2020年2月2日日曜日

ニュージーランドの友人の訃報

シンガポールの友人からのメールで、マイク・モアが亡くなったことを知った。
 マイクは、ニュージーランド労働党の国会議員から、WTO(国連貿易機構)の事務局長になった。ニュージーランド労働党内の権力闘争で、ヘレン・クラーク女史(後に首相)に敗れ、なぜか、いつも間にか、国連機関のボスになっていた。ニュージーランドが、小国なのに、英連邦の一員であることから、国連の重席がとれた、そんな噂話をしていた。
 こんなことがあった。東京で学生運動が激しかった頃、羽田空港(当時は、羽田しかなかった)から「今、羽田空港についたが、革命はどこか?」、と男性の声。どこの国の、だれか、”who are you?",  ニュージーランドからきた、労働党のマイク・モア、と名乗った。ともかく事務所にきて、というと1時間ほどで到着。学生運動のデモが、「革命だ」と勘違いしたらしい。
 翌日の夕方の便で、韓国へ行くというマイクのために、外務省や丸善で、日本に関するパンフレット、書籍類をかきあつめてやった。
 それから一年後ほど経った頃、マイクから電報が届いた、「選挙に出馬するので、ぜひ応援にきて欲しい」、というもので、たまたま会議出席のためにオーストラリアのメルボルンへ行くことになっており、ま、ついでなので、ウエリントンへ。
 空港に出迎えてくれ、そのまま、彼の車で、選挙運動へ連れていかれた。たしかクライスラー(アメリカの自動車会社)工場の門のところが演説会場。工場を退出する人たちが、通って行く。空港から直行の日本人が、選挙演説に立つと、「今、日本から、はるばる私の為の応援に来てくれた同士タグチです」、と紹介。その後、日本語で、挨拶すると、彼、マイクが、それを英語に翻訳する、で役30分のスピーチ。マイクは、日本語はまったくだめなのに、自分がいかに日本はじめ、東南アジアに精通しているかをひけらかす英語の見事なスピーチだった。
 このパターンで、三日間、選挙運動に加わった。日本語=英語、別々の内容だったが有権者者のみなさん、結構、納得していたみたいで、今から考えると、なんとも恥ずかしい次第です。彼は、日本からの応援もあり、見事当選。後に労働党政権で、貿易大臣になった。なお、マイクの政敵だったヘレン・クラークは、首相の後、UNDP・国連開発機構の
総裁になった。
 

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