2021年5月23日日曜日

あの頃から、途上国問題に関心が・・・

 国際協力事業団(JICA)、国連開発計画(UNDP)で働くきっかけは、イスラエルに留学した際に、多くのアフリカの国々からの人たちとの出会いによる。ガーナやタンザニアからの友人たちが、目を輝かせて、自らの国づくりの夢を語っていたのを思い出す。

帰国して、日本国内にも、すでに活動をしていたNGO(非政府団体)があるのを知った。

アジア学院は、那須にあり、アジア・アフリカの農村指導者養成センターで、「共に生きる」をモットーに運営されていた。創始者の高見敏弘先生にお会いし、その日から3日間、センターでの研修に参加。畑仕事、家畜の世話などの作業、地域の開発のための講義などを、海外からの参加者たちと寝起きを共にしながら体験した。その後、ヨーロッパでの会議出席などの機会を利用して、インド、ネパール、バングラデシュなどの田舎を訪問、アジア学院の卒業生たちの活動現場を見せて貰った。帰国して、高見先生に報告したこともある。

難民を助ける会は、同会代表の相馬雪華さんが、尾崎行雄先生の娘さんというのを知り、祖父が尾崎行雄の選挙を手伝ったという話を思い出し、事務所へ行ってみた。現在ほど難民問題が深刻化していない頃だったが、アジア、中東などで、さまざまな活動をしていた。

オイスカ・インターナショナル、農村開発などアジアでの協力活動を展開していた。アジアの訪問先で、オイスカの名前をよく見かけた。一度、都内のホテルでのオイスカ主催のパーティに出席、宗教団体であることを知った。

これらの団体で、もしかしたら働ければ、なんて本気で思っていたようだ。






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