2021年4月14日水曜日

回想ー4  久保田真苗さんと

久保田真苗さん、労働省の婦人局長だったとか、ニューヨークの国連本部におられたとか、ということを、知ったのは、後になってのこと。

トルコのイスタンブールで国際会議があり、会議場で久保田さんと初めてお会いした。会議の中日(なかび)、たまたま午後の日程が空いた。「ねえ、トルコ風呂って、関心ない?」、と久保田さんが訊くので、「銭湯が趣味なんで、いちど行ってみたいと」、と返事をすると、「行ってみない?」、「ええ、行ってみましょう」、と決定。

ホテル前に駐車のタクシーに乗った。「トルコ風呂へ、連れてって」、久保田さんは、英語が達者で、運転手にいう。男性用は、多いけれど、女性用は、少ないんだ、と運転手。15分ほどで、旧いビルの前で停まった。ここが入口だよ、というので、ドアをあけた。なんとなく、暗い。しばらく歩くと、受付らしいデスクがあり、人がおらず、大声で、日本語で「今日は、お客さんですよ」、と叫ぶと、カーテンの中から、おばあさんが顔を出す。「トルコ風呂に入りたいの」、と久保田さん、英語で。身振りで理解したらしく、こっちへおいで、と、電話ボックスのような箱のところへ連れていかれ、ここで、服をぬいで、カギを閉めて、あっちの入り口へ行くように、とこれまた身振りでの指示。「パスポート、大丈夫ですかねえ」、と久保田さんに訊くと、「まあ、なんとかなるでしょう」と。

おばあさんが、貸してくれた布団のカバーみたいな布きれを、体にまいて、ふたりは、大きな風呂場へ。天井が高ーく、いちめんの総タイル、ブルーとホワイト。待っていたふたりの女性が、あんたは、こっち、あんたは、あっち、という具合に、ふたりを別々の方向に。タイルで出来たベッドの上に、寝かされた。布をはがされ、まっ裸になった体にプラスチック製のバケツで汲んだお湯を、ぶっかける。なんどか、繰り返し、次は、大きな固形石鹸で、からだを、隅から隅までをこする。その石鹸たるや、15センチx7センチもある巨大な石鹸。そのうちに、仰向きだったからだを、ひっくり返し、うつむきにして、巨大石鹸でごしごし。「久保田先生、すごいですね」、というと「ずいぶん、おっきな石鹸ねえ」、とふたりとも大笑い。トルコ風呂のおばさんも、なんだか、大笑いしている。このふたりのおばさん、年の頃40歳くらいかな、がっちりで、でっかいトルコ女性。日本の女性が、なんとも貧弱にん見えたことか。約20分、「もう、いいわよ」、と久保田さん、日本語で。というトルコ風呂体験だった。

この後、トルコのご縁で、タイとカンボジアで、お会いした。タイでは、アユタヤへご一緒した・有名な観光地、「行ってみない?」とのお誘いで、ご一緒した。その日は、なぜか切符売り場も、正面のゲートも閉まっており、どうしようか、と話していたら、ひとりの男の子がやってきて、こっち、こっち、と手招きするので、ついて行った。と、フェンスが壊れている所で、ここから入るといいよ、とまず自分が中に入り、続いて、久保田さんが入った。フェンスの向こう側で、「無賃入場しちゃった!」と、久保田さん。続いてフェンスをくぐった。だれもいないアユタヤを、しっかり見学することが出来た。当時、たしか、国会議員だった久保田さん、とにかく、国際的っていうか、おかしな人だった。

もう一度、お会いしたのが、カンボジアのプノンペン。ポルポト後の選挙が行われた1993年だった。国際選挙監視団としての訪問だった。なぜか、取材ということで、作家の上坂冬子さんもきていた。国連の代表ということで、現地では、明石さんが、仕切っており、たまたま顔を合わせた。上坂さんが、はでな花柄の黒地Tシャツ姿で現れたのを見て「上坂さん、まるでカンボジのご婦人みたい」、とひとこと。「あら、これ、東京で買ってきたのよ」と上坂さん。なんか、へーんな雰囲気だった.

国連にもおられたという久保田さん。日本語での会話に、時々、英語が出てくるなど、なんとも国際的、茶目っ気いっぱいの先輩だった。




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