ちょいと新松戸あたりまで行ってみるか、と綾瀬から千代田線に乗った。常磐線は、北千住から松戸までの間は、停まらないので、各駅停の地下鉄千代田線しかない(実際には、北千住駅からは、地上走行)。天気もいいし、見慣れた景色を楽しんでいた。馬橋駅、次が新松戸駅。いつもは、南側を眺めていたので、気づかなかったのだ。馬橋駅ホームの北側に、でっかい文字で「りゅうてつ」、とひらがな文字。えっ、といいながら下車。発車直前だった。階段を上がって、行ってみた。駅ホームのはずれに、「流鉄流山線乗り場」とあった。階段を降りながら、思い出した。数年前だったか、乗ったことがある。
スイカはだめで、自販で切符を買う、発車のベル。飛び乗る、閉まる、いいタイミングだった。二両編成、ワンマン車。10名ほど乗っている。車内に各駅間の走行距離、所要時間、それに時刻表が張ってある。始発から終点の流山まで、駅の数は、7つ。
馬橋ー赤谷ー小金城跡ー鰭ケ崎ー平和台ー流山 総距離 5.7キロ
所要時間 12分
午後2時だったが、乗り降りは、結構ある。時刻表をみると、朝晩の稼働時間帯は、10分おきに出ており、昼間でも3~4本は、走っている。昨今、日本中、あっちこっちで、鉄道の廃線がすすんでいるが、この駅数、所要時間にしてはなかなか健闘している。
そのわけは、すぐにわかった。線路すぐわき(右側)には、びっしり戸建ての住宅、見ると駐車場のない家も。これら住宅の住民たちは、日々の足として流鉄を利用しているのだ。馬橋駅に出て、千代田線に乗れば、40分ほどで大手町へ出られる距離なのだ。電車賃も、最長で200円だった。
線路左側は、はば3mほどの水路で、桜並木。3分咲きほどの桜の下を幼稚園児たちが手をつないで歩いていた。
終点の流山駅に着いた。女性の駅員がいた。
以前ここへきたのは、流山線に乗ることではなく、ここ流山の富士塚を見るのが目的だった。駅前の一本目は、現在の流山街道、も一つ先の万上通りの方が古い。この通りに、浅間神社があり、立派な富士塚がある。幕末、この神社に近藤勇ら新選組が、本陣をおいたことでも知られている。他にもいくつか史跡のある通りである。通りの西は、江戸川の土手。ここから、富士山が見える。当時、水路での江戸からの要路だったのだ。
駅前の流山街道に戻り、京成バスで松戸駅まで。1日に10本しかなく、大型トラックがばんばん走る街道を行く路線バスだ。乗客は、乗った時のひとりは、途中の日大病院で降りた。乗客ひとりの路線バス。停留所に面白い地名があった。「膝丸(ひざまる)」、「主水(もんど)」など。混雑で、1時間もかかってしまった。、これなら12分の流鉄の方が、はるかに速い。
松戸駅から乗った千代田線、途中で、江戸川の鉄橋を渡る。江戸川土手が、菜の花で、まっ黄色な絨毯になっていた。まだまだ陽は、高い。