現役だった頃の話。ブラジルで国際会議があり、そこで知り合ったパラグアイ人、パッサ・モーラさん。ギリシャ系のパラグアイ人で、野党の党首。パラグアイに行ったことがあるか、と訊かれたので、まだ、というと、帰りに寄らないか、というので、行くことになった。
会議が終わり、空路首都のアスンシオンへ。出迎えの車で、まず行ったのは、国会議事堂。車の中で待たされること30分ほどで、「じゃあ、これから私の家に」、と自分で車を運転。20分くらいで、「着いたよ、ここが我が家」、と。細長い平屋建ての家で、門もなく、庭もない。玄関は、道路からすぐで、駐車場は、道路の端。ベルを鳴らすと、女性が出てきた。「奥さんですか」、「いや、姉です」、とのこと。
部屋は、いくつもなく、案内されたのは、彼の仕事部屋で、ソファー兼ベッドで寝ることになった。トイレは、共用で、廊下を歩いて突き当り。
お姉さん手作りのスープがなぜかおいしかったのを、思い出す。なにを話したか、よく覚えていないが、その夜、3,4時間は、話していたような気がする。
翌朝、三人で朝食。車で国会議事堂へ行き、秘書みたいな青年の案内で内部の見学、彼の運転で、市内見物。午後空港から飛行機に乗った。それだけの話。
数年たったある日、日本の外務省から電話。パラグアイの首相パッサ・モーラ氏が来日、パーティーにぜひご出席を、との打診だった。あのパッサ・モーラさんが首相になったのだということを知った。自宅に一宿一飯させていただいたのを覚えいてくれたんだ、と。日本に知り合いがあまりいなかったからなのかも、などと思った。
なお、このご招待は、たまたま出張が定されていたので、残念ながら、パッサ・モーラ首相には、日本での再会は実現出来なかった。
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