2019年11月1日金曜日

大先輩ふたりとの思い出

八千草薫さん
 JICA(前国際事業団)に勤務していた頃。まだ南北問題への国民の理解度が低いということで、活動の内容啓発を目的とした映画を製作しようということになった。アフリカで活躍する日本の青年海外協力隊の話をもとに、映画がつくられた。その監督が、谷口千吉さん、八千草薫さんのご主人。仕事の打ち合わせで、谷口家を訪問。当時の谷口さんは、カバンの収集家で知られており、実は、わたしも収集とまではいかないけれど、カバン集め家だった。仕事の話は、そっちのけで、谷口監督のご自慢のカバンを、自慢話といっしょに見せてもらい、聞かせていただいた。途中で、外出中の八千草さんが帰宅。と、監督が、さっと立ち上がり(当時、かなり高齢になっていた)、「やあ、マリアさん、お帰り」、と玄関にお出迎え。監督が、八千草さんのことを、「マリアさん」、と呼んでいることを知った。
 その1~2年後、出張でネパールへ行った時のこと。直行便がなく、インドのニューデリー(旧名)で乗り換えることになっていた。ところが、いつものことだが、遅延で5時間くらい待たねばならないことに。日本人の乗客が大半だった。うす暗い待合室、ほぼ満席だった。と、すみっこに立っているふたり。谷口監督と八千草さん。で、「たぐちです、どうぞ、こちらに」、と席を譲った。「マリアさんが、座れてよかった」、と谷口監督はほっとされたようだった。おふたりは、ネパールへ山歩きに行くところだったとのこと。
緒方貞子さん
 まだ緒方さんが上智大学の教授だった頃の話。途上国問題をとりあげ、勉強会をしたり、国際会議を開催したりする南北問題日本委員会というのが設立され、その世話をするというか、事務局を担当したことがあった。4年間くらいだったろうか。委員会の長は、大来佐武郎さん、後に外務大臣にもなった学者。二か月毎に定期会議があり、だいたいは都内のホテルが会場だった。南北問題、開発問題、難民問題なとをテーマに、それぞれの委員が発表し、意見交換などを行い、時には、日本政府や国連なと国際機関への提言も行った。メンバーのひとりが緒方貞子さんだった。内容は、あまりよく覚えてはいないが、難民問題には、熱心だった。難民は、「食べ物が保証されるところ、医者のいるところ、電気のあるところ、そして、トイレのあるところ」をめざしてやってくる、難民キャンプ、というところの定義みたいなことをおしゃっていたのを思い出す。当時から、難民問題には、なみなみならない関心を持ってられた。UNHCR国連難民高等弁務官として、さまざまな功績を遺されたことが、報道されている。
 大来外務大臣の推薦を受け、緒方さんに励まされ、ニューヨークの国連本部へ行くことになったのは、その数年後のことだった。その後、アフリカのスーダンで、開発問題に関わったが、おふたりの影響、薫陶を受けてのことだった。

 八千草薫さん、88歳、緒方貞子さん、92歳。 そういう自分は、81歳。
































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