2021年4月23日金曜日

自粛の旅ー7  上毛電気鉄道 群馬県

ここのところ好天続きで、なぜか週末になると悪くなる。で、平日のおでかけ、というわけ。本日は、4月22日、大阪でコロナ感染が深刻化、東京もじきに悪くなるにちがいない、と非常事態を政府と話し合っているとのこと、都知事は「東京へ来ないで」、と言っている。そういえば、昨年は、神奈川の知事さんが、「神奈川ー箱根、湘南、へ来ないで」、なんて言っていたっけ。東京から、ちょいと出かけるくらいは、いいんじゃない、と ちょい旅に。

北千住駅からスカイツリーライン、つまり東武線に乗車。行く先は、伊勢崎。特急りょうもう、というのに乗ったら、東武動物公園までノンストップ。乗客は、7名、サラリーマンらしき男性が6名。途中の足利、太田で全員下車。伊勢崎・終点まで乗ったのは、全車両で5名。

ここで、いったん改札口へ。上毛電気鉄道では、スイカ、だめなので、切符を買わなければならない。15分後に電車が入るというので、ホームへ。客ひとりひとり、切符に丸い判のようなモノを押す。新人らしい駅員が、先輩の指導で押してくれた。客は、ひとりだった。

電車が時間通り着き、乗車。二両編成で、ワンマン。右手に赤城山が見える。途中で、手押し車のおばあさんが2人、男性3人、が乗り降りしただけで、申し訳ないほど、の貸し切り状態。終点の前橋まで通勤する人もいるはずで、朝晩は、それなりに乗客はいるはず、電車の時刻表を見ると、1時間に2回は走っている。土日は、二両目は、自転車OKで、サイクルトレインになる。

赤城山は、ずーと右側に見える。沿線は、時々人家があり、たんぼが続いている。菜の花の黄色が春景色。前橋中央駅まで約1時間。ひとつ手前の駅城東駅からは、どーんと客が乗ってきた。学生たちだった。駅から、前橋駅までは、シャトルバスがあり、100円。

実は、両毛線(小山~高崎)ばかり気になっていて、上毛線(上毛電気鉄道)に気づかなかった。先日のちょい旅で、伊勢崎線に乗った時に、上毛線というのがあることを知ったのだ。ともかく、赤城山がずーと見える路線で、乗客があまりないので、経営は、楽じゃあないようだ。自転車に乗れるイベントを、いくつかやっているようだが、それもコロナで今は中止。ワンマン列車の運転手は、いまどき珍しい長髪の青年だった。

前橋から、両毛線で高崎に出て、とり飯駅弁を買って、上野駅へ。まだ、いい天気だった。


2021年4月18日日曜日

水戸の天狗党ーNHK大河ドラマに出てこなかった史実

日曜の大河ドラマ、渋沢栄一の 自伝。渋沢さんが、明治維新後の日本の発展に貢献したことが、そのあらすじだが、今は、まだ彼の青年時代で、尊王攘夷のもと、新政権には、反対するグループで、道場で剣術の稽古に励んでいる。万延元年、開港を迫る外国との交渉をすすめる大老井伊直弼が桜田門外で襲われる、「桜田門外の変」だ。

この頃、薩長による新政権に反対する尊王攘夷のグループが、水戸で旗揚げをする。西上へ、京へとなんと800人の大移動だった。

その足跡を辿る歴史街道を歩く旅を、10年前くらいだったが、実行した。旅程は、ざっと次の通り。

 水戸~大子~大田原~今市~日光~鹿沼~宇都宮~栃木~太田~倉賀野~下仁田~内山峠 ~望月~下諏訪~伊那~飯田~馬込~中津川~太田~天王~大河原~秋生~木の本~今庄~新保~敦賀

この行程を、三泊四日、四泊五日という日程で、歩く旅だった。

天狗党の一行は、11月に常陸国久慈太子村を出発、京へ向かうはずが、明治新政府軍による待ち伏せで、京へは行けず、北國街道を北上せざるをえず、12月17日に加賀藩で降伏力尽きたのだった。

日光例幣使街道、中山道、北國街道は、すでに何回か歩いていたので、街道歩き旅としてはそれほど目新しいものではなかったが、鍋、釜の日用品、鉄砲、大砲などを持っての大人数での「旅」が、どれほど難事であったかを察するにあまりある。途中の村々では、寺などに泊まり、村人たちが、同情して、いろいろ差し入れなども、したらしい。800人の大集団が、一糸乱れず、長旅を続けたことは、小説『天狗騒乱』(吉村昭著)にしっかり描がかれている。

敦賀で拘禁されたリーダーの武田耕雲斎以下24名の幹部は、慶応元年(1865年)、2月に死罪、次々に352名も死罪、100余名も遠島の罪に。彼らが、押し込められていた「鰊小屋」が、敦賀の海岸、松林の中にあり、鎮痛な面持ちで、手を合わせた。日本が明治維新という新しい国になる過程で、こんな事件があったこと、あまり知られていないのが、残念だ。

先日、水戸へ行った時に、駅の観光案内で、「水戸天狗党のこと、知りたい」、と尋ねたが、資料はゼロだった。たしか、市内には、天狗党の墓があったはず。行ったことがあるが、今はどうなっていることか。渋沢栄一など、表舞台で活躍した御仁だけを、取り上げるだけではなく、天狗党のような存在を歴史に残すことだって大切だと思う。そういえば、奈良県の十津川で、最長距離路線バスに乗った時、「天誅組」の碑があった。大和で旗揚げした尊王攘夷派で、結果は、失敗したが、歴史の裏舞台で活躍した人たちだ。その後、彼らの多くが北海道に移住、たしか、今でも、北海道十津川という地名がある。






   


 


  




2021年4月14日水曜日

回想ー4  久保田真苗さんと

久保田真苗さん、労働省の婦人局長だったとか、ニューヨークの国連本部におられたとか、ということを、知ったのは、後になってのこと。

トルコのイスタンブールで国際会議があり、会議場で久保田さんと初めてお会いした。会議の中日(なかび)、たまたま午後の日程が空いた。「ねえ、トルコ風呂って、関心ない?」、と久保田さんが訊くので、「銭湯が趣味なんで、いちど行ってみたいと」、と返事をすると、「行ってみない?」、「ええ、行ってみましょう」、と決定。

ホテル前に駐車のタクシーに乗った。「トルコ風呂へ、連れてって」、久保田さんは、英語が達者で、運転手にいう。男性用は、多いけれど、女性用は、少ないんだ、と運転手。15分ほどで、旧いビルの前で停まった。ここが入口だよ、というので、ドアをあけた。なんとなく、暗い。しばらく歩くと、受付らしいデスクがあり、人がおらず、大声で、日本語で「今日は、お客さんですよ」、と叫ぶと、カーテンの中から、おばあさんが顔を出す。「トルコ風呂に入りたいの」、と久保田さん、英語で。身振りで理解したらしく、こっちへおいで、と、電話ボックスのような箱のところへ連れていかれ、ここで、服をぬいで、カギを閉めて、あっちの入り口へ行くように、とこれまた身振りでの指示。「パスポート、大丈夫ですかねえ」、と久保田さんに訊くと、「まあ、なんとかなるでしょう」と。

おばあさんが、貸してくれた布団のカバーみたいな布きれを、体にまいて、ふたりは、大きな風呂場へ。天井が高ーく、いちめんの総タイル、ブルーとホワイト。待っていたふたりの女性が、あんたは、こっち、あんたは、あっち、という具合に、ふたりを別々の方向に。タイルで出来たベッドの上に、寝かされた。布をはがされ、まっ裸になった体にプラスチック製のバケツで汲んだお湯を、ぶっかける。なんどか、繰り返し、次は、大きな固形石鹸で、からだを、隅から隅までをこする。その石鹸たるや、15センチx7センチもある巨大な石鹸。そのうちに、仰向きだったからだを、ひっくり返し、うつむきにして、巨大石鹸でごしごし。「久保田先生、すごいですね」、というと「ずいぶん、おっきな石鹸ねえ」、とふたりとも大笑い。トルコ風呂のおばさんも、なんだか、大笑いしている。このふたりのおばさん、年の頃40歳くらいかな、がっちりで、でっかいトルコ女性。日本の女性が、なんとも貧弱にん見えたことか。約20分、「もう、いいわよ」、と久保田さん、日本語で。というトルコ風呂体験だった。

この後、トルコのご縁で、タイとカンボジアで、お会いした。タイでは、アユタヤへご一緒した・有名な観光地、「行ってみない?」とのお誘いで、ご一緒した。その日は、なぜか切符売り場も、正面のゲートも閉まっており、どうしようか、と話していたら、ひとりの男の子がやってきて、こっち、こっち、と手招きするので、ついて行った。と、フェンスが壊れている所で、ここから入るといいよ、とまず自分が中に入り、続いて、久保田さんが入った。フェンスの向こう側で、「無賃入場しちゃった!」と、久保田さん。続いてフェンスをくぐった。だれもいないアユタヤを、しっかり見学することが出来た。当時、たしか、国会議員だった久保田さん、とにかく、国際的っていうか、おかしな人だった。

もう一度、お会いしたのが、カンボジアのプノンペン。ポルポト後の選挙が行われた1993年だった。国際選挙監視団としての訪問だった。なぜか、取材ということで、作家の上坂冬子さんもきていた。国連の代表ということで、現地では、明石さんが、仕切っており、たまたま顔を合わせた。上坂さんが、はでな花柄の黒地Tシャツ姿で現れたのを見て「上坂さん、まるでカンボジのご婦人みたい」、とひとこと。「あら、これ、東京で買ってきたのよ」と上坂さん。なんか、へーんな雰囲気だった.

国連にもおられたという久保田さん。日本語での会話に、時々、英語が出てくるなど、なんとも国際的、茶目っ気いっぱいの先輩だった。




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2021年4月12日月曜日

回想ー3  気がついたら、有名人

松坂慶子さん  何年前だったか、赤坂の知人のマンションを訪ねた時、フロアーを間違えて、それらしき部屋のドア―をノック。すぐにドアーが開いて、女性が顔を出した。「あらあ」、と言ってから、「どなた?」というので、間違えに気づいたので、「すみません、間違えました」、と。知人に聞くと、その女性は、松坂慶子さんだった。同じマンションなので、時々、挨拶する程度だけれど、と。松坂さん、どなたかの  訪問を待ってたのかも、とも。ほんの一瞬だったけれど、たしかに松坂慶子さんにお会いした。その後、NHKのテレビで、古本屋のおばさん役や、大河ドラマ篤姫にも出ておられ、あゝ、あの人だ、と。あの時には、本当言うと、松坂慶子さんっていう女優、まったく知らなかった。

若尾文子さん  ところは、フィンランドの首都ヘルシンキ。なんで、あの時にヘルシンキにいたのか、定かではないが、ヘルシンキへは、10回以上、行っているので、ところは、日本大使公邸。事前に会った大使館員から、「いいなあ、若尾文子に会えるなんて」、いわれていたので、名前は知っていたが、ちょっと好奇心。夕食のテーブルは、大使と黒川紀章さん、大使夫人とタグチの間に若尾文子さん、総勢五名の晩餐会。若尾文子さんは、食事中は、ほとんどお喋りなどせず、色眼鏡の旦那黒川さんは、テーマなどない、とりとめのない会話を大使との間でしており、なんか退屈な食事だった。時々、若尾文子さんが、日本酒を注いで下さった。ご自分は、乾杯以外、ほとんど飲まなかった。食後、大使公邸内のサウナやプールを見学をした時、彼女が、びっくりするほど、背が低かったこと。椅子に座っていた時は、それほどでもなかったので、まあ、短足だった。その夜の衣装は、黒のブーツ、洋装だった。

丹下健三夫人  この時も、大使公邸。パリの日本大使公邸。10人ほどの夕食会だった。なぜか、真ん前が、健三夫人。食事も終わり頃、味噌汁とご飯が出てきた。じっと、味噌汁と白いご飯を眺めていたら、「みそ汁、かけご飯、おいしそう」、というなり、健三夫人は、ご飯にみそ汁をぶっかけた。大使夫人は、びっくりしたはずなのに、そこは社交辞令、「どうぞ、どうぞ、ご遠慮なく」、とニコニコ。で、失礼して、みそ汁かけご飯をいただきました。健三夫人と、食後、お喋りを楽しんだあげく、翌日、夫人のご案内で、パリで有名なジーンズの店に連れていってもらった。彼女は、マックスファクターの元社長夫人だったのを、丹下さんが、強引に口説いたとの話を聞いた。





2021年4月5日月曜日

宇都宮駅から 烏山線往復

「今朝は、からすがよく鳴くなあ」、ベランダの前の木にとまったからすが、うるさくないている。烏っていう字は、鳥という漢字とよく似ているけれど、違うんだ、などと考えながら、新聞を読む。読んでいるうちに、烏、烏といいながら、時刻表をひろげる。ありました、烏山線、宇都宮駅から出ている。

 4月3日、西新井駅から東武線(スカイツリーライン)の久喜行に乗車。目的は、宇都宮駅から出ている烏山線。久喜駅(各駅停 車Jで20分待ち、南栗橋行きに乗車。栗橋まで行きたいのだが、ここで30分待ち。こんなに乗り換えるんだったら、最初から上野駅へ行けばよかった。やってきた電車は、日光行の各停だった。幸手駅あたりから、利根川土手の桜が見られた。土手の菜の花とのコントラスト、最高。なんども花見にきたことがある。

 栗橋で、JR東北線に乗り換える。利根川鉄橋を渡る。こうして、ようやく宇都宮駅に着いた。12時。烏山線は、ホームのはずれにある。行ってみたら12時34分発。まだ、時間があるので、改札を出る。宇都宮に来たんだから、とぎょうざを買う。一人前6個で360円。ホームで食べるつもりだったが、他に人がいたので、遠慮した。結局、神明町まで持ち帰って、うちで食べることに。マスク生活です。

 時間通りに列車が入線。2両で.ワンマン。かなり昔、いちど乗った記憶があるが、あまり覚えていない。土曜日のわりには、乗客は、少ない。20名程度。さすがは大都市宇都宮、郊外まで、マンション、戸建ての家々、人口は、どれくらいなのか。車窓両サイドからの景色は、たいしたことはない。鬼怒川の鉄橋を渡る。JR東北線と連絡する宝積寺駅、ここをすぎると、たんぼが広がる。田植えの準備中だ。

 烏山線の線路は、平地に川のように彫った堀の中を走っており、線路近くの家々は、電車の上の方に見える。駅は、ほとんど無人。低い山々が続き、全線中、唯一のトンネルも。最後まで乗っていたのは、7人だった。13時20分、終点の烏山駅に到着。JR線なのに、スイカだめ。20.4キロ、590円を、烏山駅の駅員(ひとり)に支払った。駅前には、なーんもなく、駐車場のみ。で、駅員さんに聞くと、「次は、39分発です」とのこと、これに乗ることに。一緒に宇都宮から乗ってきた客のうち、4人が、どうも、同好者らしく、烏山駅から折り返しの客だった。

 途中の農村風景は、目下、百花繚乱、さくらもいろんな色のさくら、チューリップ、もちろん、主役は、真っ黄色な菜の花、たんぼの畔にも、民家の庭にも、遠くの山々でも、満開だった。行きには、気づかなかったが、長屋門の家が三軒、あった。古い地域なのだと思った。14時25分に宇都宮着。

 駅のアナウンスメントで、京浜東北線逗子行きが出るというので、走って、飛び乗った。ボックスシートで、4人がけを独占したまま、大宮から赤羽へ。ここで、各停の東北線に乗り換え、王子駅下車。都電荒川線に乗る。本日の行程を辿りながら、いい旅だった、と。ところがです、気がついたら、烏山線の烏山から宇都宮間、「無賃乗車」していたのです。烏山線に乗る前に、改札を出て、餃子を買って、再び改札を通過。もちろんスイカで。そのまま烏山駅へ。ここで、590円の片道を支払い、烏山駅から再び乗車。宇都宮駅で清算すべきところ、逗子行きに飛び乗り、王子駅の改札をスイカで通過、ここでは、宇都宮駅からのj乗車賃だったのだ。申し訳ない、いや、得をした、が交差する気分での帰宅だった。