2020年12月25日金曜日

水上市藤原のこと

ここ数日、水上の藤原が有名になった。記録的な豪雪で、その様子が、テレビのニュースに連日、放映された。 

 今から15年、いや20年ほど昔の藤原部落(部落といっていた)へ、通っていた。春、そう、公務員のボーナスの時季だった。山菜とりです。藤原部落は、山菜の宝庫だった。朝、上野を発って、水上駅からバスで、宝温泉まで乗り、そこから歩きで、藤原部落へ。左側の高台に小学校があった。そこから1時間ほどで、定宿にしていた民宿があり、挨拶をして、すぐに山に入る。うす暗くなる頃には、背負子いっぱいになるほどの山菜がとれた。うど、たらの芽、ぜんまい、わらびなど、とにかく山菜の宝庫だった。

 翌朝は、朝食前のうす暗いうちにでかけ、8時すぎに戻り、朝ご飯をいただき、ザックに詰めた山菜を背負って、宝川温泉まで下り、バスで水上駅へ、そして上野駅へ。上野駅では、採れ立て山菜を所望の友人たちが、待っていて、駅構内で、集配作業。こんなことを、6~7年間、やっていた。

 5万分の一地図に、宝庫の場所を記していたけれど、門外不出で、民宿のおばさんにも内緒。海外主張で行くことができない年は、だれも行かないので、山菜は、延びっぱなし状態。その場所を、「タグチ平」と命名していた。2年ぶりに行った時だった。その場所「タグチ平」は、ゴルフ場になっていた。西武系のゴルフ場。

 というわけで、藤原部落は、かつては、山菜の宝庫で、山菜採りの達人が活躍したところだった。豪雪で、有名になった藤原、「タグチ平」がなつかしい。なお、なんで、藤原部落かといえば、尾瀬に近い上州穂高山への登山の際に、山菜の宝庫であることを、発見したのです。

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