2020年1月17日金曜日

あれから25年

1995年1月17日、今から25年前のこと、阪神・淡路大震災の日だ。あの時間、朝の5時46分、震度7の直後のテレビ映像をながめながら、朝食を食べていた。この頃、指圧の学校の生徒だった。朝ご飯を食べて、6時10分に家を出る暮らしをしていた。
 高速道路から車が落ちる、神戸の街のあっちこっちから火の手が上がる、倒壊した家の周りに、人々が集まっている様子など、などが映っていた。えらいこっちゃ、といいながら、自転車で綾瀬駅へ。電車の中では、まだ知らない人がおり、テレビやラジオを見た、聴いた人たちが、「神戸は、大変らしいよ」、と話していた。
 知り合いは、神戸市内在住のUさん。坂の上の木造住宅は、半壊。その後、市役所からいくらかの修理費が出たが、ほとんど足りないので、今だに冬になるとすき間風で寒いので、近くのホテルへ泊まりに行っているとか。夕方、5時すぎにホテルへ電話そすると、空き部屋がゲット出来るんだそうだ。
 もひとりは、自宅が全壊し、震災2年後に復興住宅に入れた友人Aさん。いい部屋の当たったと喜んでいたが、年金暮らしにはいり、孤独死にならないように、出歩いているとの近況だった。
 阪神大震災といわれているが、震源地は、淡路島。で、その震源地を見に行ってきた。淡路島の震源地は、震度7の地震の現場が、そのまま残されていた。見学者もちらほらで
ここもやっぱり風化しているのだと思った。
 その後、東北で大津波の大地震があり、阪神のことは、人々の脳裏から離れていったようだ(2011年)。どちらも、まだまだ課題を抱えており、特に福島の原発は、この先、なん十年も続く。
 電車でも、バスでも、大人も、子どもも、ひたすら下向きになり、スマホをみつめている。メル友との会話なのか、ゲームなのか、映画なのか、わからないけれど、この人たち、もし、今、この瞬間、地震がきたら、どうするんだろう。
 災害は、忘れないうちに、やってくるんです。

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