っぽくて、ガサガサの、今おもえば、ひどいもんだった。あれ以来、今日に至るまで、「紙」に対する思い入れが、特別のものとなっている。「紙」、大好き人間です。「本」の収集も、その一環かも知れない。海外でも、行った先の街で、必ず立ち寄るところ、本屋と文房具店。ノートはじめ、紙製品が気になる。買ってしまう。ほとんど、びょーき、って感じ。

               

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