2022年4月27日水曜日

今から60年前 体験したアメリカ(その2)

7月28日、SDSの 集会に招ばれた。どこなのか、会場をさがすため広いキャンパス内をうろうろ。日本の大学のような、いわゆる立て看がない。どうやら、あれは、日本だけのものらしい。学生たちが、歩いている方向について行くと、会場があった。受付のデスクで、長髪の学生さんが、持ち物チェック。政治的な集会なので、しかたないかな。

黒人、白人、留学生などがおり、ヒッピー風の髭もじゃ、かと思えば、しっかりスーツを着こなした青年など、ともかく多彩だ。黒ジャンバーのミニスカート嬢がたばこを吸っていた。近隣住民らしき人たちも、参加者の中におり、100人くらいの集会だった。

開会が9時といわれていたが、実際に始まったのは、9時40分、夜の9時40分だ。日本では考えられない。先日、学長の要請で、警官隊がキャンパスに入った事件の、いきさつ報告があった。ベトナム介入に反対するトラブルだったようだ(知らなかった)。学生200人が逮捕され、それぞれ20ドルの罰金、18名が退校処分になったとのこと。

この後、ベトコン支持、キューバー革命支持、南アフリカ人種差別反対、毛沢東、ゲバラ支持など、次から次に世界中の革命家の名前が出てきた。ようやく、番が回ってきた。アメリカの植民地沖縄の実情、日本に返還をという運動を支持しよう、との決議を採択。採択文面は、あらかじめ用意してあって、日本人のわたしの発言は、ほんの5分くらい。それでも、金一封、50ドル、を頂いた。学生運動って金持ちなんだ、ちょっと違和感。

この3年間にアメリカの全学生の2%、13万4000人、が学生組織のメンバーであるとニューヨークタイムズ。コロンビア大では、全学生の5%、870人がSDSで活動している。組織の目玉スローガンは、黒人差別問題で、意外だったのは、黒人学生側の強い希望で黒人学生だけの学部の新設、黒人学生用の図書館、食堂などの設置が要求されているということで、どうも、理解しがたい思いだった。自ら自分たちを白人から切り離す、孤立化させるという黒人学生の意図がよくわからない。

アポロ11号は、無事月面着陸。日本でも、世界中の人たちが、テレビの前に釘づけになった瞬間。アメリカでも、もちろん大々的に報じられた。それでも、この快挙に反対した人たちがいた。地上に飢えた人、貧困、失業、病気などに苦しむ人たちがいるのに、多額の費用(250億ドル)、大勢の人材(20万)を費やしてやるべきことか。アメリカって、なんでも税金がかかる。コーヒー一杯、ノート一冊、毎朝の新聞にも別途税金がかかる。先日、はがきを買ったら、なんと税金4円。

またまた考え込んでしまいます。この国は、豊かなのか、それとも貧しいのか。

2022年4月26日火曜日

今から60年前の 体験したアメリカ

今から60年前、ということは、1960年代、アメリカに留学。当時の原稿が出てきた。

 今朝、大学近くの公園(コモン)で、演説をしている集団を見かけた。学生らしい、長髪の若者3名、労働者風の屈強な男性2名。なにを話しているのか。「アポロ計画、本当に必要なのか」、「アメリカに、なにをもたらすのか」、といい、「アポロ計画、反対」、が目的のようだ。ここケンブリッジは、ハーバード大学、MIT、ボストン大学などのある学術都市として知られており、文化的にも、他州よりレベルが高い、アメリカの良識は、ケンブリッジからなどといわれている。

下宿の掃除にきてくれるおばさんが、テレビを見なければならないので、今週の掃除の時間を変更したい、というので、どうぞ、と。部屋にテレビのないのを知っているおばさん、「よかったら、うちへテレビ、見にこない? アメリカがはじめて月に人間を送るのよ、すばらしいこと」、と誘われた。というほど、アメリカ中が、エキサイト。

一方、学生組織SDS(Students for Democratic Society)はじめ、ラディカルな学生団体が、抗議集会、討論会などを行い、反対アポロ計画を叫んでいる。ニクソン大統領のベトナム撤退のニュースは、アポロに影にかくれたしまった感じ。アポロの月面着陸は、アメリカが宇宙科学技術で、ソ連の挑戦に打ち勝つ、との評価は、マスコミなども大々的に報じている。そういえば、ソ連艦隊が、キューバを公式訪問するというニュース、これもアポロに押しつぶされている。

というこれら海外事情と裏腹に、国内事情は、それどころではない。たとえば、この7月4日の独立記念日から始まる飛び石連休の土曜日、自動車事故で亡くなった人が、170人、五月の一か月で、ニューヨークだけで、200人の青少年がヘロインなどの麻薬で死んだという記録が新聞に出ていた。喧嘩やモノとりなどで、ピストル刺殺のニュースも、ほぼ連日というアメリカの現状。それらの主な原因が、ホワイト対ブラック問題。政府も、なんとかしなくては、と方策をいろいろ出しているようだけれど、解決はみえない。

この巨大な国アメリカが、豊かさでは世界一とはいえ、社会に、貧しさを抱えた国であることを実感している。羽田から9時間で、西海岸に、さらに5時間もかけて大陸を横断して東海岸(ニューヨーク)に、という、広大なこのアメリカ。日本が小さな島国であることも実感していると共に、安全、安心、経済もそこそこ、いい国なのかも知れない、と。

                         (日本の雑誌に投稿した原稿です)


2022年4月20日水曜日

房総の 半島横断 東金線  ちょい乗りの記

「JR在来線 6割が廃線路水準」、衝撃的な見出しの記事(4月12日、日経)を見つけた。他の新聞にも特集されていた。人口減少、道路がよくなりバス、自家用車利用が増えたという現状による地方の状況。年間2000人未満の路線は、営業赤字状態で、廃線するしかない、との報道だった。コロナ禍で、更に深刻な鉄道会社の状況、そういえば、首都圏でも、鉄道は以前ほどの混雑はない。事態は、深刻、早く行かないと、なくなってしまう、と危機感が募ります。ということで、行ってきました、東金線。

東金線は、房総半島の上の方、半島がくびれている部分を走る路線。大網駅から成東駅までで、駅は、5つ、距離は15.2キロ、17分、というミニ路線。1896年に大網駅‣蘇我間を、なんと馬車が線路を走っていた、房総馬車鉄道 が始まり。現在の房総を走る外房線、内房線、総武線などよりも歴史あるJR東金線。

東京のお天気は、曇りだったが、降りそうもないので、行く、と決めた。前夜、買ってきたばかりのJR時刻表をぱらぱらしていたら、全てクリアしたはずの房総半島に、まだまだ路線が見つかった。それが東金線。

千葉駅から一宮駅行きの各停外房線に乗ったのが、10時5分。ラッシュは過ぎており、客はまばら。8両なのに、なぜか、ボックスシートがついていた。千葉市周辺は、団地、マンションが立ち並んでいるけれど、5分も走ると、もう田舎。畑よりも、竹やぶの小高い山、否里山、が続く。ところどころに、満開の八重桜、桃、菜の花が見える。しっかり春なのです。珍しく長いトンネルに入り、出たら大網駅。房総半島を東京湾側から、太平洋側に横断したことになる。大網駅からは、九十九里浜は近い。

大網駅は、外房線の駅でもあるので、ひんぱんに列車がやってくる。時刻表を見ると、東金線の次の成東駅行きは、40分後。で、改札を出てみる。コンビニが駅舎内に二つあり、大網みやげ店もある。みやげ店には、八街の落花生商品、九十九里の魚の佃煮などが並んでいた。そうそう、神戸屋(パン屋)もあった。どちらも、客の姿は、なかった。駅の外へ出ると、広ーい広場、タクシー、成田行きバスなどが駐車しており、そうか、ここは成田空港に近いのだ。でも、人影は、ほとんどなし。

東金行き列車のホームは、メインホームより、かなり離れており、100mほど歩いて、エレベーターで上がる。まだ早いけれど、ホームに出ると、10名ほどが待っていた。小雨が降っていて、高台のホームは、吹きっさらしで、寒い。ホーム向かい側の藪には、みかんがなっており、藤の花も咲いていた。ここから、眼下にさっき歩いた駅周辺が見下ろせる。改札口を出たところに、八重桜の古木があった。

東金線大網駅から成東駅までは、朝晩は、3~4本、昼間は、1時間に1本の走行。11時15分、発車。ボックスシート車ありの3両編成車。車窓右方向は、海のはずだが、見えない。窓の掃除、行き届いていない。田植え前の準備が整った田んぼが続く。福俵駅、次の東金は、有人駅だった。求名駅(ぐみょう)、駐輪場に自転車がいっぱい。城西国際大学の看板があった。こんなところにも、大学があるんだ、と。通学、大変だろう。

乗り換える、ここから先は、総武本線。これにもボックスシートがあった。今日は、ついている。この線は、以前二度ほど乗ったことがある。車窓は、ほとんど変わらず、耕作放棄地、竹の多い藪山が続く。ところどころに茶畑。落花生の八街駅通通過。八街といえば、毎年年末に落花生を購入している。老舗の生産者から直送の落花生、もう数年になる。

佐倉駅、成東からの、この電車は、千葉行きの総武線、乗り換えたのは、成田空港行き。すぐに成田駅に到着。ここからは、我孫子線。外は、どしゃ降り状態。単線なので、ときどき対向列車待ちの時間のかかる電車。竹藪、荒れた里山、こんな土地に出来たのが成田空港だったのだ。小林駅、駅舎の軒下から、つばめが2匹、初めてみたつばめ。小林の次は、「きのした」木下駅、と思ったら、「きおろし」、だった。日本語って読み方、いろいろある。はじめは、客は、ぱらぱらだったが、我孫子駅が近づくにつれて、増えてきた。終点の我孫子駅についたら、雨は、やんでいた。ここで、千代田線に乗り換え、あとは、まっすぐ綾瀬駅へ。14時15分、綾瀬帰着。東京は、晴れだった。



間もなく終点 の成東駅に到着。千葉行き、成田空港行きの列車ののりかえ

2022年4月13日水曜日

ダムサイト まだ間に合うか 花筏   宮ケ瀬ダム

宮ケ瀬の桜がいいらしい。ちょい旅で、西に、東に、充分に花見見物は、したつもりだったが、やっぱり気になる。というのは、宮ケ瀬ダムは、丹沢山系の山頂から、ちょいと遠目にみたことがあった。が、行ったことはい。

山岳会現役時代、丹沢は、ちょくちょく行った。綾瀬駅から千代田線、代々木上原から小田急線で、行ける手頃な山、それが丹沢山系だった。夜行、最終便で行き、暗いなかを登山口まで歩いて、登って、帰る、を繰り返していた。大山から丹沢あたりは、目をつぶっても歩けるくらい頻繁に通った、日帰り山行。丹沢山から北への山道で、下の方に見えたのが、宮ケ瀬ダム湖だった。

いい天気。千代田線綾瀬駅を9時30分にスタート。通勤ラッシュは、終わっており、向ヶ丘遊園地駅まで「急行」の地下鉄。代々木上原、下北沢あたりから乗ってきた乗客、大学生たちだった。若い人たち、こんなに見たのは、久しぶりだった。でも、ほぼ全員、途中の駅で下車。沿線に、大学があるのだろう。町田駅から各駅停車になり、本厚木に着いたのは、11時20分、綾瀬駅から約2時間、東京横断の車内旅。

駅前のバス停で、宮ケ瀬行きを探す。神奈川中央交通ーかな中、といわれている。1時間に2本で、次は、11時40分。すぐに来た。乗客は、10名。といっても、終点の宮ケ瀬までの客では、なさそうだ。厚木市内をしばらく走る。幼稚園の新人たちが、横断歩道で、手をあげて、渡る練習をしていた。4月11日、今日からピカピカ新入生です。

 車内放送「お隣り、ご近所にひと声かけて、おでかけを」の声かけ注意。これってこそ泥、空き巣、OKだよ、といってるみたい、と、笑っちゃった。考えすぎかな。

 20分ほどで、前方に丹沢の山々がうっすら見えてきた。本日は、晴天だが、春霞、遠くがすっきり見えない。清川村に入る。たしか、神奈川県で唯一の「村」。村の要所、要所、役場、消防署、駐在、郵便局、学校など、かな中バスの停留所になっており、乗客が乗り降りする。村内巡回バスって感じ。村の人たちの文字通り、「足」の役割を果たしている。宮ケ瀬ダム湖行きの観光バスではない。道路は、狭く、ほぼ上り坂、曲がりくねっていて、運転は、大変。村人が下車した後は、観光客ひとり状態。峠とか、登り口とか、登山者のための停留所もある。と、目の前に見えてきた宮ケ瀬ダム湖。周辺の山々の桜、まだまだ盛りで薄い緑色に白い山桜のコントラストが、神秘的。

12時20分、宮ケ瀬ダム湖の駐車場到着。月曜日だからか、数台のみ。バスは、20分後に本厚木駅に戻るという。ダム湖畔をちょっと歩いてみる。桜は、まだ若木で、湖の見える湖畔の小道通りに植えてあり、花は、ほぼ散っていた。桜見物といえば、50年、100年など、年季もの、というのが定番だが、ここの桜は、まだまだ。先が楽しみ桜。周辺に食堂や喫茶室などが、ずらっと並んではいたが、みな掘っ建て小屋風で、なぜか、沖縄そば店もあった。そうそう、清川村製の漬物も売っていた。ダムサイト湖の岸に、花筏がゆらゆら揺れていた。花は、まだ散ったばかり、だった。

12時50分、本厚木駅行きに戻るバス、乗客は5人。観光客ふた組。清川村の停留所では、ひとり、ふたりと乗客。駐在所近くを、3匹の野生の猿が、学校帰りの子ら(3人)を追っかけていた。へえっ、猿と共生の村なのだ。村からは、厚木の町が眼下に一望出来、バスは、かなり高い所を走っていたことを知った。帰りのバスは、1時間かかった。

気になっていた宮ケ瀬ダム湖、あまり感動しなかったが、清川村がよかった。3時半すぎに地下鉄千代田線綾瀬駅に帰着。



 

2022年4月10日日曜日

むかし馬 4.5キロ いま電車  龍ヶ崎鉄道

りゅう鉄って知ってる? と友人から訊かれた。りゅうてつ・流鉄、最近、乗ってばかり。でも気になってJR時刻表をめくってみた。ありました、あるではないか流鉄。茨城県の竜ケ崎にありました。

実は、竜ケ崎市へは、行ったことがある。なんにもない駅前、たまたま来たミニバス(コミュ二テイバス)、市内一周というバスで、竜ケ崎市をひとまわり。その時も、たしか、客ひとり、貸し切り状態で、運転手さんがいろいろ説明してくれた。ニュータウンの竜ケ崎市は、早くから広大な土地に戸建ての家を建て、東京通勤の家族の受け入れてきた。おかげで、市は、いろいろな施設も作った。図書館、体育館、文化センター、大きな公園などなど、ミニバスは、これらの施設をぐるっとまわった。大きなショッピングセンターもあった。そうそう流通大学も郊外に。というわけで市についての基礎知識はあった。

この日も、都心と反対方向、北千住駅から常磐線で、東方向へ。竜ケ崎駅に11時到着。この駅は、主駅ではないのに、なんと、ホームから改札口への上り降りが、エスカレーター。だいたいが、上りだけなのに、下りもエスカレーターになっていた。ちょっと離れたところには、エレベーターもしっかりついている。

龍ヶ崎鉄道、どこから乗るのか。ホームは、JR竜ケ崎駅の外にあった。いちど駅舎を出て建物のはじっこにホームはあった。改札横に、こんな看板「1971年、日本の旅客列車で初めてワンマン運転をした路線です」。なるほど、なるほど。改札口、もちろん自動化、駅員の姿はどこにも見当たらない。ホームの駅名は、『佐貫驛』(さぬき駅)。この地名だ。竜ケ崎鉄道は、全長4.5キロ、これを7分かけて走る。流鉄より短距離だ。双方とも関東鉄道が経営しているが、やるねえ。

昼間は、1時間に2本、しばらく待つとご到着。一両編成で、それでも20名ほど降りてきた。一往復14分働いてきたワンマン車の運転手さん、それでも交替。別の運転手さんが、カバンを下げて登場。電車のあちこちを点検。発車、乗客は、12名、うち学生さん5名。

電車は、しばらく、といっても一分間くらいだけれど、市街地を往く。じきに田んぼと畑の中を走る。三つしかない駅の真ん中『入地驛』(いりちえき)に到着。駅でなく、驛というのが、なんともなつかしい。駅名の横に、ひらがな、英語、韓国語の表示があった。国際的なのだ。3名下車。残りの距離を終点駅に向けて、まじめに走る、ガッタンゴットン、本当にそう聞こえる。シベリア鉄道の列車のあの音そっくりだ。

間もなく到着。『龍ヶ崎驛』、竜ケ崎鉄道の終点駅です。入地驛は無人だったが、ここには2名の駅員スタッフが、改札口に立っていた。スイカを出すと、「ありがとうございました」、とお礼をいわれてしまった。同じ電車で、戻るため、スイカをかざすと、もういちど「ありがとうございました」。

高校が近くにあるらしく、戻りの電車は、ほぼ満席状態、一般客は、5名。時刻通り正確に発車。最前列で前方を見たら、なんと線路がほぼまっすぐ。勿論、単線だけれども、一直線に線路が見える。帰ってから調べたら、この路線、明治33年(1900年)、馬車鉄道として開通したとあった。そっか、馬が客を乗せて、線路の上をひっぱっていたのだ、だからまっすぐ。そんなこんなで、戻りの7分間は、あっという間に終了。佐貫驛に帰着。

JR竜ケ崎駅から常磐線で取手駅へ。ここから関東鉄道の路線バスでつくばエクスプレス(TX)の守谷駅へ。客は3人、途中で降りて、あとは、運転手さんと二人っきり。周辺は、麦畑が広がる田園風景、「間宮林蔵旧宅」の看板を見た。洪水被害のあった小貝川の橋を渡り、守谷市へ。昔、お城があったという史跡前、城跡停留所があった。まだ建物が新しい小学校、校庭周辺のさくらの木々、まだ背は低かったが、花は満開だった。守谷駅に着いたのは、13時15分だった。終日、晴れの天気に恵まれた。


 

2022年4月9日土曜日

満開の さくら見物 路線バス

昨日も、今朝も、ラジオも、テレビも、ウクライナのニュースでいっぱい。ロシア軍に何人殺されたという数字が発表されています。でも、あの戦争では、沖縄だけでも10万人以上の住民が殺された。東京大空襲で下町の惨状を読むと、その凄さは、ウクライナと同じ(半藤一利氏著書「日本のいちばん長い日」)。とにかく戦争は、してはいけません。

そんなことから、ふっきれた一日を、と本日もちょい旅に出かけました。

高崎線から八高線に乗ったのは、たしか三月でした。あの時、小川町駅あたりで見た街並みは、これまでのとちょっと違っていた。熊谷駅からの路線バスで行った時、たしか駅周辺に見どころなし、と思っていたけれど、そうでもないんじゃないか、と。駅ポツンではないことを、確認しなければと思っていました。で、その実態調査、っていうわけで、再度、小川町駅まで行ってみることにしたのです。さくらも、満開のはずだし。

この日も晴天。バスの始発の熊谷駅へ。熊谷といえば、やはり、高崎線で行く、というのが定番だけれども、乗り鉄は、そこがちょっと違う。東武スカイツリーライン(東武線)で東武動物公園駅まで行き、加須駅経由で、羽生駅へ。秩父鉄道の始発駅です。ここから熊谷駅へというルート。動物公園駅でも、加須駅でも、乗り換え時間、待ち時間もあって、時間ロスはあったけれど、それはそれで、折込み済み。この日は、入学式の学校が多いようで、どの電車にも、母親同伴のピカピカ新入生たちに会いました。子どもたちは、新品の制服にきまっているけれど、母親(父の出番ではない)は、黒、白など一張羅・晴れ着姿で、上から下までバッチリきめている。というわけで、車窓よりも、車内見物。

秩父線は、3両編成、ワンマン、スイカOK.乗客は、一両に4~5名。 どこの駅にも、桜、さくら、桜で、それもみな満開状態でした。12時25分、熊谷駅着。この電車は、この先、秩父の影森まで行く普通列車。ここで乗車の客は、少ない。

改札を出て、まっすぐ駅前のバス停へ。小川町駅行きは、13時15分。「よし、よし、いいぞ」、といいながら、駅構内に戻る。うどん屋さんです。熊谷駅の名物、ここで下車してまで食べる、常連さんです。いつものかけうどん、550円、いただきました。

小川町駅行きの路線バス、時間通りに発車。駅前を左折し、中山道に出る。しばらく走って、老舗デパートの八木橋のところで、左折、荒川大橋へ。手前の荒川土手、ここが名所の桜並木です。真っ白なさくらの花の帯が、ずっと続いている。満開状態です。荒川大橋を渡り、右方向へ。この道は、旧道で、周辺は、集落、畑。どこの家も、庭先には、花、花、花で、桃、桜なども見事、ところどころにまっ黄色な菜の花畑。6名の乗客は、途中の県立循環器病院で下車。あとは、ひとり、バス一台、ひとり占め。いい気分です。

13時55分、小川町駅前に到着。運転手さんに聞くと、このバスが熊谷駅に戻るのは、20分後とのこと。で、駅周辺を一回り。旧街道の宿場だったこともあり、旧家、それになぜか鰻料理店が3軒もあった。そういえば、小川町の伝統技術の和紙づくりを見にきたこと、あったっけ。忘れてた。

再びバス停へ。時間通り出発。乗客は、3名。春爛漫の農村風景を堪能しながらの路線バス旅、最高でした。終点の熊谷駅から、東海道に連結している電車ー沼津行き、ボックスシートで、ご機嫌に上野駅帰着。生きているって、こういうことなのだ。

2022年4月1日金曜日

汽車の旅 さくら満開 どこもかも

朝起きて、そらを見上げ、「それ 行け」パターンでない、ちょい旅。前日に、その気になって、北千住駅へ切符を買いに行った。天気予報では、曇り空、とのことだったが、 どうせ車内移動、車内旅行なので、ま、いいかな、と。

ところが、です。北千住駅で、大変なことに。これまであった「みどりの窓口」がなくなっていたのです。スペースを半分にして、自動券売機が2台設置されており、機械の前で、戸惑っている人のおかげで、行列ができていました。学生さんたちが春休みということもあり、並んでいたのは11名。マイクで内部の駅スタッフとオンラインしながら、手順をふんでの券売機。

結構、待ちました、30分ほど。その頃になると、中からお助けマンのスタッフが出てきて、手伝ってくれる。ジパング利用なので、手帳番号、発行年月日などをまず聞かれ、乗りたい列車、時間帯なども。結構な時間がかかり、並んでいる人がいらいらしているのがわかります。ともかく終了し、「近くの駅で、みどりの窓口のある駅って、どこですか」、と尋ねると、「上野駅です」とのお返事でした。

さて、手間をかけて手に入れた切符で、新宿駅へ。7時30分発の特急あずさに乗れました。全席指定です。以前は、自由席があったのですが、いつの間にか指定席だけの特急。座席の上に小さな電池が三ついている。緑は、予約済席、黄色は、このあと停車の駅で、客が乗るかもしれない席、赤色は、当面は、空席、という説明がありました。北千住駅で買ったのは、特急券の自由席だったので、赤色席に着席。ところが、八王子駅手前で、黄色から緑になり、駅で男性が乗ってきた。隣りです、車窓席。サラリーマン風のこの男性、発車すぐ、おにぎり2個を食べ、スマホを取り出して・・・朝日がまぶしいので、窓は、シャッターをおろしています。残念。車窓の景色を楽しみにしている乗客がいるのに。

勝沼ぶどう卿駅は、さくらで有名で、ここからの甲府盆地の景色は、最高です。仕方なく、席を立って列車の出入り口で、いつもの景色を堪能しました。春霞にけぶる景色、一面のぶどう畑、桃の畑、白い花、うすピンクの花がグラデーションになり、とってもきれいでした。

甲府駅に到着。身延線ホームへ。待つことなく、8時45分発の特急ふじかわに乗れました。駅前のお城のさくらは、満開、ジョギングの人が2人。4両編成、車掌1人、スイカOK。結構、乗ってます、20名くらいか。甲府市内を走り、善光寺駅通過。ここの善光寺には、二度、きたことがある。武田信玄時代、戦火を免れるため、長野の善光寺の仏像などが、いっとき引っ越してきた、という話をきいた。右前方には、南アルプス。山頂は、まだまだ雪だが、里は、どこもかも一面花、花、花、春爛漫です。どの駅でも、さくらの木々が植えてあり、どれもこれも、もう満開です。

笛吹川を渡る。市川大門駅というのがあり、市川團十郎発祥の地、とのこと。ここの桜も最高。甲斐岩間駅には、大きなはんこ型の看板に、「ハンコの町六郷」の文字。そっか、ここだったのか。

富士川が眼下に見えはじめ、身延駅に停車。乗客は、ほとんどここで下車。日蓮さんが開いた久遠寺、二度ほど行ったことがあります。どちらも歩き旅。静岡側からの旅でした。

車窓右側の富士川、あちらの岸にも、こちら側も、見事なさくら並木。ぜーんぶ満開。遠くの山々にも、ところどころに山桜か、白い花がてんてんに見えます。気の早い一匹の鯉が、農家の庭で、泳いでいます。じきに富士宮、静岡県です。と、突然、目の前に富士山の雄姿。頂上までしっかり見えます。富士宮の市街地も眼下に広がっています。天気も最高、いいですね。この景色のために、来たのだ。。。

10時30分、富士宮駅着。待っていた東海道線に乗り換える。熱海行きだ。4両で、ワンマン車。結構な乗客率、若い男女がほとんど。ほぼ全員、スマホ熱中族。市内は、大きな工場が多く、煙突が目立つ。右側、国道の向こう側は、沼津から続く千本松原が続く。東海道の旅の時には、なんども歩いた海岸道。ここら辺は、あまり桜はない。沼津、三島、そしてトンネルを出ると熱海駅。

駅周辺をちょっと歩いてみたが、たいそうな人出だった。そこそこに引き上げて、11時45分発の東海道線高崎行きに乗る。この電車は、ボックスシートが最後部、最前部、に二両つづついている。もちろん、最後部のボックスシートに。湯河原駅のさくら、どちらかというと、白っぽい花だが、満開。右は、海、左の山側は、みかん畑。しばらくさくらの満開風景が、楽しめました。

13時45分、上野駅着。熱海駅から2時間かかった。身延線乗りは、3度めだったが、この季節、満開のさくらを愛でる旅、天候にも恵まれ、最高だった。全貌の富士山、あれもよかった。