2022年5月12日木曜日

咲く藤の 棚の下で深呼吸

 友人が西新井大師へ行ってきた、というので、地元じゃん、行かねばと行ってみた。普通の日だったのに、結構な人込みだった。牡丹は、すっかり萎れており、しかし、藤が最高、きれいだった。でも、カメラ(スマホ)を持って見上げている人、人。ほんのちょっと、棚の下に。空が見えないほどの藤の花。でも、藤といえば、やっぱり亀戸天神でしょう、なんどか行ったことがあるけれど。でも、いまは、もっと混んでいるんじゃないか。そうそう、駅から歩いて行く途中の豆屋さん、あそこ、まだやっているかな。

天気がよかったので、いつものように、ちょいと電車に乗った。東武スカイ線の新越谷駅で下車、武蔵野線で、北へ。次の駅が東川口、それからが続く。東浦和駅、南浦和駅、武蔵浦和駅、西浦和駅、と浦和が四駅も続くのだ。南浦和駅で京浜線に乗り替え、赤羽駅下車。ここから路線バスで、西新井駅まで行き、さらにバスで北千住駅へ出て、神明町まで。シルバーパスが活躍、だった。

4時すぎに帰宅。テレビをつけたら、ウクライナの現地報道。ハルキフの市民が、旧ソ連時代のモニュメントを破壊している映像。そういえば、モンゴルのウランバートルホテルの前のレーニン像は、どうなったかな。2019年のシベリア鉄道に乗った時、バイカル湖手前のウラン・ウディ市にも、巨大なレーニン像があった。そうそう、始発駅のウラジオストックの駅前の高台の公園、あそこにも海を見下ろすレーニンさんが立っていた。プーチン大統領も、そのうち銅像になるのかな。

新聞を見ていたら、こんな記事。「ラーメン議連、立ち上げ」。4月28日、国会内で、設立総会が開かれ、国会議員60人が出席、したんだそうです。石破茂さんが「ラーメンがさらに普及し、世界に広がって地方創生に」、と挨拶。ご当地ラーメンを振興し、地方創生と世界に発信する、んだそうです。いいですね、このご時世に、なんともノー天気な、私たち国民の代表である国会議員先生たちの昨今です。

生きていると、いろんなことがあります。

2022年5月7日土曜日

代掻きの すんだ田んぼに 春の風

不要不急が続いている。遠出を控え、不必要な移動はだめ、といい聞かせながら、本日もちょい旅。用事、なーんもないけれど、ま、行ってみるか、乗ってみるか、ではだめなんです。なんでもいい、旅には、目的が必要なんです。本日は、田植え前の水をはった田んぼを見ること、これが目的。方向は、東。大都市横断の西方面でなく、人気(ひとけ)の少ない房総半島。

つくばエックスプレス(TX)で、終点のつくば駅まで。なんども乗車の路線。大型連休中、各停は、申し訳ないほどの乗客。途中の景色には、田んぼはない。ビル、マンション、戸建て住宅群、急激に増えた感じ。つくば駅も、人影まばら、構内の店もほとんど閉まっていた。駅前のバスターミナルから、土浦行きに乗る。大丈夫かな、客は、3人だった。そのうち2人は、途中で下車。終点の土浦まで、ひとり占め。途中、残念ながら、田んぼなし。それじゃあと、土浦駅から乗ったのは、水戸行きの常磐線。友部駅、すぐに田んぼがありました。ひとつづつ駅に停まるし、特急列車待ちなどで、とにかく、よく停まる列車。こういうのがいい。列車好きには、たまんない。

車窓からの田んぼには、あちらにも、こちらにも、田植え作業の人たち。といっても、腰をかがめて、苗を一本づつ植えるなんていう姿はない。あれは、今やパフォーマンス。現代の田植えは機械です。だから、広い田んぼには、機械を操る人、ひとりしかいない。それでも、田植えの風景です。連休なのに、休みなし、の人たちがいるんですね。

そういえば、あちこちの千枚田へ 行きました。和歌山県だったか、三重県だったか、有名な千枚田。千枚田ではないけれど、ネパールの段々畑、あれは見事だった。あんな級な斜面にどうやって畑を作ったのか、人間の力を実感しました。

大型連休で、久々に新幹線も混んだらしい。帰省だったり、温泉だったり、レジャーだったり、「久々の、いい旅でした」、「実家で、ゆっくりしてきました」。

なんの目的もなく、用事もなく、それでも汽車に乗って出かける、なんて人はいない。最近は、家を出て、なにかに乗って、移動しながら、どこへ行くか、どこで降りるか、なんていうちょい旅が多い。連休だから行く、なんてことはせず、毎日が旅日和、楽隠居の旅です。

2022年5月5日木曜日

空高く コロナに負けるな 泳ぐ鯉

実は、この一週間、パソコンの回線がストップしていました。原因は、よくわからないけれど、ご近所のテレワークの男性から、「お宅のパソコン、回線、切れてませんか」、と聞かれ、やってみたら、出来ない、切れていたっていうわけです。我が家は、詳しいことは、わかりませんが、回線の都合で、電話もいっしょにダメになっていました。ということで、電話もかけられなかった、かかってこなかった。まあ、生命にかかわる事件もなく、よかった、です。

本日は、5月5日、大型連休真っ只中、毎日、高速道路の渋滞の実況、羽田、成田の混雑状態、東京駅の様子などの報道、そうか、みなさん、お出かけ中なんだ、と神明町の楽隠居。

先日、テレビ出演中の小池都知事が、「わたし、ウクライナの大統領選挙の応援に行ったことがあるんです」、とおしゃっていました(2014年)。私なんか、なんども行ったことがある。ざっと、こんな感じです。

ニュージーランド 労働党の党首だったマイク・モアさんの選挙だった。日本語で応援演説をすると、候補者の彼が英語に翻訳する、というやり方で、日本語がまったくわからないマイク、好き勝手な演説になっていたにちがいない。

イスラエル  マパイ・労働党のシモン・ペレスさん、後に大統領になり、ノーベル賞を受賞。ペレスさんの選挙区は、集団農場(キブツ)のひとつで、選挙期間中そこの食堂で働きながらの選挙運動だった。ペレスさんからは、その後、国際会議でなんども会う機会があり、その都度、「テイクバには、選挙で助けられた」と言ってくれました。テイクバとは、ヘブライ語で、「幸福、幸せ」という意味で、今でも、イスラエルの友人たちからは、「テイクバ」と呼ばれている。

オーストリア  政権与党だった社民党の選挙応援は、同党の党員だった友人フリッツイの選挙活動に同行。たまたま会ったザルツブルクで選挙運動中の党首クライスキーさん、「必ず勝つよ、日本人も応援してくれているんだから」と言い、コーヒーをご一緒。社民党は、歴史ある政党で、なんども政権を担当している。

マルタ  政党の名前は、憶えていないが、大統領の名前は、ドミントフさん。マルタ島で開催の会議に出席中だった。イギリスの軍隊が駐留していたマルタが、米軍が駐留している沖縄の状況と、似ているというので、現状報告ということで、短いスピーチをさせられた。その後、ドミントフ大統領と一緒に、「ビーバー、ドミントフ」、を叫びながらの行進に参加。大統領選挙だったことを知った。

モンゴル 25年間のソ連統治下から解放され、初めての総選挙だった。出来たばかりの社民党の選挙のために、日本から選挙活動用の印刷物をトランクに詰めてのモンゴル入りだった。社民党には、結党当初より、かなり入れ込んでいたので、不思議なくらい、頑張った。広い草原には、羊、牛、ラクダなど動物しかおらず、有権者のいるゲル(テント)をさがすのは、大変なことだった。一日中、ランドローバーで走っても、せいぜい20~30名ほどの人にしか会えない、かったるい選挙運動だった。初めての選挙だったが、友人たちが当選、社民党からは、感謝状をいただいた。その後、バイカル湖近い北のセレンゲ州での州議会議員選挙の手伝いに行った。冬、雪の中の個別訪問だった。やることがない老人たちと、2時間、3時間を過ごす選挙運動だった。ウオッカを飲み、羊の肉をご馳走になったりで、候補者といえば、まるで、手ぶらの個別訪問。候補者だった彼女は、今、州議会の議長を務めている。

スリランカ  選挙活動ではないけれど、選挙用のポスター、資金をヨーロッパの政党に頼まれて、コロンボに運んだことがあった。当時、ご主人の後を継いで首相になったバンダラナイケさんの自宅に。入口から車で、15分ほど走って自宅建物に到着というほど、広い敷地だった。応接間で首相にお会いしたが、何人ものお手伝いさんがいるのを目撃。持参の資金、本当に選挙に使われるのかな、と思った。

選挙監視ーカンボジア  大量虐殺が行われ後の民主化選挙、現地の責任者は、日本人の明石康さん(国連代表)だった。

選挙監視ーネパール  初の民主化での選挙、日本の監視代表団の一員としての参加だった。代表団の事務局長は、自民党の二階俊博さん。

選挙監視ーフィリピン  前大統領の妻だったアキノさんが立候補した大統領選挙。選挙集会では、ほとんどが、若者、女性たちで、その熱気は凄かった。

こうしたみると、外国の選挙にずいぶんかかわってきたことか。なのに、日本での選挙、いちどもかかわったことがありません。



2022年4月27日水曜日

今から60年前 体験したアメリカ(その2)

7月28日、SDSの 集会に招ばれた。どこなのか、会場をさがすため広いキャンパス内をうろうろ。日本の大学のような、いわゆる立て看がない。どうやら、あれは、日本だけのものらしい。学生たちが、歩いている方向について行くと、会場があった。受付のデスクで、長髪の学生さんが、持ち物チェック。政治的な集会なので、しかたないかな。

黒人、白人、留学生などがおり、ヒッピー風の髭もじゃ、かと思えば、しっかりスーツを着こなした青年など、ともかく多彩だ。黒ジャンバーのミニスカート嬢がたばこを吸っていた。近隣住民らしき人たちも、参加者の中におり、100人くらいの集会だった。

開会が9時といわれていたが、実際に始まったのは、9時40分、夜の9時40分だ。日本では考えられない。先日、学長の要請で、警官隊がキャンパスに入った事件の、いきさつ報告があった。ベトナム介入に反対するトラブルだったようだ(知らなかった)。学生200人が逮捕され、それぞれ20ドルの罰金、18名が退校処分になったとのこと。

この後、ベトコン支持、キューバー革命支持、南アフリカ人種差別反対、毛沢東、ゲバラ支持など、次から次に世界中の革命家の名前が出てきた。ようやく、番が回ってきた。アメリカの植民地沖縄の実情、日本に返還をという運動を支持しよう、との決議を採択。採択文面は、あらかじめ用意してあって、日本人のわたしの発言は、ほんの5分くらい。それでも、金一封、50ドル、を頂いた。学生運動って金持ちなんだ、ちょっと違和感。

この3年間にアメリカの全学生の2%、13万4000人、が学生組織のメンバーであるとニューヨークタイムズ。コロンビア大では、全学生の5%、870人がSDSで活動している。組織の目玉スローガンは、黒人差別問題で、意外だったのは、黒人学生側の強い希望で黒人学生だけの学部の新設、黒人学生用の図書館、食堂などの設置が要求されているということで、どうも、理解しがたい思いだった。自ら自分たちを白人から切り離す、孤立化させるという黒人学生の意図がよくわからない。

アポロ11号は、無事月面着陸。日本でも、世界中の人たちが、テレビの前に釘づけになった瞬間。アメリカでも、もちろん大々的に報じられた。それでも、この快挙に反対した人たちがいた。地上に飢えた人、貧困、失業、病気などに苦しむ人たちがいるのに、多額の費用(250億ドル)、大勢の人材(20万)を費やしてやるべきことか。アメリカって、なんでも税金がかかる。コーヒー一杯、ノート一冊、毎朝の新聞にも別途税金がかかる。先日、はがきを買ったら、なんと税金4円。

またまた考え込んでしまいます。この国は、豊かなのか、それとも貧しいのか。

2022年4月26日火曜日

今から60年前の 体験したアメリカ

今から60年前、ということは、1960年代、アメリカに留学。当時の原稿が出てきた。

 今朝、大学近くの公園(コモン)で、演説をしている集団を見かけた。学生らしい、長髪の若者3名、労働者風の屈強な男性2名。なにを話しているのか。「アポロ計画、本当に必要なのか」、「アメリカに、なにをもたらすのか」、といい、「アポロ計画、反対」、が目的のようだ。ここケンブリッジは、ハーバード大学、MIT、ボストン大学などのある学術都市として知られており、文化的にも、他州よりレベルが高い、アメリカの良識は、ケンブリッジからなどといわれている。

下宿の掃除にきてくれるおばさんが、テレビを見なければならないので、今週の掃除の時間を変更したい、というので、どうぞ、と。部屋にテレビのないのを知っているおばさん、「よかったら、うちへテレビ、見にこない? アメリカがはじめて月に人間を送るのよ、すばらしいこと」、と誘われた。というほど、アメリカ中が、エキサイト。

一方、学生組織SDS(Students for Democratic Society)はじめ、ラディカルな学生団体が、抗議集会、討論会などを行い、反対アポロ計画を叫んでいる。ニクソン大統領のベトナム撤退のニュースは、アポロに影にかくれたしまった感じ。アポロの月面着陸は、アメリカが宇宙科学技術で、ソ連の挑戦に打ち勝つ、との評価は、マスコミなども大々的に報じている。そういえば、ソ連艦隊が、キューバを公式訪問するというニュース、これもアポロに押しつぶされている。

というこれら海外事情と裏腹に、国内事情は、それどころではない。たとえば、この7月4日の独立記念日から始まる飛び石連休の土曜日、自動車事故で亡くなった人が、170人、五月の一か月で、ニューヨークだけで、200人の青少年がヘロインなどの麻薬で死んだという記録が新聞に出ていた。喧嘩やモノとりなどで、ピストル刺殺のニュースも、ほぼ連日というアメリカの現状。それらの主な原因が、ホワイト対ブラック問題。政府も、なんとかしなくては、と方策をいろいろ出しているようだけれど、解決はみえない。

この巨大な国アメリカが、豊かさでは世界一とはいえ、社会に、貧しさを抱えた国であることを実感している。羽田から9時間で、西海岸に、さらに5時間もかけて大陸を横断して東海岸(ニューヨーク)に、という、広大なこのアメリカ。日本が小さな島国であることも実感していると共に、安全、安心、経済もそこそこ、いい国なのかも知れない、と。

                         (日本の雑誌に投稿した原稿です)


2022年4月20日水曜日

房総の 半島横断 東金線  ちょい乗りの記

「JR在来線 6割が廃線路水準」、衝撃的な見出しの記事(4月12日、日経)を見つけた。他の新聞にも特集されていた。人口減少、道路がよくなりバス、自家用車利用が増えたという現状による地方の状況。年間2000人未満の路線は、営業赤字状態で、廃線するしかない、との報道だった。コロナ禍で、更に深刻な鉄道会社の状況、そういえば、首都圏でも、鉄道は以前ほどの混雑はない。事態は、深刻、早く行かないと、なくなってしまう、と危機感が募ります。ということで、行ってきました、東金線。

東金線は、房総半島の上の方、半島がくびれている部分を走る路線。大網駅から成東駅までで、駅は、5つ、距離は15.2キロ、17分、というミニ路線。1896年に大網駅‣蘇我間を、なんと馬車が線路を走っていた、房総馬車鉄道 が始まり。現在の房総を走る外房線、内房線、総武線などよりも歴史あるJR東金線。

東京のお天気は、曇りだったが、降りそうもないので、行く、と決めた。前夜、買ってきたばかりのJR時刻表をぱらぱらしていたら、全てクリアしたはずの房総半島に、まだまだ路線が見つかった。それが東金線。

千葉駅から一宮駅行きの各停外房線に乗ったのが、10時5分。ラッシュは過ぎており、客はまばら。8両なのに、なぜか、ボックスシートがついていた。千葉市周辺は、団地、マンションが立ち並んでいるけれど、5分も走ると、もう田舎。畑よりも、竹やぶの小高い山、否里山、が続く。ところどころに、満開の八重桜、桃、菜の花が見える。しっかり春なのです。珍しく長いトンネルに入り、出たら大網駅。房総半島を東京湾側から、太平洋側に横断したことになる。大網駅からは、九十九里浜は近い。

大網駅は、外房線の駅でもあるので、ひんぱんに列車がやってくる。時刻表を見ると、東金線の次の成東駅行きは、40分後。で、改札を出てみる。コンビニが駅舎内に二つあり、大網みやげ店もある。みやげ店には、八街の落花生商品、九十九里の魚の佃煮などが並んでいた。そうそう、神戸屋(パン屋)もあった。どちらも、客の姿は、なかった。駅の外へ出ると、広ーい広場、タクシー、成田行きバスなどが駐車しており、そうか、ここは成田空港に近いのだ。でも、人影は、ほとんどなし。

東金行き列車のホームは、メインホームより、かなり離れており、100mほど歩いて、エレベーターで上がる。まだ早いけれど、ホームに出ると、10名ほどが待っていた。小雨が降っていて、高台のホームは、吹きっさらしで、寒い。ホーム向かい側の藪には、みかんがなっており、藤の花も咲いていた。ここから、眼下にさっき歩いた駅周辺が見下ろせる。改札口を出たところに、八重桜の古木があった。

東金線大網駅から成東駅までは、朝晩は、3~4本、昼間は、1時間に1本の走行。11時15分、発車。ボックスシート車ありの3両編成車。車窓右方向は、海のはずだが、見えない。窓の掃除、行き届いていない。田植え前の準備が整った田んぼが続く。福俵駅、次の東金は、有人駅だった。求名駅(ぐみょう)、駐輪場に自転車がいっぱい。城西国際大学の看板があった。こんなところにも、大学があるんだ、と。通学、大変だろう。

乗り換える、ここから先は、総武本線。これにもボックスシートがあった。今日は、ついている。この線は、以前二度ほど乗ったことがある。車窓は、ほとんど変わらず、耕作放棄地、竹の多い藪山が続く。ところどころに茶畑。落花生の八街駅通通過。八街といえば、毎年年末に落花生を購入している。老舗の生産者から直送の落花生、もう数年になる。

佐倉駅、成東からの、この電車は、千葉行きの総武線、乗り換えたのは、成田空港行き。すぐに成田駅に到着。ここからは、我孫子線。外は、どしゃ降り状態。単線なので、ときどき対向列車待ちの時間のかかる電車。竹藪、荒れた里山、こんな土地に出来たのが成田空港だったのだ。小林駅、駅舎の軒下から、つばめが2匹、初めてみたつばめ。小林の次は、「きのした」木下駅、と思ったら、「きおろし」、だった。日本語って読み方、いろいろある。はじめは、客は、ぱらぱらだったが、我孫子駅が近づくにつれて、増えてきた。終点の我孫子駅についたら、雨は、やんでいた。ここで、千代田線に乗り換え、あとは、まっすぐ綾瀬駅へ。14時15分、綾瀬帰着。東京は、晴れだった。



間もなく終点 の成東駅に到着。千葉行き、成田空港行きの列車ののりかえ

2022年4月13日水曜日

ダムサイト まだ間に合うか 花筏   宮ケ瀬ダム

宮ケ瀬の桜がいいらしい。ちょい旅で、西に、東に、充分に花見見物は、したつもりだったが、やっぱり気になる。というのは、宮ケ瀬ダムは、丹沢山系の山頂から、ちょいと遠目にみたことがあった。が、行ったことはい。

山岳会現役時代、丹沢は、ちょくちょく行った。綾瀬駅から千代田線、代々木上原から小田急線で、行ける手頃な山、それが丹沢山系だった。夜行、最終便で行き、暗いなかを登山口まで歩いて、登って、帰る、を繰り返していた。大山から丹沢あたりは、目をつぶっても歩けるくらい頻繁に通った、日帰り山行。丹沢山から北への山道で、下の方に見えたのが、宮ケ瀬ダム湖だった。

いい天気。千代田線綾瀬駅を9時30分にスタート。通勤ラッシュは、終わっており、向ヶ丘遊園地駅まで「急行」の地下鉄。代々木上原、下北沢あたりから乗ってきた乗客、大学生たちだった。若い人たち、こんなに見たのは、久しぶりだった。でも、ほぼ全員、途中の駅で下車。沿線に、大学があるのだろう。町田駅から各駅停車になり、本厚木に着いたのは、11時20分、綾瀬駅から約2時間、東京横断の車内旅。

駅前のバス停で、宮ケ瀬行きを探す。神奈川中央交通ーかな中、といわれている。1時間に2本で、次は、11時40分。すぐに来た。乗客は、10名。といっても、終点の宮ケ瀬までの客では、なさそうだ。厚木市内をしばらく走る。幼稚園の新人たちが、横断歩道で、手をあげて、渡る練習をしていた。4月11日、今日からピカピカ新入生です。

 車内放送「お隣り、ご近所にひと声かけて、おでかけを」の声かけ注意。これってこそ泥、空き巣、OKだよ、といってるみたい、と、笑っちゃった。考えすぎかな。

 20分ほどで、前方に丹沢の山々がうっすら見えてきた。本日は、晴天だが、春霞、遠くがすっきり見えない。清川村に入る。たしか、神奈川県で唯一の「村」。村の要所、要所、役場、消防署、駐在、郵便局、学校など、かな中バスの停留所になっており、乗客が乗り降りする。村内巡回バスって感じ。村の人たちの文字通り、「足」の役割を果たしている。宮ケ瀬ダム湖行きの観光バスではない。道路は、狭く、ほぼ上り坂、曲がりくねっていて、運転は、大変。村人が下車した後は、観光客ひとり状態。峠とか、登り口とか、登山者のための停留所もある。と、目の前に見えてきた宮ケ瀬ダム湖。周辺の山々の桜、まだまだ盛りで薄い緑色に白い山桜のコントラストが、神秘的。

12時20分、宮ケ瀬ダム湖の駐車場到着。月曜日だからか、数台のみ。バスは、20分後に本厚木駅に戻るという。ダム湖畔をちょっと歩いてみる。桜は、まだ若木で、湖の見える湖畔の小道通りに植えてあり、花は、ほぼ散っていた。桜見物といえば、50年、100年など、年季もの、というのが定番だが、ここの桜は、まだまだ。先が楽しみ桜。周辺に食堂や喫茶室などが、ずらっと並んではいたが、みな掘っ建て小屋風で、なぜか、沖縄そば店もあった。そうそう、清川村製の漬物も売っていた。ダムサイト湖の岸に、花筏がゆらゆら揺れていた。花は、まだ散ったばかり、だった。

12時50分、本厚木駅行きに戻るバス、乗客は5人。観光客ふた組。清川村の停留所では、ひとり、ふたりと乗客。駐在所近くを、3匹の野生の猿が、学校帰りの子ら(3人)を追っかけていた。へえっ、猿と共生の村なのだ。村からは、厚木の町が眼下に一望出来、バスは、かなり高い所を走っていたことを知った。帰りのバスは、1時間かかった。

気になっていた宮ケ瀬ダム湖、あまり感動しなかったが、清川村がよかった。3時半すぎに地下鉄千代田線綾瀬駅に帰着。