2019年10月27日日曜日

即位政令正殿の儀、出席元首らの国を見ながら 

 22日に挙行の即位政令の儀に来日した王族や政府代表の国名が、新聞に出ていたのでこれまでに、どれくらいの国に行ったか、数えてみた。なんと105か国、156か国中。すごいなあ、こんなにも行ったんだ、とわれながら、あらためてびっくり。
 経済・計画・協力大臣夫妻が参列したセネガル、国際会議出席のため、たしか3回行ったことがある。当時のセネガル首相(大統領だったかも)の奥さんが、植民地宗主国のフランス人だったのを思い出した。ヨーロッパからの参加者たちが、小さい声で教えてくれたそういえば、ミャンマー(ビルマ)のスーチー女史の旦那は、イギリス人。1987年と時だったが、ダカールでの会議場で会ったのが、南アフリカのマンデラさん。あの頃は、それほど有名ではなく、「これ、聞いてください」、とポケットからカセットテープをと
りだした。「なんですか」、と尋ねると、「国連総会でのスピーチ」、とのこと貰って帰ったが、いちど聞いたが、その後、どこへしまったかわからずまま。後に、ノーベル賞
(平和賞)をもらったりして有名人になった。
 この思い出も、セネガルでのこと。植民地時代、セネガルの港を経由して、アフリカの黒人たちを、アメリカに運んだ歴史、奴隷貿易に歴史が残る港を見学することになり、バスでダカールを出発した。ところどころにバオバブが生えている草原地帯をバスは走る。途中で、トイレ休憩があった。トイレに入って、出てみたら、バスが砂ぼこりをあげて、走っていく。手を振ってもだめ。と、もうひとり、取り残された女性が出てきた。ひとりじゃあなかったんだ、とひと安心。ふたりで、ま、しかたない、どうしよう、とそこにいた現地の人と話していたら、バスが戻ってきて、ほっとした次第。
 その時の、もうひとりの、取り残された女性、ノルウェーの首相ブルンとランド女史だった。首相を退任した後、国連の環境計画機構の授無局長就任。本人は労働党の党首だったが、ご主人は保守党員だったとのこと。
 



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