2022年4月10日日曜日

むかし馬 4.5キロ いま電車  龍ヶ崎鉄道

りゅう鉄って知ってる? と友人から訊かれた。りゅうてつ・流鉄、最近、乗ってばかり。でも気になってJR時刻表をめくってみた。ありました、あるではないか流鉄。茨城県の竜ケ崎にありました。

実は、竜ケ崎市へは、行ったことがある。なんにもない駅前、たまたま来たミニバス(コミュ二テイバス)、市内一周というバスで、竜ケ崎市をひとまわり。その時も、たしか、客ひとり、貸し切り状態で、運転手さんがいろいろ説明してくれた。ニュータウンの竜ケ崎市は、早くから広大な土地に戸建ての家を建て、東京通勤の家族の受け入れてきた。おかげで、市は、いろいろな施設も作った。図書館、体育館、文化センター、大きな公園などなど、ミニバスは、これらの施設をぐるっとまわった。大きなショッピングセンターもあった。そうそう流通大学も郊外に。というわけで市についての基礎知識はあった。

この日も、都心と反対方向、北千住駅から常磐線で、東方向へ。竜ケ崎駅に11時到着。この駅は、主駅ではないのに、なんと、ホームから改札口への上り降りが、エスカレーター。だいたいが、上りだけなのに、下りもエスカレーターになっていた。ちょっと離れたところには、エレベーターもしっかりついている。

龍ヶ崎鉄道、どこから乗るのか。ホームは、JR竜ケ崎駅の外にあった。いちど駅舎を出て建物のはじっこにホームはあった。改札横に、こんな看板「1971年、日本の旅客列車で初めてワンマン運転をした路線です」。なるほど、なるほど。改札口、もちろん自動化、駅員の姿はどこにも見当たらない。ホームの駅名は、『佐貫驛』(さぬき駅)。この地名だ。竜ケ崎鉄道は、全長4.5キロ、これを7分かけて走る。流鉄より短距離だ。双方とも関東鉄道が経営しているが、やるねえ。

昼間は、1時間に2本、しばらく待つとご到着。一両編成で、それでも20名ほど降りてきた。一往復14分働いてきたワンマン車の運転手さん、それでも交替。別の運転手さんが、カバンを下げて登場。電車のあちこちを点検。発車、乗客は、12名、うち学生さん5名。

電車は、しばらく、といっても一分間くらいだけれど、市街地を往く。じきに田んぼと畑の中を走る。三つしかない駅の真ん中『入地驛』(いりちえき)に到着。駅でなく、驛というのが、なんともなつかしい。駅名の横に、ひらがな、英語、韓国語の表示があった。国際的なのだ。3名下車。残りの距離を終点駅に向けて、まじめに走る、ガッタンゴットン、本当にそう聞こえる。シベリア鉄道の列車のあの音そっくりだ。

間もなく到着。『龍ヶ崎驛』、竜ケ崎鉄道の終点駅です。入地驛は無人だったが、ここには2名の駅員スタッフが、改札口に立っていた。スイカを出すと、「ありがとうございました」、とお礼をいわれてしまった。同じ電車で、戻るため、スイカをかざすと、もういちど「ありがとうございました」。

高校が近くにあるらしく、戻りの電車は、ほぼ満席状態、一般客は、5名。時刻通り正確に発車。最前列で前方を見たら、なんと線路がほぼまっすぐ。勿論、単線だけれども、一直線に線路が見える。帰ってから調べたら、この路線、明治33年(1900年)、馬車鉄道として開通したとあった。そっか、馬が客を乗せて、線路の上をひっぱっていたのだ、だからまっすぐ。そんなこんなで、戻りの7分間は、あっという間に終了。佐貫驛に帰着。

JR竜ケ崎駅から常磐線で取手駅へ。ここから関東鉄道の路線バスでつくばエクスプレス(TX)の守谷駅へ。客は3人、途中で降りて、あとは、運転手さんと二人っきり。周辺は、麦畑が広がる田園風景、「間宮林蔵旧宅」の看板を見た。洪水被害のあった小貝川の橋を渡り、守谷市へ。昔、お城があったという史跡前、城跡停留所があった。まだ建物が新しい小学校、校庭周辺のさくらの木々、まだ背は低かったが、花は満開だった。守谷駅に着いたのは、13時15分だった。終日、晴れの天気に恵まれた。


 

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